人付き合いの心得ことわざ — 79 件
人との距離の取り方、言葉の選び方、怒りの収め方、恩の返し方。人付き合いの難しさは昔も今も変わらないようで、先人は数えきれないほどの心得を残しています。自分の振る舞いを見直すときに手がかりになる言葉を集めました。
ことわざ一覧
親しき仲にも礼儀あり(したしきなかにもれいぎあり)
気心が知れた相手ほど、言葉も振る舞いも省かれていく。省いた分だけ間柄はすり減るので、形は形として絶やさないでおく。
情けは人の為ならず(なさけはひとのためならず)
他人に親切にすれば、巡り巡って自分に返ってくるということ。
人のふり見て我がふり直せ(ひとのふりみてわがふりなおせ)
よそでみっともないと感じた振る舞いは、たいてい自分にも同じ形で出ている。人は、こちらを映して見せてくれる鏡だと思っておくのがよい。
短気は損気(たんきはそんき)
短気を起こすと、結局は失敗して自分の損になるということ。「短気」と「損気」の語呂合わせでできた言葉。
良薬は口に苦し(りょうやくはくちににがし)
体に効く薬ほど喉を通りにくい。人からの言葉も同じで、当人のためを思ったものほど、その場では受け取りにくい。
能ある鷹は爪を隠す(のうあるたかはつめをかくす)
すぐれた才能や実力のある人は、それをむやみにひけらかしたりしないということ。 鷹は獲物を捕らえるとき以外、鋭い爪を隠しているとの意から。
実るほど頭の下がる稲穂かな(みのるほどあたまのさがるいなほかな)
人は学問や徳が深まると、かえって謙虚になることのたとえ。 稲穂は実が入ると重くなり頭を下げることから。 「実るほど頭を垂れる稲穂かな」「実る稲田は頭垂る」ともいう。
郷に入っては郷に従え(ごうにいってはごうにしたがえ)
場所によって風俗や習慣が違うので、住む土地の習慣や慣習に従うのがよいということ。「郷」は地方・田舎の意。
口は災いの元(くちはわざわいのもと)
何気なく漏らした一言が、あとを引く揉め事の火種になる。 言わずもがなの一言を呑み込めるか否かが、身の安泰の分かれ目になる。
物も言いようで角が立つ(ものもいいようでかどがたつ)
ものは言い方ひとつで相手の感情をそこなうことがあるから、言葉遣いに気をつけたほうがいいということ。
壁に耳あり障子に目あり(かべにみみありしょうじにめあり)
どこで誰が見たり聞いたりしているかわからないので、話す内容には十分気をつけなくてはいけないという戒めの言葉。 密かに話しているつもりでも、壁に耳を当てて聞いたり、障子に穴をあけてのぞいたりしている者がいるかもしれないとの意から。 「壁に耳障子に目」「壁に耳」「壁に耳あり」「障子に目」などともいう。
話上手は聞き上手(はなしじょうずはききじょうず)
口の達者な人は、相手が話す番になっても、その言い分をきちんと受け止められる。 出す側と受ける側の両方が回って、はじめて会話が続く。
雄弁は銀、沈黙は金(ゆうべんはぎん、ちんもくはきん)
一生懸命に力をつくして述べることにも価値があるが、黙っているほうがさらに有益な場合があるということ。 雄弁は銀の価値、沈黙は金の価値であるという意。 「沈黙は金、雄弁は銀」ともいう。
罪を憎んで人を憎まず(つみをにくんでひとをにくまず)
向かうべき先は為された行いのほうであって、それを為した当人までひとくくりにしない。 なぜそこへ至ったかの事情に目を配れ、と孔子が刑を扱う側の心得に挙げた。
敵に塩を送る(てきにしおをおくる)
敵対する相手の弱みにつけこまず、逆に援助の手を差し伸べることのたとえ。 戦国時代、越後の上杉謙信が敵対する甲斐の武田信玄が塩不足で苦しんでいるのを知り、塩を送らせたという故事から。
負けるが勝ち(まけるがかち)
相手に勝ちを譲っておくほうが、結局は得策だということ。
遠くの親類より近くの他人(とおくのしんるいよりちかくのたにん)
いざという時には、遠方に住んでいる親戚より近所に住んでいる他人の方が頼りになるということ。
まさかの時の友こそ真の友(まさかのときのともこそしんのとも)
苦しい状況の時、助けてくれる友こそ本当の友だちだということ。
朱に交われば赤くなる(しゅにまじわればあかくなる)
人は交際する相手によって善にも悪にもなるというたとえ。 赤いものに触れると赤くなるように、人も周りの影響を受けるということ。
金の貸し借り不和の基(かねのかしかりふわのもと)
金銭のやり取りが間に入ると、それまで親しかった間柄でも角が立ちやすい。返す返さぬでこじれて縁まで切れるくらいなら、はじめから貸し借りには手を出さぬがよい。
金を貸せば友を失う(かねをかせばともをうしなう)
金の貸し借りには問題が起こりやすく、親しい友人同士でも金の貸し借りはするべきではないという戒め。
去る者は追わず、来る者は拒まず(さるものはおわず、きたるものはこばまず)
こちらを見限って離れていく者は引き止めず、頼って来る者はどのような素性であっても受け入れる。 去るも来るも当人の胸ひとつに委ね、こちらから引きも押しもしない。その構えの大きさをいった言葉。
和して同ぜず(わしてどうぜず)
まわりと打ち解けて付き合いながらも、自分の見方まで相手に合わせてしまうことはしない。 調子を揃えるだけの交わりとは、そこが分かれる。
和を以て貴しとなす(わをもってとうとしとなす)
めいめいの言い分を押し通すことよりも、場がひとつにまとまっていることを上に置く。聖徳太子が役人に示した心得の筆頭に据えられた句で、争いを起こさないことを政の土台とみる。
君子の交わりは淡きこと水のごとし(くんしのまじわりはあわきことみずのごとし)
行き来は薄くとも、切れずに続くのが人物のできた者どうしの付き合いである。濃く甘い結びつきは、うまみが尽きた途端にほどけてしまう。
己の欲せざる所は人に施すこと勿れ(おのれのほっせざるところはひとにほどこすことなかれ)
自分が他人からされたくないと思うことは、決して他人にしてはならないということ。
我が身を抓って人の痛さを知れ(わがみをつねってひとのいたさをしれ)
自分の身に引き比べて、人の苦しみや痛みを思いやることが大切だということ。
旅は道連れ、世は情け(たびはみちづれ、よはなさけ)
旅をする時は同行者がいれば心強く、同様に世の中を渡るにはお互い助け合っていくのが大切だということ。
汝の隣人を愛せよ(なんじのりんじんをあいせよ)
自分自身のことだけ考えずに、まわりの人々にも愛情を持って接しなさいということ。
窮鳥懐に入れば猟師も殺さず(きゅうちょうふところにいればりょうしもころさず)
追いつめた側であっても、自分の胸元へ飛び込んできた相手には手を下せない。 そこまで来た者を突き放すのは、人として通らない。 「飛ぶ鳥懐に入る時は狩人も助く」「窮鳥懐に入る」ともいう。
武士は相身互い(ぶしはあいみたがい)
武士同士は同じ立場にあるのだから、互いに理解し合って助け合うべきだということ。転じて、同じ立場にある者は、思いやりをもって互いに助け合うべきだということ。
喉元過ぎれば熱さを忘れる(のどもとすぎればあつさをわすれる)
苦しいことも過ぎてしまえば忘れてしまうことのたとえ。また、苦しい時に受けた恩義も楽になったら忘れてしまうことのたとえ。 熱いものを飲んでも、のどを過ぎれば口に入れた時の熱さを忘れてしまうことから。
巧言令色、鮮なし仁(こうげんれいしょく、すくなしじん)
口先だけで上手を言い、表情をとりつくろって人に気に入られようとする者には、最高の徳である仁の心が欠けているということ。 「巧言」は巧みな言葉遣い、「令色」は顔色をとりつくろうこと。 「鮮なし」は「少なし」と同じ意味。
驕る平家は久しからず(おごるへいけはひさしからず)
驕り高ぶって滅亡した平家のように、贅沢を尽くし勝手気ままにふるまう者は、長く栄えることなく早く滅びてしまうというたとえ。
自慢高慢、馬鹿のうち(じまんこうまん、ばかのうち)
自慢や高慢な態度は愚かしいということ。
自慢は知恵の行き止まり(じまんはちえのいきどまり)
手柄を並べ立てはじめたら、その人の知恵はもう先へ伸びない。 できたと思ったところに学ぶものはなく、伸びしろは自慢と引き換えに失われる。
卑下も自慢のうち(ひげもじまんのうち)
しきりに自分を低く言う人は、そう言えるだけの物を持っていると聞き手に思わせている。下げた分だけ、相手には高く伝わる。
人の蠅を追うより己の蠅を追え(ひとのはえをおうよりおのれのはえをおえ)
よその欠点に伸ばしたその手で、まず自分の欠点をひとつ直せばよい。 人を直す資格は、そのあとについてくる。 単に「己の頭の蠅を追え」とも、「我が頭の蠅を追え」ともいう。
我が身の事は人に問え(わがみのことはひとにとえ)
自分の短所やしくじりは当人の目に入らないものだから、まわりに尋ねて直すのがよいということ。 わが事となると見立てが狂いやすいので、人の目を借りよという教え。
我を非として当たる者は吾が師なり(われをひとしてあたるものはわがしなり)
自分の欠点を注意してくれる人は、誰でも自分にとっての先生だということ。 「当たる」は「当う」とも書き、「むかう」とも読む。
名人は人を謗らず(めいじんはひとをそしらず)
名人は人の欠点を悪く言うようなことはしないということ。
己を責めて人を責めるな(おのれをせめてひとをせめるな)
自分の責任でさせたことを、人のせいにするなということ。徳川家康の遺訓から。
既往は咎めず(きおうはとがめず)
過ぎ去ったことをあれこれ咎めても仕方がない。これから先のことを大切にせよということ。
怒りは敵と思え(いかりはてきとおもえ)
怒りは慎むべきであるという戒めの言葉。 怒りの感情を持てば、相手からの怒りや憎しみを招くことになり、結局自分の身を滅ぼすことになるということ。 徳川家康の遺訓のひとつ。
怒りを遷さず(いかりをうつさず)
腹が立つことがあっても、他人に当たり散らしてはいけないということ。
腹は立て損、喧嘩は仕損(はらはたてぞん、けんかはしぞん)
腹を立てても、喧嘩をしても自分が損をするだけだから、腹は立てるな、喧嘩はするなということ。
腹の立つ事は明日言え(はらのたつことはあすいえ)
頭に血が上っている最中の言葉は、たいてい後で悔やむ形をしている。一晩おけば熱は引き、同じ用件でも言い回しが変わる。
相手のない喧嘩はできぬ(あいてのないけんかはできぬ)
受けて立つ者がいなければ喧嘩は成り立たないから、喧嘩を売られても相手にするなというおしえ。
挨拶は時の氏神(あいさつはときのうじがみ)
喧嘩や言い争いの間に人が入ってくれたら、その口ぞえに従って引き下がるほうがよい。 当人どうしでは引っ込みがつかなくなるところへ折よく現れてくれるのだから、土地の守り神が助けに来たものと思って受けよ、という言い方。 「挨拶」は、間に立って取り持つこと。「仲裁は時の氏神」ともいう。
夫婦喧嘩は犬も食わない(ふうふげんかはいぬもくわない)
夫婦喧嘩は長続きせずにすぐに仲直りするものなので、他人が仲裁に入るものではないということ。 何でも食べる犬ですら食べない(気に止めない)との意から。
長居は無用(ながいはむよう)
その場に長く居るのはよくないので、早々に引き上げたほうがよいということ。
逢うた時に笠を脱げ(おうたときにかさをぬげ)
知り合いに会った時は、まず挨拶をしなさいということ。 礼儀の大切さを説いた教え。
立つより返事(たつよりへんじ)
人に呼ばれた時には、立つより先にまず返事をせよということ。
三尺下がって師の影を踏まず(さんじゃくさがってしのかげをふまず)
師のそばへ寄りすぎるのは、教えを受ける身の作法から外れる。 親しさに紛れて敬いが崩れぬよう、後ろへ退いて歩けと説く。
礼も過ぎれば無礼になる(れいもすぎればぶれいになる)
作法を重ねすぎると、受ける側はかしこまらされて居心地を悪くする。敬うつもりの振る舞いが、逆に相手を遠ざけてしまう。
遠慮は無沙汰(えんりょはぶさた)
遠慮もほどほどにしないと、かえって失礼になるということ。 先方に遠慮して訪問や連絡を控えすぎると、長期間付き合いが途絶えることとなり、かえって礼を欠くことになるとの意から。 「遠慮が無沙汰」ともいう。
知って問うは礼なり(しってとうはれいなり)
たとえ知っていることでも、専門家に意見を聞くのが礼儀だということ。
下問を恥じず(かもんをはじず)
身分や年齢の低い者に物事を尋ねることを、恥ずかしいとか体裁が悪いと思わず、素直に聞くという姿勢が大切だということ。
二度聞いて一度物言え(にどきいていちどものいえ)
人の言うことは何度聞き直してでもよく聞き、自分は口数を少なく余計なことを言わないほうがよいということ。
長口上は欠伸の種(ながこうじょうはあくびのたね)
長話は人を退屈させるから、話は簡潔にせよということ。
雉も鳴かずば撃たれまい(きじもなかずばうたれまい)
黙っていれば見過ごされたものを、ひと言もらしたばかりに目を付けられる。 言わずに済むことは言わずにおくほうが身のためである。
見たら見流し、聞いたら聞き流し(みたらみながし、きいたらききながし)
見たり聞いたりしたことは、みだりに口外しないほうがよいということ。
人を見て法を説け(ひとをみてほうをとけ)
相手をよく見きわめて、それにふさわしい方法を取れということ。 相手の人柄や能力を見て、その人に適した仏法を説けとの意から。 「人」は「にん」ともいう。
頼めば越後から米搗きにも来る(たのめばえちごからこめつきにもくる)
真心をつくして頼めば、人は嫌とは言えないもので、難しいことであっても承知してくれるというたとえ。 「越後」は、現在の新潟県。ここでは遠い場所のたとえ。 心から頼めば、遠い場所からでも米搗きに来てくれるとの意から。
我が身を立てんとせばまず人を立てよ(わがみをたてんとせばまずひとをたてよ)
自分の身を立てたいと望むなら、まず人を引き立てるように心がけよということ。
若木の下で笠を脱げ(わかぎのしたでかさをぬげ)
若木が将来どんな大木に育つのかわからないように、若者も将来どんなに偉くなるかわからないので、ばかにしないで敬意を表して接すべきだということ。
情けは上下によるべからず(なさけはじょうげによるべからず)
身分や貧富、地位に関わらず、誰に対しても平等に情けをかけるべきだという教え。 また、男女の愛情についても、地位や身分の違いに左右されるべきではないとの意味でも用いる。 人間関係において分け隔てなく接することの大切さを説いた言葉。
今の情けは後の仇(いまのなさけはのちのあだ)
一時の安易な同情による手助けは、かえって相手のためにならず、あとになって害になることがあるということ。
贔屓の引き倒し(ひいきのひきたおし)
贔屓をしすぎるあまりに、かえってその人に迷惑をかけてしまうこと。
我が好きを人に振る舞う(わがすきをひとにふるまう)
相手の好き嫌いを考えずに、自分の好みを人に押し付けること。
人に施しては慎みて念うこと勿れ(ひとにほどこしてはつつしみておもうことなかれ)
手を貸した側は、貸したことを胸に留めずにおく。 覚えているかぎり、どこかで相手に返礼を求める気持ちがにじんでしまう。
怨みほど恩を思え(うらみほどおんをおもえ)
人は怨みという感情はなかなか忘れないが、恩義を受けたことは忘れがちである。怨みを忘れないのと同じように、恩を忘れてはいけないということ。
犬は三日飼えば三年恩を忘れぬ(いぬはみっかかえばさんねんおんをわすれぬ)
犬は三日間餌をやってかわいがれば三年間恩を忘れない。犬でさえそうなのだから、人間は受けた恩を忘れてはいけないという戒めの言葉。
気は心(きはこころ)
少ない量でも真心をこめているということ。贈り物をする時に使う言葉。
褒める人には油断すな(ほめるひとにはゆだんすな)
言葉巧みに近づいてくる者は、下心があるから油断してはいけないということ。
杖に縋るとも人に縋るな(つえにすがるともひとにすがるな)
むやみに人をあてにするなといういましめ。
友と酒は古いほどいい(ともとさけはふるいほどいい)
友人は長い間付き合って気心の知れた人間がいいし、酒も長くねかせた古い酒がおいしいということ。
君子は交わり絶ゆとも悪声を出さず(くんしはまじわりたゆともあくせいをださず)
徳のある人は人と絶交することがあっても相手の悪口は決して言わないということ。
徳は孤ならず必ず隣あり(とくはこならずかならずとなりあり)
行いの正しい者が独りぼっちで終わることはない。同じ方を向く者がそばに立ち、頼まずとも手を貸してくれる。
