「他」を含む故事・ことわざ・慣用句
「他」を含む故事・ことわざ・慣用句の一覧です。五十音順に表示しています。
赤の他人(あかのたにん)
全く無関係の他人。「赤」は名詞の上に付くことでそれを強調し、「全くの」「明らかな」「はっきりした」の意を表す。
一樹の陰一河の流れも他生の縁(いちじゅのかげいちがのながれもたしょうのえん)
この世で起こるすべての出来事は、すべて前世からの因縁によるものなので大切にしなければならないということ。 同じ木の陰で雨宿りをしたり、同じ流れの水を飲んだりするといった、偶然のちょっとした出来事も、すべて前世からの縁によるものであるとの意から。 「一河の流れを汲むも他生の縁」ともいう。
一河の流れを汲むも他生の縁(いっかのながれをくむもたしょうのえん)
この世で起こるすべての出来事は、すべて前世からの因縁によるものなので大切にしなければならないということ。 同じ木の陰で雨宿りをしたり、同じ流れの水を飲んだりするといった、偶然のちょっとした出来事も、すべて前世からの縁によるものであるとの意から。 「一河の流れを汲むも他生の縁」ともいう。
親子の仲でも金銭は他人(おやこのなかでもきんせんはたにん)
金銭に関しては、親子の間でも他人と同じようにけじめをつけるべきだということ。
顧みて他を言う(かえりみてたをいう)
答えに窮して、話題を逸らしたり話をはぐらかしたりすること。孟子に問い詰められた梁の恵王が、左右を顧みて、無関係な別のことを言ったという故事から。
貸し借りは他人(かしかりはたにん)
金銭の貸し借りについては、親子の間でも他人と同じようにけじめをつけるべきだということ。
兄弟は他人の始まり(きょうだいはたにんのはじまり)
兄弟姉妹も成長すれば利害関係や結婚などによって、お互いの愛情が薄れ、やがて他人のようになってしまうというたとえ。
金銭は他人(きんせんはたにん)
金銭に関しては、たとえ親子の間でも、他人と同じようにけじめをつけなければならないということ。
親は泣き寄り、他人は食い寄り(しんはなきより、たにんはくいより)
不幸があったとき、身内は心から悲しんで集まるが、他人は葬儀のご馳走を目当てに集まるということ。 身内は困ったときに心から助けようとしてくれるが、他人はうわべだけの同情しか見せないというたとえ。 単に「他人は食い寄り」ともいう。
自他共に許す(じたともにゆるす)
全ての人がそうであると認めること。
袖すり合うも他生の縁(そですりあうもたしょうのえん)
見知らぬ人と袖が触れ合うようなちょっとしたことも、偶然ではなく前世からの因縁によるものなので、どんな出会いも大切にしなければならないということ。 「他生の縁」は前世からの因縁のこと。 「他生」は「多生」とも書く。 「袖振り合う」は「袖すり合う」「袖触れ合う」ともいう。
袖振り合うも他生の縁(そでふりあうもたしょうのえん)
見知らぬ人と袖が触れ合うようなちょっとしたことも、偶然ではなく前世からの因縁によるものなので、どんな出会いも大切にしなければならないということ。 「他生の縁」は前世からの因縁のこと。 「他生」は「多生」とも書く。 「袖振り合う」は「袖すり合う」「袖触れ合う」ともいう。
袖触れ合うも他生の縁(そでふれあうもたしょうのえん)
見知らぬ人と袖が触れ合うようなちょっとしたことも、偶然ではなく前世からの因縁によるものなので、どんな出会いも大切にしなければならないということ。 「他生の縁」は前世からの因縁のこと。 「他生」は「多生」とも書く。 「袖振り合う」は「袖すり合う」「袖触れ合う」ともいう。
他山の石(たざんのいし)
他人の誤った言行を、自分の修養のために役立てること。 よその山から取れたつまらない石でも、自分の宝石を磨くのに使えるとの意から。
他事ながら(たじながら)
「あなたには直接関係のないことですが」の意。 手紙で自分の出来事や様子などを述べるときに用いる語。
他人の疝気を頭痛に病む(たにんのせんきをずつうにやむ)
自分には関係のない物事で、いらぬ心配をすることのたとえ。 「疝気」は漢方で腰・下腹部の病気のこと。 他人の疝気を心配して自分が頭痛になることから。 「人の疝気を頭痛に病む」「隣の疝気を頭痛に病む」ともいう。
他人の空似(たにんのそらに)
血のつながりがない他人同士が、偶然よく似ていること。
他人の宝を数える(たにんのたからをかぞえる)
自分には何の得にもならないことのたとえ。 「他人の宝を数える」「隣の宝を数える」「隣の家の宝を数える」ともいう。
他人の念仏で極楽参り(たにんのねんぶつでごくらくまいり)
他人の力を当てにして、自分の利益を図ったり、義理を果たすことのたとえ。他人の唱えた念仏で自分が極楽へ行こうとする意から。
他人の正目(たにんのまさめ)
利害関係のない他人の見方は、公平で正しいというたとえ。「正目」は縦にまっすぐに筋の通った木目のこと。
他人の飯には棘がある(たにんのめしにはとげがある)
他人の家に世話になって生活することは、どこか窮屈で何かと気を遣うことが多いということ。また、他人の親切には底意があり、頼りきっているとひどい目に遭うこともあるということ。 他人の家で食べる飯は、まるで骨でもあるかのようにのどを通りにくいとの意から。 「他人の飯には棘がある」「他人の飯は強い」ともいう。
他人の飯には骨がある(たにんのめしにはほねがある)
他人の家に世話になって生活することは、どこか窮屈で何かと気を遣うことが多いということ。また、他人の親切には底意があり、頼りきっているとひどい目に遭うこともあるということ。 他人の家で食べる飯は、まるで骨でもあるかのようにのどを通りにくいとの意から。 「他人の飯には棘がある」「他人の飯は強い」ともいう。
他人の飯は白い(たにんのめしはしろい)
他人のものは、自分のものより良く見えるというたとえ。
他人の飯は強い(たにんのめしはつよい)
他人の家に世話になって生活することは、どこか窮屈で何かと気を遣うことが多いということ。また、他人の親切には底意があり、頼りきっているとひどい目に遭うこともあるということ。 他人の家で食べる飯は、まるで骨でもあるかのようにのどを通りにくいとの意から。 「他人の飯には棘がある」「他人の飯は強い」ともいう。
他人の飯を食う(たにんのめしをくう)
親元を離れ、他人の間に揉まれて実社会の経験を積むこと。
他人の別れ棒の端(たにんのわかれぼうのはし)
夫婦が離婚すると、赤の他人よりも疎遠になってしまい、お互いに棒切れほどにしか思わなくなるということ。
他人は食い寄り(たにんはくいより)
不幸があったとき、身内は心から悲しんで集まるが、他人は葬儀のご馳走を目当てに集まるということ。 身内は困ったときに心から助けようとしてくれるが、他人はうわべだけの同情しか見せないというたとえ。 単に「他人は食い寄り」ともいう。
他人は時の花(たにんはときのはな)
季節の花が咲いてすぐ散るように、他人の好意も長続きしないものだから、あまり頼りにしてはいけないという教え。「時の花」は季節に咲く花。
他の追随を許さない(たのついずいをゆるさない)
ある事柄について他の誰も真似できないほど、大きく抜きん出ているさま。
他聞を憚る(たぶんをはばかる)
他人に聞かれると不都合があること。
遠い親戚より近くの他人(とおいしんせきよりちかくのたにん)
いざという時には、遠方に住んでいる親戚より近所に住んでいる他人の方が頼りになるということ。
遠くの親類より近くの他人(とおくのしんるいよりちかくのたにん)
いざという時には、遠方に住んでいる親戚より近所に住んでいる他人の方が頼りになるということ。
のけば他人(のけばたにん)
夫婦はもともと他人同士だから、どんなに仲がよくても離婚するとまったくの赤の他人になるということ。
富貴には他人集まり、貧賤には親戚も離る(ふうきにはたにんあつまり、ひんせんにはしんせきもはなれる)
地位や財産のある者には赤の他人も寄ってくるが、貧乏な者には親戚さえも寄り付かないということ。
他ならない(ほかならない)
絶対にそれ以外のものではない。間違いなくそうだ。
「合格したのは努力した結果に―」他ならない(ほかならない)
特別な関係にある人のこと。
「―あなたからの依頼では断れない」味噌に入れた塩は他所へは行かぬ(みそにいれたしおはよそへはいかぬ)
他人に尽くすことは、一見無駄のように見えても、結局は自分のためになるということ。 味噌に入れた塩は、混じって見えなくなるが、味噌の味を調えるための役に立っているとの意から。