「寄」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 48 件
「寄」を含む漢字が使われている故事・ことわざ・慣用句を一覧で紹介します。各語を選択すると意味・読み方などの詳細を確認できます。
故事・ことわざ・慣用句一覧
秋の入り日と年寄りはだんだん落ち目が早くなる(あきのいりひととしよりはだんだんおちめがはやくなる)
年々衰える年寄りの健康状態を、急速に暮れていく秋の夕日にたとえたことば。
秋の鹿は笛に寄る(あきのしかはふえによる)
恋のために身を滅ぼすことのたとえ。また、弱みにつけこまれて危険な目に遭うことのたとえ。秋の発情期、雌鹿の鳴き声に似た笛に雄鹿がおびき寄せられて、人間に捕らえられることから。
足下へも寄り付けない(あしもとへもよりつけない)
力量の開きが大きすぎて、とうてい肩を並べられないこと。 相手の足の位置にすら届かないとの意から。 「足元へも寄り付けない」ともいう。
言い寄る(いいよる)
仲良くなろうとして異性に近付く。くどく。
「異性に[言い寄る]」沖にも磯にも寄り付かず(おきにもいそにもよりつかず)
頼れる人がだれもおらず、身を寄せる場所も見つからない、心細い身の上をいう。どちらの側にも加わりきれずに、宙ぶらりんのままでいる様子にも用いられる。 「沖」は陸から遠く離れた海の上、「磯」は岸に近い水ぎわのこと。沖のほうへも行けず、岸のほうからも離れてしまって、どこにも落ち着く先がないありさまからきた言葉。 「沖にも付かず磯にも付かず」「沖にも出でず磯にも付かず」「沖にも磯にも寄り付かず」ともいう。「出でず」は古い言い方で「出ない」のこと。
思いも寄らない(おもいもよらない)
まったく予測できないこと。思いつきもしないこと。
思いを寄せる(おもいをよせる)
何かに心を惹かれること。 また、特定の人を恋い慕うこと。
女三人寄れば姦しい(おんなさんにんよればかしましい)
女性が三人顔をそろえれば、おしゃべりに花が咲いてずいぶんにぎやかになるということ。 漢字の「姦」が「女」を三つ重ねた形をしていて、騒がしい意味を表すことにかけた言い方。
女の足駄にて作れる笛には秋の鹿寄る(おんなのあしだにてつくれるふえにはあきのしかよる)
男の人は女の人の魅力にとても弱く、すぐ心が迷いがちだというたとえ。 「足駄(あしだ)」は、歯の高い下駄のこと。「秋の鹿」は、秋になって雌を恋しがる雄の鹿をさす。女の人がはいていた足駄を材料に笛をこしらえて吹くと、そうした雄の鹿はその音を聞きつけて必ず近づいてくると古くから伝わっていて、男が女の人に引かれるさまを表している。 兼好法師が鎌倉時代の末ごろに著した『徒然草』の第九段に、言い回しを少し変えて出てくる。異性にひかれる迷いだけは、年寄りも若者も、賢い人も愚かな人も変わりがなく、断ち切るのが難しいと述べたうえで、女の髪の毛をより合わせた綱なら大きな象もつなぎとめられるという話と並べてこの言い伝えを挙げ、自分から戒めて用心すべきだと結んでいる。前のほうの話は[[女の髪の毛には大象も繋がる*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/1835.php]]として知られる。秋の鹿を使った似た言葉に[[秋の鹿は笛に寄る*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/1128.php]]がある。
肩を寄せ合う(かたをよせあう)
力の弱い者や心細い身の上の人たちが、そばを離れずに支え合いながら生きていくこと。 言葉のままの意味では、肩が触れるくらいすぐそばに並んで座ったり立ったりする姿をいう。そこから、仲よく一つにまとまり、力を合わせる間柄にも使う。
君子、危うきに近寄らず(くんし、あやうきにちかよらず)
徳のある人は自分を大事にするので、危険なことには決して近づかないということ。
心を寄せる(こころをよせる)
ある人に好意をよせること。慕わしく思うこと。
子供叱るな来た道だもの年寄り笑うな行く道だもの(こどもしかるなきたみちだものとしよりわらうなゆくみちだもの)
子どものいたずらなどは誰しも身に覚えがあるので叱るべきではないし、自分もいずれ年をとるので老人を笑いものにすべきではないということ。
三人寄れば姦しい(さんにんよればかしましい)
女性が三人寄り集まれば、話し声が絶えず騒がしくなるものだということ。 「姦」という漢字が、三つの「女」を並べて組み立てられていることにちなむ。
三人寄れば公界(さんにんよればくがい)
人が三人集まれば、そこはもう公の場所と考えるべきであり、そこでの言動を秘密にするのは難しいということ。 「公界」は、公の場所。世間。
三人寄れば文殊の知恵(さんにんよればもんじゅのちえ)
たとえ凡人でも三人集まって相談すれば、すばらしい知恵がでるというたとえ。「文殊」は、知恵をつかさどる菩薩の名前。
親戚の泣き寄り(しんせきのなきより)
親戚は普段はあまり関わりがなくても、不幸があると集まって一緒に悲しむということ。
親は泣き寄り、他人は食い寄り(しんはなきより、たにんはくいより)
同じ座に顔をそろえていても、来ている理由はまるで違う。 血のつながった側は胸を痛めて、そうでない側は座敷の支度のほうを見ている。 また、いざというとき本気で動くのは身内のほうで、他人の情けは表面で止まる。 単に「他人は食い寄り」ともいう。
数寄を凝らす(すきをこらす)
茶室や調度のひとつひとつに手を入れて、雅びた味わいを持たせること。 「数寄」は風雅を好む心。もとの語は「好き」で、字は後から当てられたもの。
擂り粉木棒の年寄り(すりこぎぼうのとしより)
気づかぬうちに減っていく擂り粉木のように、働いても働いても楽にならず、いつの間にか貧乏をすることのたとえ。
生は寄なり死は帰なり(せいはきなりしはきなり)
人は仮にこの世に身を寄せて生きているのであり、死ねば本来いた所に帰るということ。
灯心で須弥山を引き寄せる(とうしんでしゅみせんをひきよせる)
相手があまりに大きすぎて、こちらの手には掛かりようもないこと。 須弥山は仏教で説く、世界の軸をなす巨大な山。灯心を綱の代わりにして、これを手元へ手繰ろうとする意から。
年は寄れども心は寄らぬ(としはよれどもこころはよらぬ)
年はとっても、気力はまだ衰えていないということ。
年寄りて達者なものは口ばかり(としよりてたっしゃなものはくちばかり)
年寄りは体力や気力は衰えても、口だけは元気だということ。
年寄りと紙袋は入れねば立たぬ(としよりとかんぶくろはいれねばたたぬ)
紙袋は中身を入れなければ立たない。年寄りも腹に物を入れなければ気力が出ないということ。
年寄りと釘頭は引っ込むが良し(としよりとくぎがしらはひっこむがよし)
頭が出たままでは引っかかる。 年を重ねたら、一歩下がって口を挟まずにいるほうが収まりがよい。
年寄りと仏壇は置き所がない(としよりとぶつだんはおきどころがない)
年寄りも仏壇も粗末にはできないが、家の中のどこに据えるかで始末に困る。ないがしろにできないものほど、かえって手に余るというたとえ。
年寄りに新湯は毒(としよりにあらゆはどく)
沸かしたばかりの湯は刺激が強く、年寄りの体にはさわるということ。
年寄りの言うことと牛の鞦は外れない(としよりのいうこととうしのしりがいははずれない)
経験豊富な年寄りの意見に間違いはないということ。 「鞦」は、馬や牛の尻にかけて鞍を固定する紐のこと。
年寄りの達者、春の雪(としよりのたっしゃ、はるのゆき)
年寄りはいくら元気だといっても、春の雪が消えやすいのと同じで、当てにならないということ。
