「い」を含む故事・ことわざ・慣用句
「い」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 2678 件
学ぶのに年を取り過ぎたということはない(まなぶのにとしをとりすぎたということはない)
学ぶことに年齢の制限はなく、いくつになっても新しい知識を得ることができるということ。学びには終わりがないため、一生を通じて学び続けることが大切であるという考え。 英語の 「Never too late to learn(学ぶのに遅すぎることはない) 」に由来する表現であり、ローマの哲学者・詩人セネカの言葉とされる。
眉一つ動かさない(まゆひとつうごかさない)
少しも表情を変えないこと。動揺した素振りをみせないさま。
丸い卵も切りようで四角(まるいたまごもきりようでしかく)
物事は話し方、やり方しだいで円満にいくこともあれば、角が立つこともあるというたとえ。丸い卵も切り方によっては四角になるということから。「ものも言いようで角が立つ」あとに続けてもいう。
満更でもない(まんざらでもない)
必ずしも悪いということではない。 遠回しに、とても気に入っていることを表す言葉。 「満更」は、必ずしもの意。
まんじりともしない(まんじりともしない)
不安なことや気になることがあり、少しも眠れないさま。 「まんじり」は、少し眠るさま。
みいちゃんはあちゃん(みいちゃんはあちゃん)
周りの意見や流行などに左右されやすいこと。また、そのような人。ミーハー。
ミイラ取りがミイラになる(みいらとりがみいらになる)
人を連れ戻しに出かけた者が帰って来ないことのたとえ。また、説得しようとした者が、逆に相手に同調してしまうというたとえ。
見栄も外聞もない(みえもがいぶんもない)
人の評判や世間体を気にする余裕もないさま。
見掛けばかりの空大名(みかけばかりのからだいみょう)
見かけは豪勢だが、中身は貧弱なことのたとえ。
身が軽い(みがかるい)
からだの動きが軽快な様子。 また、責任や負担などがなく身軽な様子。
右と言えば左(みぎといえばひだり)
こちらが右といえば左と答えるように、人の言うことにいちいち反対すること。
右に出る者がない(みぎにでるものがない)
一番すぐれていて、その人に優る者がいないということ。昔、中国で右を上席としたことから。
見ざる聞かざる言わざる(みざるきかざるいわざる)
自分に都合の悪いことや人の欠点は、見たり聞いたり言ったりしないということ。「見ない」「聞かない」「言わない」を、三匹の猿が両手で各々の両目、両耳、口をふさいでいる像や絵で表現する。打消しの「…ざる」と「猿」を掛けたことば。
微塵もない(みじんもない)
そのような気持ちなどが全くない。すこしもない。
水到りて渠成る(みずいたりてきょなる)
学問を究めれば自然に徳が備わってくるということ。また、時期が来ればものごとは自然に成就するということ。 「渠」は溝のことで、水が流れれば自然に溝ができるとの意から。
水が合わない(みずがあわない)
その土地の環境や風土にうまく馴染めない様子。 また、所属している組織の体質に馴染めない様子。
味噌に入れた塩は他所へは行かぬ(みそにいれたしおはよそへはいかぬ)
他人に尽くすことは、一見無駄のように見えても、結局は自分のためになるということ。 味噌に入れた塩は、混じって見えなくなるが、味噌の味を調えるための役に立っているとの意から。
味噌も糞も一緒(みそもくそもいっしょ)
見た目が似ていれば、良いものも悪いものも同じように扱うこと。すべてをごちゃまぜにしてしまうこと。 「糞も味噌も一緒」「糞も味噌も一つ」ともいう。
三度諌めて身退く(みたびいさめてみしりぞく)
繰り返し主君をいさめても聞き入れられない時は、潔く辞職するのが賢明だということ。
三度肘を折って良医となる(みたびひじをおってりょういとなる)
人は多くの苦労を重ね経験を積んで、初めて円熟した人間になれるということ。 医者は自分のひじを何度も折り、苦痛や治療を経験して初めて良医になることができるとの意から。
見たら見流し、聞いたら聞き流し(みたらみながし、きいたらききながし)
見たり聞いたりしたことは、みだりに口外しないほうがよいということ。
道に遺を拾わず(みちにいをひろわず)
世の中が太平で人々が満ち足りた暮らしをしていることのたとえ。 「遺」は落ちている物のことで、人々が落ちている物を拾おうとしないほど太平であるとの意から。 「道に遺ちたるを拾わず」ともいう。
三つ叱って五つほめ、七つ教えて子は育つ(みっつしかっていつつほめ、ななつおしえてこはそだつ)
子どもは少し叱って多くほめ、たくさん教えて育てるのがいいということ。
三つ子の魂百まで(みつごのたましいひゃくまで)
幼い時の性格は、年をとっても変わらないということ。
見つめる鍋は煮立たない(みつめるなべはにたたない)
待っている時間は非常に長く感じられることのたとえ。 鍋が煮立つのを見ながら待つと、なかなか煮え立たないとの意から。
醜い家鴨の子(みにくいあひるのこ)
みんなから容姿が悪いとか、愚かだとか言われていても、大人になってきれいになったり、偉くなったりする子どものこと。アンデルセンの童話から。
身に過ぎた果報は災いの基(みにすぎたかほうはわざわいのもと)
分不相応の幸福は、かえって不幸を招くもとになるから、分相応な幸せがよいということ。「果報」は幸運の意。
身の置き所がない(みのおきどころがない)
申し訳ない気持ちや恥ずかしい気持ちなどから、その場に居続けることが難しい様子。
実るほど頭の下がる稲穂かな(みのるほどあたまのさがるいなほかな)
人は学問や徳が深まると、かえって謙虚になることのたとえ。 稲穂は実が入ると重くなり頭を下げることから。 「実るほど頭を垂れる稲穂かな」「実る稲田は頭垂る」ともいう。
身ほど可愛いものはない(みほどかわいいものはない)
人は自分の身が何よりも大事であるということ。
耳が痛い(みみがいたい)
他人の発言が、自らの弱点・欠点を指摘しているように聞こえて、聞いているのがつらく感じる様子。
耳が遠い(みみがとおい)
加齢や病気などで聴力が弱まり、音をよく聞き取れないこと。
耳が早い(みみがはやい)
噂などを聞きつけるのがはやい様子。
耳に入れる(みみにいれる)
情報などを人に知らせること。 また、人から聞くなどして知ること。小耳にはさむこと。
耳に入る(みみにはいる)
聞くつもりのない噂や情報などが自然と聞こえてくること。
耳を掩いて鐘を盗む(みみをおおいてかねをぬすむ)
良心に背くことをしながら、あえて何も考えないようにすること。また、うまく悪事を隠したつもりでも、実際はすっかり知れ渡っていること。 ある男が鐘を盗もうとしたとき、その鐘が大きいため割って運ぼうと槌(つち)で叩いたところ、周囲に大きな音が鳴り響いた。 その音が人に聞かれるのではないかと恐れた男は、愚かにも自分の耳をふさいだという故事から。 「耳を掩うて鈴を盗む」ともいう。
耳を貴び、目を賤しむ(みみをたっとび、めをいやしむ)
遠くのものを尊重して、近くのものを軽んじることのたとえ。また、昔を重んじて今を軽視することのたとえ。 人から聞いたことは信じて、自分の目で見たものは信じないとの意から。 「耳を信じて目を疑う」ともいう。
見目は果報の基(みめはかほうのもとい)
顔かたちが美しいということは、幸運をもたらす元だということ。「見目」は容貌、「果報」は幸運の意。
身も蓋もない(みもふたもない)
言動が露骨すぎて味気ないこと、または率直すぎて話の続けようがないことのたとえ。 「身」は蓋に対して器の意。 器も蓋もなく、剝き出しで隠しようがない状態との意から。
見ると聞くとは大違い(みるときくとはおおちがい)
実際に見るのと人から聞いたのとでは大きな違いがあるということ。また、噂と事実が違うことにもいう。
見るに忍びない(みるにしのびない)
あまりにも気の毒で、見ているのがつらい様子。
見るに堪えない(みるにたえない)
状態がひどかったり気の毒だったりして、見ていることができない様子。
身を入れる(みをいれる)
物事を一生懸命取り組もうとする様子。
身を捨てる藪はない(みをすてるやぶはない)
切羽詰まっても、最後まで自分の身だけは棄てることができないということ。
身を挺する(みをていする)
危険や困難を顧みず、自らの身を投げ出して物事にあたること。また、率先して困難な事に取り組むこと。
皆で渡れば怖くない(みんなでわたればこわくない)
間違っていることも、集団になれば平気でできるということ。 1980年頃、漫才コンビ「ツービート」が言った「赤信号皆で渡れば怖くない」から。
無為にして化す(むいにしてかす)
人徳のある人が上に立つと、特別なことは何もしなくても、世の中は自然に治まるということ。 「無為にして治まる」「無為の治」ともいう。
昔から言う事に嘘はない(むかしからいうことにうそはない)
昔から言い伝えられてきた格言やことわざは、多くの先人の経験や知識からできたものなので、どれも真理であるということ。
昔千里も今一里(むかしせんりもいまいちり)
すぐれた人も、年をとれば凡人に劣ってしまうということ。 昔は千里を行くことができた駿馬も、今では一里しか行くことができないとの意から。
昔年寄りに弱い者なし(むかしとしよりによわいものなし)
年寄りに昔話を聞くと、若い頃に弱かった人は一人もいないことになるということ。年寄りの自慢話をからかうことば。
昔の剣、今の菜刀(むかしのつるぎ、いまのながたな)
昔は有能であった人も、年をとると役に立たなくなるというたとえ。また、いくら良いものでも今の役にたたないものより、つまらないものでも今の役にたつもののほうがいいということ。
昔は今の鏡(むかしはいまのかがみ)
昔のことは現代の手本になるので、歴史を学ぶことが将来に役立つということ。
昔は肩で風を切り、今は歩くに息を切る(むかしはかたでかぜをきり、いまはあるくにいきをきる)
昔は威勢のよかった者が、今は衰えてしまったことのたとえ。若いころは肩で風を切ってさっそうと歩いていた者も、年をとって歩くだけで息切れするということから。
昔は昔、今は今(むかしはむかし、いまはいま)
昔と今は状況が違うのだから、昔がこうだから今もこうあるべきだという理屈は成り立たないということ。
無冠の帝王(むかんのていおう)
特別な地位などは持っていないが、実力を有している者のこと。 スポーツなどで、極めてすぐれた能力を持ちながら、大きなタイトルを獲得できずにいる人。 または、ジャーナリストや新聞記者などの自称。権力に屈することなく評論する人という意味から。
麦と姑は踏むが良い(むぎとしゅうとめはふむがよい)
麦は根の張りをよくするために芽を足で踏むほうがよいが、姑に対しても下手にばかり出ないで、時には抵抗するのも必要であるということ。
無患子は三年磨いても黒い(むくろじはさんねんみがいてもくろい)
生まれつきの性質は変えることはできないというたとえ。 「無患子」は、山地に生える落葉高木。種子は黒色で羽根つきの羽根の玉に使われる。 その黒色の種子をいくら磨いても白くはならないとの意から。
婿は大名から貰え嫁は灰小屋から貰え(むこはだいみょうからもらえよめははいごやからもらえ)
婿は自分の家より家柄がよい家から貰うと家の格が上がり、嫁は自分の家より低い家柄から貰うと威張らずによく働くので家のためによいということ。 「婿は大名から貰え嫁は灰小屋から貰え」「嫁は下から婿は上から」ともいう。
虫がいい(むしがいい)
物事を何でも自分にとって都合のいいように考えるさま。 自己中心的で身勝手であるさま。 「虫のいい」ともいう。
虫が好かない(むしがすかない)
なんとなく気にくわないこと。
虫の息(むしのいき)
呼吸が弱弱しくて今にも止まりそうなようす。
虫の居所が悪い(むしのいどころがわるい)
機嫌が悪くて怒りやすくなっていることのたとえ。
娘三人持てば身代潰す(むすめさんにんもてばしんだいつぶす)
娘を三人持てば、その嫁入り支度で財産がなくなるということ。
胸糞が悪い(むなくそがわるい)
不快で気分が晴れない様子。 「胸糞」は、胸を卑しめていう言葉。
胸が痛む(むねがいたむ)
心配や悲しみなどから、つらい気持ちになること。
胸が一杯になる(むねがいっぱいになる)
ある物事に感銘を受けたり悲しみを感じたりして、それ以外の事はなにも考えられなくなる様子。
胸を痛める(むねをいためる)
一人であれこれと思い悩んだり心配したりすること。
夢寐にも忘れない(むびにもわすれない)
ほんのわずかな間も忘れないということ。 「寐」は眠ること。 眠って夢を見ている間も忘れないとの意から。
無累の人(むるいのひと)
あらゆる物欲を超越し、何事にもわずらわされることのない人。「無累」はわずらわすものがない意。
明暗を分ける(めいあんをわける)
あることがきっかけとなり、勝ち負けや幸不幸などが区別されること。
命運が尽きる(めいうんがつきる)
運に見放されて、これ以上存続するための手段がなくなること。
迷宮入り(めいきゅういり)
事件などが未解決のまま捜査が打ち切られること。
明鏡も裏を照らさず(めいきょうもうらをてらさず)
どんな賢人でも目が届かないことがあるというたとえ。 曇りのない鏡でも、ものの裏までは映さないことから。
名所に見所なし(めいしょにみどころなし)
一般に名所といわれている所も、案外見るものが少なくつまらない所が多い。名は必ずしも実を伴わないということ。
名人は人を謗らず(めいじんはひとをそしらず)
名人は人の欠点を悪く言うようなことはしないということ。
命旦夕に迫る(めいたんせきにせまる)
死期が間近に迫っている様子。 「旦夕」は朝晩のこと。 命の終わりがこの朝か晩かというほどに迫っているとの意から。
冥土にも知る人(めいどにもしるひと)
地獄のようなひどい所でも知り合いはできるものだということ。また、遠くの知らない土地に行っても知人に巡りあえるものだということ。 「冥土にも知る人」ともいう。
冥土の道には王なし(めいどのみちにはおうなし)
現世での身分の上下、貧富の差は、死ねばいっさい無くなるということ。また、死は誰にも等しく訪れるということ。「冥土」は「冥途」とも書き、死者の霊魂が行くという世界のこと。
命は天に在り(めいはてんにあり)
運命は天が定めることで、人間の力ではどうすることも出来ないということ。
名馬に癖あり(めいばにくせあり)
名馬と言われる馬は、どこかしら扱いにくい癖を持っている。人間も優れた才能の持ち主には、強い個性があるということ。