つらいときに支えになることわざ — 71 件
苦しい時期は必ず終わる、まだやれる、一人ではない。昔の人が言い残した言葉には、そう伝えてくれるものが数えきれないほどあります。落ち込んでいるときに自分を支える言葉として、また誰かにそっとかける言葉として選びました。
ことわざ一覧
明けない夜はない(あけないよるはない)
暗い夜も朝になれば必ず明けるように、今は不遇な状況であっても、やがて良い時期が訪れるということ。 暴君を討とうとする者が、父を殺された若者を励まして口にした科白が広まったもの。
止まない雨はない(やまないあめはない)
降り続く雨がいつか必ず上がるように、つらいことや苦しい状況も永遠には続かず、いずれ終わりが来て事態は好転するというたとえ。
七転び八起き(ななころびやおき)
何度失敗しても諦めずに立ち直ること。また、人生の浮き沈みが激しいことのたとえ。 七度転んで八度起き上がるとの意から。 「七転八起(しちてんはっき)」ともいう。
捨てる神あれば拾う神あり(すてるかみあればひろうかみあり)
人から見捨てられることもあれば、親切に助けてくれる人もいる。たとえ不運なことがあっても、くよくよするなということ。 「捨てる神あれば助ける神あり」ともいう。
禍福は糾える縄の如し(かふくはあざなえるなわのごとし)
災いと幸いは、一本の縄に撚り込まれた二筋にあたる。入れ替わり立ち替わり巡ってくるので、今日の不運が明くる日の実りの端緒になることも珍しくない。糾うは、二筋をないあわせる意。
塞翁が馬(さいおうがうま)
人生における幸・不幸は予測が出来ないということ。 幸運から不幸に、不幸から幸運にいつ転じるかわからないので、一喜一憂する必要はないということ。 昔、中国北方の塞(とりで)付近に住んでいた老人が馬に逃げられたが、その馬が立派な馬を連れて帰って来た。老人の息子がその馬から落ちて足の骨を折ったが、そのおかげで兵役を免れたという故事から。 「人間万事塞翁が馬」ともいう。
苦あれば楽あり(くあればらくあり)
苦しい時期を過ごせば、そのあとに楽な時が巡ってくるということ。 苦ばかりが続きはしないという側から言い、辛抱していればよい時が来ると人を励ますときに使う。 「楽あれば苦あり」のあとに続けてもいう。
冬来りなば春遠からじ(ふゆきたりなばはるとおからじ)
寒さの底に来ているなら、暖かい季節はもう遠くない。落ち込んでいる相手に、先を見せて力づけるときの言葉。
雨降って地固まる(あめふってじかたまる)
もめごとが解決したあとに、物事が前の状態より良くなること。
失敗は成功のもと(しっぱいはせいこうのもと)
失敗は、その原因を反省し改めていくことによって、成功につながるということ。 「もと」は「基」「因」とも書く。 「失敗は成功の母」ともいう。
石の上にも三年(いしのうえにもさんねん)
辛抱すればいつか必ず成功することのたとえ。 冷たい石の上でも、三年座り続ければ暖まるとの意から。
待てば海路の日和あり(まてばかいろのひよりあり)
焦らずに待っていれば良い機会がきっとめぐってくるというたとえ。 荒れた海も、待っていれば航海に適した日が必ず訪れるということ。 もとは「待てば甘露の日和あり」といい、「甘露の日和」が実感しにくいことから、暮らしに身近な「海路の日和」に置き換わったといわれる。
為せば成る(なせばなる)
手を動かしさえすれば形になる。 実らないのは、そもそも手をつけていないからだ、と背中を押す言い方。 上杉鷹山が家臣に与えた「為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」の歌に拠るとされ、武田信玄の詠が下敷きになっているともいわれる。
継続は力なり(けいぞくはちからなり)
小さなことでも続けていけば、いつか大きなことが成し遂げられるということ。
千里の道も一歩から(せんりのみちもいっぽから)
大きな目標・目的を達成するためには、身近なことからこつこつと努力を積み重ねていくことが大切であるということ。 千里の道のりも踏み出した一歩から始まるとの意から。 「千里の行も足下より始まる」ともいう。
案ずるより産むが易し(あんずるよりうむがやすし)
あれこれ心配するより、物事は実際にやってみると意外とたやすく出来るということのたとえ。出産の前はいろいろ心配するものだが、終わってみると心配したほどではなかったということから。
人事を尽くして天命を待つ(じんじをつくしててんめいをまつ)
出来る限りのことをして、あとは天命に任せるということ。「人事」は人間の力で出来る事柄、「天命」は天の命令の意。
天は自ら助くる者を助く(てんはみずからたすくるものをたすく)
天は、人に頼らず自ら努力する者に力を貸し、幸福を与えるということ。 「神は自ら助くる者を助く」ともいう。
窮すれば通ず(きゅうすればつうず)
後がないところまで来ると、それまで目に入らなかった手が浮かぶ。余裕のあるうちは思いつかないものが、行き場を失ってはじめて姿を見せる。
死んで花実が咲くものか(しんではなみがさくものか)
人間死んでしまえば万事おしまいである。どんな状況にあっても、生きていればこそいいこともあるということ。死んだ木に花が咲いたり実がなったりしないことから。
命あっての物種(いのちあってのものだね)
何事も命があるからこそできる。だから命に関わるような危険なことはなるべく避けたほうがいいということ。 「物種」は物の根源の意。
明日は明日の風が吹く(あしたはあしたのかぜがふく)
先のことをいくら心配してもはじまらないので、なるがままに任せて生きるのがよいということ。 明日は明日で、今日とは違う風が吹くという意味から。
人の噂も七十五日(ひとのうわさもしちじゅうごにち)
世間の噂は長く続かず、やがて忘れられるということ。 噂話も75日もすれば治まり、忘れられてしまうとの意から。
笑う門には福来る(わらうかどにはふくきたる)
明るい声のする住まいには、人も話も寄ってくる。よい巡り合わせは、そういう場所を選んで舞い込むものだ。
住めば都(すめばみやこ)
どんな所でも住み慣れると、住みよく思われてくるというたとえ。
果報は寝て待て(かほうはねてまて)
幸運は自然にやってくるものだから、焦らず気長に待つほうがよいということ。「果報」は、前世での行いの結果として現世で受ける報いのことで、本来は善悪どちらをも意味したが、しだいに幸運の意になった。
夜明け前が一番暗い(よあけまえがいちばんくらい)
どん底の後には必ずいいことがあるというたとえ。日が昇る直前に一番暗い時間があるということから。
朝の来ない夜はない(あさのこないよるはない)
ものごとは必ずいつか、よい方へ変わるということ。 「夜の明けない朝はない」ともいう。
沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり(しずむせあればうかぶせあり)
人生にはいい時も悪い時もある。悪いことばかりが続くわけでないから、くよくよするなということ。
一の裏は六(いちのうらはろく)
悪いことの後には必ずいいことがあるというたとえ。さいころの一の裏は六であることから。
禍を転じて福となす(わざわいをてんじてふくとなす)
降りかかってきたものを、そのまま材料に組み替えて、かえって得になる形へ持っていく。手をこまぬいて時の変わるのを当てにせず、こちらから仕掛けて筋を書き換える。
怪我の功名(けがのこうみょう)
過ちや災難と思われていたことが、偶然にもよい結果になることのたとえ。 「怪我」は、ここでは過ちや災難のこと。 過ちや災難が生んだ手柄との意から。 「過ちの功名」ともいう。
艱難、汝を玉にす(かんなん、なんじをたまにす)
人間は多くの苦労を経験することによって立派な人物になれるということ。「艱難」は難儀・苦難、「玉にす」は美しくする・立派にするという意。
若い時の苦労は買うてもせよ(わかいときのくろうはこうてもせよ)
若い時の苦労は将来役に立つ貴重な経験となるから、自分から進んで苦労するほうがよいということ。
堪忍は一生の宝(かんにんはいっしょうのたから)
怒りを抑えたり痛みや苦しみをこらえたりすることができると、一生の宝を持っているように安らかで幸福に生きていくことができるので、生涯心がけていくべきであるということ。 「堪忍は身の宝」ともいう。
心頭滅却すれば火もまた涼し(しんとうめっきゃくすればひもまたすずし)
思いを空にしてしまえば、燃えさかる火のなかでさえ熱さを覚えない。いかなる責め苦も、心の置きどころ一つで受け流せる。 「心頭」は胸のうち、「滅却」は拭い去ること。 もとは、身を置く場所を選ばず禅は修められるという意だったが、日本では生き方全般を説く句へと広がった。 天正十年(一五八二)、織田勢の焼き打ちを受けた恵林寺で、僧快川がこの句を唱えたと伝えられる。
疾風に勁草を知る(しっぷうにけいそうをしる)
困難や試練に直面してはじめて、人の真価がわかるというたとえ。 「疾風」は速く吹く風、「勁草」は強い草の意。 速く激しい風が吹いて、はじめて強い草が見分けられるとの意から。
我が物と思えば軽し笠の雪(わがものとおもえばかるしかさのゆき)
つらいことも苦しいことも、自分のためだと思えば苦にならないものだというたとえ。 笠に降り積もる重い雪も自分のものだと思えば軽く感じられるということ。 江戸時代の俳人、宝井其角の句「我が雪と思へば軽し笠の上」から。
鴨の水搔き(かものみずかき)
気楽そうに見えても、人知れぬ苦労があることのたとえ。のんびりと浮かんでいるように見える鴨も、水の中では絶えず足で水を掻いていることから。
大きな家には大きな風(おおきないえにはおおきなかぜ)
人にはそれぞれの境遇に合った悩みがあるということ。 金持ちは何の心配もないように見えるが、家が大きければ、それなりに風当たりが強く、金持ちなりの悩みがあるとの意から。
弘法にも筆の誤り(こうぼうにもふでのあやまり)
いかにすぐれた人物でも、時には失敗することがあるというたとえ。弘法大師のような書の名人でも、時には書き損じることもあるということから。
猿も木から落ちる(さるもきからおちる)
その道の達人でも、たまには失敗することもあるということ。 木登りが得意な猿でも、ときには誤って落ちることもあるとの意から。
過つは人の性、許すは神の心(あやまつはひとのさが、ゆるすはかみのこころ)
人は誰でも過ちを犯すものなので、むやみに人を責めてはいけないということ。 「過ちは人の常、許すは神の業」ともいう。
勝負は時の運(しょうぶはときのうん)
同じ顔ぶれでやっても、勝ち負けは日によって入れ替わる。 負けた者を立ち上がらせるときに口にする。 「勝負は時のはずみ」「勝つも負けるも時の運」「勝つも負けるも運次第」「負けるも勝つも時の運」「負けるも勝つも運次第」などともいう。
碁で負けたら将棋で勝て(ごでまけたらしょうぎでかて)
あることで失敗してもくよくよせず、別の事で取り返せということ。
三度目の正直(さんどめのしょうじき)
物事は一度目や二度目はだめでも、三度目はうまくいくということ。
当たって砕けろ(あたってくだけろ)
うまくいくかどうかわからないが、思い切ってやってみよということ。
意志のある所には道がある(いしのあるところにはみちがある)
やり遂げる気持ちさえ固ければ、道はおのずと見つかる。
思う念力、岩をも徹す(おもうねんりき、いわをもとおす)
心を込めて一心に事を行えば、どんなことでも必ず成し遂げられるというたとえ。
精神一到、何事か成らざらん(せいしんいっとう、なにごとかならざらん)
精神を集中して取り組めば、どんな難しいことでもできないことはないということ。
求めよ、さらば与えられん(もとめよ、さらばあたえられん)
与えられるのを待つのではなく、自ら進んで努力すれば必ずよい結果を得ることが出来るということ。
艪櫂の立たぬ海もなし(ろかいのたたぬうみもなし)
舟を進める道具がまるで通じない海など、どこにもない。 手詰まりに見えるところにも抜け道は残っていると、相手の肩を叩くときの言い方。
迷わぬ者に悟りなし(まよわぬものにさとりなし)
疑問や迷いを持たない人は悟ることもない。おおいに迷うからこそ悟りも開けるということ。
一寸延びれば尋延びる(いっすんのびればひろのびる)
目の前の困難を切り抜ければ、先々楽になるということのたとえ。 「一寸」は約3センチ、「一尋」は約180センチ。 今、一寸延ばすことが出来れば、先々一尋延びるのと同じ結果になるとの意から。 「一寸延びれば尋」「一寸延びれば尺」ともいう。
埋もれ木に花咲く(うもれぎにはなさく)
長い間不運だった人に意外な幸運が訪れることのたとえ。また、世間から忘れ去られていた人が再び脚光を浴びて世に出ることのたとえ。 土の中に埋もれていた木に花が咲くとの意から。
今日の襤褸、明日の錦(きょうのつづれ、あすのにしき)
今はぼろを身につけているが、努力を怠らなければ苦労が実って、そのうち美しい衣服を着るほど出世できるだろうということ。「襤褸」はぼろ、「錦」は美しい衣服。
禍も三年経てば用に立つ(わざわいもさんねんたてばようにたつ)
時が経てば、災いが幸いに転じることもある。どんなものでも、役に立たないものはないというたとえ。
渡る世間に鬼はない(わたるせけんにおにはない)
よそはみな冷たいと決めてかかるには及ばない。行き詰まったところで思いがけない手が伸びてくるのが、この世の常でもある。
地獄で仏に会ったよう(じごくでほとけにあったよう)
もう逃げ道がないと腹をくくった場に、よもやという味方が立つ。 難を免れたことよりも、そのときに漏れる安堵のほうを言い表す。 「地獄で仏に会う」「地獄で仏」ともいう。
まさかの時の友こそ真の友(まさかのときのともこそしんのとも)
苦しい状況の時、助けてくれる友こそ本当の友だちだということ。
物は相談(ものはそうだん)
困った時は一人で悩まず誰かに相談すれば、案外名案が浮かびうまくいくものであるということ。また、相談や頼み事をするときに使う前置きのことば。
金は天下の回り物(かねはてんかのまわりもの)
金は人から人へと渡り回っていくものだから、いつか自分の所にも回ってくるはずだから、今は貧しくてもくよくよするなということ。
親はなくとも子は育つ(おやはなくともこはそだつ)
親がいなくても、子どもはなんとか成長していく。世の中は、そう心配することもないというたとえ。
天道様と米の飯はどこへも付いて回る(てんとうさまとこめのめしはどこへもついてまわる)
身の置きどころが変わっても、日を浴びることと米を食うことだけは離れずについてくる。 先の当てがなくても食い扶持は絶えない、という励ましのことば。
泣いて暮らすも一生、笑って暮らすも一生(ないてくらすもいっしょう、わらってくらすもいっしょう)
泣いて暮らすのも笑って暮らすのも、同じ一生に変わりがないのなら、なるべく楽しく暮らすほうがよいということ。
忙中閑あり(ぼうちゅうかんあり)
立て込んでいる最中にも、ふっと手の空く隙間はできる。詰まりきったように思えても、探せば息を抜ける間は見つかる。
隣は火事でも先ず一服(となりはかじでもまずいっぷく)
どんなに慌ただしい時でも休息は必要だというたとえ。忙しい時に休息しようとする場合に使う言葉。
案じるより団子汁(あんじるよりだんごじる)
あれこれ心配しても仕方ないから、団子汁でも食べて気を紛らわしたほうがよいという助言。 「案じる」は「餡汁」の語呂合わせ。 団子汁は餡汁に団子を入れたもの。ただの餡汁よりいいというしゃれでもある。
気の毒は身の毒(きのどくはみのどく)
「気の毒」は自分の気持ちの毒になることの意で、心配事は身体に悪いということ。
風に柳(かぜにやなぎ)
柳が風になびくように、巧みに受け流すこと。 「柳に風」ともいう。
諦めは心の養生(あきらめはこころのようじょう)
失敗や不運をくよくよ考えるより、きっぱり諦めたほうが精神的に良いということ。
