「教育」に関連する故事・ことわざ・慣用句 — 76 件
「教育」に関連する故事・ことわざ・慣用句を一覧で紹介します。各語を選択すると意味・読み方などの詳細を確認できます。全76件を五十音順に掲載しています。
ことわざ一覧(五十音順)
愛立てないは祖母育ち(あいだてないはばばそだち)
祖母に甘やかされて育った子供は、無遠慮でわがままになりやすい。特に、祖母が孫を過剰に可愛がると、礼儀や節度を身につける機会を失うことを戒める言葉。 「愛立てない」は、「愛立ちなし」が転じたもので、無作法や自分勝手の意。
商人の子は算盤の音で目を覚ます(あきんどのこはそろばんのおとでめをさます)
人の習性は、育つ環境の影響を大きく受けるということ。 商人の子どもは金勘定に敏感で、眠っていても算盤の音で起きるという意味から。
麻に連るる蓬(あさにつるるよもぎ)
人はよい環境で育てば、自然と感化されて善人になるということ。 曲がりやすい蓬も、麻の中で育てばまっすぐ伸びることから。 「麻の中の蓬」「麻中の蓬」ともいう。
氏より育ち(うじよりそだち)
人格形成に大事なのは、家系や血統より育った環境であるということ。
内で掃除せぬ馬は外で毛を振る(うちでそうじせぬうまはそとでけをふる)
家庭のしつけが悪い子どもは、外に出るとすぐにわかるということのたとえ。 飼い主の手入れの悪い馬は、外に出た時に毛を振って汚れを落とそうとするので、すぐにわかるとの意から。
瓜に爪あり爪に爪なし(うりにつめありつめにつめなし)
「瓜」という漢字と「爪」という漢字の違いを教えた言葉。
老い木は曲がらぬ(おいきはまがらぬ)
老人の頑固さのたとえ。 また、欠点は若いうちになおさないと年をとってからでは手遅れであるということ。 老木は弾力性に乏しく曲げようとしても曲がらないことから。
お乳母日傘(おうばひがさ)
乳母をつけ、日ざしには傘を差しかけるようにして、子を何不自由なく育てること。 裕福な家の、手をかけすぎるほどの育て方をいう。「乳母日傘(おんばひがさ)」はこれが転じたもの。
大木の下に小木育たず(おおきのしたにおぎそだたず)
大きな権力の庇護の下では立派な人間は育ちにくいということ。 大きな木の下は採光や風通しが悪く、小さな木が育たないとの意から。
教うるは学ぶの半ば(おしうるはまなぶのなかば)
人に教えるということは、自分の知識をより深めなければならないから、半分は自分の勉強になるということ。
親ずれより友ずれ(おやずれよりともずれ)
家の中で受ける躾よりも、外で付き合う相手のほうが人となりを作っていく。 「擦れる」は、揉まれて世慣れること。
親の甘茶が毒となる(おやのあまちゃがどくとなる)
親が子どもを甘やかして育てると、その子のためにならず、むしろ毒になるということ。
親の顔が見たい(おやのかおがみたい)
よその子の行動や態度の悪さに、驚きあきれて発する言葉。
親の十七、子は知らぬ(おやのじゅうしち、こはしらぬ)
親は自分が未熟だった若い頃の失敗談などをしないから、子どもにはわからない。完全なふりをして子どもに意見する親を皮肉っていう言葉。
下愚の性移るべからず(かぐのせいうつるべからず)
見込みのない相手には、外からどれだけ手を入れても質が改まらない。 動かないとされた二つの極のうち、下の側だけを取り出した形で、育てる手にも及ばない範囲があると説く。
型に嵌める(かたにはめる)
あらかじめ用意した枠を当てがい、外へ出る動き方や考え方を許さない。 育てる側が、同じ寸法の人間を並べようとするときに使う。
かわいい子には旅をさせよ(かわいいこにはたびをさせよ)
子どもがかわいいなら、甘やかして育てるより、世の中に出してつらさや苦しさを経験させたほうがいいということ。 「いとしい子には旅をさせよ」ともいう。
瓦は磨いても玉にならぬ(かわらはみがいてもたまにならぬ)
もとが瓦なら、どれだけ手をかけたところで玉にはならない。 素地の乏しい者は仕込んでも大成しないという見方で、裏返しの「瓦も磨けば玉となる」と対にして使う。
瓦も磨けば玉となる(かわらもみがけばたまとなる)
ただの瓦でも、根気よく磨き上げれば玉のような光を放つ。 恵まれた素地を持たぬ者も、鍛えしだいで見違えるという励ましの言い方。
勧学院の雀は蒙求を囀る(かんがくいんのすずめはもうぎゅうをさえずる)
ふだん見慣れたり聞き慣れたりしていることは、習わなくても自然に身に付くというたとえ。 「勧学院」は、平安時代に藤原氏の子弟を教育した学校。 「蒙求」は、中国唐の時代に書かれた歴史教訓書。 勧学院の雀は、学生が蒙求を読むのを聞き覚えて、それをさえずるようになったということから。
嚙んで含める(かんでふくめる)
理解できるように、細かく丁寧にわかりやすく言い聞かせること。 親が、食物を嚙み砕いて食べやすいようにしてから、子どもの口に含ませてやるとの意から。 「嚙」は「噛」とも書く。
機に因りて法を説け(きによりてほうをとけ)
仏の教えを説くときには、機会に応じた適切な方法で説法しなければならないということ。転じて、臨機応変に対応せよということ。
朽木は雕るべからず(きゅうぼくはえるべからず)
刻もうとしても刃の立たない材がある。同じように、当人に張りがなければ、どれほど手を掛けても形は付かない。惜しいのは掛けた側の手間のほうだという嘆きである。 ぼろ土の塀は上塗りしても持たないという「糞土の牆は杇るべからず」の句が、これと並べて置かれている。
虚にして往き実にして帰る(きょにしてゆきじつにしてかえる)
空の器のまま門をくぐった者が、教わった覚えもないのに満ちて戻る。 すぐれた人のそばに身を置くだけで、内側が入れ替わる。
居は気を移す(きょはきをうつす)
住む場所や地位によって、人の性格や考え方は変わるということ。
釘の曲がりは鉄鎚で直せ(くぎのまがりはかなづちでなおせ)
身についた悪い癖は、生ぬるい手立てでは改まらず、強い態度で臨んではじめて直るということ。 曲がった釘をまっすぐにするには槌の力が要ることにたとえた。 「釘の曲がりは金槌で直せ」ともいう。
経験は愚か者の師(けいけんはおろかもののし)
愚か者に教えるには、実際に経験させてみるのがいいということ。経験の大切さをいった言葉。
啓発(けいはつ)
まだ目の向いていなかった方へ、当人の考えが伸びるよう外から手を添えること。 問いを抱えて言葉に詰まった相手にだけ手を貸せ、と説いた一節から出た言い方。
蹴る馬も乗り手次第(けるうまものりてしだい)
乱暴で扱いにくい者でも頭の上がらない相手がいる、または上手い扱い方があるということのたとえ。 暴れ馬でも乗り手の調教次第でおとなしくなるとの意から。
下種は槌で使え(げすはつちでつかえ)
愚かな者は、道理を説明してもなかなか理解しないため、叩いたり叱りつけたりして使わなければならないという教え。
氷は水より出でて水よりも寒し(こおりはみずよりいでてみずよりもさむし)
弟子が師よりも優れたものになることのたとえ。 水からできた氷が、水よりも冷たくなるとの意から。
子供は教え殺せ、馬は飼い殺せ(こどもはおしえころせ、うまはかいころせ)
子どもは徹底的に教育し、馬の調教も手加減するなということ。 「馬は飼い殺せ、子供は教え殺せ」ともいう。
獅子の子落とし(ししのこおとし)
我が子に苦しい経験をさせて、厳しく鍛えて育てることのたとえ。獅子は、生まれた子を深い谷に投げ落とし、這い上がってきた強い子だけを育てるという言い伝えから。
師匠は鐘の如し(ししょうはかねのごとし)
よい師は、弟子が浅く問えば浅く、深く問えば深く応じるということ。 学ぶ側の問いの重さが、そのまま受け取る教えの重さになる。 鐘を強く撞けば高く鳴り、そっと撞けば低くしか鳴らないのと同じだという。
示しが付かない(しめしがつかない)
教える側の立場としてよい例にならないこと。手本にならない。
社会の木鐸(しゃかいのぼくたく)
世間の人々を教え導く人。または、世論を喚起して導く存在としてのジャーナリズムの重要性を表した言葉。 「木鐸」は古代中国で人々に法令を知らせるために鳴らした木製の鈴。転じて、世間の人々を教え導く人のことをいう。
朱に交われば赤くなる(しゅにまじわればあかくなる)
人は交際する相手によって善にも悪にもなるというたとえ。 赤いものに触れると赤くなるように、人も周りの影響を受けるということ。
芝蘭の室に入るが如し(しらんのしつにいるがごとし)
すぐれた人物のそばに身を置いていると、教わるでもなくその人となりが移ってくる。 香草を満たした部屋にいた者から、いつしか同じ匂いがするように。
時雨の化(じうのか)
上に立つ者や師の徳が、下の者をいつのまにか作り変えていくこと。ほどよい折に降る雨が草木を伸ばすさまになぞらえた言い方。
児孫のために美田を買わず(じそんのためにびでんをかわず)
子や孫のために財産を残してやれば、それを当てにして自ら励まなくなる。だからあえて残さないのだという教え。 「美田」はよく実る田地。度重なる苦難を経てこそ志は固まるとうたった漢詩の結びの句で、我が家に遺す教えはこれだけだと言い切っている。
豎子教うべし(じゅしおしうべし)
この若者は仕込みがいがある、と目をかけて言うことば。張良が老人の理不尽な言いつけに黙って従いとおしたのを見て、その老人が漏らしたとされる。
上手は下手の手本、下手は上手の手本(じょうずはへたのてほん、へたはじょうずのてほん)
下手な人が上手な人のやり方を手本にするのは当たり前だが、上手な人も下手な人のやり方が参考になることもあるというたとえ。
上知と下愚とは移らず(じょうちとかぐとはうつらず)
たいていの人は身につけた習いによって右へも左へも動くが、飛び抜けて聡い側と、学ぶ気を持たない側の両端だけは動かない。 「性相近し、習い相遠し」の句に続けて置かれた一句。
性相近し、習い相遠し(せいあいちかし、ならいあいとおし)
生まれ落ちたばかりの中身に、人ごとの開きはさほどない。 のちに何を重ね、何を学んだかが、人と人とを隔てていく。 孔子の言葉で、学びの重みを説くくだりに引かれる。
善悪は友による(ぜんあくはともによる)
人はつきあう友人次第で、善くも悪くもなるということ。 「人は善悪の友による」ともいう。
存養(そんよう)
人が生まれた時から持っている善の心を失わないようにしながら育てること。
他人の飯を食う(たにんのめしをくう)
親元を離れ、他人の間に揉まれて実社会の経験を積むこと。
玉磨かざれば光なし(たまみがかざればひかりなし)
生まれ持ったものは、そのままでは表に出ない。年月をかけて己を練り上げたぶんだけ、人の目に留まるようになる。 「玉磨かざれば器を成さず」「玉琢かざれば器を成さず」ともいう。
矯めるなら若木のうち(ためるならわかぎのうち)
樹木の枝などの形を整えるなら柔らかい若木のうちにせよということ。 人間の悪い癖や欠点なども若いうちになおすのがよいというたとえ。 「矯める」は曲げたり伸ばしたりして形を整えること。
断機の戒め(だんきのいましめ)
物事は途中でやめるべきではないという教え。 孟子が修行の途中で家に帰った時、孟子の母は織りかけの機の糸を断ち切り、修行を中断するのはこのようなものだと戒めたという故事から。 「断機の教え」「孟母断機の戒め」「孟母断機の教え」「断錦」「孟母断機」ともいう。
地の塩(ちのしお)
世の模範や手本のたとえ。神を信じる者は、腐敗を防ぐ力のすぐれた塩のように、社会の純化の模範であれとの意から。
爪に爪なく瓜に爪あり(つめにつめなくうりにつめあり)
「爪」という漢字と「瓜」という似ている漢字の違いを教えた言葉。
鄭家の奴は詩をうたう(ていかのやっこはしをうたう)
ふだん見聞きしていることは、自然に覚えるというたとえ。「鄭家」は、中国後漢の学者である鄭玄。鄭玄の家の雇い人は習いもしないのに詩経をうたうということから。
手塩に掛ける(てしおにかける)
みずから世話をして大切に育てること。 「手塩」は、自分の好みの味付けが出来るように各自の食膳に添えられた塩。 その塩で自分好みに味付けすることから転じて、自分の手で世話をするとの意を表す。
鉄は熱いうちに打て(てつはあついうちにうて)
人は精神が柔軟な若いうちに、頭も身体も鍛えるべきであるというたとえ。また、物事は時機を逸せず、みんなの熱意があるうちに行えというたとえ。鉄は熱して柔らかい間は自由な形に加工しやすいことから。
手取り足取り(てとりあしとり)
細かいところまで一つずつ丁寧に教える様子。
手を取る(てをとる)
相手の手を握り親愛の気持ちなどを表す。または、物事を親切・丁寧に教える様子。
陶冶(とうや)
陶器を作ることと、鋳物を作ること。 または、人の才能や性質を育て上げること。
泣いて育てて笑うてかかれ(ないてそだててわろうてかかれ)
子育ては苦労が伴うものだが、子どもを立派に育て上げれば、老後にはその子が世話をしてくれ、安らかな余生を送ることができるということ。 また、将来の安楽のために、今の苦労を惜しまずに子育てに励むべきだという教え。
二度教えて一度叱れ(にどおしえていちどしかれ)
子どもをしつける時の心得を示した言葉。子どもの過ちや失敗は頭ごなしに怒らず、繰り返してよく教え諭し、それでも聞かない時にたまに叱るくらいがよいということ。
範を垂れる(はんをたれる)
手本として実際に行い示すこと。
祖母育ちは三百安い(ばばそだちはさんびゃくやすい)
年寄りの手にかかった子は、叱られる機会が少ないぶん、値踏みされると分が悪い。 「三百」は三百文で、値の付き方をそのまま銭で言った。 「祖母育ちは銭が安い」ともいう。
人の意見は四十まで(ひとのいけんはしじゅうまで)
40歳を過ぎた人間に意見をしても効果がないということ。また、それくらいの年齢になると、本人の考えを尊重すべきであるということ。
人を誨えて倦まず(ひとをおしえてうまず)
教える側に回って、相手の呑み込みがどれほど遅くても根気を切らさない。 孔子が自らの持ち味として挙げた一句で、「学びて厭わず」と並べて伝えられる。
人を見て法を説け(ひとをみてほうをとけ)
相手をよく見きわめて、それにふさわしい方法を取れということ。 相手の人柄や能力を見て、その人に適した仏法を説けとの意から。 「人」は「にん」ともいう。
木鐸(ぼくたく)
世の中の人を教え導く人。古代中国で、法令などを人民に示す時に用いた、木の舌のついている大鈴の意から。
水は方円の器に随う(みずはほうえんのうつわにしたがう)
人は交友関係や環境しだいで、良くも悪くもなるというたとえ。 「方円」は四角形と円形のこと。水は容器の形によって四角にも丸くもなるということから。
三つ叱って五つほめ、七つ教えて子は育つ(みっつしかっていつつほめ、ななつおしえてこはそだつ)
子どもは少し叱って多くほめ、たくさん教えて育てるのがいいということ。
源清ければ流れ清し(みなもときよければながれきよし)
清らかな水源を持った川は、下流も自然に清らかになるように、上に立つ者の行いが正しければ、下の者の行いも正しくなるということ。
昔は今の鏡(むかしはいまのかがみ)
昔のことは現代の手本になるので、歴史を学ぶことが将来に役立つということ。
名将に種無し(めいしょうにたねなし)
すぐれた将は血筋が生むものではなく、育ちと本人の努力でできあがるということ。
孟母三遷の教え(もうぼさんせんのおしえ)
子どもの教育には良い環境を選ぶことが大切だという教え。 孟子は幼い頃墓地の近くに住んでいたが、孟子が葬式の真似をして遊ぶので母は市場の近くに居を移した。すると孟子は売買の真似をはじめたので、今度は学校のそばに転居した。すると礼儀作法を真似るようになったので教育に最適な場所として安住したという故事から。 「三遷の教え」「孟母の三遷」「孟母の三居」「孟母三遷」などともいう。
蒙を啓く(もうをひらく)
知識のない人々を教えみちびくこと。 「蒙」は、道理に暗いとの意。
門前の小僧、習わぬ経を読む(もんぜんのこぞう、ならわぬきょうをよむ)
毎日その中に置かれていれば、手ほどきを受ける機会が一度もなくても、いつのまにか同じ真似ができる。周りで繰り返されている事柄は、そうと意識しないうちに身の内へ移る。
藪の中の荊(やぶのなかのうばら)
周りに押されて、伸びたい向きへ伸びられない。育つ場所を誤ると、もとの素質まで歪んでしまう。 「荊」は、とげのある低木の総称。
臨済の喝、徳山の棒(りんざいのかつ、とくざんのぼう)
臨済は大声を浴びせ、徳山は棒で打った。ふたりの禅僧が弟子を鍛えるのに用いた荒っぽい手だてで、道を求める場の容赦のなさをいう。
