「行いの報いを受ける」に関連する故事・ことわざ・慣用句 — 49 件
「行いの報いを受ける」に関連する故事・ことわざ・慣用句を一覧で紹介します。各語を選択すると意味・読み方などの詳細を確認できます。全49件を五十音順に掲載しています。
ことわざ一覧(五十音順)
愛出ずる者は愛返り、福往く者は福来る(あいいずるものはあいかえり、ふくゆくものはふくきたる)
他人に愛情を注ぐ者には、その愛が巡り巡って自分に返り、他人に幸福を与える者には、やがて自らも幸福が訪れるということ。
悪事身に返る(あくじみにかえる)
自分の犯した悪事は、めぐりめぐって戻ってきて自分を苦しめる結果になるということ。 「悪事身にとまる」ともいう。
悪の報いは針の先(あくのむくいははりのさき)
悪事の報いは、針の先を回るほど早くやってくるということ。
仇も情けも我が身より出る(あだもなさけもわがみよりでる)
人から憎まれたり愛されたりするのは、自分の心がけや行いによるということ。
因果の小車(いんがのおぐるま)
悪行に対しては悪い報いがすぐにめぐってくるということ。 小さな車輪がくるくる回転するように、悪い行いは悪い結果となってすぐに回ってくるとの意から。
陰徳あれば必ず陽報あり(いんとくあればかならずようほうあり)
人知れず善い行いをする者には、必ず善い報いがあるということ。
陰徳は末代の宝(いんとくはまつだいのたから)
名を伏せたまま積んだ行いは、末長く家を支える財となる。 その徳は当人一代で尽きず、子や孫の代まで及んで身を助ける。 「陰徳」は、見返りを求めずに陰で施す情けをいう。
思えば思わるる(おもえばおもわるる)
こちらが相手に好意を持てば、相手も好意を持ってくれるようになるということ。
親の因果が子に報う(おやのいんががこにむくう)
親の悪行の結果、罪のない子どもが災いを受けること。
禍福己による(かふくおのれによる)
災いに遭うのも幸いにあずかるのも、突きつめれば自分のふるまいが呼び込んだ結果だということ。 吉凶は外から降ってくるものではなく、日ごろの身の処し方が引き寄せると説く。
狩人、罠にかかる(かりゅうど、わなにかかる)
人をおとし入れようとして仕組んだ悪だくみで、自分がひどいめにあうことのたとえ。獲物を獲ろうとして仕掛けた罠に猟師自身がかかるということから。
楽屋から火を出す(がくやからひをだす)
自ら災いや騒ぎを引き起こしてしまうたとえ。「楽屋」は、内部の意。
怪我と弁当は自分持ち(けがとべんとうはじぶんもち)
自分で負った怪我は自分の責任だ、という職人の間で言われている言葉。
毛を吹いて疵を求む(けをふいてきずをもとむ)
毛を吹き分けて隠れた小さな傷を探すようにして、むやみに人の欠点を暴き立てようとすること。 また、そのように人の過ちを暴こうとしているうちに自分の弱点をさらけ出してしまうこと。
芸は身の仇(げいはみのあだ)
習い覚えた芸事に夢中になり、身を滅ぼすことがあるというたとえ。
後生は徳の余り(ごしょうはとくのあまり)
一生懸命に徳を積めば、おのずと来世の安楽もかなえられるということ。また、現世の暮らしに余裕があってこそ、来世の安楽を祈ることができるということ。
地獄極楽はこの世にあり(じごくごくらくはこのよにあり)
善悪の報いはあの世に行くまでもなく、この世ではっきりと現れるということ。
粋が身を食う(すいがみをくう)
遊びの道に通じた粋人は、遊興の道にふけって最後は身を滅ぼしてしまうということ。
積悪の家には必ず余殃あり(せきあくのいえにはかならずよおうあり)
重ねた悪は当人一人の始末では収まらず、後の代の者が背負うことになる。 「余殃」は、悪の勘定が本人の代で片づかずに繰り越されたものをいう。 「積善の家には必ず余慶あり」と並べて説かれる。
積善の家には必ず余慶あり(せきぜんのいえにはかならずよけいあり)
よい行いは、それを積んだ当人の代で終わらない。家に残した分が、次の代、その次の代へと福の形で回っていく。 「余慶」は、積んだ善が使いきれずにあふれ出た分をいう。
善悪の報いは影の形に随うが如し(ぜんあくのむくいはかげのかたちにしたがうがごとし)
影が形に付き随うように、善悪の行為に対する報いは必ずあるということ。
善には善の報い、悪には悪の報い(ぜんにはぜんのむくい、あくにはあくのむくい)
善行にはいずれ天の恵みがあり、悪行にはいずれ天罰が下るという報いがあるということ。
誑しが誑しに誑される(たらしがたらしにたらされる)
甘い言葉で人を意のままにしてきた者が、同じ口達者にかかって手玉に取られる。誑しとは、巧みな物言いで人を丸め込む者をいう。
付けが回って来る(つけがまわってくる)
悪事や手抜きなどの報いが後になって現れること。 後日、代金の請求が来るという意味から。
天に唾す(てんにつばきす)
他人に害を与えようとして、逆に自分がひどい目に遭うことのたとえ。 上を向いて唾をはくと、自分の顔に落ちてくることから。 「天を仰いで唾す」「天を仰いで唾する」「仰いで唾を吐く」などともいう。
天に眼(てんにまなこ)
天の神には人の行いをすべて見通す眼があり、そのよしあしに応じた賞罰を与えるので、悪いことはできないということ。
天の配剤(てんのはいざい)
天の神は、善行に対してはよい報いを、悪行に対しては悪い報いを与えるということ。「配剤」は薬の調合のこと。転じて、物事をほどよく組み合わせるという意。
天網恢恢疎にして漏らさず(てんもうかいかいそにしてもらさず)
悪事を犯した者は必ず天罰を受けるということ。 「恢恢」は広大なこと。「疎」は粗いこと。 天の網は広く、目が粗いように見えるが、絶対に網の目から漏らすことはないとの意から。
泥を打てば面へはねる(どろをうてばつらへはねる)
悪い行いの報いは必ず自分に返ってくるということ。
情けは人の為ならず(なさけはひとのためならず)
他人に親切にすれば、巡り巡って自分に返ってくるということ。
爾に出ずるものは爾に返る(なんじにいずるものはなんじにかえる)
人へ差し向けたものは、そっくり同じ形で差し向けた側の身の上に起こる。 むごい扱いをすれば、いずれ同じ扱いが待っている。 孟子が鄒の君主に、民を責める前に日ごろの仕打ちを見よと迫った場面の言葉。
妬みはその身の仇(ねたみはそのみのあだ)
人を妬んで悪く言ったり、害を与えようとしたりすると、その報いがめぐりめぐって自分自身に災いをもたらすということ。 「妬み」は「嫉み」とも書く。
年貢の納め時(ねんぐのおさめどき)
悪事を重ねてきた者が、ついに捕まって罪に服さなければならない時。また、長い間続けてきた物事をあきらめなくてはならない時。年貢の滞納を清算しなければならない時の意から。
罰が当たる(ばちがあたる)
神仏から悪事などの報いを与えられること。
人を思うは身を思う、人を憎むは身を憎む(ひとをおもうはみをおもう、ひとをにくむはみをにくむ)
人に情けをかけることは自分のためになることであり、人を苦しめることはやがて自分の苦しみになるということ。
人を呪わば穴二つ(ひとをのろわばあなふたつ)
人に悪いことをすれば、いつか自分の身にもはね返ってくるというたとえ。 「穴」は、墓穴のこと。 人を呪い殺そうとすれば、いつか自分もその報いで殺されることになるので、二つの墓穴が必要になるとの意から。
百年目(ひゃくねんめ)
これ以上は身をかわしようのない、行き着くところまで来た場面。 隠してきたことが表に出て、始末をつけざるを得なくなった時にいう。 めぐり合わせが極まった、またとない好機のほうを指す用法もある。
百里来た道は百里帰る(ひゃくりきたみちはひゃくりかえる)
自分のしたことには、必ずそれなりの報いがあるということ。 百里歩いてきた道は、百里歩かなければもとの場所には戻れないとの意から。
平家を滅ぼすは平家(へいけをほろぼすはへいけ)
自分をだめにするのは、自分自身だというたとえ。平家が滅びたのは、驕り高ぶった平家自身の自業自得だったとの意から。
曲がる枝には曲がれる影あり(まがるえだにはまがれるかげあり)
原因が悪ければ悪い結果が生じるというたとえ。曲がった枝には、その曲がった枝の影ができるという意味から。
身から出た錆(みからでたさび)
自分が犯した悪行の結果として、自分自身が苦しむこと。
味噌に入れた塩は他所へは行かぬ(みそにいれたしおはよそへはいかぬ)
他人に尽くすことは、一見無駄のように見えても、結局は自分のためになるということ。 味噌に入れた塩は、混じって見えなくなるが、味噌の味を調えるための役に立っているとの意から。
身で身を食う(みでみをくう)
自分で自分をだめにすることのたとえ。 自分で自分のからだを食べるとの意から。 「身で身を詰める」ともいう。
物がなければ影ささず(ものがなければかげささず)
原因がなければ結果は起こらないというたとえ。物体がなければ影はできない意から。
刃から出た錆は研ぐに砥石がない(やいばからでたさびはとぐにといしがない)
自分の過ちや行いが原因で生じた災難は、他人を責めることができず、受け入れるしかないということ。
欲は身を失う(よくはみをうしなう)
欲張りは身を滅ぼすもとであるということ。
六国を滅ぼす者は六国なり(りっこくをほろぼすものはりっこくなり)
国が滅びるのは、国の内部に原因があるということ。また、悪い結果の原因は、自分自身にあることが多いことのたとえ。 「六国」は中国、戦国時代の斉(せい)・楚(そ)・燕(えん)・韓(かん)・魏(ぎ)・趙(ちょう)のこと。 六国が滅びたのは六国相互の争いの結果によるもので、他の国に滅ぼされたわけではないとの意から。
我が刀で首切る(わがかたなでくびきる)
自分のおこないで自分自身が苦しむ結果になるたとえ。
我が脛に鎌(わがすねにかま)
自らの行為によって自分を傷つけることのたとえ。
