「金持ち・裕福」に関連する故事・ことわざ・慣用句 — 41 件
「金持ち・裕福」に関連する故事・ことわざ・慣用句を一覧で紹介します。各語を選択すると意味・読み方などの詳細を確認できます。全41件を五十音順に掲載しています。
ことわざ一覧(五十音順)
商人は損していつか倉が建つ(あきんどはそんしていつかくらがたつ)
商人は、損をしたなどと言いながら、いつの間にか倉が建つほどの金持ちになっていることが多いということ。
ある手からこぼれる(あるてからこぼれる)
たくさん抱えている側からは、意図しなくても外へ落ちていく。施すつもりがなくとも、近くにいる者はその分け前にあずかる。
あるところにはあるもの(あるところにはあるもの)
世間の多くの人は金で苦労するものだが、一方で金持ちは有り余るほどの金を持っているということ。
家給し人足る(いえきゅうしひとたる)
全ての家庭と人々が豊かで満足のいく生活を送り、盗みや争いがなく、社会が平和で安定している様子。
医者寒からず儒者寒し(いしゃさむからずじゅしゃさむし)
医者はおおむね裕福で、学者はたいてい貧乏だということ。「儒者」は学者、「寒し」は貧しい意。
一升徳利こけても三分(いっしょうどっくりこけてもさんぶ)
元手が多ければ、多少損をしても平気だというたとえ。 一升徳利が倒れて中身がこぼれても、三分(三合)くらいは残っているとの意から。
襟付きが厚い(えりつきがあつい)
金回りがよく、裕福であること。 かつては重ね着ができる者が富裕層とされ、襟元の厚さで貧富が判断されたことから。
襟元に付く(えりもとにつく)
権力者や財産のある人にこびへつらうこと。昔は金持ちほど重ね着をして襟が厚かったことから。
女は氏無うて玉の輿に乗る(おんなはうじのうてたまのこしにのる)
女は低い家柄の生まれでも、容姿や運しだいで、金持ちや高貴な人と結婚できるということ。
金が唸る(かねがうなる)
あり余るほど金銭があるさま。 「唸る」は、ため込んでいるものが溢れでそうになること。
金と塵は積もるほど汚い(かねとちりはつもるほどきたない)
金は貯まれば貯まるほど惜しくなり、持てば持つほど手放せなくなるという皮肉。 掃き寄せた塵は積もるほど見苦しくなるが、金もまた溜まるにつれて持ち主の心根まで汚していく。
金なき者は金を使う(かねなきものはかねをつかう)
金持ちは金に執着して金を惜しむが、金のない者は、かえって執着しないで浪費するものだということ。
金の光は七光(かねのひかりはななひかり)
金持ちの威光が広く及ぶようす。「七光り」は親などの威光で利益を受けること。
金回りがいい(かねまわりがいい)
収入が多くて経済的に余裕があるさま。
金持ち、金使わず(かねもち、かねつかわず)
蔵を持つ者ほど、財布の口を締めて動かさない。 「槍持ち、槍を使わず」と続けて言い、手元にある物ほど惜しむ性分を並べ立てる。
金持ち喧嘩せず(かねもちけんかせず)
喧嘩をしても得にならないことを金持ちは知っているので、人と争うような愚かなことはしないというたとえ。
金持ちと灰吹きは溜まるほど汚い(かねもちとはいふきはたまるほどきたない)
懐が肥えるほど手放すのが惜しくなり、人となりが見苦しくなっていく。 富める者にも、締まり屋にも同じように言う。 「灰吹き」は煙草盆に据える筒。
蕪は鶉となり、山芋は鰻となる(かぶらはうずらとなり、やまいもはうなぎとなる)
起こるはずのないことが時には起こることのたとえ。また、身分の低い人が急に出世したり金持ちになることのたとえ。 いくら形が似ていても、蕪(かぶら)が鶉(うずら)になったり山芋が鰻になったりすることなどありえないが、それが起こるとの意から。 「山の芋鰻になる」ともいう。
唐物商いは千里一跳ね(からものあきないはせんりひとはね)
舶来の品を扱う商いは、当たれば一度に途方もない儲けが転がり込むということ。 「唐物」は中国渡りの品、「千里一跳ね」はひと跳びで千里を行く意。
楠の木分限、梅の木分限(くすのきぶげん、うめのきぶげん)
生長は遅いが、着実に根を張り大木となる楠の木のように堅実な金持ちと、生長が早い梅の木のようなにわか成金のたとえ。「分限」は、「ぶんげん」とも読み、金持ちのこと。
死んでの長者より生きての貧乏(しんでのちょうじゃよりいきてのびんぼう)
死後に金持ちになるより、貧乏でも生きているほうがよいということ。
祖父は辛労、子は楽、孫は乞食(じじはしんろう、こはらく、まごはこじき)
金持ちも長続きはしないことのたとえ。 祖父が苦労して財産を築き、子が楽をして、孫は乞食になるほどに落ちぶれるということから。
千金の子は市に死せず(せんきんのこはいちにしせず)
金持ちの子は、罪を犯しても金の力によって死罪を免れ、町中で処刑されるようなことにならない。また、金持ちの子は、金の力で危険を防ぐことができるので、町中で悪者に殺されるようなことはないということ。金さえあれば身を守ることができるということを皮肉った言葉。「千金」は金持ち、「市」は町の意。
千金の子は坐して堂に垂せず(せんきんのこはざしてどうにすいせず)
重い立場にある者ほど、向こう見ずな真似を控えるものだ。万一のとき損なわれるものが大きいからである。 「垂堂」は瓦の落ちかかる堂の軒端。漢の袁盎は、坂道を車で駆け下りようとした文帝をこの句で押しとどめた。
素封(そほう)
大金持ちのこと。 「素」はむなしいこと、なにもないこと。 「封」は領土のこと。 位や領土はもたないが、多くの財産を持っていること。 「素封家」ともいう。
損と元値で蔵を建て(そんともとねでくらをたて)
「儲けがない」「仕入れを割る」が口癖の商人ほど、気がつけば蔵が建つほど財を成しているものだということ。商人の泣き言は真に受けられないの意で用いる。
玉の輿に乗る(たまのこしにのる)
女性が、身分の高い人や金持ちの妻になること。 「玉の輿」は、貴人の乗る立派な乗り物のこと。
長者富に飽かず(ちょうじゃとみにあかず)
金持ちがさらに金を欲しがるように、人間の欲望には限りがないことのたとえ。
長者に二代なし(ちょうじゃににだいなし)
ぜいたくに慣れた金持ちの子は、財産を守ったり増やしたりすることが出来ず、たいてい二代目でその家はつぶれてしまうということ。
長者の万灯より貧者の一灯(ちょうじゃのまんとうよりひんじゃのいっとう)
数をそろえて差し出したものより、乏しい中から割いた一つのほうが重い。 出した者にとっての痛みの分だけ、受け取る側に届く。 釈迦を迎えた阿闍世王が帰り道に灯火を並べさせたなか、居合わせた貧しい老婆がやりくりして灯した一本だけが、朝まで消えずに残っていたという。 「貧者の一灯」ともいう。
陶朱猗頓の富(とうしゅいとんのとみ)
けた外れの財産。また、その持ち主。越を去って商いで巨富を得た范蠡と、その范蠡に致富の術を教わった猗頓の名を並べた言い方。
某より金貸し(なにがしよりかねかし)
由緒ある家名を名乗って懐の寂しい暮らしより、金を貸す商いと見下されても蔵の詰まったほうを選ぶ。 なにがし・かねかしと、尻を揃えた言い方でからかっている。
掃き溜めと金持ちは溜まるほど汚い(はきだめとかねもちはたまるほどきたない)
金持ちは、お金がたまればたまるほど欲深くけちになるというたとえ。「掃き溜め」は、ごみ捨て場のこと。
箸より重い物を持たない(はしよりおもいものをもたない)
腕に力の要る用を、一度も言いつけられずに大きくなった身の上。 人手に囲まれて過ごした育ちを、半ば呆れながら言う。
羽振りがいい(はぶりがいい)
懐にも肩書きにも余裕があり、周りがその人の顔色をうかがうほどになっている。金離れのよさや大きな態度になって外へ現れる。
富貴天に在り(ふうきてんにあり)
富や地位は天の与えるものであり、人の力ではどうすることもできないということ。
富貴には他人集まり、貧賤には親戚も離る(ふうきにはたにんあつまり、ひんせんにはしんせきもはなれる)
地位や財産のある者には赤の他人も寄ってくるが、貧乏な者には親戚さえも寄り付かないということ。
富貴は浮雲の如し(ふうきはふうんのごとし)
財産や高い地位は、空を流れる雲のようにたよりないもので、いつまでも身に添うとは限らない。また、そうしたものに心を引かれないさまにもいう。
懐が暖かい(ふところがあたたかい)
手持ちの金銭が多くあること。
弁当持ち先に食わず(べんとうもちさきにくわず)
お金や物をたくさん持っている人は、なかなか自分の物を使おうとしないことのたとえ。 特に、金持ちが金を使わないことをいう場合が多い。 弁当を運ぶ役目の人は、人より先に弁当を食べたりしないとの意から。
持てる者と持たざる者(もてるものともたざるもの)
世の中は財産を持つ豊かな者と、それを持たない貧しい者の二種類しかないということ。
