笑う門には福来るについて

言葉 | 笑う門には福来る |
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読み方 | わらうかどにはふくきたる |
意味 | いつも明るくにこにこしている人の所には、自然に幸福が訪れてくるということ。 |
出典 | - |
使用されている漢字
「笑」を含むことわざ
朝のぴっかり姑の笑い(あさのぴっかりしゅうとめのわらい)
当てにならないことのたとえ。朝さんさんと日がさして天気がよいのと、姑の笑顔は変わりやすく当てにはできないという意から。
明日の事を言えば鬼が笑う(あすのことをいえばおにがわらう)
先のことはわからない。未来のことは予測できないというたとえ。
言い出しこき出し笑い出し(いいだしこきだしわらいだし)
臭いと最初に言い出した者、笑い出した者が、おならをした犯人であるということ。転じて、人から聞いたと噂話を話す人が、噂を作り出した張本人であることが多いというたとえ。
怒れる拳、笑顔に当たらず(いかれるこぶし、えがおにあたらず)
怒って強い態度で向かってきた者に対しても、優しい態度で接するほうが効果的であるということ。怒って振り上げた拳も、相手の笑顔に気勢をそがれて打ち下ろせないという意から。
一笑に付す(いっしょうにふす)
ただ笑って、まったく問題にしない。
一笑を買う(いっしょうをかう)
周囲の人から笑いものにされること。
「門」を含むことわざ
商いは門門(あきないはかどかど)
商売のこつは客を観察してその客に合った物を売ることだということ。
朝酒は門田を売っても飲め(あさざけはかどたをうってものめ)
朝酒は格別おいしいので、少々無理をしてでも飲むべきだということ。「門田」は家の門前にある田の意。
倚門の望(いもんのぼう)
母親が子どもの帰りを待ちわびること。また、そういう母親の愛情のこと。中国の春秋時代、王孫賈(おうそんか)の母親が門に倚(よ)りかかって、我が子の帰りを待ちわびたという故事から。
お門違い(おかどちがい)
目指すところが違っていること。見当違いであること。 訪問する家が間違っているとの意から。
門松は冥土の旅の一里塚(かどまつはめいどのたびのいちりづか)
門松はめでたいものだが、飾るたびに年を重ね死に近づくので、いわばあの世に向かう一里塚のようなものだということ。 「冥土」は、あの世のこと。 「一里塚」は、街道に一里ごとに築かれ、旅人のための里程標となった塚のこと。 この歌は一休作という説があり、このあとに「めでたくもありめでたくもなし」と続けてもいわれる。
鬼門(きもん)
万事に不吉だとされた艮(うしとら)の方角(北東)。 行くのが嫌な場所のたとえ。また、苦手で避けたい人物や事柄のたとえ。 北東の方角は、陰陽道で鬼が出入りすると忌み嫌われたことから。
「福」を含むことわざ
余り茶に福あり(あまりちゃにふくあり)
余っている物の中にも、思いがけずよいものがあるということ。
余り物には福がある(あまりものにはふくがある)
最後まで残っている物の中には、思いがけずよいものがあるということ。
愚か者に福あり(おろかものにふくあり)
愚か者は欲も野心もないので、人に恨まれたり憎まれたりすることもなく、平穏無事で幸福な人生を送ることができるということ。
禍福は糾える縄の如し(かふくはあざなえるなわのごとし)
わざわいと幸福は、より合わせた縄のように表裏一体を成しているということ。「糾う」とは縄をより合わせること。
残り物には福がある(のこりものにはふくがある)
最後まで残っている物の中には、意外によいものがあるということ。
禍を転じて福となす(わざわいをてんじてふくとなす)
自分の身にふりかかった災難を上手く利用して、結果的に自分の有利になるように取り計らうこと。