「老人」に関連する故事・ことわざ・慣用句 — 65 件
「老人」に関連する故事・ことわざ・慣用句を一覧で紹介します。各語を選択すると意味・読み方などの詳細を確認できます。全65件を五十音順に掲載しています。
ことわざ一覧(五十音順)
秋の入り日と年寄りはだんだん落ち目が早くなる(あきのいりひととしよりはだんだんおちめがはやくなる)
年々衰える年寄りの健康状態を、急速に暮れていく秋の夕日にたとえたことば。
頭禿げても浮気はやまぬ(あたまはげてもうわきはやまぬ)
年をとっても色気がなくならず、浮気心はおさまらないということ。
烏賊の甲より年の劫(いかのこうよりとしのこう)
「亀の甲より年の劫」の亀を、同じく甲を持つ烏賊に置き換えた言い方。意味は変わらず、重ねた年月がものを言うということ。 「烏賊の甲」は、烏賊の体内にある舟形の甲羅のこと。
医者と味噌は古いほどよい(いしゃとみそはふるいほどよい)
医者は経験を積んだ年寄りのほうが信頼できるし、味噌は年月が経ったもののほうがおいしいということ。
鶯鳴かせたこともある(うぐいすなかせたこともある)
若いころは魅力的で異性にもてはやされたこともあったと、老女が昔を自慢していうことば。女性の美しさを梅、男性を鶯にたとえて枝にとまらせて鳴かせたという意味。
老い木は曲がらぬ(おいきはまがらぬ)
老人の頑固さのたとえ。 また、欠点は若いうちになおさないと年をとってからでは手遅れであるということ。 老木は弾力性に乏しく曲げようとしても曲がらないことから。
老いたる馬は道を忘れず(おいたるうまはみちをわすれず)
経験を積んだ人は方針を誤らないというたとえ。 老馬はいろいろな道を知っており、迷うことがないということから。 中国、斉の桓公が山中で道に迷った時に、老馬の歩みに従って無事に帰り着いたという故事から。 同じ故事から出た漢語の言い方に「老馬の智」がある。
老いては子に従え(おいてはこにしたがえ)
年をとったら出しゃばらずに、何事も子どもに任せて従っていくほうがいいということ。
老いてはますます壮んなるべし(おいてはますますさかんなるべし)
年老いてもますます元気で意気盛んでなければならないということ。
老いの一徹(おいのいってつ)
自分の意見や意向を押し通そうとする、老人の頑固な気質のこと。「一徹」は頑固の意。
老いの学問(おいのがくもん)
年老いてから始める学問や学び。 「老いの手習い」ともいう。
老いの繰言(おいのくりごと)
年寄りが過去の話や愚痴をくどくど繰り返し言うこと。「繰言」は同じ事を繰り返して言うこと。
老いらくの恋(おいらくのこい)
年老いてからの恋愛。「老いらく」は年をとること。
頭に霜を戴く(かしらにしもをいただく)
頭髪が白髪になること。白髪が目立つこと。 白髪を霜にたとえた言葉。 「頭に霜を置く」「霜を置く」ともいう。
亀の甲より年の劫(かめのこうよりとしのこう)
長く生きた者が身につけた経験と分別は、若い者の思いつきでは届かない。年上の言うことには耳を貸せということ。 「劫」はきわめて長い時間をいう仏教の語で、「功」とも書く。亀の甲羅の「こう」と音を合わせて語呂よく言ったもの。
還暦(かんれき)
数え年六十一歳のこと。六十年で再び生まれた年の干支に還ることから。 「本卦還り」ともいう。
がたが来る(がたがくる)
長い間使ってきた機械や道具の調子が悪くなること。 また、ひとが年をとって体の調子が悪くなること。
甲羅を経る(こうらをへる)
年功を積むこと。また、世間ずれして厚かましくなること。「甲羅」の「甲」は、功・劫に掛けて年の功の意。「ら」は、接尾語。
子供叱るな来た道だもの年寄り笑うな行く道だもの(こどもしかるなきたみちだものとしよりわらうなゆくみちだもの)
子どものいたずらなどは誰しも身に覚えがあるので叱るべきではないし、自分もいずれ年をとるので老人を笑いものにすべきではないということ。
三歳の翁、百歳の童子(さんさいのおきな、ひゃくさいのどうじ)
子どもでも知恵も分別もある者もいれば、老人でも無知で愚かな者もいるということ。 人の賢さは年齢に左右されないということ。 「八歳の翁百歳の童」「十歳の翁百歳の童」「百歳の童、七歳の翁」などともいう。
春秋高し(しゅんじゅうたかし)
年を重ねて老いていること。高齢に達しているさま。 「春秋」は春と秋、めぐる季節から転じて、積み重ねた年月やよわいをさす。
尚歯(しょうし)
年老いた人をたっとび、大切に扱うこと。 「尚」はとうとぶ、「歯」はよわい(年齢)の意。
白髪は冥土の使い(しらがはめいどのつかい)
年をとって増えてくる白髪は、死が近づきつつある証拠であるということ。
従心(じゅうしん)
七十歳のこと。「七十にして心の欲するところに従えども矩をこえず」から。
人生七十、古来稀なり(じんせいしちじゅう、こらいまれなり)
七十歳まで生きる人は、昔から非常に少ないということ。このことから七十歳のことを「古稀(古希)」という。
擂り粉木棒の年寄り(すりこぎぼうのとしより)
気づかぬうちに減っていく擂り粉木のように、働いても働いても楽にならず、いつの間にか貧乏をすることのたとえ。
年が薬(としがくすり)
年を取るにつれて分別が身に付いてくるということ。 「年こそ薬なれ」ともいう。
年には勝てない(としにはかてない)
気力があっても、年をとれば体力や健康が思うようにならないということ。
年は争えない(としはあらそえない)
年老いると、気持ちは若いつもりでも体力の衰えは隠せないということ。
年は寄れども心は寄らぬ(としはよれどもこころはよらぬ)
年はとっても、気力はまだ衰えていないということ。
年寄りて達者なものは口ばかり(としよりてたっしゃなものはくちばかり)
年寄りは体力や気力は衰えても、口だけは元気だということ。
年寄りと紙袋は入れねば立たぬ(としよりとかんぶくろはいれねばたたぬ)
紙袋は中身を入れなければ立たない。年寄りも腹に物を入れなければ気力が出ないということ。
年寄りと釘頭は引っ込むが良し(としよりとくぎがしらはひっこむがよし)
頭が出たままでは引っかかる。 年を重ねたら、一歩下がって口を挟まずにいるほうが収まりがよい。
年寄りと仏壇は置き所がない(としよりとぶつだんはおきどころがない)
年寄りも仏壇も粗末にはできないが、家の中のどこに据えるかで始末に困る。ないがしろにできないものほど、かえって手に余るというたとえ。
年寄りに新湯は毒(としよりにあらゆはどく)
沸かしたばかりの湯は刺激が強く、年寄りの体にはさわるということ。
年寄りの言うことと牛の鞦は外れない(としよりのいうこととうしのしりがいははずれない)
経験豊富な年寄りの意見に間違いはないということ。 「鞦」は、馬や牛の尻にかけて鞍を固定する紐のこと。
年寄りの達者、春の雪(としよりのたっしゃ、はるのゆき)
年寄りはいくら元気だといっても、春の雪が消えやすいのと同じで、当てにならないということ。
年寄りの冷や水(としよりのひやみず)
年寄りが年齢や体力を考えずに、無理な行いをすること。年寄りが無理をして、体によくない冷たい水を飲んだり浴びたりすることから。
年寄りの昔話(としよりのむかしばなし)
年寄りが、昔の自慢話ばかりするのを嘲笑していうことば。
年寄りの物忘れ、若者の無分別(としよりのものわすれ、わかもののむふんべつ)
年寄りは物忘れをしがちで、若者は思慮が足りないふるまいをしがちだということ。それぞれの著しい欠点をあげた言葉。
年寄りは家の宝(としよりはいえのたから)
経験の豊かな年寄りは何でもよく知っていて、家の宝のような存在だということ。
年寄りは二度目の子供(としよりはにどめのこども)
老いるとわがままになったり、甘えたりするようになって子どものようになるということ。 「Old men are twice children.」を訳した言葉。
年寄れば愚に帰る(としよればぐにかえる)
年を取れば、子どものように愚かになってしまうということ。
伯兪、杖に泣く(はくゆ、つえになく)
打たれた痛みが以前より軽いことで、親の力の落ちようを知る。 韓伯兪が母の折檻を受けて涙ぐみ、わけを問われて母の腕の衰えを知ったからだと答えたという話から。身内の老いに気づいた瞬間の胸のうちをいう。
日、西山に薄る(ひ、せいざんにせまる)
年老いて、死期が間近に迫っていることのたとえ。太陽が西の山に今にも沈もうとしている意から。
日暮れて途遠し(ひくれてみちとおし)
年老いてしまったのに、まだ目的を達するまでには程遠いことのたとえ。また、期限が迫っているのに、仕事が片付かないことのたとえ。
鬢糸茶烟の感(びんしさえんのかん)
盛りを過ぎた身が、茶を煎じるけむりのかたわらで、かつての放埒だった日々を遠く眺めやる心持ち。「鬢糸」は白くなった横鬢の毛、「茶烟」は茶を焙じる煙を指す。
本卦還りの三つ子(ほんけがえりのみつご)
年をとって、まるで幼児のように無邪気になってしまうこと。「本卦還り」は、還暦のこと。
松かさより年かさ(まつかさよりとしかさ)
かさで比べるなら、松の実の笠より重ねた年の数のほうだ。 「まつかさ」と「としかさ」を並べた言い回しで、長く生きた者の見聞きを立てるときに使う。
学ぶのに年を取り過ぎたということはない(まなぶのにとしをとりすぎたということはない)
何かを学び始めるのに遅すぎるということはない。年を重ねてからでも、新しいことは十分に身につく。 今さら遅いと尻込みしている人に向けて言う。もとは英語で言い習わされていたことわざ。
耳が遠い(みみがとおい)
加齢や病気などで聴力が弱まり、音をよく聞き取れないこと。
昔千里も今一里(むかしせんりもいまいちり)
すぐれた人も、年をとれば凡人に劣ってしまうということ。 昔は千里を行くことができた駿馬も、今では一里しか行くことができないとの意から。
昔年寄りに弱い者なし(むかしとしよりによわいものなし)
年寄りに昔話を聞くと、若い頃に弱かった人は一人もいないことになるということ。年寄りの自慢話をからかうことば。
昔の剣、今の菜刀(むかしのつるぎ、いまのながたな)
昔は有能であった人も、年をとると役に立たなくなるというたとえ。また、いくら良いものでも今の役にたたないものより、つまらないものでも今の役にたつもののほうがいいということ。
昔は肩で風を切り、今は歩くに息を切る(むかしはかたでかぜをきり、いまはあるくにいきをきる)
昔は威勢のよかった者が、今は衰えてしまったことのたとえ。若いころは肩で風を切ってさっそうと歩いていた者も、年をとって歩くだけで息切れするということから。
焼きが回る(やきがまわる)
年を取ったりして頭の働きや腕前が鈍ることのたとえ。 「焼き」は熱した金属を急激に水で冷やして堅くする焼入れのことで、火が回りすぎて焼きが強すぎると切れ味が悪くなることから。
寄る年波には勝てぬ(よるとしなみにはかてぬ)
いつまでも若いつもりでも、加齢による体力や気力の衰えには逆らえないということ。
楽隠居楽に苦しむ(らくいんきょらくにくるしむ)
楽隠居は何もすることがないので、かえって苦痛を感じるものである。気楽な暮らしも、毎日では暇を持て余してしまうというたとえ。
老化は足から(ろうかはあしから)
老化現象は、足の痛みやもつれなど、足に関する症状から現れるということ。
老驥櫪に伏すとも志千里に在り(ろうきれきにふすともこころざしせんりにあり)
脚の速い馬は歳を重ねて厩の横木につながれても、なお遠くまで駆ける日を思っている。体が衰えたからといって、胸の内の望みまで縮むことはない。
老骨に鞭打つ(ろうこつにむちうつ)
歳を重ねて利かなくなった体に、あえて負荷をかけて働くこと。人に言うより、自分の骨折りを控えめに言い表すのに使う。
老醜を晒す(ろうしゅうをさらす)
年老いて醜くなった姿や頑なな考え方などを人に示して恥をかくこと。 自身を謙遜していう言葉。
老馬の智(ろうばのち)
年を重ねた者の知恵は、道に迷ったときの頼りになるということ。 「智」は知恵のこと。 斉の桓公が遠征の帰り道を見失ったとき、管仲が「老いた馬の知恵を借りましょう」と進言し、放った老馬のあとを追っていくと、やがて元の道へ出られたという。 同じ故事を和文でいったのが「老いたる馬は道を忘れず」。
老兵は死なず、消え去るのみ(ろうへいはしなず、きえさるのみ)
役目の終わった者は、表舞台から去るということ。敗戦後、占領司令官だったダグラス・マッカーサーが離日の際に言った言葉。
六十の手習い(ろくじゅうのてならい)
年をとってから学問や稽古事を始めること。 「八十の手習い」ともいう。
