「れん」を含む故事・ことわざ・慣用句
「れん」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 19 件
河童に水練(かっぱにすいれん)
ある分野に精通している人に対して、その分野のことを教えようとする愚かさのたとえ。 「水練」は、泳ぎの練習のこと。 泳ぎが得意である河童に泳ぎを教えることは見当違いであるとの意から。
杞梓連抱にして数尺の朽有るも良工は棄てず(きしれんぽうにしてすうせきのくちあるもりょうこうはすてず)
杞や梓のような良材に、たとえ数尺の腐りが含まれていても、腕のよい職人は捨てずに用いる。 人材においても、短所があろうとも、その人の長所を見抜き、それを活かして用いることが、人を生かす道であるというたとえ。 「朽」は「きゅう」とも読む。
猿の水練、魚の木登り(さるのすいれん、うおのきのぼり)
見当違いのことをするたとえ。
大廈の倒れんとするは一木の支うる所に非ず(たいかのたおれんとするはいちぼくのささうるところにあらず)
大きな勢力の危機は、一人の力だけではどうすることもできないということ。 「大廈」は、大きな建物のこと。 大きな建物が倒れかけているのを、一本の木だけで支えることはできないとの意から。 「倒れんとする」は「顚れんとする」とも書く。 「一木大廈の崩るるを支うる能わず」「一木いずくんぞ能く大廈を支えん」ともいう。
叩けよ、さらば開かれん(たたけよ、さらばひらかれん)
積極的に努力すれば、必ず成功への道は開けてくるということ。 ただ待っているだけでは神の国の門は開かれないが、ひたすら神に祈り、救いを求めれば門は開かれるだろうという意味。新約聖書に由来する言葉。
畳の上の水練(たたみのうえのすいれん)
理屈や方法を知っているだけで、実際には役に立たないことのたとえ。 「水練」は、水泳の練習。 畳の上で水泳の練習をしても、泳げるようにならないことから。 「畳水練」「畑水練」ともいう。
短気は未練の初め(たんきはみれんのはじめ)
短気を起こすと後悔することになり、未練が生じて苦しむことになるということ。
天にあらば比翼の鳥地にあらば連理の枝(てんにあらばひよくのとりちにあらばれんりのえだ)
男女・夫婦の仲がきわめてむつまじいことのたとえ。 「比翼」は、雌雄それぞれが目と翼を一つずつ持ち、二羽がいつも一体となって飛ぶとされる想像上の鳥。 「連理」は、一本の木の枝が他の木の枝とくっついて木目が連なっていること。 略して「[[比翼連理*https://yoji.jitenon.jp/yojic/1402.html]]」ともいう。
暖簾に腕押し(のれんにうでおし)
手ごたえも張り合いもないことのたとえ。「腕押し」とは腕相撲のことで、暖簾のように力も争う意思もない相手と腕相撲をしても、何の手ごたえもないという意味から。
暖簾に傷がつく(のれんにきずがつく)
店などの信用や評判が落ちること。
暖簾を下ろす(のれんをおろす)
その日の営業活動を終わりにすること。 また、営業をやめること。廃業すること。
暖簾を分ける(のれんをわける)
長い間勤めた店員などに、同じ屋号を使用した新しい店の出店を許可すること。
求めよ、さらば与えられん(もとめよ、さらばあたえられん)
与えられるのを待つのではなく、自ら進んで努力すれば必ずよい結果を得ることが出来るということ。
やはり野に置け蓮華草(やはりのにおけれんげそう)
人にもその人にふさわしい環境があるということのたとえ。蓮華草は野原で自然のままに咲いているからこそ美しいの意。 江戸時代、播磨の瓢水(ひょうすい)という俳人が、遊女を身請けしようとする友人をいさめて詠んだ句「手に取るなやはり野に置け蓮華草」から。
連木で重箱を洗う(れんぎでじゅうばこをあらう)
行き届かないことのたとえ。大雑把なことをするたとえ。 「擂り粉木」は、すり鉢で物をするときに用いる先の丸い棒。 先の丸い棒で四角い重箱を洗おうとしても、隅まで洗えないことから。 「連木で重箱を洗う」ともいう。
連木で腹を切る(れんぎではらをきる)
不可能なことのたとえ。 「連木」はすりこぎ(すり鉢で物をするときに用いる先の丸い棒)のこと。 すりこぎを刀のかわりにしても、腹を切ることはできないことから。
輦轂の下(れんこくのもと)
皇居のある地のこと。「輦轂」は天子の乗り物のことで、天子の乗る車の下の意から。
連山の眉(れんざんのまゆ)
連なる山のように、横に長く引いた美しい眉のこと。
連理の枝(れんりのえだ)
夫婦や男女の仲がきわめてむつまじいことのたとえ。 「理」は木目のこと。 木の枝が別の木とつながって木目が連なっているということから。 詩人、白居易の「天に在りては願わくは比翼の鳥とならん。地に在りては願わくは連理の枝とならん」から。
故事・ことわざ・慣用句一覧
- /
- 1ページ
- 全1件
