「み」から始まる故事・ことわざ・慣用句
「み」から始まる故事・ことわざ・慣用句 — 151 件
身につまされる(みにつまされる)
他の人の不幸などが他人事とは思えず、自分のことのように感じられること。
身になる(みになる)
相手の立場になってものごとを考えること。 また、知識などが身について、その人のためになること。身体のためになること。
見ぬが花(みぬがはな)
物事は実際に見るまでの間に心の中であれこれと想像しているときが楽しいということ。 「見ぬが心憎し」ともいう。
見ぬ京の物語(みぬきょうのものがたり)
実際には知らないことをいかにも知っているかのように話すこと。また、その話。 実際には行ったことがない京について、いかにも見てきたかのように話すとの意から。 「知らぬ京物語」「似ぬ京物語」ともいう。
見ぬ事は話にならぬ(みぬことははなしにならぬ)
一度見てみないと、人に話せないということ。
見ぬは極楽、知らぬは仏(みぬはごくらく、しらぬはほとけ)
見たり知ったりすれば腹が立つことも、わからなければ穏やかな気持ちでいられるということのたとえ。 不愉快な事も、見なければ極楽気分でいられるし、知らなければ仏様のように心穏やかでいられるとの意から。
見ぬ物清し(みぬものきよし)
見なければ、汚い物事も気にせずにいられるということ。 「見ぬこと清し」ともいう。
身の置き所がない(みのおきどころがない)
申し訳ない気持ちや恥ずかしい気持ちなどから、その場に居続けることが難しい様子。
身の毛がよだつ(みのけがよだつ)
恐ろしい目にあって全身の毛が逆立つほど、ぞっとする様子。
実の生る木は花から知れる(みのなるきははなからしれる)
すぐれた人物は、子どもの頃から凡人とは違うというたとえ。 よく実のなる木は、花が咲くときからわかるとの意から。 「実を結ぶ木は花より知らるる」「生る木は花から違う」ともいう。
実るほど頭の下がる稲穂かな(みのるほどあたまのさがるいなほかな)
人は学問や徳が深まると、かえって謙虚になることのたとえ。 稲穂は実が入ると重くなり頭を下げることから。 「実るほど頭を垂れる稲穂かな」「実る稲田は頭垂る」ともいう。
身は習わし(みはならわし)
人は環境や習慣次第でどのようにも変化するものだということ。
身二つになる(みふたつになる)
妊娠している人が出産すること。子どもを産むこと。
身ほど可愛いものはない(みほどかわいいものはない)
人は自分の身が何よりも大事であるということ。
未亡人(みぼうじん)
夫と死に別れたあと、再婚していない女性。後家。寡婦。
耳が痛い(みみがいたい)
他人の発言が、自らの弱点・欠点を指摘しているように聞こえて、聞いているのがつらく感じる様子。
耳学問(みみがくもん)
人の話を聞いて得た知識。
耳が遠い(みみがとおい)
加齢や病気などで聴力が弱まり、音をよく聞き取れないこと。
耳が早い(みみがはやい)
噂などを聞きつけるのがはやい様子。
耳に入れる(みみにいれる)
情報などを人に知らせること。 また、人から聞くなどして知ること。小耳にはさむこと。
耳に逆らう(みみにさからう)
人からの忠告などを受け入れることができず、不快な気持ちになること。 また、聞き手に不快感を与えること。
耳に障る(みみにさわる)
話を聞いて不快に感じること。
耳にする(みみにする)
聞くつもりのない噂や情報などを偶然聞くこと。
耳に胼胝ができる(みみにたこができる)
何度も同じ事を聞かされてうんざりすることのたとえ。皮膚を繰り返し圧迫すると、たこができるということから。
耳に残る(みみにのこる)
言葉や音などが記憶に残り続けること。
耳に入る(みみにはいる)
聞くつもりのない噂や情報などが自然と聞こえてくること。
耳に挟む(みみにはさむ)
あることをちらりと聞く。偶然聞く。
耳を洗う(みみをあらう)
世俗的な立身出世を避け、高潔な心でいることのたとえ。 中国古代、尭(ぎょう)から帝位を譲りたいといわれた隠士の許由(きょゆう)が、汚れた話を聞いたといって耳を洗い清めたという故事から。 「流れに耳を洗う」「潁水に耳を洗う」「耳を滌ぐ」ともいう。
耳を疑う(みみをうたがう)
想像や予測をしていなかったことを聞いて、信じることができない様子。
耳を掩うて鐘を盗む(みみをおおうてかねをぬすむ)
良心に背くことをしながら、あえて何も考えないようにすること。また、うまく悪事を隠したつもりでも、実際はすっかり知れ渡っていること。 ある男が鐘を盗もうとしたとき、その鐘が大きいため割って運ぼうと槌(つち)で叩いたところ、周囲に大きな音が鳴り響いた。 その音が人に聞かれるのではないかと恐れた男は、愚かにも自分の耳をふさいだという故事から。 「耳を掩うて鈴を盗む」ともいう。
耳を貸す(みみをかす)
人の話を真剣に聞こうとすること。また、相談にのること。
耳を傾ける(みみをかたむける)
その人の話を熱心にきくこと。
耳を汚す(みみをけがす)
つまらない話や嫌な話を聞かせ、相手を不快にさせること。
耳を澄ます(みみをすます)
注意を集中させて聞き取ろうとすること。
耳を貴び、目を賤しむ(みみをたっとび、めをいやしむ)
遠くのものを尊重して、近くのものを軽んじることのたとえ。また、昔を重んじて今を軽視することのたとえ。 人から聞いたことは信じて、自分の目で見たものは信じないとの意から。 「耳を信じて目を疑う」ともいう。
耳を塞ぐ(みみをふさぐ)
聞かないようにすること。
耳を聾する(みみをろうする)
耳が聞こえなくなるほどの、大きな音がするさま。
見目は果報の基(みめはかほうのもとい)
顔かたちが美しいということは、幸運をもたらす元だということ。「見目」は容貌、「果報」は幸運の意。
見目より心(みめよりこころ)
人は外見の美しさよりも、心の美しいことのほうが大切だということ。 「見目」は見た様子、顔立ちのこと。 単に「見目より心」ともいう。
身も蓋もない(みもふたもない)
言動が露骨すぎて味気ないこと、または率直すぎて話の続けようがないことのたとえ。 「身」は蓋に対して器の意。 器も蓋もなく、剝き出しで隠しようがない状態との意から。
脈を取る(みゃくをとる)
患者を診察すること。
見よう見真似(みようみまね)
人のするのを見て覚え、自分でもできるようになること。
見るからに(みるからに)
ちょっと見ただけで。一見して、そういう感じがするさま。
見ると聞くとは大違い(みるときくとはおおちがい)
実際に見るのと人から聞いたのとでは大きな違いがあるということ。また、噂と事実が違うことにもいう。
見るに忍びない(みるにしのびない)
あまりにも気の毒で、見ているのがつらい様子。
見るに堪えない(みるにたえない)
状態がひどかったり気の毒だったりして、見ていることができない様子。
見るは法楽(みるはほうらく)
自分の目でものを見るというのは、たとえようもなく楽しいということ。「法楽」とは神仏に捧げる音楽のこと。転じて楽しみの意。
見るは目の毒(みるはめのどく)
見れば欲しくなるので、見ないほうがよいということ。
見る間に(みるまに)
見ている間に。見る見る。
見る目がある(みるめがある)
物事を正しく判断したり性質を見抜いたりする能力があること。
身を入れる(みをいれる)
物事を一生懸命取り組もうとする様子。
身を起こす(みをおこす)
身体をおこすこと。 また、不遇な環境にいた人が、努力して地位を得ること。
身を落とす(みをおとす)
おちぶれて、不幸な境遇に身をおくこと。
身を固める(みをかためる)
結婚して家庭を持つこと。定まった職業に就くこと。 また、身支度をしっかりと整えること。
身を切る(みをきる)
自分の体の肉が削がれるような辛い思いをするさま。
身を砕く(みをくだく)
労力を惜しまず、大変な努力をするさま。
身を焦がす(みをこがす)
恋慕の情に苦しむこと。恋焦がれること。
身を粉にする(みをこにする)
労力を惜しまず、一生懸命に働くようす。
身を持する(みをじする)
生活態度や品行を厳しく守り、保ち続けること。
身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ(みをすててこそうかぶせもあれ)
自分の身を犠牲にする覚悟でやって、はじめて困難を解決する方法がみつかり、事を成就することができるということ。 溺れかけたとき、水に身をまかせれば体が浮き上がり、浅瀬に立つことができるとの意から。
身を捨てる藪はない(みをすてるやぶはない)
切羽詰まっても、最後まで自分の身だけは棄てることができないということ。
身を挺する(みをていする)
危険や困難を顧みず、自らの身を投げ出して物事にあたること。また、率先して困難な事に取り組むこと。
身を投じる(みをとうじる)
ある事柄や世界に、自らの意思で深く関わること。特に、新たな環境や困難な状況に身を置くこと。 また、身投げすること。
身を投げる(みをなげる)
自らの身を高所や水中に投げ出すこと。主に投身自殺を指す。 また、比喩的に、ある物事に全力で取り組み、身を犠牲にする意でも用いられる。
身を引く(みをひく)
ある立場や関係から退くこと。また、他人に譲るためや状況への配慮から、前に出るのを控えたり関与を避けたりすること。
身を潜める(みをひそめる)
人目につかないように、ひっそりと姿を隠すこと。また、目立つ行動を控え、静かにしていること。
身を任せる(みをまかせる)
相手の思い通りにさせること。
実を結ぶ(みをむすぶ)
努力や苦労したことが、良い結果として現れること。 植物の実がなるとの意から。
身を持ち崩す(みをもちくずす)
品行が悪化し、生活がだらしなくなること。
身を寄せる(みをよせる)
ある人の家に同居し、世話になること。
皆で渡れば怖くない(みんなでわたればこわくない)
間違っていることも、集団になれば平気でできるということ。 1980年頃、漫才コンビ「ツービート」が言った「赤信号皆で渡れば怖くない」から。