「会」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 18 件
「会」を含む漢字が使われている故事・ことわざ・慣用句を一覧で紹介します。各語を選択すると意味・読み方などの詳細を確認できます。
故事・ことわざ・慣用句一覧
会うは別れの始め(あうはわかれのはじめ)
人と人が出会えばいつか必ず別れが訪れる。出会いは別れの始まりでもあるということ。 「逢う」は「会う」とも書く。
会えば五厘の損がゆく(あえばごりんのそんがゆく)
人との交際は何かと出費があり損をするということ。知人に会うと、それだけで五厘(一銭の半分)の損をするとの意から。
会わせる顔がない(あわせるかおがない)
相手の期待や信頼を裏切るようなことをして、申し訳なくてその人に会いにくいというたとえ。 「あわせる」は「あわす」ともいう。 また「合」は「会」とも書く。
一堂に会する(いちどうにかいする)
一つの場所に集まること。
遠慮会釈もない(えんりょえしゃくもない)
相手を気遣うこともなく、自分の思い通りに事を行うさま。 「会釈」は、思いやりの意。
会うた時に笠を脱げ(おうたときにかさをぬげ)
知り合いに会った時は、まず挨拶をしなさいということ。 礼儀の大切さを説いた教え。
会議は踊る(かいぎはおどる)
議論ばかりが長引いて、肝心の決着がいつまでもつかないこと。 ナポレオン戦争のあとに開かれたウィーン会議が、各国の思惑の絡み合いで一向にまとまらず、夜ごとの舞踏会だけが華やかだった。そのありさまを突いた一言。
会稽の恥(かいけいのはじ)
戦いに敗れて受けた恥のこと。また、他人から受けた耐え難い屈辱のこと。 中国の春秋時代、越王の勾践が呉王の夫差と会稽山で戦って敗北した。その後、勾践は長年の苦労に耐え、夫差に復讐をとげてその恥を雪いだという故事から。
会稽の恥を雪ぐ(かいけいのはじをすすぐ)
敗戦で負わされた屈辱や、人から受けた忘れがたい辱めを、のちになって晴らすこと。 越王勾践は呉王夫差に会稽山で降り、屈辱の講和をのまされた。以後は苦い胆をなめて悔しさを忘れまいとし、范蠡らを頼んで国力を養い、二十年あまりを経てついに呉を討ち取ったという。
会心の笑みをもらす(かいしんのえみをもらす)
思い描いた通りの結果となり、満足して喜びの表情をすること。
孔子も時に会わず(こうしもときにあわず)
孔子ほどの人物でさえ、生きた世が味方せず、思うところを政へ映せないまま終わった。 腕があっても、それを求める世に生まれ合わせるかどうかは別の話だという嘆き。
ここで会ったが百年目(ここであったがひゃくねんめ)
長らく行方を追ってきた相手と、思いがけず行き合う。 二度と取り逃がしはしないと詰め寄る場面の口上で、向けられた側には終わりの宣告になる。
今度と化け物には行き会った事がない(こんどとばけものにはいきあったことがない)
「今度はきっと」などという約束があてにならないことを皮肉った言葉。
社会の木鐸(しゃかいのぼくたく)
世間の人々を教え導く人。または、世論を喚起して導く存在としてのジャーナリズムの重要性を表した言葉。 「木鐸」は古代中国で人々に法令を知らせるために鳴らした木製の鈴。転じて、世間の人々を教え導く人のことをいう。
生者必滅、会者定離(しょうじゃひつめつ、えしゃじょうり)
命ある者はいつか必ず死に、出会った者はいずれ別れるのがこの世の定めであるということ。
地獄で仏に会ったよう(じごくでほとけにあったよう)
もう逃げ道がないと腹をくくった場に、よもやという味方が立つ。 難を免れたことよりも、そのときに漏れる安堵のほうを言い表す。 「地獄で仏に会う」「地獄で仏」ともいう。
千里の馬も伯楽に会わず(せんりのうまもはくらくにあわず)
一日で千里を走る脚があっても、それを見て取る目に行き当たるとは限らない。 腕を持て余したまま埋もれている当人が、我が身を嘆いて口にする。 「伯楽」は、馬の善し悪しを見抜き乗りこなす名人。
猫に会った鼠(ねこにあったねずみ)
相手の掌の内に置かれて、こちらからは何一つ手が打てない。 見逃してもらう以外に道がない立場をいう。
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