「果」を含む故事・ことわざ・慣用句
「果」を含む故事・ことわざ・慣用句の一覧です。五十音順に表示しています。
愛想も小想も尽き果てる(あいそもこそもつきはてる)
愛情や好意がすっかりなくなり、いやになってしまうこと。
挙げ句の果て(あげくのはて)
物事が終わった最後の結果。「挙げ句」は連歌・俳諧の最後の句のこと。転じて、ものごとの終わりの意。
挙句の果て(あげくのはて)
物事が終わった最後の結果。「挙げ句」は連歌・俳諧の最後の句のこと。転じて、ものごとの終わりの意。
朝の果物は金(あさのくだものはきん)
朝食べる果物は、胃腸の働きをよくし、体の目覚めを促すため、健康によいということ。
争い果てての棒乳切り(あらそいはててのぼうちぎり)
時機に遅れて何の役にも立たないことのたとえ。 「棒乳切り」は棒の切れ端のこと。 喧嘩が終わってから、棒切れを持ち出しても役に立たないことから。 「争い果てて」は「諍い果てて」や「喧嘩過ぎて」、「棒乳切り」は「乳切り木(千切り木)」などともいう。
諍い果てての乳切り木(いさかいはててのちぎりぎ)
時機に遅れて何の役にも立たないことのたとえ。 「棒乳切り」は棒の切れ端のこと。 喧嘩が終わってから、棒切れを持ち出しても役に立たないことから。 「争い果てて」は「諍い果てて」や「喧嘩過ぎて」、「棒乳切り」は「乳切り木(千切り木)」などともいう。
諍い果てての千切り木(いさかいはててのちぎりぎ)
時機に遅れて何の役にも立たないことのたとえ。 「棒乳切り」は棒の切れ端のこと。 喧嘩が終わってから、棒切れを持ち出しても役に立たないことから。 「争い果てて」は「諍い果てて」や「喧嘩過ぎて」、「棒乳切り」は「乳切り木(千切り木)」などともいう。
因果の小車(いんがのおぐるま)
悪行に対しては悪い報いがすぐにめぐってくるということ。 小さな車輪がくるくる回転するように、悪い行いは悪い結果となってすぐに回ってくるとの意から。
因果を含める(いんがをふくめる)
事情を説明して諦めさせること。
起きて働く果報者(おきてはたらくかほうもの)
健康で働けることは、何よりも幸せだということ。「果報者」は幸運な人の意。
親の因果が子に報う(おやのいんががこにむくう)
親の悪行の結果、罪のない子どもが災いを受けること。
果報は寝て待て(かほうはねてまて)
幸運は自然にやってくるものだから、焦らず気長に待つほうがよいということ。「果報」は、前世での行いの結果として現世で受ける報いのことで、本来は善悪どちらをも意味したが、しだいに幸運の意になった。
川立ちは川で果てる(かわだちはかわではてる)
人は得意なことほど油断して、かえって身を滅ぼすことがあるというたとえ。「川立ち」は、川のほとりで生まれ育った泳ぎ上手な人のこと。
木登りは木で果てる(きのぼりはきではてる)
人は得意なことほど油断して、かえって身を滅ぼすことがあるというたとえ。 木登りが上手な者は、結局は木登りで死んでしまうとの意から。
寒さの果ても涅槃まで(さむさのはてもねはんまで)
冬の寒さも涅槃会が来ると終わるということ。「涅槃」は、陰暦二月十五日の釈迦入滅の日に行う法会、涅槃会のこと。
頼みの綱も切れ果てる(たのみのつなもきれはてる)
頼みにしていた最後の手段もだめになり、万策が尽きるということ。「頼みの綱」は、頼りにしてすがる人や物の意。
成れの果て(なれのはて)
かつては勢いの盛んだった者が、落ちぶれてみじめな姿や状態になること。
話は下で果てる(はなしはしもではてる)
雑談は、話をしているうちにだんだんと下品になっていき、最後は性に関する話になっておしまいになるということ。
振られて帰る果報者(ふられてかえるかほうもの)
箆増しは果報持ち(へらましはかほうもち)
年上の女性を妻にすると幸せになるということ。「箆増し」は年上の女房、「果報持ち」は幸運・幸せの意。
惚れたが因果(ほれたがいんが)
惚れてしまった以上、苦労するのもやむを得ないということ。
身に過ぎた果報は災いの基(みにすぎたかほうはわざわいのもと)
分不相応の幸福は、かえって不幸を招くもとになるから、分相応な幸せがよいということ。「果報」は幸運の意。
見果てぬ夢(みはてぬゆめ)
見目は果報の基(みめはかほうのもとい)
顔かたちが美しいということは、幸運をもたらす元だということ。「見目」は容貌、「果報」は幸運の意。
山師山で果てる(やましやまではてる)
得意な技を持つ人は、その技のために身の破滅を招きやすいということのたとえ。山に慣れた山師は、つい油断して山で命を落とすことが多いということから。