「無意識・自然に」に関連する故事・ことわざ・慣用句 — 31 件
「無意識・自然に」に関連する故事・ことわざ・慣用句を一覧で紹介します。各語を選択すると意味・読み方などの詳細を確認できます。全31件を五十音順に掲載しています。
ことわざ一覧(五十音順)
足が向く(あしがむく)
無意識のうちに、自然とある方向へ行く。
遊びに師なし(あそびにしなし)
遊び事は、誰に教えられるでもなく自然に覚えてしまうものだということ。
ある手からこぼれる(あるてからこぼれる)
たくさん抱えている側からは、意図しなくても外へ落ちていく。施すつもりがなくとも、近くにいる者はその分け前にあずかる。
毬栗も内から割れる(いがぐりもうちからわれる)
娘も年ごろに達すれば、誰に教わるでもなく色めいてくるということ。 針のようなとげを立てた毬栗も、時が来れば人の手を借りずにひとりでに口を開ける。そこにたとえたもの。
祈らずとても神や守らん(いのらずとてもかみやまもらん)
行いが正しく慎み深ければ、ことさら神に祈らなくても自然に神の加護があるものだということ。 菅原道真の作といわれる「心だに誠の道に叶いなば祈らずとても神や守らん」より出た言葉。
豌豆は日陰でもはじける(えんどうはひかげでもはじける)
どんな境遇に育った者でも、年を重ねればおのずと色恋を知るということ。また、物事は熟すべき歳月を経れば、放っておいても実を結ぶということ。 日の当たらぬ場所の豌豆でさえ、季節がめぐれば莢がはじけて種を飛ばす、という意から。
同じ羽の鳥は集まるものだ(おなじはねのとりはあつまるものだ)
趣味や物の見方が似通った者は、誘い合わせるまでもなく一つところへ寄り集まる。 英語のことわざが訳されて広まった言い方で、羽の色をそろえた鳥が群れをなして飛ぶさまにたとえている。
思い内にあれば色外に現る(おもいうちにあればいろそとにあらわる)
腹に抱えたものは、目もとや身のこなしに滲み出る。隠しおおせたつもりでも、外からは知れてしまう。
隠れての信は顕われての徳(かくれてのしんはあらわれてのとく)
心中に秘めている誠実さは、いつか自然に外にあらわれて自分自身の利得になるということ。 心中に神仏への信仰心があれば、必ずご利益があるとの意から。 「隠れたる信あらば顕われたる利生」「隠れたる信あらば顕われたる験」ともいう。
勧学院の雀は蒙求を囀る(かんがくいんのすずめはもうぎゅうをさえずる)
ふだん見慣れたり聞き慣れたりしていることは、習わなくても自然に身に付くというたとえ。 「勧学院」は、平安時代に藤原氏の子弟を教育した学校。 「蒙求」は、中国唐の時代に書かれた歴史教訓書。 勧学院の雀は、学生が蒙求を読むのを聞き覚えて、それをさえずるようになったということから。
錐の嚢中に処るが如し(きりののうちゅうにおるがごとし)
すぐれた人は、多くの人の中にいても自然とその才能が現れるというたとえ。袋の中の錐は、その鋭い先端が外に飛び出ることから。
窪い所に水溜まる(くぼいところにみずたまる)
土地の窪みに水が溜まるように、人や物も集まるべきところに、自然に寄り集まってくるということ。
恋に師匠なし(こいにししょうなし)
恋というものは人から教えられなくても、年ごろになれば自然に覚えるものだということ。
言葉は心の使い(ことばはこころのつかい)
心に思っていることは、自然に言葉に表れるということ。
芝蘭の室に入るが如し(しらんのしつにいるがごとし)
すぐれた人物のそばに身を置いていると、教わるでもなくその人となりが移ってくる。 香草を満たした部屋にいた者から、いつしか同じ匂いがするように。
鄭家の奴は詩をうたう(ていかのやっこはしをうたう)
ふだん見聞きしていることは、自然に覚えるというたとえ。「鄭家」は、中国後漢の学者である鄭玄。鄭玄の家の雇い人は習いもしないのに詩経をうたうということから。
てらつつきの子は卵から頷く(てらつつきのこはたまごからうなずく)
殻を破る前から、木をつつく時と同じ首の使い方を見せるらしい。 後に何をする者かは、物心のつかぬうちの仕草にもう出ている。
桃李もの言わざれども下自ずから蹊を成す(とうりものいわざれどもしたおのずからけいをなす)
中身の備わった人は、こちらから触れ回らずとも人を引き寄せる。聞き及んだ者が次々に足を運び、いつしかそこへ向かう往来が絶えなくなる。 「蹊」は人が踏み分けてできた細道。 「成蹊」ともいう。
同類相求む(どうるいあいもとむ)
同じたぐいの者同士は、自然に求め合って寄り集まるということ。
読書百遍、義、自ずから見る(どくしょひゃっぺん、ぎ、おのずからあらわる)
どんなに難しい本でも、繰り返し何度も読めば、自然に意味がわかってくるということ。 「読書百遍、意、自ずから通ず」ともいう。
無いが意見の総仕舞(ないがいけんのそうじまい)
放蕩(ほうとう)や道楽(どうらく)は、金が尽きれば自然と収まるということ。 放蕩者は、どれだけ忠告しても金がある間は耳を貸さないが、金がなくなれば遊ぶこともできなくなり、忠告の必要もなくなることから。
何の気なしに(なんのきなしに)
特別に意識することもなく。
嚢中の錐(のうちゅうのきり)
すぐれた人は、大衆の中にいても自然とその才能が現れるというたとえ。袋の中の錐は、その鋭い先端が外に飛び出ることから。
百川、海に朝す(ひゃくせん、うみにちょうす)
利益のあるところには自然に多くの人が集まることのたとえ。「百川」はあらゆる川、「朝す」は集まるという意。
水到りて渠成る(みずいたりてきょなる)
「渠」は水路のこと。水が集まって流れ出せば、通り道はおのずと掘れていく。 学問を積み重ねれば人としての中身はひとりでに育ち、機が熟せば物事はおのずと形になるということ。
水の低きに就くが如し(みずのひくきにつくがごとし)
水が低い方へ流れていくように、物事のなりゆきは止めようとしても止められないということ。
無為にして化す(むいにしてかす)
上に立つ者の人柄が確かなら、あれこれ指図をしなくても下は勝手に整っていく。
目の寄る所へは玉も寄る(めのよるところへはたまもよる)
同類が自然に寄り集まることのたとえ。 目が一方へ動けば、それにつれて瞳も動くとの意から。
門前の小僧、習わぬ経を読む(もんぜんのこぞう、ならわぬきょうをよむ)
毎日その中に置かれていれば、手ほどきを受ける機会が一度もなくても、いつのまにか同じ真似ができる。周りで繰り返されている事柄は、そうと意識しないうちに身の内へ移る。
類は友を呼ぶ(るいはともをよぶ)
好みや考え方の近い人間は、示し合わせもせぬうちから同じ場所に顔を並べている。一人が居着けばそこへ二人目三人目が寄ってくる、そういう引き合う力が働いている。
類を以て集まる(るいをもってあつまる)
同じたちの者は、放っておいても一つ所へ寄ってゆく。この寄り方はよい側にも悪い側にも等しく働き、律儀な者の隣には律儀な者が座り、性根の曲がった者の隣もまた同じたぐいで埋まる。
