「飯」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 38 件
「飯」を含む漢字が使われている故事・ことわざ・慣用句を一覧で紹介します。各語を選択すると意味・読み方などの詳細を確認できます。
故事・ことわざ・慣用句一覧
朝飯前(あさめしまえ)
手間をかけずにできてしまうことのたとえ。 朝の食事にかかるまでの間に済んでしまうから、とも、腹の減った朝でもこなせるほど軽いから、ともいう。 同じ意味の言い方に「朝飯前のお茶漬け」がある。
朝飯前のお茶漬け(あさめしまえのおちゃづけ)
手間をかけずにできてしまうことのたとえ。 腹の空いた朝なら、茶漬けはするりと腹に収まってしまうところから。 同じ意味の言い方に「朝飯前」がある。
足の裏の飯粒(あしのうらのめしつぶ)
1.足の裏にはりついた飯粒のように、じゃまで煩わしく、なかなか離れないもののたとえ。 2.取らないと気持ちが悪いが、取っても食えないもののたとえ。「取る(取得する)」と「取っても食えない(生活の糧にならない)」を掛け、苦労して取ってもそれだけでは役に立ちにくい資格・学位・技術などを指す。 「飯粒」は「米粒」ともいう。
足の裏の飯粒をこそげる(あしのうらのめしつぶをこそげる)
極端に物惜しみすることのたとえ。 「こそげる」は削り取ることで、足の裏に付着したわずかな米粒までも削り落として食べるという、執念深く卑しい様子から。
ある時は米の飯(あるときはこめのめし)
手元にあるうちは先を見ずに、あるだけ使い切ってしまう。無くなってからの困り方は承知のうえで、豊かなときは豊かなだけの食い方をする。
一飯の徳も必ず償い、睚眦の怨みも必ず報ゆ(いっぱんのとくもかならずつぐない、がいさいのうらみもかならずむくゆ)
受けた恩は、ほんのささいなものでも報い、受けた恨みも、ほんのささいなものでも晴らすということ。よいことをされても悪いことをされても、相手にはそれに見合うものをきちんと返す、という態度をいう。 「一飯」は一回の食事を指し、一度ごちそうになっただけの小さな恩をいう。「睚眦」は目じりをつり上げて相手をにらむことで、ひとにらみを受けただけの小さな恨みを表している。 『史記』に見える句。魏で痛めつけられて秦へ逃れた范雎は、のちに秦の宰相にまでのぼった。そこで自分を秦へ連れてきた者を王に推して取り立てさせ、家の財産を投げ出して昔の苦しい日々に関わった人々にことごとく報いた一方、魏で自分を打ちすえさせた宰相の首を差し出させようとした。 後半だけを用いた[[睚眥の怨み*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/8646.php]]は、ほんの少しの恨みを表す。四字熟語では[[一飯之徳*https://yoji.jitenon.jp/yojij/4959.html]]・[[睚眥之怨*https://yoji.jitenon.jp/yojic/1095.html]]が、それぞれ前半と後半の句にあたる。
いつも月夜に米の飯(いつもつきよにこめのめし)
飽きることのない気楽な生活のたとえ。また、現実はなかなかそうはいかないということ。 昔の人にとって月の光はありがたく、また米の飯は貴重だったため、それが毎日続けば言うことがないとの意から。 「月夜に米の飯」ともいう。
内の米の飯より隣の麦飯(うちのこめのめしよりとなりのむぎめし)
わが家の膳に載る白い飯より、垣根ひとつ向こうの麦の飯のほうが旨そうに映る。よそのものは、こちらより粗末であってもかえって引き立って見えるものだ。
同じ釜の飯を食う(おなじかまのめしをくう)
同じ職場で働いたり苦楽を共にしたりすること。また、そのように過ごす親しい仲間のこと。 「一つ釜の飯を食う」ともいう。
思し召しより米の飯(おぼしめしよりこめのめし)
情けのこもった言葉をかけてもらうより、実際の暮らしに役立つ物をもらうほうがうれしいということ。 気持ちだけの親切よりも、空腹をしのがせてくれる米の飯のほうがよほど助けになるという意から。 「思し召し」の「召し」と「飯」の音をそろえた言い回し。
狐に小豆飯(きつねにあずきめし)
油断できない状況、危険な状況のたとえ。 猫のそばに好物の鰹節を置くことから。
臭い飯を食う(くさいめしをくう)
刑務所にはいること。 刑務所の飯が臭かったことから。
食わぬ飯が髭に付く(くわぬめしがひげにつく)
身に覚えのない疑いをかけられることのたとえ。 食べもしない飯粒が知らない間に髭に付いて疑われることから。
米の飯と女は白いほどよい(こめのめしとおんなはしろいほどよい)
飯は白く炊き上がっているほどうまく、女は肌の白いほうがもてはやされるということ。 麦の混じらない真っ白な飯がめったに口へ入らなかったころの、白さをそのまま値打ちと見る言い方。
米の飯より思し召し(こめのめしよりおぼしめし)
腹を満たす馳走を出されるより、そうしてやりたいと思ってくれた心のほうが身にしみる、ということ。 「飯」と「召し」に同じ音を置いて調子をそろえた言い方で、逆さにした「思し召しより米の飯」とは対をなす。
三度の飯も強し柔らかし(さんどのめしもこわしやわらかし)
世の中のことは、なかなか自分の思う通りにはならないというたとえ。 毎日炊いている飯でさえ、固すぎたり柔らかすぎたりして思うようにはいかないのだから、世の中のことが思い通りにいかないのは当然だということから。
三度の飯より好き(さんどのめしよりすき)
他の何よりも好きであること。 一日三回の食事がどうでもいいと思うほどに好むということから。
仕事幽霊飯弁慶、その癖夏痩せ寒細り、たまたま肥ゆれば腫れ病(しごとゆうれいめしべんけい、そのくせなつやせかんぼそり、たまたまこゆればはれやまい)
仕事は出来ないのに飯は山のように食べ、夏も冬のように痩せていて、たまに太ったかと思えば病気にかかっている。怠け者の大食漢の多病をあざけった言葉。
死にたいと麦飯食いたいほど大きな嘘はない(しにたいとむぎめしくいたいほどおおきなうそはない)
人間は時には心にもないことを言うということ。死にたいと言っても本当に死ぬ気のある者はいないし、麦飯を食べたいと言っても本当は粗食を好むわけではないということ。
しょう事なしに米の飯(しょうことなしにこめのめし)
金がないばかりに、かえって割高な暮らしを強いられることのたとえ。また、それしかできることがないので、やむをえずそれを誇るさまにもいう。 「しょう事なし」は、打つ手が見つからずどうにもならないこと。 麦飯にすれば安く上がるのに、麦を買う銭が手元にないので、やむなく残っている米を炊いて食べる、という意から。
千石万石も飯一杯(せんごくまんごくもめしいっぱい)
禄高がいくら増えても、日ごとの膳に載る量までは増えない。取り分の多さと暮らしの実際とは、初めから別のことである。
他人の飯には骨がある(たにんのめしにはほねがある)
他人の家に世話になって生活することは、どこか窮屈で何かと気を遣うことが多いということ。また、他人の親切には底意があり、頼りきっているとひどい目に遭うこともあるということ。 他人の家で食べる飯は、まるで骨でもあるかのようにのどを通りにくいとの意から。 「他人の飯には棘がある」「他人の飯は強い」ともいう。
他人の飯は白い(たにんのめしはしろい)
他人のものは、自分のものより良く見えるというたとえ。
他人の飯を食う(たにんのめしをくう)
親元を離れ、他人の間に揉まれて実社会の経験を積むこと。
他人の飯を食わねば親の恩は知れぬ(たにんのめしをくわねばおやのおんはしれぬ)
親元を離れ、他人と暮らし、世間で苦労してみなければ、親の恩は知れないということ。
天道様と米の飯はどこへも付いて回る(てんとうさまとこめのめしはどこへもついてまわる)
身の置きどころが変わっても、日を浴びることと米を食うことだけは離れずについてくる。 先の当てがなくても食い扶持は絶えない、という励ましのことば。
隣の白飯より内の粟飯(となりのしろめしよりうちのあわめし)
よそでご馳走になるより、粗末でもわが家の食事のほうが心安いということ。 隣の家で白い飯を振る舞われるより、粟のまじった飯でも自分の家で食べるほうが気詰まりがない意で、人の厄介になることのわずらわしさをいう。
日常茶飯事(にちじょうさはんじ)
ごくありふれたこと。日々の茶や飯のように、当たり前に繰り返される平凡な出来事。 「茶飯」は日常の食事のことから、毎日行うありふれた行為・出来事のたとえとして用いられる。 「日常茶飯」ともいう。
早飯も芸のうち(はやめしもげいのうち)
膳を片づける速さは、人に使われる身では一つの腕前として通る。ほかに見せ場のない者を、からかい半分に持ち上げるときにも使う。
春の晩飯後三里(はるのばんめしあとさんり)
春は晩飯を食べたあとでも三里の道を歩けるほど日が長いということ。 「春の夕飯食って三里」ともいう。
