「謙遜」に関連する故事・ことわざ・慣用句 — 53 件
「謙遜」に関連する故事・ことわざ・慣用句を一覧で紹介します。各語を選択すると意味・読み方などの詳細を確認できます。全53件を五十音順に掲載しています。
ことわざ一覧(五十音順)
敢えて主とならず客となる(あえてしゅとならずきゃくとなる)
自分が中心にならずに受身でいるほうが無難だということ。
敢えて天下の先とならず(あえててんかのさきとならず)
積極的に人の先頭に立つことを避け、控えめな姿勢を保つことで、波風を立てずに安泰な生活を送ることができるという考え方。 先頭に立つと競争や妬みなど人間関係のトラブルに巻き込まれるリスクが高まるため、あえて目立たない立場に身を置くことが賢明だとされる。 出典では「故(ゆえ)に能(よ)く器長(きちょう)を成(な)す」と続き、控えめな態度を保つことで、かえって周囲の人々を上手に導く優れた指導者になれると述べられている。
頭が低い(あたまがひくい)
人に対する態度が、謙虚で丁寧であるさま。
頭を下げる(あたまをさげる)
謝ること。お辞儀をすること。また、感服すること。尊敬すること。
一粲を博す(いっさんをはくす)
笑い草にでもしていただければ、という心持ちで、手ずから綴った詩文を先方へ差し出すときのへりくだった言い方。 「粲」は歯を見せて笑うさまで、笑いを一つ頂戴する意から。
一臂の力を仮す(いっぴのちからをかす)
わずかな力を貸すこと。「一臂」は片方の肘のこと。転じて、わずかな力の意。「仮す」は貸す意。
いやいや三杯(いやいやさんばい)
口先だけの遠慮のこと。 口では遠慮して、実際に勧められれば何杯でも飲むことから。 「いやいや三杯十三杯」ともいう。
うまくいったらお慰み(うまくいったらおなぐさみ)
上手くいったら大いに結構である。 成功する確率が低いことを行う時に当人がへりくだって、または周りの人が軽い皮肉を込めて言う言葉。
鉛刀の一割(えんとうのいっかつ)
大した働きはできないが一度くらいは用を成すかもしれない、とへりくだって申し出るときのことば。 鉛で鋳た刀は刃が鈍く、物を断てるのはせいぜい一回きりであることから。
遠慮は無沙汰(えんりょはぶさた)
遠慮もほどほどにしないと、かえって失礼になるということ。 先方に遠慮して訪問や連絡を控えすぎると、長期間付き合いが途絶えることとなり、かえって礼を欠くことになるとの意から。 「遠慮が無沙汰」ともいう。
男は辞儀に余れ(おとこはじぎにあまれ)
男は謙遜しすぎるくらいでちょうどよいということ。 「女は会釈に余れ」と続けてもいう。 「辞儀」は遠慮の意。
己を虚しゅうす(おのれをむなしゅうす)
自分の我をすてて、謙虚で素直な気持ちになること。
褐を被て玉を懐く(かつをきてたまをいだく)
すぐれた才能を世間に知られないように隠していることのたとえ。 「褐」は粗末な衣服、「玉」はすぐれた才能のこと。 粗末な身なりをしていても、内にはすぐれた才能を秘めているとの意から。
下問を恥じず(かもんをはじず)
身分や年齢の低い者に物事を尋ねることを、恥ずかしいとか体裁が悪いと思わず、素直に聞くという姿勢が大切だということ。
枯れ木も山の賑わい(かれきもやまのにぎわい)
つまらないものでも、ないよりはあったほうがましだというたとえ。枯れ木でもいくらかは山に風情を添えるという意で、自分のことをへりくだって言う言葉。
驥尾に付す(きびにふす)
才能のない人でも、すぐれた人に付き従っていれば、自分の能力以上のことが成し遂げられることのたとえ。自分の行動を謙遜していう言葉。 「驥」は、一日に千里走る駿馬のこと。 青蠅が駿馬の尾につかまって、一日で千里先まで行ったという故事から。
玉斧を乞う(ぎょくふをこう)
人に詩や文章の添削を頼むことのたとえ。「玉斧」は、他人が詩文の添削をすることを、敬っていう言葉。
桂林の一枝、崑山の片玉(けいりんのいっし、こんざんのへんぎょく)
わずかな立身。また、難しい試験に通ること。晋の郤詵が最上位で登用され、感想を問われて「桂の林からひと枝、崑崙山から玉のひとかけを手にしただけだ」と答えたことによる。
献芹(けんきん)
人に物を差し出すことを、みずからを低く置いて言う語。目上へ自分の考えを申し述べる場合や、主君にまごころを捧げる場合にも使う。田舎住まいの者が野のせりを珍味と思い込み、貴人のもとへ持参したという話から出た。
犬馬の齢(けんばのよわい)
胸を張れるものを何も持たないまま、ここまで来てしまった年数。 自分の齢を低い位置に置いて名乗る言い方。
犬馬の労(けんばのろう)
人のために走り回る自分の骨折りを、物の数でもないと言ってみせる言い回し。 「犬馬の労を取る」の形で申し出に使う。
腰が低い(こしがひくい)
他人に対する態度が控えめで丁寧であることのたとえ。
采薪の憂い(さいしんのうれい)
自分の病気をへりくだっていうことば。薪(たきぎ)をとりに行くことも出来ないほど身体が弱っているとの意から。
下手に出る(したてにでる)
へりくだった態度で相手に接すること。 「下に出る」ともいう。
知って問うは礼なり(しってとうはれいなり)
たとえ知っていることでも、専門家に意見を聞くのが礼儀だということ。
初心忘るべからず(しょしんわするべからず)
ものごとを始めた時の謙虚で真剣な気持ちを忘れてはならないということ。
知らざるを知らずと為せ、是れ知るなり(しらざるをしらずとなせ、これしるなり)
どこまでが分かっていて、どこからが分かっていないのか。その線を自分で引けることが、知の第一歩になる。 分からない側に立てるかどうかで、その先の伸びが決まる。
知らずば人に問え(しらずばひとにとえ)
分からないまま抱え込まず、心得のある人に口を開いて尋ねよ。 取り繕って通すより、その場で頭を下げたほうが早い。
知りて知らざれ(しりてしらざれ)
心得ている事柄でも、あえて口にせずにおくほうが品がよい。 分かっているぞと並べ立てるのは、慎むべき振る舞いだとする。
上手の猫が爪を隠す(じょうずのねこがつめをかくす)
すぐれた才能や実力のある人は、それをむやみにひけらかしたりしないということ。 「上手の猫」は鼠を捕るのがうまい猫のこと。 よく鼠を捕る猫ほど、ふだんは爪を隠しているとの意から。 同じ意味の言い方に「鼠捕る猫は爪を隠す」がある。
辞を低くする(じをひくくする)
敬意をもって丁寧な言葉で話すこと。
先生と言われるほどの馬鹿でなし(せんせいといわれるほどのばかでなし)
先生という呼称は敬意を伴わない場合もある。先生と呼ばれて気分をよくするほど馬鹿ではないということ。また、先生と呼ばれていい気になっている者をあざけっていう言葉。
大賢は愚なるが如し(たいけんはぐなるがごとし)
本当に賢い人は知識をひけらかさないから、一見愚か者のように見えるということ。
大智は愚の如し(たいちはぐのごとし)
真に知恵のある人物は、知識や知恵をひけらかさないので、一見愚か者のように見えるということ。
小さくなる(ちいさくなる)
ひどくかしこまったり遠慮したりする。身を縮めてかしこまる。
禿筆を呵す(とくひつをかす)
下手な文章を書くこと。自身の文章を謙遜していう言葉。 「禿筆」は穂先の切れた筆のこと。 「呵す」は息を吹きかけること。
豚児(とんじ)
自分のむすこを指して、へりくだるときの言い方。 魏の曹操が、対峙した孫権の陣立てを見て、子を持つなら孫仲謀のような子がよい、劉景升のむすこどもは豚か犬のようだと言ったという。
駑馬に鞭打つ(どばにむちうつ)
能力のない者に、能力以上のことをさせるたとえ。多くは自分が努力することをへりくだっていう言葉。
能ある鷹は爪を隠す(のうあるたかはつめをかくす)
すぐれた才能や実力のある人は、それをむやみにひけらかしたりしないということ。 鷹は獲物を捕らえるとき以外、鋭い爪を隠しているとの意から。
述べて作らず(のべてつくらず)
昔から伝えられていることを述べるだけで、自分の意見は差し挟まないということ。
馬齢を重ねる(ばれいをかさねる)
特に大きな成果や変化なく年齢が増えていくことを謙遜していう言葉。 ここでの「馬齢」は、自分の年齢をへりくだっていう語。 「馬齢を加える」ともいう。
卑下も自慢のうち(ひげもじまんのうち)
しきりに自分を低く言う人は、そう言えるだけの物を持っていると聞き手に思わせている。下げた分だけ、相手には高く伝わる。
顰みに倣う(ひそみにならう)
事の良し悪しを考えず、むやみに人の真似をするたとえ。また、人に倣って物事をすることを謙遜していう言葉。 「顰」は、眉をひそめること。 中国の越の西施(せいし)という美女が胸の病気の痛みで顔をしかめたところ、それを見た醜女が自分も顔をしかめれば美しく見えるかと思い、真似をして眉をひそめたという故事から。 「西施の顰みに倣う」「顰みを学ぶ」ともいう。
不肖(ふしょう)
親や師に似ないで愚かなこと。また、自分をへりくだっていう言葉。
負薪の憂い(ふしんのうれい)
自分が病んでいることを、控えめに言うときの語。薪を背負う暮らしの無理がたたって患う、あるいは患って薪も背負えなくなる、という意味合いから出た言い方。
負薪の資(ふしんのし)
薪を背負って働くような、身分の低い者。世に出ていない人をいうこともある。転じて、自分の才能をつたないものとして言うときにも使う。
末席を汚す(まっせきをけがす)
目上の集まりに加わることを、末の座を汚す身だと低めていう語。
自ら卑うすれば尚し(みずからひくうすればたっとし)
へりくだって驕らない人は他人から尊敬され、自然と尊くなるということ。
実るほど頭の下がる稲穂かな(みのるほどあたまのさがるいなほかな)
人は学問や徳が深まると、かえって謙虚になることのたとえ。 稲穂は実が入ると重くなり頭を下げることから。 「実るほど頭を垂れる稲穂かな」「実る稲田は頭垂る」ともいう。
湯の辞儀は水になる(ゆのじぎはみずになる)
遠慮もほどほどにしないと、かえって失礼になるということ。 「辞儀」は遠慮のこと。 湯を勧められた時、遠慮してぐずぐずしていると、湯が冷めて水になることから。
良賈は深く蔵して虚しきが如し(りょうこはふかくぞうしてむなしきがごとし)
腕のいい商人は、値打ちのある品を奥にしまって店先には並べない。 中身の詰まった人ほど、それを人目にさらさずに構えているという。 「良賈」は、商いの上手な人。
老醜を晒す(ろうしゅうをさらす)
年老いて醜くなった姿や頑なな考え方などを人に示して恥をかくこと。 自身を謙遜していう言葉。
老婆心(ろうばしん)
必要をこえて世話を焼いたり、あれこれ気に病んだりすること。多くは、人に忠告するときの前置きに使われ、出過ぎた口であることをことわる言い方になる。 もとは禅の言葉で、年老いた女性が孫を思うように、師が弟子へ念入りに教え説くことをいった。それが転じて、行き届きすぎた親切のほうを指すようになった。「老婆心切」ともいう。
