「らい」で終わる故事・ことわざ・慣用句
「らい」で終わる故事・ことわざ・慣用句 — 25 件
朝のぴっかり姑の笑い(あさのぴっかりしゅうとめのわらい)
当てにならないことのたとえ。 朝さんさんと日がさすよい天気と姑の笑顔は、変わりやすく当てにはできないという意味から。
家鴨も鴨の気位(あひるもかものきぐらい)
それほどでもない者が、高い気位を持っていることのたとえ。 姿のよくない家鴨が、鴨の気位を持つことから。
一生添うとは男の習い(いっしょうそうとはおとこのならい)
一生君を愛して離さない、というのは男が女を口説くときの決まり文句であるということ。
有為転変は世の習い(ういてんぺんはよのならい)
この世の一切の事物は因縁によって生じ、常に変化し続けていくはかないものであるということ。
移れば変わる世の習い(うつればかわるよのならい)
時代が移り変われば世の中も変わっていくのが当然だということ。 「移り変わるは浮き世の習い」ともいう。
えせ者の空笑い(えせもののそらわらい)
軽薄な者や、したたかな者が真実をかくすため,おかしくもないのに追従笑いなどをすること。「えせ者」な偽者の意。
老いの手習い(おいのてならい)
年老いてから始める学問や学び。 「老いの手習い」ともいう。
食わず嫌い(くわずぎらい)
食べてみないで嫌いだと決めつけること。
猿の尻笑い(さるのしりわらい)
自分の欠点に気づかず、他人の欠点を嘲笑することのたとえ。 猿が自分の尻が赤いことに気付かずに、他の猿の尻を見て笑うことから。
山椒は小粒でもぴりりと辛い(さんしょはこつぶでもぴりりとからい)
体は小さくても、激しい気性と優れた才能を持ち、侮り難い存在のたとえ。山椒の実は小粒ながら、激しい辛味を持つことから。「山椒」は、本来「さんしょう」という。
七十五日は金の手洗い(しちじゅうごにちはかねのてあらい)
嫁や婿、養子に行った時は、しばらくの間は大事にされるということ。「金の手洗い」は、金属製の洗面器で来客などに使われたもの。
下いびりの上へつらい(しもいびりのかみへつらい)
自分より下の者にいばる人間は、上の者には媚びへつらうものだということ。
出家の念仏嫌い(しゅっけのねんぶつぎらい)
もっとも大切なことが嫌いだったり、出来なかったりすることのたとえ。 僧となって仏道を修行する者が念仏を唱えるのが嫌いとの意から。
袖から手を出すも嫌い(そでからてをだすもきらい)
ひどくけちなことのたとえ。 金を出すのはもちろん、袖から手を出すのも嫌いとの意から。
出すことは舌を出すのも嫌い(だすことはしたをだすのもきらい)
ひどくけちなことのたとえ。 金を出すのはもちろん、舌を出すのも嫌いとの意から。
亭主関白の位(ていしゅかんぱくのくらい)
家庭の中で夫が非常にいばっていること、また絶大な権威をもっていることのたとえ。 一家の主人が関白と同じ位にあるかのような権威をもっているとの意から。 「関白」は、昔、天皇を補佐した重職のこと。 「亭主関白」ともいう。
手前味噌で塩が辛い(てまえみそでしおがからい)
自分で自分のことを自慢すること。また、自慢話ばかりで聞き苦しいというたとえ。 「手前味噌」は自分で作った味噌のこと。 自分で作った味噌は塩辛くてもうまいと感じるとの意から。
女房は山の神百国の位(にょうぼうはやまのかみひゃっこくのくらい)
女房はきわめて大切なものであるというたとえ。
鼻息が荒い(はないきがあらい)
物事に取り組もうとする意気込みが激しい様子。
厄介払い(やっかいばらい)
何かと人に迷惑をかけていた者や面倒なことを追い払うこと。
夢は五臓の患い(ゆめはごぞうのわずらい)
夢を見るのは五臓(肝臓・心臓・脾臓・肺臓・腎臓)が疲れているのが原因だということ。 「患い」は「煩い」とも書く。 また、「夢は五臓の疲れ」ともいう。
夜明け前が一番暗い(よあけまえがいちばんくらい)
どん底の後には必ずいいことがあるというたとえ。日が昇る直前に一番暗い時間があるということから。
世の習い(よのならい)
世間のならわし。世間では普通のこと。
六十の手習い(ろくじゅうのてならい)
年をとってから学問や稽古事を始めること。 「八十の手習い」ともいう。
我が家、楽の釜盥(わがいえ、らくのかまだらい)
盥(たらい)を買えずに釜で代用しているような貧乏な暮らしをしていても、我が家ほど楽しい所はないということ。
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