「生」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 158 件
「生」を含む漢字が使われている故事・ことわざ・慣用句を一覧で紹介します。各語を選択すると意味・読み方などの詳細を確認できます。
故事・ことわざ・慣用句一覧
諦めは心の養生(あきらめはこころのようじょう)
失敗や不運をくよくよ考えるより、きっぱり諦めたほうが精神的に良いということ。
徒花に実は生らぬ(あだばなにみはならぬ)
見かけだけが立派でも、内容や実力が伴わなければ、よい成果には結びつかないということ。 「徒花」は咲いても実を結ばずに散る花で、花の美しさだけでは実りにならない意から。 「徒花」は「仇花」、「生らぬ」は「成らぬ」とも書く。 また、見かけこそ華やかであるが、実質が伴わず、期待したような良い結果が得られないことを「徒花を咲かせる」という。
案ずるより生むが易い(あんずるよりうむがやすい)
あれこれ心配するより、物事は実際にやってみると意外とたやすく出来るということのたとえ。出産の前はいろいろ心配するものだが、終わってみると心配したほどではなかったということから。
生き馬の目を抜く(いきうまのめをぬく)
生きている馬の目を抜き取るほどすばやいこと。また、ずるくて油断も隙もならないことのたとえ。
生き肝を抜く(いきぎもをぬく)
人をひどく驚かせる。 「生き胆」は生きている動物の肝。
生きた心地もしない(いきたここちもしない)
恐ろしさのあまり、生きているという感じがしないさま。
生きた空もない(いきたそらもない)
恐ろしさのあまり、生きているという感じがしないこと。
生き血を吸う(いきちをすう)
情け容赦なく、他人のものを取り上げること。 「生き血をすする」「生き血をしぼる」ともいう。
生きている犬は死んだライオンに勝る(いきているいぬはしんだらいおんにまさる)
どんな偉人でも死んでしまってはおしまいだから、凡人でも生きている方がいいということ。
生きとし生けるもの(いきとしいけるもの)
この世に生きているすべてのもの。
生き二両に死に五両(いきにりょうにしにごりょう)
子が生まれるときに要るお金は二両、死んだ人の葬式を出すときに要るお金は五両だということ。 句の中の「生き」は生まれること、「死に」は死ぬことを指している。 「両」は昔のお金の単位で、江戸時代にも使われた。 「産三両に死に五両」ともいう。
生き恥を曝す(いきはじをさらす)
生きながらえたために恥をかくこと。
生き身に餌食(いきみにえじき)
命さえつないでいれば、口に入るものは何かしら現れてくる。 行く末を案じすぎるなという慰めのことば。
生き身は死に身(いきみはしにみ)
この世に生きているものは、いつかは必ず死ぬものであるということ。
生きるべきか死すべきかそれが問題だ(いきるべきかしすべきかそれがもんだいだ)
生きるか死ぬか、どちらの方法を選ぶべきなのかなど、選択すべき状況で思い悩む気持ちを表す言葉。 父を殺した叔父に復讐すべきかどうか決めかねた王子が、ひとり胸のうちを口にする場面の科白から。
生け簀の鯉(いけすのこい)
自由を束縛されていることのたとえ。また、死が待ち受けている運命のたとえ。
生ける屍(いけるしかばね)
身体が生きているだけで、精神的には死んだも同然の人。
医者の不養生(いしゃのふようじょう)
口では立派なことを言いながら、自分では実行していないことのたとえ。患者に養生を勧める医者が自分の健康に注意しない意から。
一樹の陰一河の流れも他生の縁(いちじゅのかげいちがのながれもたしょうのえん)
この世で起こるすべての出来事は、すべて前世からの因縁によるものなので大切にしなければならないということ。 同じ木の陰で雨宿りをしたり、同じ流れの水を飲んだりするといった、偶然のちょっとした出来事も、すべて前世からの縁によるものであるとの意から。 「一河の流れを汲むも他生の縁」ともいう。
一文銭で生爪剝がす(いちもんせんでなまづめはがす)
ほんのわずかなお金にも強くこだわり、そのためには自分の体を痛めることもためらわないほどの、ひどいけちのたとえ。 「一文銭」は、江戸時代に出回っていた銭の中でいちばん値打ちの小さいもの。その一枚のためなら、指の生爪をはがすほどの痛みさえ嫌がらない姿を思い描いた言葉。 同じようにけちな人を表す言葉に[[爪に火を点す*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/2104.php]]がある。
一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)
生き物はみな、生まれつき仏になれる性質を持つ、とする教え。 「一切衆生」は、命を持つものを残らず表す言葉で、多くは人間を指して用いる。「悉有仏性」は「ことごとく仏性あり」と読み下せる句で、「仏性」は仏になるもととなる性質のこと。 この句は『涅槃経』の「如来性品」という章にある。経は、この性質がもとから限りない迷いに覆い隠されているせいで、人は自分でそれを見つけられないと説く。そして、家の中にたくさんの金がしまわれているのに、家の者はだれひとりそれを知らない、という貧しい女の話をたとえに引いている。 前半と後半の四字は、それぞれ四字熟語の[[一切衆生*https://yoji.jitenon.jp/yojie/2114.html]]・[[悉有仏性*https://yoji.jitenon.jp/yojij/4731.html]]としても引ける。
一死一生乃ち交情を知る(いっしいっせいすなわちこうじょうをしる)
命が危うくなるような目にあったり、羽振りがよくなったり悪くなったりと、身の上が大きく変わったときに、まわりの人がどう接してくるかで、その人たちの付き合いの気持ちが本物かうわべだけかが見てとれる、ということ。 「交情」は、付き合っている相手に寄せる親しい心のこと。「一生」の部分を「いっしょう」と読む言い方もある。 『史記』汲鄭列伝の末尾で、司馬遷が感想として記した話にもとづく。前漢の翟公が罪人を裁く役所の長だったころは、客が門の前に押し寄せたのに、その職を失うと門の外で雀を網で捕れるほど訪ねる者がぱったりと途絶えた。やがて元の職に返り咲くと、人々がまた訪ねて来そうになったので、翟公はこの句から始まる三つの句を門に書いて掲げた。 同じ話からは「[[門前雀羅を張る*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/2295.php]]」という言葉も生まれた。三つの句のうち二つ目(貧しさと豊かさの間で付き合いの姿が見えるという句)からできた四字熟語に「[[一貧一富*https://yoji.jitenon.jp/yojig/3396.html]]」がある。
一生添うとは男の習い(いっしょうそうとはおとこのならい)
一生君を愛して離さない、というのは男が女を口説くときの決まり文句であるということ。
一生の不作(いっしょうのふさく)
生涯にかかわるような失敗。取り返しがつかないほどの失敗。
一朝の怒りに一生を過つ(いっちょうのいかりにいっしょうをあやまつ)
一時的な怒りのために我を忘れて行動すること。 また、そのような行動は身を滅ぼすことになるという戒め。 「一朝の怒りに一生を過つ」ともいう。
未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん(いまだせいをしらず、いずくんぞしをしらん)
この世での在り方すら掴めていない身に、その先を語れようか。 季路に死を問われた孔子の答え。目の前の生を措いて彼岸へ思いを馳せることを退けた。
烏頭白くして馬角を生ず(うとうしろくしてうまつのをしょうず)
どう考えても起こりっこない出来事をいう。さらに、起こるはずもない事柄が、意外にも実際に起きた場合に当てはめることもある。 紀元前の戦国時代、燕(えん)の国の太子(王の跡継ぎ)であった丹(たん)は、秦(しん)の国に人質として留め置かれていた。国へ帰りたいと願い出たところ、秦王は「烏(からす)の頭が白く変わり、馬の頭に角が生えたなら、そのときは許そう」と言って取り合わなかった。丹が空を見上げて嘆くと、烏の頭はたちまち白くなり、馬にも角が生えた、と伝わる。出どころは『燕丹子』という書物で、『史記』の注釈である「索隠」がそれを書き留めている。 この話を元にした言葉には[[烏の頭の白くなるまで*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/2783.php]]も知られている。この言葉は、待ちつづけてもその時がやって来ない、という使い方をする。また、[[烏白馬角*https://yoji.jitenon.jp/yojib/641]]という四字熟語も、同じ話から出ている。
産屋の風邪は一生つく(うぶやのかぜはいっしょうつく)
生まれて間もない時期に身についたものは、後から取り除きにくい。 赤子のうちに風邪をひかせると、その体質が生涯ついて回るとされた。
生まれたあとの早め薬(うまれたあとのはやめぐすり)
時機に間に合わず、何の役にも立たないことのたとえ。 赤ん坊が生まれた後で、出産を促す薬を飲むとの意から。
生まれながらの長老なし(うまれながらのちょうろうなし)
生まれながらにすぐれた人間などいるはずもなく、みんな長い間の修養や経験をつんで立派な人間になるということ。
