「同」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 31 件
「同」を含む漢字が使われている故事・ことわざ・慣用句を一覧で紹介します。各語を選択すると意味・読み方などの詳細を確認できます。
故事・ことわざ・慣用句一覧
畦から行くも田から行くも同じ(あぜからいくもたからいくもおなじ)
手段や方法が違っても、同じ結果になることのたとえ。 畦道から行っても田から行っても、結局たどり着く先は変わらないことから。 「田から行くも畦から行くも同じ事」「田を行くも畦を行くも同じ」「田歩くも畔歩くも同じ」などともいう。異形の多い語。
いとこ同士は鴨の味(いとこどうしはかものあじ)
血の近い者どうしが連れ添うと、格別に睦まじくなる。 ごちそうの旨さを持ち出すほど、その間柄は濃いと見られてきた。
大家と言えば親も同然、店子と言えば子も同然(おおやといえばおやもどうぜん、たなこといえばこもどうぜん)
家を貸す側と借りる側は、ただの貸し借りの間柄ではなく親子も同然の付き合いをするものだということ。 「店子」は借家を借りて住む人。江戸の裏長屋では、大家が店子の身元を引き受け、諍いの仲裁から縁組の世話まで引き受けた。その結びつきの深さを言ったもの。
落ちれば同じ谷川の水(おちればおなじたにがわのみず)
たどってきた道筋がどれほど隔たっていても、終いには互いを見分けられなくなる。 また、位の高下も懐の厚薄も、命が終われば残らない。 「雨霰雪や氷と隔つらん落つれば同じ谷川の水」という一休の歌の下の句から。 「落つれば同じ谷川の水」「解ければ同じ谷川の水」ともいう。
同い年夫婦は火吹く力もない(おないどしみょうとはひふくちからもない)
同い年の夫婦は仲が良く、いつも笑ってばかりいるので、火吹き竹を吹いて火をおこすためのふくれっ面もできないということ。
同じ穴の貉(おなじあなのむじな)
一見無関係のように見えて、実は同類・仲間であることのたとえ。 多くは悪事をはたらく仲間のことをいう。 「同じ穴」は「一つ穴」とも、「貉」は「狸」「狐」ともいう。
同じ釜の飯を食う(おなじかまのめしをくう)
同じ職場で働いたり苦楽を共にしたりすること。また、そのように過ごす親しい仲間のこと。 「一つ釜の飯を食う」ともいう。
同じ流れを掬ぶ(おなじながれをむすぶ)
日の浅い知り合いとのあいだにも、目に見えぬ縁がひそむというたとえ。 ひとつの川の水を手ですくって飲み合っただけの仲にも、めぐり合わせが働いていると見て言う。「掬ぶ」は、手を器のようにして水をすくい上げることをいう。仏教の書『説法明眼論』は、同じ木の下に身を寄せることや一つの川の水をくむことも、すべて前の世で結ばれた縁のあらわれだとしている。 人と人との縁を説く句には、ほかに「[[一樹の陰一河の流れも他生の縁*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/2502.php]]」や「[[袖振り合うも他生の縁*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/3569.php]]」がある。
同じ羽の鳥は集まるものだ(おなじはねのとりはあつまるものだ)
趣味や物の見方が似通った者は、誘い合わせるまでもなく一つところへ寄り集まる。 英語のことわざが訳されて広まった言い方で、羽の色をそろえた鳥が群れをなして飛ぶさまにたとえている。
揆を同じゅうする(きをおなじゅうする)
物事に取り組むやり方が一つにそろうこと。同じ方法をとって事に当たるさまを表す。 「揆」は、はかりごと・やり方の意味。 古代中国の伝説上の名君である舜と、周の文王とは、生まれた土地が千里あまりも離れ、生きた時代も千年あまり隔たっていたが、志を得て国を治めたそのやり方はぴたりと合っていた、と『孟子』が述べたことから。 車の通った跡にたとえて同じことを言う語に[[軌を一にす*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/2929.php]]がある。
君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず(くんしはわしてどうぜず、しょうじんはどうじてわせず)
すぐれた人物は、人と仲良くするが自主性を失わずむやみに同調しない。つまらぬ人間は、すぐに同調し自主性を欠いているということ。
薫蕕器を同じゅうせず(くんゆううつわをおなじゅうせず)
善人と悪人、心の正しい立派な人とつまらない人とは、もともとの質に大きな隔たりがあり、ひとところに並び立つのは無理だ、というたとえ。「薫」は鼻にここちよいにおいを持つ草、「蕕」は顔をしかめたくなるにおいの草で、においの良い草とくさい草とを一つの入れ物にいっしょにはおさめない、という扱いを人の世に移して述べた句。 『孔子家語』致思に見える言葉。孔子の弟子の顔回が、良い草とくさい草は同じ入れ物に入れておかないし、聖人の王とされる尭と、ひどい王として知られる桀とが、ともに一つの国を治めることもない、それは両者の種類が根もとから違うからだ、と語っている。 同じ二つの草をもとに、良いものは早く消え、悪いものほど長く残ることをいった言葉に[[一薫一蕕十年なお臭あり*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/8820.php]]がある。性質が合わず、どうしても一つにはなれない間柄のたとえとしては[[氷炭相容れず*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/4254.php]]もある。
形影相同じ(けいえいあいおなじ)
心の善悪が行動に出ること。 形が曲がれば影も曲がり、形がまっすぐであれば影もまっすぐであるように、心が正しければ行いも正しいということ。
堅白同異の弁(けんぱくどういのべん)
こじつけの論理、詭弁のこと。中国戦国時代、趙の公孫竜が説いた論法。 「固くて白い石は、目で見た時に白さはわかるが堅さはわからない。手で触れた時は堅さはわかるが白さはわからない。ゆえに、堅いことと白いことは同時には成り立たない」と論じたものから。
下駄も阿弥陀も同じ木の切れ(げたもあみだもおなじきのきれ)
踏まれる側と拝まれる側に分かれてはいても、削り出された素はどちらも一本の幹だった。 扱いの高低は後から付いたもので、はじまりのところに上下はない。
小異を捨てて大同につく(しょういをすててだいどうにつく)
こまかな隔たりには目をつむって、大枠でまとまれるほうへ身を寄せる。 銘々のこだわりを少しずつ引っ込め、一つの塊になることを選ぶ。
汁を吸うても同罪(しるをすうてもどうざい)
取り分がわずかでも、企てに加わった者は等しく責めを負う。 端の役回りだったからといって逃れられない。
人心の同じからざるは其の面の如し(じんしんのおなじからざるはそのおもてのごとし)
人の顔がひとりひとり違うように、人の心もそれぞれ異なるということ。 「人心の同じからざるは其の面の如し」ともいう。
好いた同士は泣いても連れる(すいたどうしはないてもつれる)
お互いに好き合った男女は、辛さに泣きながらでも離れず連れ添うものだということ。
男女七歳にして席を同じゅうせず(だんじょしちさいにしてせきをおなじゅうせず)
人は七歳にもなれば、男女の別を明らかにしてみだりに慣れ親しんではならないということ。男女は七歳になったら同じ敷物に座るべきではないという儒教の道徳から。
同気相求む(どうきあいもとむ)
気の合う者同士は、自然と寄り集まるということ。 「同気」は同じ気質のこと。
同舟相救う(どうしゅうあいすくう)
仲が悪い者同士や見知らぬ者同士でも、いざという時は助け合うことのたとえ。 同じ舟に乗り合わせた人々は、舟が沈みそうな時は力を合わせて助け合うとの意から。
同日の論にあらず(どうじつのろんにあらず)
一方を持ち出して他方と並べること自体が、そもそも見当違いになる。ものさしを当てても目盛りが届かないほど離れた二つをいう。
同病相憐れむ(どうびょうあいあわれむ)
同じ苦しみを負う者どうしは、言わずとも通じ合い、慰め合うということ。 同じ病に臥せる者は、その辛さを身をもって知っているところからいう。
同類相求む(どうるいあいもとむ)
同じたぐいの者同士は、自然に求め合って寄り集まるということ。
年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず(ねんねんさいさいはなあいにたり、さいさいねんねんひとおなじからず)
花は年ごとに変わらずに咲くが、人の境遇は年ごとに変化していく。 自然が変わらないのに対して、人の世ははかなく移りやすいことのたとえ。
光を和らげ塵に同ず(ひかりをやわらげちりにどうず)
持っているものをことさら見せず、世の人と同じ高さに身を置いて付き合う。 救う側が形を落としてこの世に現れるという仏の説き方から出た言葉で、今は人の身の処し方にもいう。 「塵に同ず」とも。
一つ事は同じ事(ひとつことはおなじこと)
言い方を変えてみても、結局言っていることは同じ事だということ。わかりきっている、という気持ちを表す言葉としても使う。
下手の思案は休むに同じ(へたのしあんはやすむにおなじ)
うまい考えも出ないまま長々と頭をひねっても、手を止めて休んでいるのと変わらず、時を損するだけだということ。 もとは将棋や碁で、下手な人の長考をあざけって言った言葉。 「下手の思案は休むに同じ」ともいう。
雷同(らいどう)
自分の考えがなく、むやみに他人の言動に同調すること。雷が鳴ると万物がそれに応じることから。
