「二」から始まる故事・ことわざ・慣用句
「二」から始まる故事・ことわざ・慣用句 — 32 件
二王立ち(におうだち)
仁王像のようにしっかりと立つこと。 「仁王」は、寺院の山門の両脇におかれている金剛力士像。 「仁王」は「二王」とも書く。
二階から目薬(にかいからめぐすり)
思うようにいかず、もどかしいことのたとえ。また、回りくどくて効果のないことのたとえ。 二階から階下の人に目薬をさそうとしても、上手くいかないことから。 「天井から目薬」ともいう。
二月は逃げて走る(にがつはにげてはしる)
正月が終わったと思っていると、二月もあっという間に終わり、すぐに三月がやってくる。二月は、まるで走って逃げるかのように早く過ぎ去るように感じるということ。 「二月」と「逃げる」の「に」を掛けて言ったもの。 「二月は逃げて去る」ともいう。
二十五菩薩もそれぞれの役(にじゅうごぼさつもそれぞれのやく)
二十五菩薩にもそれぞれの役目があるように、人間にも各自の役目があるということ。「二十五菩薩」とは、往生を願う信者が臨終の時に、阿弥陀仏とともに迎えに来るといわれる二十五体の菩薩のこと。
二世の契り(にせのちぎり)
現世だけでなく来世まで夫婦として連れ添おうという約束。 「二世」は、現世と来世のこと。
二世を契る(にせをちぎる)
夫婦として末永く(来世まで)連れ添うことを約束する。 「二世」は、現世と来世のこと。 「二世の契りを結ぶ」「夫婦の契りを結ぶ」ともいう。
二千石(にせんせき)
地方長官を指す言葉。 中国・漢代において、郡を治める長官(太守)の俸給が二千石であったことから。
二足の草鞋を履く(にそくのわらじをはく)
両立しないような二つの職業を一人で同時に兼ねることのたとえ。 単に「二足の草鞋」ともいう。
二鼠藤を嚙む(にそふじをかむ)
この世に生きる人間には刻々と死期が近づいていることのたとえ。 「二鼠」は日月(昼夜)の意。 「藤」は生命の意。
二進も三進も行かない(にっちもさっちもいかない)
物事が行き詰まってどうにもならない様子。 「二進(にっち)」「三進(さっち)」は、そろばんの割り算から出た語で、計算のやりくりの意。
二八の涙月(にっぱちのなみだづき)
二月と八月は商売が低調で、苦しい月だということ。
二桃三士を殺す(にとうさんしをころす)
巧妙な計略を用いて人を自滅させることのたとえ。 また、策をめぐらして争わせ、互いに滅びへ導くこと。 中国・春秋時代、斉の景公(けいこう)に仕える三人の勇士、公孫接(こうそんしょう)、田開疆(でんかいきょう)、古冶子(こやし)は、功を誇ってわがままに振る舞い、国の秩序を乱していた。 そこで、宰相の晏嬰(あんし)は、景公に進言して策をめぐらした。 景公は三人を集め、「そなたたちの功績を比べ、功の大きい二人がこの二つの桃を食べよ」と告げた。 三人はそれぞれ自らの功を誇り、二人が桃を取って食べた。 ところが、桃を食べなかった者こそ功が最も大きいことが分かり、桃を取った二人は恥じて自害した。 残された一人も「自分だけが生き残るのは義に反する」と恥じて命を絶ち、三人はそろって自滅した。 こうして、晏嬰は智略のみで三人を排除したという故事から。
二兎を追う者は一兎をも得ず(にとをおうものはいっとをもえず)
一度に二つのものを手に入れようと欲張ると、結局どちらも手に入れられなくなることのたとえ。 一度に二匹のうさぎを捕えようとすると、結局一匹も捕らえられないことから。
二度あることは三度ある(にどあることはさんどある)
同じようなことが二度続けば、もう一度起こる可能性が高いということ。
二度教えて一度叱れ(にどおしえていちどしかれ)
子どもをしつける時の心得を示した言葉。子どもの過ちや失敗は頭ごなしに怒らず、繰り返してよく教え諭し、それでも聞かない時にたまに叱るくらいがよいということ。
二度聞いて一度物言え(にどきいていちどものいえ)
人の言うことは何度聞き直してでもよく聞き、自分は口数を少なく余計なことを言わないほうがよいということ。
二度目の見直し三度目の正直(にどめのみなおしさんどめのしょうじき)
物事は一度目はあてにならず、二度目も見直すことがあり、三度目なら確実だということ。
二の足を踏む(にのあしをふむ)
ものごとを進める決心がつかず、ためらうこと。 一歩目は進んでも、二歩目は足踏みすることから。
二の句が継げない(にのくがつげない)
あきれて次に言うべき言葉が出ないこと。「二の句」は次に言う言葉の意。
二の次にする(にのつぎにする)
ある物事をそれほど重要ではないと判断して、後回しにすること。 「二の次」は、二番目の意。
二の舞を演じる(にのまいをえんじる)
前の人と同じ失敗を繰り返すこと。 「二の舞」は舞楽で、安摩(あま)という舞の次に、それを真似て演じるこ滑稽な舞のこと。 単に「二の舞」ともいう。
二の矢が継げない(にのやがつげない)
次に打つべき手段がないことのたとえ。 「二の矢」は、二度目に射る矢。 二度目に射る矢がないとの意から。
二八余りは人の瀬越し(にはちあまりはひとのせごし)
十六歳頃は、人生を左右する大事な時期であるということ。「二八」は十六歳、「瀬越し」は重大な時期のこと。
二八月は船頭のあぐみ時(にはちがつはせんどうのあぐみどき)
二月と八月は、海が荒れて舟が出せない日が多いので、船頭も困るということ。
二番煎じ(にばんせんじ)
同じことの繰り返しで、新鮮味や効果が感じられないことのたとえ。 一度煎じた茶や薬を再び煎じたもののことから。
二百二十日の荒れ仕舞(にひゃくはつかのあれじまい)
「二百二十日」は、立春から数えて二百二十日目の日(九月十一日頃)のこと。 この時期は台風が多く発生するため、農家の厄日とされており、この日を過ぎると台風が少なくなることから生まれた言葉。
二枚舌を使う(にまいじたをつかう)
矛盾したことを言うこと。また、嘘をつくこと。
二つに一つ(ふたつにひとつ)
二つの内の一方。 または、二つのどちらかを選ばなければならない状態。
二つ返事で(ふたつへんじで)
間を置かずに快諾する様子。
二つよいことはない(ふたつよいことはない)
一方に都合のよいことは、もう一方には都合が悪く、どちらにもよいことはないということ。
二股を掛ける(ふたまたをかける)
同時に二つの目的を遂げようとすること。または、結果がどちらに転んでも良いように、両方に関係を持つこと。一方に決めず、どちらにも関与しておく態度を表す。
二人口は過ごせるが一人口は過ごせぬ(ふたりぐちはすごせるがひとりぐちはすごせぬ)
結婚して二人で暮らせば節約できることが多くなり、無駄が多くなりがちな一人暮らしよりも経済的であるということ。 「二人口は過ごせるが一人口は過ごせぬ」ともいう。
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