「信」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 16 件
「信」を含む漢字が使われている故事・ことわざ・慣用句を一覧で紹介します。各語を選択すると意味・読み方などの詳細を確認できます。
故事・ことわざ・慣用句一覧
赤信号が付く(あかしんごうがつく)
事態が差し迫り、緊急に対策を立てる必要がある状態になる。
移木の信(いぼくのしん)
約束を確実に実行すること。中国秦の商鞅は法令を徹底させるために、都の南門に立てた木を北門に移した者に懸賞金を与えると布告し、その約束を守り人民を欺かないと実証したという故事から。
鰯の頭も信心から(いわしのあたまもしんじんから)
どんなつまらないものでも、信じる心があれば尊く思われるということ。節分の夜、鰯の頭をひいらぎの枝に刺して門口に置くと鬼気を追い払うといわれてきたことから。
隠れての信は顕われての徳(かくれてのしんはあらわれてのとく)
心中に秘めている誠実さは、いつか自然に外にあらわれて自分自身の利得になるということ。 心中に神仏への信仰心があれば、必ずご利益があるとの意から。 「隠れたる信あらば顕われたる利生」「隠れたる信あらば顕われたる験」ともいう。
韓信の股くぐり(かんしんのまたくぐり)
大望を持つ者は、どんな屈辱にも耐え忍ばなければならないということ。中国漢の韓信という名将が大志を抱いていた若い頃、町でならず者に喧嘩を売られ、耐えてその股をくぐったという故事から。
尽く書を信ずれば則ち書無きに如かず(ことごとくしょをしんずればすなわちしょなきにしかず)
紙に載っているというだけで真に受けていては、かえって遠回りになる。どの本にも書き手の偏りがあると見て、疑いながら読み進めたい。 「書」はもともと『書経』を指したが、今は書物一般に広げて使う。
信心過ぎて極楽を通り越す(しんじんすぎてごくらくをとおりこす)
信仰の心もあまりに強くなりすぎると、まともな道を踏み外し、かえって我が身を損なうということ。何事もほどのよさが大切だという戒め。 極楽を願うあまり、その極楽さえ行き過ぎてしまうという言い方。
信心は徳の余り(しんじんはとくのあまり)
神仏を拝む気持ちも、暮らしに余力があってこそ起こるものだということ。日々食うに困っていては、信心どころではない。
信心も欲から(しんじんもよくから)
熱心に手を合わせる裏にも、よい報いにあずかりたいという願いがある。まったくの無心から出た信心はまれだ、という見方。
信は荘厳より起こる(しんはしょうごんよりおこる)
信仰にも見た目や形式が大切であるということ。 または、形式から内容は導き出されるということ。 寺院や神社の美しく飾られた見た目に感動して信仰心は生まれるということから。
信を置く(しんをおく)
信じること。信用すること。
信を問う(しんをとう)
相手に自分のことを信用しているか尋ねること。
寸を詘げて尺を信ぶ(すんをまげてしゃくをのぶ)
目先のわずかな引け目には目をつぶり、あとに来る大きな実入りを取りにいく。 十倍の戻りが見込めるなら手前の小さな縮みは呑んでおく、という割り切りをいう。
尾生の信(びせいのしん)
固く約束を守ることのたとえ。また、生真面目で融通がきかないことのたとえ。 中国の春秋時代、魯の尾生という男が、橋の下で女と会う約束をして待っているうちに大雨で増水したが、そのまま待ち続けて水死したという故事から。
坊主の不信心(ぼうずのふしんじん)
他人には立派なことを言いながら、その人自身は実行が伴わないことのたとえ。 人に信仰を説く坊主が信仰心がないとの意から。
耳を信じて目を疑う(みみをしんじてめをうたがう)
遠くのものを尊重して、近くのものを軽んじることのたとえ。また、昔を重んじて今を軽視することのたとえ。 人づてに聞いた話は鵜呑みにするのに、みずから確かめたことのほうは疑ってかかるとの意から。 「耳を信じて目を疑う」という言い方もある。
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