朝礼・スピーチで使えることわざ — 61 件
朝礼の当番が回ってきた、会議の口火を切りたい、乾杯の前に一言添えたい。そんなときに使える言葉を集めました。続けること、備えること、仕上げること、力を合わせること。その場の全員に向けて話せるものだけを選んでいます。
ことわざ一覧
初心忘るべからず(しょしんわするべからず)
ものごとを始めた時の謙虚で真剣な気持ちを忘れてはならないということ。
継続は力なり(けいぞくはちからなり)
小さなことでも続けていけば、いつか大きなことが成し遂げられるということ。
千里の道も一歩から(せんりのみちもいっぽから)
大きな目標・目的を達成するためには、身近なことからこつこつと努力を積み重ねていくことが大切であるということ。 千里の道のりも踏み出した一歩から始まるとの意から。 「千里の行も足下より始まる」ともいう。
塵も積もれば山となる(ちりもつもればやまとなる)
一粒ずつでは数にも入らないものが、こぼさず貯めていけば見上げる高さになる。 日々の小さな積み立てや、逆に小さな浪費についても言う。
石の上にも三年(いしのうえにもさんねん)
辛抱すればいつか必ず成功することのたとえ。 冷たい石の上でも、三年座り続ければ暖まるとの意から。
雨垂れ石を穿つ(あまだれいしをうがつ)
小さな努力も根気強く続けていけば、いつかは成功することのたとえ。 わずかな雨垂れでも長い年月、同じ所に落ち続ければ、石に穴をあけることができるとの意から。 「点滴石を穿つ」ともいう。
ローマは一日にしてならず(ろーまはいちにちにしてならず)
仕上がった姿だけを見て同じものを一息に建てようとしても、土台のほうが追いつかない。大きなものほど、目に見えない年数を下に抱えている。 もとは英語の Rome was not built in a day.
為せば成る(なせばなる)
手を動かしさえすれば形になる。 実らないのは、そもそも手をつけていないからだ、と背中を押す言い方。 上杉鷹山が家臣に与えた「為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」の歌に拠るとされ、武田信玄の詠が下敷きになっているともいわれる。
精神一到、何事か成らざらん(せいしんいっとう、なにごとかならざらん)
精神を集中して取り組めば、どんな難しいことでもできないことはないということ。
天は自ら助くる者を助く(てんはみずからたすくるものをたすく)
天は、人に頼らず自ら努力する者に力を貸し、幸福を与えるということ。 「神は自ら助くる者を助く」ともいう。
言うは易く行うは難し(いうはやすくおこなうはかたし)
口で唱えるだけならいくらでもできるが、そのとおりに身を動かすとなると容易ではない。 立派なことを言う者が必ずしも徳のある者とは限らないのはそのためだ、と説かれた言葉。
好きこそ物の上手なれ(すきこそもののじょうずなれ)
好きであることは、上手になるための大切な条件であるということ。
芸は身を助ける(げいはみをたすける)
遊び半分で覚えた腕が、食い詰めたときの糧になる。 道楽で済んでいたはずのものが、当人を養う側へ回ることもある。 「芸は身を助く」ともいう。
一芸は道に通ずる(いちげいはみちにつうずる)
一芸を極めた人は、他のどんな分野においても人にぬきんでることができるということ。
玉磨かざれば光なし(たまみがかざればひかりなし)
生まれ持ったものは、そのままでは表に出ない。年月をかけて己を練り上げたぶんだけ、人の目に留まるようになる。 「玉磨かざれば器を成さず」「玉琢かざれば器を成さず」ともいう。
学問に王道なし(がくもんにおうどうなし)
学びの道には、身分に応じて用意された抜け道が無い。 幾何学を手短に教えよと迫った王に、数学者が「幾何学に王道なし」と返した逸話から出た言葉。 「学問に近道なし」ともいう。
備えあれば憂いなし(そなえあればうれいなし)
普段から非常時の準備をしておけば、緊急の事態が起こっても心配する必要がないということ。
転ばぬ先の杖(ころばぬさきのつえ)
失敗しないように、前もって準備しておくことのたとえ。 転ぶ前に、あらかじめ杖を用意しておくべきとの意から。
治に居て乱を忘れず(ちにいてらんをわすれず)
世の中が平穏で安泰なときにも油断せず、いつ訪れるかしれない危難に備えておくべきだということ。安らかな状況にあってこそ、かえって危うい事態を心に留めておくべきだとする戒め。 「安きに危うきを忘れず」ともいう。
跳ぶ前に見よ(とぶまえにみよ)
行動を起こす前に、よく考えてしっかり準備せよということ。
先んずれば人を制す(さきんずればひとをせいす)
人より先に事を行えば、有利な立場に立ち相手を制することができるということ。
好機逸すべからず(こうきいっすべからず)
絶好の機会は逃してはならないということ。
陽の照っているうちに干し草を作れ(ひのてっているうちにほしくさをつくれ)
好機は逃さずに役に立てよということ。 「太陽の照っているうちに干し草を作れ」ともいう。
思い立ったが吉日(おもいたったがきちじつ)
何かをしようと思ったら、その日が吉日としてすぐに始めるのがよいということ。「吉日」は暦で縁起がいい日。
今日できることを明日まで延ばすな(きょうできることをあすまでのばすな)
やればすぐできることを、明日やろうと一日延ばしにしないで思いついたらすぐにやれという戒めの言葉。
一日の計は朝にあり一年の計は元旦にあり(いちにちのけいはあさにありいちねんのけいはがんたんにあり)
一日の計画は朝のうちに立て、一年の計画は元旦に立てよということ。
獅子は兎を撃つに全力を用う(ししはうさぎをうつにぜんりょくをもちう)
実力のあるものは、小さなことにも手を抜かず何事にも全力で向かうということ。
仕上げが肝心(しあげがかんじん)
どれほど手を尽くしてきても、出来ばえを決めるのは終わりぎわの一手だということ。 「仕上げ」はもともと、普請や縫い物で最後に形を整える工程をいう。そこを粗末にすれば、それまでの手間がまるごと台無しになる。
終わりよければすべてよし(おわりよければすべてよし)
物事は結果さえよければ、動機や途中経過など問題にならないということ。
有終の美を飾る(ゆうしゅうのびをかざる)
最後までやりぬいて立派な成果をあげること。「有終」は終わりをまっとうするという意。
百里を行く者は九十里を半ばとす(ひゃくりをいくものはくじゅうりをなかばとす)
何事も終わり近くになると困難が多くなるので、最後まで気を抜いてはいけないということ。 百里の道を行く者は、九十里来たところが半分だと思えとの意から。
急いては事を仕損じる(せいてはことをしそんじる)
先を焦って手を早めるほどしくじりを招き、かえって時をよけいに食うということ。 ひと息ついてから取りかかるほうが、結局は早く着く。
三人寄れば文殊の知恵(さんにんよればもんじゅのちえ)
たとえ凡人でも三人集まって相談すれば、すばらしい知恵がでるというたとえ。「文殊」は、知恵をつかさどる菩薩の名前。
一筋の矢は折るべし十筋の矢は折り難し(ひとすじのやはおるべしとすじのやはおりがたし)
一人の力は弱くても、大勢が力を合わせれば強大な力を発揮できるということ。 一本の矢は簡単に折ることができるが、十本では折るのは難しいとの意から。
船頭多くして、船、山へ登る(せんどうおおくして、ふね、やまへのぼる)
上に立つ者が並ぶと、進む先はかえって定まらない。 号令の数だけ、話は本筋から外れていく。 「船頭」は船をあやつる責任者のこと。
犬も朋輩、鷹も朋輩(いぬもほうばい、たかもほうばい)
役目や地位が違っても、同じ職場で働けばみな同僚であることには変わりないので、仲良くすべきであるということ。 鷹狩りにおいて、犬と鷹は役目が違うが、同じ主人に仕える仲間であるとの意から。
隗より始めよ(かいよりはじめよ)
大きな事業を行う時には、まず手近なところから始めよということ。また事を始めるときには、まず言い出した者から実行すべきであるということ。 中国の戦国時代、燕の昭王から賢者の集め方を問われた郭隗が「まず凡人の私を優遇してみて下さい。そうすれば私よりすぐれた人物が自然と集まってくるでしょう」と答えたという故事から。 「先ず隗より始めよ」ともいう。
寝ていて人を起こすな(ねていてひとをおこすな)
人を働かせようと思うなら、まず自分が率先して模範を示せということ。 横着して自分は寝たままで人を起こすようなことはするなとの意から。
勇将の下に弱卒なし(ゆうしょうのもとにじゃくそつなし)
率いる者に力があれば、その組の隅々まで気が張り、腰の引けた者が出ない。 また、力量のある者のもとへは、名を聞いた人が自ら望んで加わる。
地位は人を作る(ちいはひとをつくる)
それなりの地位に就くと、その地位にふさわしい人間に成長していくということ。
失敗は成功のもと(しっぱいはせいこうのもと)
失敗は、その原因を反省し改めていくことによって、成功につながるということ。 「もと」は「基」「因」とも書く。 「失敗は成功の母」ともいう。
過ちては改むるに憚ること勿れ(あやまちてはあらたむるにはばかることなかれ)
過ちを犯したことに気がついたら、体面や体裁などにとらわれず、すぐに改めるべきだという戒め。
前車の覆るは後車の戒め(ぜんしゃのくつがえるはこうしゃのいましめ)
先人の失敗は後人の戒めになるというたとえ。 前の車が覆るのを見て、後の車は戒めにするとの意から。 単に「後車の戒め」ともいう。
勝って兜の緒を締めよ(かってかぶとのおをしめよ)
戦いに勝っても油断しないで心を引き締めよという戒めの言葉。 戦いに勝って兜を脱いだ時に、敵に襲われたらひとたまりもないので、勝っても兜の緒を締めなおして気を抜くなとの意から。
蟻の穴から堤も崩れる(ありのあなからつつみもくずれる)
見て見ぬふりをした小さな綻びが、後で手の付けられない事態を呼ぶ。 始まりは、指の先ほどの穴でしかない。
浅い川も深く渡れ(あさいかわもふかくわたれ)
物事を行う時は、注意を怠らず決して油断してはいけないということ。 浅い川を渡る時も、深い川を渡る時と同じように注意して渡るべきという戒め。 「浅き川も深く渡れ」ともいう。
天災は忘れた頃にやってくる(てんさいはわすれたころにやってくる)
怖さの記憶が薄れたころに、次のひとつがやってくる。 備えを解く時期と、災いの巡ってくる時期は重なりやすい。 物理学者の寺田寅彦に帰せられる言葉。 「災害は忘れた頃にやってくる」ともいう。
後悔は知恵の緒(こうかいはちえのいとぐち)
後悔することによって、次から事に備えることができる。後悔は気付きのきっかけであるということ。
故きを温ねて新しきを知る(ふるきをたずねてあたらしきをしる)
昔のことを研究し、そこから新しい知識や道理を発見すること。 「温故知新(おんこちしん)」ともいう。
馬には乗ってみよ人には添うてみよ(うまにはのってみよひとにはそうてみよ)
何事も経験してみなければわからないということ。 いい馬かどうかはその馬に乗ってみないとわからないし、人間の善し悪しも付き合ってみなければわからないことから。 「人には添うてみよ馬には乗ってみよ」ともいう。
餅は餅屋(もちはもちや)
日々それを担ってきた者の手際には、よその者はどうしても届かない。生半可に自分で片づけようとせず、はじめからそちらへ回すのが結局は近道になる。
亀の甲より年の劫(かめのこうよりとしのこう)
長く生きた者が身につけた経験と分別は、若い者の思いつきでは届かない。年上の言うことには耳を貸せということ。 「劫」はきわめて長い時間をいう仏教の語で、「功」とも書く。亀の甲羅の「こう」と音を合わせて語呂よく言ったもの。
後生、畏るべし(こうせい、おそるべし)
若い人はいろいろな可能性を持っていて、将来どんな力量を現すかわからないので恐れなければならないということ。「後生」は、あとから生まれる人、後輩の意。
負うた子に教えられて浅瀬を渡る(おうたこにおしえられてあさせをわたる)
人は時には自分より経験の浅い年下の者から物事を教わることもあるというたとえ。背中に負ぶった子に浅瀬を教えられて川を無事に渡るとの意から。
上手は下手の手本、下手は上手の手本(じょうずはへたのてほん、へたはじょうずのてほん)
下手な人が上手な人のやり方を手本にするのは当たり前だが、上手な人も下手な人のやり方が参考になることもあるというたとえ。
弘法筆を択ばず(こうぼうふでをえらばず)
名人・達人と呼ばれる人は、どんな道具を使っても良い成果をあげるというたとえ。書の名人の弘法大師は、筆のよしあしを選ばず常にりっぱな字を書いたことから。
二兎を追う者は一兎をも得ず(にとをおうものはいっとをもえず)
一度に二つのものを手に入れようと欲張ると、結局どちらも手に入れられなくなることのたとえ。 一度に二匹のうさぎを捕えようとすると、結局一匹も捕らえられないことから。
打たねば鳴らぬ(うたねばならぬ)
何もしなければ何も生まれない。何事も行動しなければ成果はでないということ。
物は試し(ものはためし)
なにごとも実際にやってみなければ成否はわからないので、最初から諦めずに一度はやってみるべきだということ。
小異を捨てて大同につく(しょういをすててだいどうにつく)
こまかな隔たりには目をつむって、大枠でまとまれるほうへ身を寄せる。 銘々のこだわりを少しずつ引っ込め、一つの塊になることを選ぶ。
大疑は大悟の基(たいぎはたいごのもとい)
深く行き詰まるところまで突き詰めた者ほど、抜けたときの見晴らしも大きいということ。 禅で「大疑の下に大悟あり」といい、迷いを恐れず疑い抜くことが、そのまま悟りへの道になるとする。
