「自慢」に関連する故事・ことわざ・慣用句 — 51 件
「自慢」に関連する故事・ことわざ・慣用句を一覧で紹介します。各語を選択すると意味・読み方などの詳細を確認できます。全51件を五十音順に掲載しています。
ことわざ一覧(五十音順)
顎を撫でる(あごをなでる)
物事が思い通りになって、得意げなようす。満足そうなようす。
晏子の御(あんしのぎょ)
他人の威光によりかかって得意になること。中国斉の宰相晏嬰(あんえい)の御者が、自分が宰相の馬車の御者であることを得意がり、その妻がそれを恥じて離縁を求めた。御者は大いに恥じて精励し、晏嬰に認められて出世したという故事から。
いい気なものだ(いいきなものだ)
他人の思惑も知らずに、当人だけが得意気に振る舞っている様子を非難めかして言った言葉。
一席打つ(いっせきぶつ)
大勢の前で威勢よく演説をする。得意げに話をする。
鶯鳴かせたこともある(うぐいすなかせたこともある)
若いころは魅力的で異性にもてはやされたこともあったと、老女が昔を自慢していうことば。女性の美しさを梅、男性を鶯にたとえて枝にとまらせて鳴かせたという意味。
江戸っ子は宵越しの銭は持たぬ(えどっこはよいごしのぜにはもたぬ)
江戸っ子はその日に稼いだお金はその日のうちに使ってしまうということ。江戸っ子の気前のよさを自慢して言った言葉。 「持たぬ」は「使わぬ」ともいう。
お家がらがら(おいえがらがら)
家柄のよさを自慢する者を嘲笑する言葉。 「がらがら」は中身のないことの形容で、家柄の柄(がら)とかけたもの。
大口を叩く(おおぐちをたたく)
大げさなことを言う。偉そうなことを言う。
大見得を切る(おおみえをきる)
大げさな言動をとって、自分の自信のほどを強調すること。「大見得」は歌舞伎役者が、芝居が最高潮に達した時に目立つ表情や演技をすることで、大げさな言動で自分を誇示するということから。 「見得を切る」ともいう。
おだをあげる(おだをあげる)
仲間うちで寄り集まり、われがちに大きなことをしゃべりたてること。 「おだ」は、経文の題目を唱える「お題目」からとも、話が長引いて決まらない相談をいう「小田原評定」を縮めたものともいう。
鬼の首を取ったよう(おにのくびをとったよう)
まるで鬼を退治して首を取るという大手柄を立てたかのように得意になるようす。
肩で風を切る(かたでかぜをきる)
肩をそびやかして、得意げに颯爽と歩くさま。また、得意げに振る舞うさま。
勝った自慢は負けての後悔(かったじまんはまけてのこうかい)
勝負に勝った時に自慢しすぎると、負けた時に引っ込みがつかず、恥ずかしい思いをして後悔するということ。
気炎を揚げる(きえんをあげる)
燃え立つような意気込みを、口に出して見せること。 また、熱をこめて論じ合うこと。 「気炎」は、炎にたとえた意気込みのこと。 「気炎を吐く」ともいい、「揚げる」は「上げる」とも書く。
気を吐く(きをはく)
まわりが沈んでいるなかで、ひとり奮い立って気概を見せること。 勢いのあるところを口に出して示す場合にもいう。
金の茶釜が七つもあるよう(きんのちゃがまがななつもあるよう)
実のない話を並べて金持ちぶることのたとえ。 湯をわかすだけの釜が金むくで七つもあるなどと、たわいのない言い立てをする意から。
高慢は出世の行き止まり(こうまんはしゅっせのいきどまり)
自分の出世を自慢ばかりするようになると、その人は向上しないということ。また、人から嫌われてそれ以上の出世もできなくなるということ。
これ見よがし(これみよがし)
わざわざ人目につくところへ持ち出して、気づかせずにはおかない振る舞い。 羨ましがらせたい、あるいは当てこすりたいという腹が透けている。
札片を切る(さつびらをきる)
金を持っていることを自慢げに見せるように気前よく大金を使うこと。
しょう事なしに米の飯(しょうことなしにこめのめし)
金がないばかりに、かえって割高な暮らしを強いられることのたとえ。また、それしかできることがないので、やむをえずそれを誇るさまにもいう。 「しょう事なし」は、打つ手が見つからずどうにもならないこと。 麦飯にすれば安く上がるのに、麦を買う銭が手元にないので、やむなく残っている米を炊いて食べる、という意から。
自慢高慢、馬鹿のうち(じまんこうまん、ばかのうち)
自慢や高慢な態度は愚かしいということ。
自慢高慢酒の燗(じまんこうまんさけのかん)
自慢や高慢、酒の燗もいい加減にしておくのがいいということ。
自慢の糞は犬も食わぬ(じまんのくそはいぬもくわぬ)
誰にも相手にされないこと。 自慢をする者はまわりの人に嫌われ、糞をかぎ回る犬でさえ、そういう人間の糞は避けるという意味から。
自慢は知恵の行き止まり(じまんはちえのいきどまり)
手柄を並べ立てはじめたら、その人の知恵はもう先へ伸びない。 できたと思ったところに学ぶものはなく、伸びしろは自慢と引き換えに失われる。
水道の水で産湯を使う(すいどうのみずでうぶゆをつかう)
江戸っ子が江戸生まれであることを自慢していうことば。江戸には金と労力をかけて作った神田上水と玉川上水があり、この水道水の産湯を使ったということから。
世界半分自惚れしっかり(せかいはんぶんうぬぼれしっかり)
世の中のことは半分しかわかっていないのに、自惚れだけはしっかりあるということ。
手前味噌で塩が辛い(てまえみそでしおがからい)
自分で自分のことを自慢すること。また、自慢話ばかりで聞き苦しいというたとえ。 「手前味噌」は自分で作った味噌のこと。 自分で作った味噌は塩辛くてもうまいと感じるとの意から。
手前味噌を並べる(てまえみそをならべる)
あれこれと自慢すること。 「手前味噌」は自分で作った味噌のこと。 自分の作った味噌を周りに自慢することから。 単に「手前味噌」ともいう。
天狗になる(てんぐになる)
いい気になってうぬぼれること。自慢すること。自慢することを「鼻が高い」といい、天狗の鼻が高いことから。
天狗の飛び損ない(てんぐのとびそこない)
日ごろ自慢している者が、油断して失敗してしまうことのたとえ。自由自在に飛び回る天狗が、何かの拍子に飛び損なってしまうということから。
所で吠えぬ犬はない(ところでほえぬいぬはない)
自分の住まいで吠えない犬はいないように、弱い者でも自分の縄張りでは威張るということ。
年寄りの昔話(としよりのむかしばなし)
年寄りが、昔の自慢話ばかりするのを嘲笑していうことば。
取らずの大関(とらずのおおぜき)
実際の実力を見せたこともないのに、偉そうに振る舞う人のたとえ。 実際に相撲をとって見せたことのない大関との意から。
能書きを並べる(のうがきをならべる)
自らの長所や得意とすることなどをあれこれと並べたてること。 「能書き」は、薬などの効能を記載した効能書きのこと。
箱根からこっちに野暮と化け物はなし(はこねからこっちにやぼとばけものはなし)
箱根からこちら側(関東を中心とした言い方で東側)には、野暮な人間と化け物はいないということ。江戸っ子が田舎者を相手に自慢する言葉。
鼻が高い(はながたかい)
得意げな様子。誇らしく思っている様子。
鼻に反りを打つ(はなにそりをうつ)
鼻高々と自慢すること。「反りを打つ」とは反りかえらせるという意。
鼻を高くする(はなをたかくする)
評価や名声が高くなるような良い結果を出して、得意になること。
馬鹿の一つ覚え(ばかのひとつおぼえ)
愚か者が、たった一つ覚えていることを得意げに振りかざすことをあざけっていう言葉。
卑下も自慢のうち(ひげもじまんのうち)
しきりに自分を低く言う人は、そう言えるだけの物を持っていると聞き手に思わせている。下げた分だけ、相手には高く伝わる。
人の短を道うこと無かれ、己の長を説くこと無かれ(ひとのたんをいうことなかれ、おのれのちょうをとくことなかれ)
人の短所をとがめず、自分の長所をひけらかさないようにという戒め。
独り自慢の褒め手なし(ひとりじまんのほめてなし)
自分で持ち上げてみせるばかりで、相槌を打つ者がひとりもいない。 言い立てるほどに、まわりは白けて離れていく。
身知らずの口叩き(みしらずのくちたたき)
自分の丈がどれほどかも量れないまま、言い分だけが人より前へ出る。 「口叩き」は、舌の回ることをいう。
味噌の味噌臭きは食われず(みそのみそくさきはくわれず)
いかにも味噌らしい匂いの立つ味噌は口に合わず、上等なものほど味噌くささが表に出ない。 その道の者らしさをことさら見せつける人は、まだ深くは究めておらず、まわりからも煙たがられるということ。
昔年寄りに弱い者なし(むかしとしよりによわいものなし)
年寄りに昔話を聞くと、若い頃に弱かった人は一人もいないことになるということ。年寄りの自慢話をからかうことば。
胸を張る(むねをはる)
堂々として、自信に満ちあふれた態度を示すこと。
メートルを上げる(めーとるをあげる)
酒が回るにつれて声が大きくなり、勢いのいいことをしゃべりだすこと。 「メートル」は計器のことで、酒量が進むほど計器の針が振れていくさまにたとえた。
藪医者の手柄話(やぶいしゃのてがらばなし)
腕のほうが物を言わない医者ほど、口では過ぎた日の手柄を並べたてる。 中身の足りなさを言葉で埋め合わせようとするさまをいう。
余の辞書には不可能という言葉はない(よのじしょにはふかのうということばはない)
自分には不可能なことはないということ、世の中には出来ないことなどないということ。「余」は「予」とも書く。通説としてナポレオンの言葉といわれている。
遼東の豕(りょうとうのいのこ)
世間知らずが、つまらない事を自慢して得意になることのたとえ。遼東では珍しいとされた白頭の豚が、河東ではありふれたもので、君子に白頭の豚を献上しようとした男が、その事を恥じて遼東に帰ったという故事から。
我が子自慢は親の常(わがこじまんはおやのつね)
親は誰でも我が子を自慢したがるということ。
