「学」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 34 件
「学」を含む漢字が使われている故事・ことわざ・慣用句を一覧で紹介します。各語を選択すると意味・読み方などの詳細を確認できます。
故事・ことわざ・慣用句一覧
謂う勿れ、今日学ばずして来日ありと(いうなかれ、こんにちまなばずしてらいじつありと)
明日があるからといって、今日学ぶべきことを後回しにしてはいけない。学びはその時その時で真剣に取り組むべきであるということ。 朱熹が若者に対して学問に励む心構えを説いたもの。 さらにこの後に「謂う勿れ、今年学ばずして来年ありと」と続く。 「謂う」は「言う」とも書く。
一日一字を学べば三百六十字(いちにちいちじをまなべばさんびゃくろくじゅうじ)
毎日少しずつでも怠らずに勉強を続ければ、積もり積もって大きな成果が得られるというたとえ。
一引き、二才、三学問(いちひき、にさい、さんがくもん)
出世の条件は、第一に上のひとの引き立て、二番目は才能、三番目が学問であるということ。
田舎の学問より京の昼寝(いなかのがくもんよりきょうのひるね)
田舎で勉強するより、たとえ昼寝をしながらのんびり過ごしたとしても、都会に身を置いたほうがさまざまな人や物に接するため、多くのことを学ぶということ。
未だ学を好む者を知らざるなり(いまだがくをこのむものをしらざるなり)
これぞという学びの徒に、いまだ出会えずにいる。 弟子の中で誰が学を好むかと問われた孔子が、顔回を喪ったのちの空白を嘆いて答えた。 原文は「未聞好学者也」で、「未だ学を好む者を聞かざるなり」と読み下す形でも伝わる。
老いの学問(おいのがくもん)
年老いてから始める学問や学び。 「老いの手習い」ともいう。
教うるは学ぶの半ば(おしうるはまなぶのなかば)
人に教えるということは、自分の知識をより深めなければならないから、半分は自分の勉強になるということ。
上を学ぶ下(かみをまなぶしも)
下の者は、かしらのふるまいをそっくりなぞるということ。 よい振る舞いも悪い振る舞いも、下はまず上から写し取る。
勧学院の雀は蒙求を囀る(かんがくいんのすずめはもうぎゅうをさえずる)
ふだん見慣れたり聞き慣れたりしていることは、習わなくても自然に身に付くというたとえ。 「勧学院」は、平安時代に藤原氏の子弟を教育した学校。 「蒙求」は、中国唐の時代に書かれた歴史教訓書。 勧学院の雀は、学生が蒙求を読むのを聞き覚えて、それをさえずるようになったということから。
学者と大木は俄にできぬ(がくしゃとたいぼくはにわかにできぬ)
学問を修めた人は、一朝で出来上がりはしない。 腰を据えて年を重ねた分だけが、そのまま器の大きさになる。
学者の取った天下なし(がくしゃのとったてんかなし)
机の上で筋の通った政治論を立てても、それで世が治まった例は無い。 理屈を組み立てる腕と、実際に人を動かす腕は別のところにある。
学者の不身持ち(がくしゃのふみもち)
筋道を説く側の暮らしぶりが、その説くところと食い違っている。 教える立場にありながら、身の慎みだけは人並みに届いていない。
学者むしゃくしゃ(がくしゃむしゃくしゃ)
学者は取っつきにくく、話も込み入っていて近寄りがたい。 末の「しゃ」の音をそろえた、口調本位の言い回し。
学は及ばざるが如くす(がくはおよばざるがごとくす)
学びに区切りをつけず、いつまでも手が届いていないつもりで向かえということ。 事足りたと思った時点で、そこから先はなくなる。
学若し成らずんば死すとも帰らず(がくもしならずんばしすともかえらず)
学びを志して郷里を離れた以上、成し遂げるまでは生きて土を踏まない。 幕末の僧が旅立ちの折に壁へ書きつけた詩の一句で、退路を断つ姿勢を示すのに使う。
学問に王道なし(がくもんにおうどうなし)
学びの道には、身分に応じて用意された抜け道が無い。 幾何学を手短に教えよと迫った王に、数学者が「幾何学に王道なし」と返した逸話から出た言葉。 「学問に近道なし」ともいう。
学を好むは、知に近し(がくをこのむは、ちにちかし)
まだ何かを修めたわけでなくとも、進んで書に向かう気があるだけで、賢さの側へ足を踏み入れている。 「力めて行なうは仁に近し」「恥を知るは勇に近し」と並べて挙げられた三句のうちの一つ。
聞かぬ事は後学にならず(きかぬことはこうがくにならず)
どんなことでも聞いておかなければ将来のための教養にならないということ。
剣は一人の敵、学ぶに足らず(けんはいちにんのてき、まなぶにたらず)
剣は一人を倒すだけの技で、身につけるほどの値打ちはない。若い項羽が学問も剣も投げ出し、咎められて「万人を相手にする術こそ習いたい」と言い放ったという。
口耳の学(こうじのがく)
聞いたことをそのまま人に話すだけの自分の身につかない学問のこと。受け売りの学問のこと。 「口耳」は、耳から口までのわずかな距離のことで、耳から入ってすぐ口から出るとの意から。
志学(しがく)
学問に志すこと。十五歳の異称。
芝居は無筆の早学問(しばいはむひつのはやがくもん)
書物に向かえない者でも、舞台を見ているあいだに世の移り変わりや人の道筋が呑み込めてくる。 芝居小屋が、そのまま教場の役をしていた。 「芝居は一日の早学問」ともいう。
少年老い易く学成り難し(しょうねんおいやすくがくなりがたし)
年月は油断しているうちに、たちどころに過ぎ、すぐに年をとってしまう。学問を修めるのは難しいので、若いうちから時間を無駄にせず勉学に励めというおしえ。
千日の勤学より一時の名匠(せんにちのきんがくよりいちじのめいしょう)
ひとりで長く机に向かい続けるより、優れた師のそばでひとときを過ごすほうが実りは大きい。道を知る者の手引きは、それだけ重いということ。
大食腹に満つれば学問腹に入らず(たいしょくはらにみつればがくもんはらにいらず)
食べ過ぎて満腹になると、頭の働きが鈍くなり、学問に集中できなくなるということ。
非学者、論に負けず(ひがくしゃ、ろんにまけず)
無学な者は道理を知らず、がむしゃらに自分の説を主張してなかなか議論に負けない。だから道理のわからない者を相手に議論しても意味がないということ。
顰みを学ぶ(ひそみをまなぶ)
事の良し悪しを考えず、むやみに人の真似をするたとえ。また、人に倣って物事をすることを謙遜していう言葉。 「顰」は、眉をひそめること。 中国の越の西施(せいし)という美女が胸の病気の痛みで顔をしかめたところ、それを見た醜女が自分も顔をしかめれば美しく見えるかと思い、真似をして眉をひそめたという故事から。 「西施の顰みに倣う」「顰みを学ぶ」ともいう。
学びて思わざれば則ち罔し(まなびておもわざればすなわちくらし)
いくら学んでも、自ら思索しなければ、真理に到達することはできないということ。
学びて時に之を習う亦説ばしからずや(まなびてときにこれをならうまたよろこばしからずや)
勉強したことを、折にふれて復習するということは、いっそう理解を深めることになる。なんと楽しいことではないかということ。
学ぶ門に書来る(まなぶかどにふみきたる)
打ち込んでいる者のところへは、要るものが呼ばれもせずに近づいてくる。 書を愛する家に書が積まれていくのと同じで、熱のあるところに材料は寄る。 「学の前に書来る」ともいう。
