「過」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 45 件
「過」を含む漢字が使われている故事・ことわざ・慣用句を一覧で紹介します。各語を選択すると意味・読み方などの詳細を確認できます。
故事・ことわざ・慣用句一覧
過ちて改めざる是を過ちと謂う(あやまちてあらためざるこれをあやまちという)
人は過ちを犯したらすぐに反省して改めるべきであり、過ちを犯して改めようとしないことが本当の過ちであるということ。 「過ちを改めざる是を過ちと謂う」ともいう。
過ちては改むるに憚ること勿れ(あやまちてはあらたむるにはばかることなかれ)
過ちを犯したことに気がついたら、体面や体裁などにとらわれず、すぐに改めるべきだという戒め。
過ちの功名(あやまちのこうみょう)
過ちや災難と思われていたことが、偶然にもよい結果になることのたとえ。 「怪我」は、ここでは過ちや災難のこと。 過ちや災難が生んだ手柄との意から。 「過ちの功名」ともいう。
過ちは好む所にあり(あやまちはこのむところにあり)
過ちは、自分の好きな事や得意な事をしている時に、つい油断して起こるということ。
過ちを文る(あやまちをかざる)
過ちを取り繕うために、あれこれ言い訳をしてごまかそうとすること。「文る」は飾るで、取り繕うという意。
過ちを観て仁を知る(あやまちをみてじんをしる)
人の過ちの種類を観察することによって、その人の人柄がわかるということ。
過つは人の性、許すは神の心(あやまつはひとのさが、ゆるすはかみのこころ)
人は誰でも過ちを犯すものなので、むやみに人を責めてはいけないということ。 「過ちは人の常、許すは神の業」ともいう。
一朝の怒りに一生を過つ(いっちょうのいかりにいっしょうをあやまつ)
一時的な怒りのために我を忘れて行動すること。 また、そのような行動は身を滅ぼすことになるという戒め。 「一朝の怒りに一生を過つ」ともいう。
命に過ぎたる宝なし(いのちにすぎたるたからなし)
命以上に大切なものはこの世にないということ。
鰓が過ぎる(えらがすぎる)
人を顧みずに言いたいことを言う。言葉が度を越して強く、高慢な物言いになること。 「鰓」は魚のえらのことで、人のあごに見立てて、口の利き方を卑しめた言葉。
偃鼠河に飲むも満腹に過ぎず(えんそかわにのむもまんぷくにすぎず)
欲を出したところで、その身が受け取れる量は初めから知れている。持ち物や地位を求めすぎても仕方がない。 偃鼠、すなわちもぐらが大河に口をつけても、飲めるのは小さな腹に入るきりだ、という原文から。
思い半ばに過ぐ(おもいなかばにすぐ)
考えてみると思いあたるふしが多く、十分に推し量ることができるということ。 思い当たるところが全体の半分以上あるとの意から。
気が利き過ぎて間が抜ける(きがききすぎてまがぬける)
端のほうにばかり目を凝らしたせいで、真ん中にあるものを取り落とす。よく回る頭が、そのまま本筋の抜けに化けてしまうさまをいう。
薬も過ぎれば毒となる(くすりもすぎればどくとなる)
どんなによいものでも、度が過ぎれば害になるというたとえ。 病気を治すための薬も、適量以上に飲めば害になることから。
口が過ぎる(くちがすぎる)
相手に対して、言わなくてもいいことや失礼なことを言うことのたとえ。 「言葉が過ぎる」ともいう。
君子の過ちは日月の食のごとし(くんしのあやまちはじつげつのしょくのごとし)
人の上に立つ者のしくじりは、覆い隠せない。ただ、欠けたものが元へ戻るところまで衆目にさらされるので、直した姿もまたそのまま仰がれる。
喧嘩過ぎての空威張り(けんかすぎてのからいばり)
喧嘩の最中は意気地なくこそこそし、喧嘩が終わったとたん虚勢を張って強がること。 「喧嘩過ぎての向こう鉢巻」ともいう。
喧嘩過ぎての棒乳切り(けんかすぎてのぼうちぎり)
時機に遅れて何の役にも立たないことのたとえ。 「棒乳切り」は棒の切れ端のこと。 喧嘩が終わってから、棒切れを持ち出しても役に立たないことから。 「争い果てて」は「諍い果てて」や「喧嘩過ぎて」、「棒乳切り」は「乳切り木(千切り木)」などともいう。
子に過ぎたる宝なし(こにすぎたるたからなし)
これに勝るものは無いと言い切れる持ち物は、親にとっては我が子しかない。ほかに何を積んでも、その位置は動かない。
四十過ぎての道楽と七つ下がって降る雨は止みそうで止まぬ(しじゅうすぎてのどうらくとななつさがってふるあめはやみそうでやまぬ)
中年になってから始めた道楽と、七つ下がりに降り出した雨は、なかなかやまないということ。「七つ下がり」は午後四時過ぎのこと。
駟の隙を過ぐるが若し(しのげきをすぐるがごとし)
月日が経つのが非常に早いことのたとえ。 「駟」は四頭立ての馬車。 四頭立ての馬車が走り去るのを、戸の隙間からのぞき見るのと同じくらい、時の流れはあっという間であるということ。
小人の過つや必ず文る(しょうじんのあやまつやかならずかざる)
器の小さな者は、しくじりを悟られまいとして言葉を飾り立て、非を非として認めない。「文る」は上べをこしらえる意。
信心過ぎて極楽を通り越す(しんじんすぎてごくらくをとおりこす)
信仰の心もあまりに強くなりすぎると、まともな道を踏み外し、かえって我が身を損なうということ。何事もほどのよさが大切だという戒め。 極楽を願うあまり、その極楽さえ行き過ぎてしまうという言い方。
過ぎたるは猶及ばざるが如し(すぎたるはなおおよばざるがごとし)
行きすぎたものは、届かなかったものと出来ばえが並ぶ。どちらへ振れても狙った形にはならず、中ほどで踏みとどまるのがよい。
千軒あれば共過ぎ(せんげんあればともすぎ)
家が千軒もあれば、そこに住む人たちがそれぞれ商売をしたり互いに物の売り買いをしたりして、ともに生計を立てていくことができるということ。 「共過ぎ」は、人々が互いに助け合って生活していくこと。 「千軒あれば共暮らし」ともいう。
大功を論ずる者は小過を録せず(たいこうをろんずるものはしょうかをろくせず)
手柄の大きさを量ろうという場では、そこにわずかな落ち度がまじっていても、いちいち数え上げて咎めはしないということ。 「録せず」は帳面に書きとめない意で、あえて記録に残さないことをいう。 命令を待たずに兵を動かした将軍が、異民族の王を討ち取りながら罪に問われかけたとき、その功を惜しんだ者が唱えた言葉と伝わる。
談義説法は出家の身過ぎ(だんぎせっぽうはしゅっけのみすぎ)
ありがたい談義や説法も、結局は僧侶が生計を立てる手段でしかないということ。 「生計」は「身過ぎ」ともいう。
天地は万物の逆旅、光陰は百代の過客(てんちはばんぶつのげきりょ、こういんはひゃくだいのかかく)
この世のすべてのものは、うつろいやすくはかないということのたとえ。 「逆旅」は宿屋のことで、天地はあらゆる生物が生まれてから死ぬまでのわずかな間に泊まる宿屋に過ぎないとの意から。
十で神童、十五で才子、二十過ぎれば只の人(とおでしんどう、じゅうごでさいし、はたちすぎればただのひと)
子どものころは並外れた秀才と思われていた人も、成長すれば平凡な人間になることが多いということ。
度が過ぎる(どがすぎる)
程度が許容される限度を越えていること。
