「馬」から始まる故事・ことわざ・慣用句 — 51 件
「馬」から始まる漢字を含む故事・ことわざ・慣用句を一覧で紹介します。各語を選択すると意味・読み方などの詳細を確認できます。
故事・ことわざ・慣用句一覧
馬から落ちて落馬する(うまからおちてらくばする)
同じ中身を二度言い重ねてしまう言い方を、笑って指すことば。 落馬とは馬から落ちることだから、前半と後半で同じことを述べている。
馬が合う(うまがあう)
気が合うこと。相性がいいこと。
馬に乗るとも口車に乗るな(うまにのるともくちぐるまにのるな)
馬の背に乗るのはよいが、人の調子のよい売り込みには乗るな。耳当たりのよい誘いこそ、一度身を引いて確かめよという教え。 「馬に乗るとも」は語呂を整えるための言い添え。
馬に乗るまでは牛に乗れ(うまにのるまではうしにのれ)
高い地位につくためには、まず低い地位で力をつけよということ。また、最善の策がとれない時は、次善の策をとれということ。 馬は牛よりも速いが乗るのが難しいので、ひとまず牛に乗って練習せよとの意から。
馬には乗ってみよ人には添うてみよ(うまにはのってみよひとにはそうてみよ)
物事の良し悪しは、実際に自分で試してみて初めて見えてくるということ。 馬の値打ちは背にまたがってこそ分かり、人の人柄もそばで長く交わってこそ知れることから。 「人には添うてみよ馬には乗ってみよ」ともいう。
馬の足(うまのあし)
芝居で馬の脚に入る端役をいい、転じて芸のつたない役者をこきおろす言葉。 顔を出さずに胴から下だけを務める役どころで、芸を見せる機会のない下働きとされたことによる。
馬の背を分ける(うまのせをわける)
通りの向こう側は日が差したままで、こちら側だけが叩きつけられている。 夏の雨は、それほど狭い幅を選んで落ちる。 「馬の背を分ける」ともいう。
馬の鼻向け(うまのはなむけ)
旅に出る人の無事を願い、出発の前に酒や料理でもてなすことや、お金や品物、詩や歌を贈ること。そうして贈る品をさしてもいう。 もとは、旅人の乗る馬の顔をこれから向かう方角へ向けてやり、途中で災難にあわないよう祈ったことをいい、そこから見送りの宴や贈り物の意味に移った。 いま使う「はなむけ」はこの語を縮めた形で、漢字一字の「餞」でも書く。
馬の骨(うまのほね)
どんな来歴の持ち主かも辿れず、役にも立たない者として人を呼ぶ蔑んだ言い方。 骨だけになった馬は良し悪しの見分けがつかず、使いようもないことによる。
馬の耳に風(うまのみみにかぜ)
馬の耳に風が吹きつけても馬は何も感じないことから、人の意見を聞き入れない、または聞き流すことのたとえ。
馬の耳に念仏(うまのみみにねんぶつ)
人の意見や忠告を上の空で聞き流すため、まったく効果のないことのたとえ。
馬は馬方(うまはうまかた)
何ごとも、それを仕事として毎日手がけている人がいちばんよく心得ていて、上手にこなせるということ。慣れない者があれこれ手を出すより、扱いに通じた人に預けるほうが結果はよい、という含みでも用いる。 「馬方」は、馬を引いて人や荷物を運ぶのを仕事とした人。馬は扱いに慣れない者の言うことをなかなか聞かないが、馬方が引けばおとなしく従って歩くことから。 同じ心をいう言葉に、[[餅は餅屋*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/682.php]]・[[海の事は漁師に問え*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/2314.php]]・[[芸は道によって賢し*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/2987.php]]がある。
馬は馬連れ、牛は牛連れ(うまはうまづれ、うしはうしづれ)
釣り合いの取れた者どうしで組んだほうが、事は滑らかに運ぶ。 連れ立つ相手というのは、自然と身の丈の近いあたりに定まるもの。
馬は飼い殺せ、子供は教え殺せ(うまはかいころせ、こどもはおしえころせ)
子どもは徹底的に教育し、馬の調教も手加減するなということ。 「馬は飼い殺せ、子供は教え殺せ」ともいう。
馬も買わずに鞍買う(うまもかわずにくらかう)
物事の順序が逆であるたとえ。
馬持たずに馬貸すな(うまもたずにうまかすな)
物の扱い方を知らない人に、物を貸してはいけないということ。 「馬持たず」は馬を持っていない人のこと。 馬を持ったことのない人は、馬を粗末に扱うかもしれないので貸してはいけないとの意から。
馬痩せて毛長し(うまやせてけながし)
暮らしに行きづまるほど貧乏になると、人は頭がにぶり、筋道を立ててものを考える力さえ弱まる、ということ。 えさの足りない馬は、体がやせ細るばかりで、毛だけが長くのびていく。その姿を、貧しさのせいで頭の回りが悪くなった人に重ね合わせたことば。 禅の僧たちの言葉や行いを集めた中国の書物『五灯会元』に、「人貧しければ智短し」に続けて出てくる句。その前の句は、四字熟語の[[人貧智短*https://yoji.jitenon.jp/yojil/5657]]にあたる。これと似た意味で用いる言葉に、[[貧すれば鈍する*https://kokugo.jitenon.jp/word/p43968]]がある。
馬を牛と言う(うまをうしという)
強い立場にある者が、その力にものを言わせて、筋の通らない言い分でもむりやり押し通すたとえ。 もう一つ、言葉の表には出ていない相手の本当の考えを、すばやく察して読み取るさまも表す。 あとの意味は、次の話によるといわれる。孔子が大勢の弟子と道を行くと、垣根の上に馬が顔をのぞかせていた。孔子はそれを指して「これは牛だ」と口にした。弟子のうち顔回がいちばん早くその意味に気づいた。十二支の「午(うま)」の字の上を突き出して書くと「牛」になる、というなぞだったのである。この話は鎌倉時代の説話集(昔の話を集めた本)『十訓抄』などに見える。 はじめの意味は、[[鹿を指して馬と言う*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/2311.php]]とほぼ同じである。
馬を牛に乗り換える(うまをうしにのりかえる)
すぐれたものを捨て、劣っているものに換えること。 足の速い馬から足の遅いうしに乗り換えることから。
馬を得て鞭を失う(うまをえてむちをうしなう)
あるものを得たのと引き換えに、別のものを手放すはめになるたとえ。 望んでいた物は手に入ったのに、それを生かして使うための手立てを失ったときにもいう。 馬を手に入れても、走らせるのに使う鞭がなければ、思うように乗りこなせない。句はその様子を借りている。 得るものがあれば失うものもある、という点では四字熟語の[[一得一失*https://yoji.jitenon.jp/yojig/3205]]と通じる。
馬を華山の陽に帰し、牛を桃林の野に放つ(うまをかざんのみなみにきし、うしをとうりんのやにはなつ)
戦いがすっかりやんで武器を手放し、世の中に穏やかな日々がよみがえるありさまを言う。 中国の古い本『書経』の「武成」の章に見える話から出た。周の武王は殷の紂王を倒して天下を治めると、いくさに使った馬は華山という山の南側へ帰し、荷運びをさせた牛は桃林という土地の野原に放して、二度と兵を動かすつもりはないと世に知らせた。 同じいきさつは、四字熟語では[[帰馬放牛*https://yoji.jitenon.jp/yojif/2916]]の形で伝わっている。
馬を鹿(うまをしか)
権力によって間違いや無理を押し通すことのたとえ。 秦の始皇帝の死後、宰相となった趙高が自分の権勢を試すため幼少の皇帝に鹿を馬と言い張って献上した。皇帝は「これは鹿ではないのか?」と臣下たちに尋ねたが、趙高の権勢を恐れた臣下たちは「馬です」と答えたという故事から。 「鹿を馬」「鹿を指して馬と言う(なす)」ともいう。
馬を水辺につれていけても水を飲ませることはできない(うまをみずべにつれていけてもみずをのませることはできない)
その気のない人間は、周囲がいくら心配したり気をもんだりしても無駄であるというたとえ。
馬鹿があればこそ利口が引き立つ(ばかがあればこそりこうがひきたつ)
愚かな人間がいて利口な人間が目立つように、世の中は種々雑多な人間で成り立っている。世の中はさまざまな人間が、持ちつ持たれつの関係で生きているということ。
馬鹿と暗闇おっかない(ばかとくらやみおっかない)
暗闇も怖いが、馬鹿も何をしでかすか予想できないので恐ろしいということ。
馬鹿と煙は高いところへ上る(ばかとけむりはたかいところへのぼる)
愚か者はおだてにのりやすいというたとえ。
馬鹿と子供には勝てぬ(ばかとこどもにはかてぬ)
理屈が通じない愚か者と子どもには、とうていかなわないということ。
馬鹿と鋏は使いよう(ばかとはさみはつかいよう)
人を使うときは、使い方次第で役に立たせることができるということ。 鋏(はさみ)も使い方次第で切れたり切れなかったりするように、愚かな人間も上手に使えば役に立つということ。
馬鹿な子ほど可愛い(ばかなこほどかわいい)
親にとっては、賢い子より愚かな子のほうがふびんでかわいいということ。
馬鹿にする(ばかにする)
相手を見下したり、軽視したりすること。
