「わ」で終わる故事・ことわざ・慣用句
「わ」で終わる故事・ことわざ・慣用句 — 14 件
雨垂れは三途の川(あまだれはさんずのかわ)
家から一歩出れば、どんな災難や危険が待ちかまえているかわからないということ。 軒下から落ちる雨だれを、あの世とこの世の堺である三途の川に見立てて、家から一歩出たら十分に注意せよとの戒めのことば。
いい面の皮(いいつらのかわ)
割に合わないことやひどい目に遭ったときに、嘲笑的に言う言葉。
今際の際(いまわのきわ)
臨終の時。死に際。
嘘の皮(うそのかわ)
嘘の意味を強めた言い方。完全な嘘。
栄耀の餅の皮(えようのもちのかわ)
度を越したぜいたくをするたとえ。 「栄耀」は、ぜいたくをすること。 ぜいたくに慣れると、むく必要のない餅の皮までむいて食べるようになるとの意から。
大きなお世話(おおきなおせわ)
いらぬおせっかい。よけいな世話。 他人からの忠告や手助けを拒むときに使う言葉。
下戸の手強(げこのてごわ)
酒を飲めない下戸は、酒飲みのように簡単にこちらの話しに乗ってこないから、容易に付け入ることが出来ず厄介だということ。
十歳の翁、百歳の童(じっさいのおきな、ひゃくさいのわらわ)
子どもでも知恵も分別もある者もいれば、老人でも無知で愚かな者もいるということ。 人の賢さは年齢に左右されないということ。 「八歳の翁百歳の童」「十歳の翁百歳の童」「百歳の童、七歳の翁」などともいう。
上戸の手弱(じょうごのてよわ)
酒好きは、酒につられることが多いので誘惑に弱く、つけ込みやすいということ。
なんの糸瓜の皮(なんのへちまのかわ)
まったく気にかけないこと。なんとも思わないこと。 「糸瓜」はつまらないものという意味で用いられることが多く、その皮ほどにも思わないとのことから、まったく気にかけないこと。 「なんの糸瓜の皮」「糸瓜の皮」ともいう。
濡れ手で粟(ぬれてであわ)
苦労せずに楽々と利益を得ることのたとえ。濡れた手で粟を掴むと、手に粟粒がたくさん付いてくることから。
左団扇(ひだりうちわ)
利き手ではない左手に団扇を持ってゆうゆうとあおぐことから、気楽でゆとりのある暮らしのたとえ。 一般的には利き手ではない左手に団扇を持つことで苦労がない様子を表した言葉。
人は病の器(ひとはやまいのうつわ)
人はいろいろな病気にかかりやすく、まるで病の入れ物みたいであるということ。
水の泡(みずのあわ)
努力してきたものがすべて無駄に終わることのたとえ。
故事・ことわざ・慣用句一覧
- /
- 1ページ
- 全1件