去る者は追わず、来る者は拒まずについて

言葉 | 去る者は追わず、来る者は拒まず |
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読み方 | さるものはおわず、きたるものはこばまず |
意味 | 自分を信じられずに、離れて行く者を決して引き止めることはしない。自分を信じて頼ってくる者は、どんな人間でも拒まない。その人の心に任せて、決して無理強いはしないということ。 |
出典 | 『孟子』 |
使用されている漢字
「去」を含むことわざ
一難去ってまた一難(いちなんさってまたいちなん)
災難が次々と襲ってくるたとえ。
華を去り実に就く(かをさりじつにつく)
見かけを華やかに飾ることよりも、手堅く確実な態度を選ぶこと。
帰去来(ききょらい)
去り跡へ行くとも死に跡へ行くな(さりあとへゆくともしにあとへゆくな)
妻と離婚した男に嫁ぐのはいいが、妻と死別した男には嫁がないほうがいいということ。妻と死別した男の心には、亡妻のよい思い出が残っていて、常に比較されることから。
去る者は追わず(さるものはおわず)
自分の所から去る人を引き止めないこと。
去る者は日日に疎し(さるものはひびにうとし)
死んだ人は、月日が経つとだんだんと忘れられていく。また、親しくしていた人も、遠く離れてしまうとしだいに疎遠になるということ。
「者」を含むことわざ
青表紙を叩いた者にはかなわぬ(あおびょうしをたたいたものにはかなわぬ)
きちんと学問に励んだ者にはかなわないというたとえ。「青表紙」は青い表紙を多く用いた四書五経などの経書のこと。
赤子のうちは七国七里の者に似る(あかごのうちはななくにななさとのものににる)
赤ん坊ははっきりした特長がないので、似てると思って見ればあちこちの誰にでも似て見えるということ。「七国七里」は諸所方々のこと。
垢で死んだ者はない(あかでしんだものはない)
風呂に入らなければ垢がたまって不潔だがそれが原因で死んだ人はいない。風呂嫌いの言い訳、または風呂嫌いに対する皮肉の言葉として使われる。
当たった者のふの悪さ(あたったもののふのわるさ)
悪いことに、たまたま当たった者が不運だったということ。「ふ」は運の意。大勢が罪を犯したのに、そのうちの誰かが見つかったような場合にいう。
新たに沐する者は必ず冠を弾く(あらたにもくするものはかならずかんむりをはじく)
潔白な人ほど自分の身を汚すおそれのあるものを避けるということ。 「沐」は髪を洗うこと。 髪を洗ったばかりの人は、必ず冠のちりを払ってから頭にのせるという意から。
医者が取るか坊主が取るか(いしゃがとるかぼうずがとるか)
生死の境にいるような重病人のこと。生きているうちは医者が金を取り、死んでしまえば僧侶が金を取るということから。また、所詮あの世に金は持っていけないと守銭奴を皮肉ることば。
「追」を含むことわざ
顎で蠅を追う(あごではえをおう)
やせ衰えて元気がないようす。蠅を手で追い払う元気もなく顎を動かして追い払う意から。「頤(おとがい)で蠅を追う」ともいう。
頭の上の蠅も追われぬ(あたまのうえのはえもおわれぬ)
自分自身のことさえ満足に出来ないことのたとえ。自分の頭にたかる蠅さえ追い払えないという意から。
頭の上の蠅を追え(あたまのうえのはえをおえ)
他人のことをとやかく言ったり世話を焼いたりする前に、まずは自分自身のことを始末しなさい、という教え。
跡を追う(あとをおう)
追い掛ける。また、亡くなった人への思慕から自ら命を絶つこと。
追い打ちを掛ける(おいうちをかける)
弱っているものをさらに攻撃し、打ちのめすこと。
追い込みを掛ける(おいこみをかける)
物事の最後の段階でいっそう力を入れて努力すること。
「来」を含むことわざ
飽きが来る(あきがくる)
飽きる。嫌になる。 気に入っていたり満足していた物事が、長く続いていくうちに段々と嫌になってくる。
呆れが礼に来る(あきれがれいにくる)
ひどく呆れることを誇張していうことば。 「呆れがお礼」ともいう。
朝の来ない夜はない(あさのこないよるはない)
ものごとは必ずいつか、よい方へ変わるということ。「夜の明けない朝はない」ともいう。
頭に来る(あたまにくる)
怒る。かっとなる。
お釣りが来る(おつりがくる)
十分に足りていて、余りが出ること。
一昨日来い(おとといこい)
二度と来るな。 相手をののしって追い払うときの言葉。
「拒」を含むことわざ
来る者は拒まず(きたるものはこばまず)
自分を信じて頼ってくる者は、どんな人間でも拒まないということ。
去る者は追わず、来る者は拒まず(さるものはおわず、きたるものはこばまず)