「すず」を含む故事・ことわざ・慣用句
「すず」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 19 件
男の目には糸を引け、女の目には鈴を張れ(おとこのめにはいとをひけ、おんなのめにはすずをはれ)
男の目は糸を引いたように細くて真っ直ぐなのがよく、女の目は鈴のようにぱっちりと大きいのがよいということ。
勧学院の雀は蒙求を囀る(かんがくいんのすずめはもうぎゅうをさえずる)
ふだん見慣れたり聞き慣れたりしていることは、習わなくても自然に身に付くというたとえ。 「勧学院」は、平安時代に藤原氏の子弟を教育した学校。 「蒙求」は、中国唐の時代に書かれた歴史教訓書。 勧学院の雀は、学生が蒙求を読むのを聞き覚えて、それをさえずるようになったということから。
竿の先の鈴(さおのさきのすず)
よくしゃべることのたとえ。鈴を竿の先につけると、揺れてうるさく鳴ることから。
笹の葉に鈴(ささのはにすず)
よくおしゃべりする人のこと。笹の葉に鈴をつけると、風に吹かれて鈴が鳴り続けることから。
心頭滅却すれば火もまた涼し(しんとうめっきゃくすればひもまたすずし)
どんな困難でも、精神の持ち方次第で乗り越えられるということ。 「心頭」は、心の中。 心の中から雑念を消し去り、無念無想の境地に至れば、火さえも涼しく感じられるとの意から。 武田信玄に仕えた禅僧快川が、甲斐の恵林寺で織田信長の軍勢に攻められたとき、火中に正座して言ったとされる言葉。
涼しい顔(すずしいかお)
自分が関係しているのに、まるで他人事のように知らん顔をしている様子。
雀、海に入って蛤となる(すずめ、うみにいってはまぐりとなる)
思いがけない変化があることのたとえ。晩秋の海辺で騒ぐ雀が蛤になるという中国の古い俗信から。
雀の千声鶴の一声(すずめのせんこえつるのひとこえ)
つまらない者がいろいろ言うよりも、すぐれた者の一声のほうが勝っているというたとえ。「鶴の一声」だけでも使われる。
雀の涙(すずめのなみだ)
ごく僅かなもののたとえ。雀が流す少量の涙の意で、多くは金銭について言われる。
雀の糠喜び(すずめのぬかよろこび)
喜んだ後に当てがはずれることのたとえ。 雀が籾(もみ)を見つけて喜んだ後、米は無く糠のみだと分かりがっかりすることから。
雀百まで踊り忘れず(すずめひゃくまでおどりわすれず)
小さい頃に身についた習慣は、年をとっても改まりにくいというたとえ。 雀は死ぬまで、踊るように飛び跳ねるて歩くとの意から。
鈴を転がすよう(すずをころがすよう)
高く澄んだ美しい声の形容。 多く女性の声について用いる。
鈴を張ったよう(すずをはったよう)
大きく美しい女性の目を言い表す言葉。
鷹の前の雀(たかのまえのすずめ)
鷹の前にいる雀のように、身がすくんでどうすることもできないことのたとえ。
竹に雀(たけにすずめ)
取り合わせのよい一対のもののたとえ。竹にとまった雀が図柄として取り合わせのよい画であるところから。
闘う雀、人を恐れず(たたかうすずめ、ひとをおそれず)
何かに無我夢中になっている者は、思いがけない力を発揮するというたとえ。 雀のような弱い鳥でも戦っている時は、人間が近づいても逃げようとしないとの意から。 「闘雀人を恐れず」ともいう。
誰が猫に鈴をつけるというのか(だれがねこにすずをつけるというのか)
いろいろ議論しても、いざ実行となると誰が実行するのか非常に難しいことのたとえ。鼠たちが集まり、猫の首に鈴をつけて、その音で身を守ろうと考えたが、実行する鼠はいなかったというイソップ寓話から。
猫の首に鈴をつける(ねこのくびにすずをつける)
名案であっても、実行するのが困難であることのたとえ。 ネズミたちが集まって協議し、猫が近づいたことを察知できるように、猫の首に鈴をつけることを考えたが、実行段階になると引き受けるネズミは誰もいなかったというイソップ寓話(ぐうわ)から。 「猫の首に鈴」ともいう。
耳を掩いて鈴を盗む(みみをおおいてすずをぬすむ)
良心に背くことをしながら、あえて何も考えないようにすること。また、うまく悪事を隠したつもりでも、実際はすっかり知れ渡っていること。 ある男が鐘を盗もうとしたとき、その鐘が大きいため割って運ぼうと槌(つち)で叩いたところ、周囲に大きな音が鳴り響いた。 その音が人に聞かれるのではないかと恐れた男は、愚かにも自分の耳をふさいだという故事から。 「耳を掩うて鈴を盗む」ともいう。
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