「世の儚さ」に関連する故事・ことわざ・慣用句 — 65 件
「世の儚さ」に関連する故事・ことわざ・慣用句を一覧で紹介します。各語を選択すると意味・読み方などの詳細を確認できます。全65件を五十音順に掲載しています。
ことわざ一覧(五十音順)
逢うは別れの始め(あうはわかれのはじめ)
人と人が出会えばいつか必ず別れが訪れる。出会いは別れの始まりでもあるということ。 「逢う」は「会う」とも書く。
青柿が熟柿弔う(あおがきがじゅくしとむらう)
人間はいつか必ず死ぬのだから、弔う者も弔われる者も大差ないというたとえ。まだ青い柿が、熟して地面に落ちた柿を弔うが、青柿もやがては熟柿になることから。
明けた日は暮れる(あけたひはくれる)
朝が明ければ必ず暮れが来るように、よい時もいつまでもは続かないというたとえ。 盛りの次には衰えが来るものだという戒め。
朝顔の花一時(あさがおのはなひととき)
物事の盛りが短く、はかないことのたとえ。朝咲いた朝顔の花が昼を待たずにしぼんでしまうことから。
朝に紅顔ありて夕べに白骨となる(あしたにこうがんありてゆうべにはっこつとなる)
無常のこの世では、人の生死は予測できないということ。 朝血色のよい顔をしていた人が、夕方には死んで白骨となるという意味から。
明日ありと思う心の仇桜(あすありとおもうこころのあだざくら)
今できることを明日に延ばしていると、その機会は二度と来ないかもしれないということ。思い立ったらすぐ行えという戒め。 また、人の命がいつまで続くか分からないことのたとえ。 咲きそろった桜も、その夜のうちに嵐が来れば残らないとの意から。 歌は「夜半に嵐の吹かぬものかは」と続く。親鸞が詠んだものと伝える。
飛鳥川の淵瀬(あすかがわのふちせ)
世の中は激しく移り変わり、定まりがたいことのたとえ。 奈良県を流れている飛鳥川は、氾濫しやすく淵と瀬が絶えず移り変わるとの意から。 「世の中は何か常なる飛鳥川昨日の淵ぞ今日は瀬になる」という歌から。
明日知らぬ世(あすしらぬよ)
今日は無事に過ごせたとしても、明日のことはわからない。永久不変のものなど無いという、この世の無常をいうことば。 「明日知らぬ身」ともいう。
あだし野の露、鳥辺野の煙(あだしののつゆ、とりべののけむり)
人生の無常、はかなさのたとえ。 「あだし野」は、京都の嵯峨野にあった墓地。 「鳥辺野」は、京都の東山にあった火葬場。 人生を、はかなく消える墓地の露と火葬場の煙にたとえた言葉。 「あだし野」は「仇野」「徒野」、「鳥辺野」は「鳥部野」とも書く。 「鳥辺野」は「鳥部山」ともいう。
合わせ物は離れ物(あわせものははなれもの)
継ぎ合わせて一つにしたものは、いつか継ぎ目からほどける。縁あって一緒になった仲も、そのまま続くとは限らない。
生き身は死に身(いきみはしにみ)
この世に生きているものは、いつかは必ず死ぬものであるということ。
一場の春夢(いちじょうのしゅんむ)
人生の栄光や繁栄は、きわめて儚いということ。 「一場」は、ほんの短い間。 春の夜にみる夢のように、すぐに消えてしまうということから。
命は風前の灯の如し(いのちはふうぜんのともしびのごとし)
人の命はもろく、ふとしたことで尽きてしまう。 吹きさらしに置かれた灯が、ひと息であっけなく立ち消えるのに重ねた言い方。
有為転変は世の習い(ういてんぺんはよのならい)
形あるものはひとところにとどまらず、移ろい続ける。それを嘆いてもはじまらず、世とはそういうものだということ。 「有為転変」は仏教語で、さまざまの条件が寄り合って生じたものは、その条件が移れば必ず姿を変えていくことをいう。
浮世は夢(うきよはゆめ)
この世はまるで夢のようにはかなく短いものであるということ。
栄華の夢(えいがのゆめ)
人の繁栄は一時的なもので、長い期間続くことはないということ。 人の栄華は夢のように儚いもので、すぐに終わるということ。
往事渺茫としてすべて夢に似たり(おうじびょうぼうとしてすべてゆめににたり)
昔の出来事はいまとなっては霞のかなたに遠のいて、あれもこれも夢の中のことのように思われるということ。 「往時」は過ぎ去った昔で、原詩では「往事」と書く。「渺茫」は遠く広がってはっきりしないさま。
風の前の塵(かぜのまえのちり)
物事のはかないことのたとえ。また、危険が間近に迫っていることのたとえ。塵は風にひとたまりもなく吹き飛ばされてしまうことから。
邯鄲の夢(かんたんのゆめ)
人生の栄枯盛衰のはかなさのたとえ。 昔、中国の邯鄲(かんたん)で盧生という青年が、道士から枕を借りて眠った。夢の中で、出世して財力や権力を手に入れるという長い人生の経験をしたが、目覚めてみると炊きかけの粥がまだ煮えきらない短い時間であったという故事から。 「邯鄲の枕」「一炊の夢」「盧生の夢」「黄粱の夢」「黄粱の一炊」「黄粱一炊の夢」など多くの呼び方がある。
歓楽極まりて哀情多し(かんらくきわまりてあいじょうおおし)
喜びや楽しみが極まると、あとは悲しみの情が生じるということ。
昨日の淵は今日の瀬(きのうのふちはきょうのせ)
世の中の移り変わりが激しいこと、絶え間なく変化していくことのたとえ。 昨日まで深い淵だった所が、今日は浅い瀬になってしまうことから。
今日あって明日ない身(きょうあってあすないみ)
人の命のはかないことや、人生の無常なことのたとえ。 また、死期が迫っていることのたとえ。
器量は当座の花(きりょうはとうざのはな)
器量がいいなどというのは、人生の中のほんの一時のものに過ぎないということ。
槿花一日の栄(きんかいちじつのえい)
栄華が長続きしないことのたとえ。 「槿花」は、むくげの花。 朝に咲いて夕方にはしぼんでしまうむくげの花のように、はかない栄華との意から。 「槿花一朝の夢」ともいう。
国破れて山河在り(くにやぶれてさんがあり)
戦乱で国が滅びても、自然の山や川はもとのままの姿で存在しているということ。
芸術は長く、人生は短し(げいじゅつはながく、じんせいはみじかし)
人の一生は短いが、すぐれた芸術作品は作者の死後も後世に残るということ。古代ギリシャの医師ヒポクラテスの言葉「医術をきわめるには長い年月がかかるが、人の一生は短い」から転じたもの。
胡蝶の夢(こちょうのゆめ)
夢と現実の世界との区別がつかなくなるたとえ。また、人生が夢のようにはかないことのたとえ。 「胡蝶」は蝶の美称。 昔、荘子が蝶になった夢を見たが、目が覚めるともとのままの自分で、自分が夢の中で蝶になったのか、それとも夢の中の蝶が自分になったのか、わからなくなったという故事から。
去る者は日日に疎し(さるものはひびにうとし)
死んだ人は、月日が経つとだんだんと忘れられていく。また、親しくしていた人も、遠く離れてしまうとしだいに疎遠になるということ。
財は一代の宝(ざいはいちだいのたから)
財産はその人一代限りのものであり、その後はどうなるかわからないということ。
財宝は地獄の家苞(ざいほうはじごくのいえづと)
質素に暮らして蓄財だけしても空しいということ。 蓄財しても地獄への土産になるだけという意味から。 「家苞」は持ち帰る手土産のこと。
色即是空、空即是色(しきそくぜくう、くうそくぜしき)
この世の形あるすべてのものは、空しい仮の存在であり永遠に存在するものはないということ。同時に、すべてのものの本質は実体のない空なものであるが、それがこの世を形作っているということ。「色」は形あるすべてのもの、「即」はそのままの意。
生者必滅、会者定離(しょうじゃひつめつ、えしゃじょうり)
命ある者はいつか必ず死に、出会った者はいずれ別れるのがこの世の定めであるということ。
人生、朝露の如し(じんせい、ちょうろのごとし)
人生は朝日が射せばたちまち消えてしまう露のようにはかないものだということ。
末の露、本の雫(すえのつゆ、もとのしずく)
人間の命には多少の長い短いの差はあるが、いつかは必ず死が訪れるということ。 人の命のはかなさをいう言葉。 葉末の露も、根元から落ちる雫も、早い遅いはあっても、やがてどちらも消えてしまうとの意から。
生ある者は必ず死あり(せいあるものはかならずしあり)
息をするものはみな、いつかその終わりの日を迎える。 逃れる道のない定めとして、命の限りを言い切った言葉。
生は寄なり死は帰なり(せいはきなりしはきなり)
人は仮にこの世に身を寄せて生きているのであり、死ねば本来いた所に帰るということ。
生は死の始め(せいはしのはじめ)
この世に生まれる時は、死に向かう道のりの始まりでもあるということ。
滄海の一粟(そうかいのいちぞく)
広大なものの中のきわめて小さいもののたとえ。 また、宇宙における人間の存在のはかなさのたとえ。 「滄海」は青い大海、「一粟」は一粒の粟のこと。 大海に浮かぶ一粒の粟という意味。
滄海変じて桑田となる(そうかいへんじてそうでんとなる)
世の中の移り変わりが激しいことのたとえ。 「滄海」は大海のこと。 「桑田」は桑畑のこと。 桑畑だった所が大海になるような変化が起こるとの意から。 「桑田変じて滄海となる」「滄桑の変」ともいう。
楽しみ尽きて悲しみ来る(たのしみつきてかなしみきたる)
浮かれていられる時間は、使い果たせばそこで終わる。 灯の落ちた宴のあとには、来た時よりも沈んだ心が待っている。
池塘春草の夢(ちとうしゅんそうのゆめ)
池をめぐる土手の若草に身を横たえて見た、うたた寝の夢。年若いころの楽しかった日々が、まばたきのうちに跡形もなく去ってしまうことのたとえ。
月満つれば則ち虧く(つきみつればすなわちかく)
何事も頂点に達したあとは、必ず衰え始めるというたとえ。 月は満月のあと徐々に欠けていくことから。 「満つれば虧く」ともいう。
露の命(つゆのいのち)
草の葉に置いた露は、風にひと揺すりされただけでこぼれ落ちる。 そのように、いつ絶えてもふしぎのない、あすをあてにできない命のこと。
天地は万物の逆旅(てんちはばんぶつのげきりょ)
この世のすべてのものは、うつろいやすくはかないということのたとえ。 「逆旅」は宿屋のことで、天地はあらゆる生物が生まれてから死ぬまでのわずかな間に泊まる宿屋に過ぎないとの意から。
出る息、入る息を待たず(でるいき、いるいきをまたず)
人の命ははかなく、いつどうなるかわからないということ。 吸った息を吐き出すくらいの一瞬の間にも、人の命はどう変わるかわからないとの意から。
時移り事去る(ときうつりことさる)
時が過ぎゆくうちに、かつて時めいたものも、もとの姿をとどめなくなること。
長い浮き世に短い命(ながいうきよにみじかいいのち)
この世が長く続いているのに比べて、人の命ははかなく短いということ。 「長い月日に短い命」ともいう。
南柯の夢(なんかのゆめ)
目を覚ましてみれば、位も屋敷も、木の根の下に空いた蟻の穴ひとつぶんの出来事だった。 掴んだはずのものが、まるごと絵空事に変わってしまう場合に引く。 唐の淳于棼が槐の木陰でまどろんだ折の逸話から出ており、眠りのうちに見るもの一般をさすこともある。
二鼠藤を嚙む(にそふじをかむ)
この世に生きる人間には刻々と死期が近づいていることのたとえ。 「二鼠」は日月(昼夜)の意。 「藤」は生命の意。 「嚙」は「噛」とも書く。
人間僅か五十年(にんげんわずかごじゅうねん)
先へ回せると思ううちに、持ち時間のほうが先に尽きる。 人に使える年月は、当人が見込むほど長くない。 幸若舞の一節が広く口にされて定着した言い方。 「人生僅か五十年」「人間五十年」ともいう。
年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず(ねんねんさいさいはなあいにたり、さいさいねんねんひとおなじからず)
花は年ごとに変わることなく咲くが、人の境遇は年ごとに変化していく。 自然が変わらないのに対して、人の世ははかなく移りやすいことのたとえ。
始めあるものは必ず終わりあり(はじめあるものはかならずおわりあり)
動き出したものには、いつか手を離す日が来る。 どこまでも続くものは無いのだから、起こした側は退き際の作法まで引き受けよ、と揚雄は君子の身の処し方に重ねた。
花一時、人一盛り(はないっとき、ひとひとさかり)
花が咲き誇るのもほんの一時であるように、人も盛んな時はごく短い一時期に過ぎないということ。
花七日(はななぬか)
盛りの時期の短いことのたとえ。桜の花の盛りが七日しかない意から。
羊の歩み(ひつじのあゆみ)
一足ごとに終わりへ近づいていく足取り。転じて、押しとどめようもなく過ぎ去る歳月。屠所へ送られる羊の歩みに人の一生を映した仏典の言葉。
人一盛り(ひとひとさかり)
人の盛んな時は、ほんの一時にすぎないということ。
美味も喉三寸(びみものどさんずん)
どんなにおいしいものでも、おいしいと感じるのは喉までの三寸ほどを通る間のことで、腹に入ってしまえばまずいものと変わらないということ。また、どんなにうれしい事もほんのひとときにすぎないというたとえ。
富貴は浮雲の如し(ふうきはふうんのごとし)
財産や高い地位は、空を流れる雲のようにたよりないもので、いつまでも身に添うとは限らない。また、そうしたものに心を引かれないさまにもいう。
浮生夢の如し(ふせいゆめのごとし)
生きて過ごす年月は、過ぎてしまえば手のうちに何も残らない。 確かに掴んだつもりのものが、振り返れば影のように薄いという嘆き。
蜉蝣の一期(ふゆうのいちご)
人の一生がはかないことのたとえ。「蜉蝣」はカゲロウのことで、朝生まれて夕べには死ぬということから。
無常の風は時を選ばず(むじょうのかぜはときをえらばず)
風が咲いている花を散らすのに時を選ばないように、人の命もいつ果てるのか、まったく予測はつかないということ。
物盛んなれば即ち衰う(ものさかんなればすなわちおとろう)
何事も盛りに達したら必ず衰え始める。いつまでも盛んな時は続かないということ。
夢の浮橋(ゆめのうきはし)
見ている夢そのもの。 また、この世は踏めば揺れる足場のようで、渡っていく先が心もとない。
夢のまた夢(ゆめのまたゆめ)
非常にはかないこと。また、到底実現しそうにないこと。 夢の中でみる夢のことから。 「夢の夢」ともいう。
夢の世(ゆめのよ)
夢のようにもろくあっけない世の中。
