「度が過ぎる」に関連する故事・ことわざ・慣用句 — 76 件
「度が過ぎる」に関連する故事・ことわざ・慣用句を一覧で紹介します。各語を選択すると意味・読み方などの詳細を確認できます。全76件を五十音順に掲載しています。
ことわざ一覧(五十音順)
愛立てないは祖母育ち(あいだてないはばばそだち)
祖母に甘やかされて育った子供は、無遠慮でわがままになりやすい。特に、祖母が孫を過剰に可愛がると、礼儀や節度を身につける機会を失うことを戒める言葉。 「愛立てない」は、「愛立ちなし」が転じたもので、無作法や自分勝手の意。
愛は憎悪の始め(あいはぞうおのはじめ)
愛と憎しみは紙一重であり、一歩間違えると愛情は憎悪に変わることがある。愛情を抱く際には、節度やバランスを保つことが大切だということ。 「愛は憎しみの始めなり」ともいう。
垢も身のうち(あかもみのうち)
垢も身体の一部であるから、長湯して丹念に身体を洗うのもほどほどにせよという、風呂好きの人をからかって言うことば。「腹も身の内」をもじったことば。
羹に懲りて膾を吹く(あつものにこりてなますをふく)
失敗に懲りて、必要以上に用心深くなることのたとえ。 「羹」は熱い吸い物のこと。 熱い吸い物を飲んでやけどをしたことに懲りて、冷たい膾まで吹いて冷ますことから。
あまり円きはまろびやすし(あまりまろきはまろびやすし)
まるく収めてばかりでは、押されたときに踏みとどまれない。どこか尖ったところを残しておくほうが、人としては強い。 「まろぶ」は、ころりと転げること。
慌てる乞食は貰いが少ない(あわてるこじきはもらいがすくない)
急ぎ過ぎると、かえって失敗したり損をすることのたとえ。 先を争って施し物を貰おうとすると反感を買ってしまい、貰える物が少なくなってしまうとの意から。
医者の薬も匙加減(いしゃのくすりもさじかげん)
何事も加減が大事だというたとえ。 医者がどんなに良い薬を使っても、分量が適切でなければ効き目がないということ。
上を見れば方図がない(うえをみればほうずがない)
上を見ればきりがないから、節度をわきまえよということ。「方図」は際限の意。
生まれる前の襁褓定め(うまれるまえのむつきさだめ)
物事の手回しがよすぎて大げさなことのたとえ。 「襁褓」は、おむつのこと。 生まれる前から、赤ん坊のおむつの準備で大騒ぎするとの意から。
枝を矯めて花を散らす(えだをためてはなをちらす)
姿かたちを整えようと手を入れるうちに、咲くはずのものを落としてしまう。 見場を気にしすぎて、肝心の実りが残らない。
栄耀に餅の皮を剝く(えようにもちのかわをむく)
度を越したぜいたくをするたとえ。 「栄耀」は、ぜいたくをすること。 ぜいたくに慣れると、むく必要のない餅の皮までむいて食べるようになるとの意から。
鰓が過ぎる(えらがすぎる)
人を顧みずに言いたいことを言う。言葉が度を越して強く、高慢な物言いになること。 「鰓」は魚のえらのことで、人のあごに見立てて、口の利き方を卑しめた言葉。
選んで粕を摑む(えらんでかすをつかむ)
えり好みをし過ぎたために、かえってつまらないものを掴んでしまうたとえ。
遠慮は無沙汰(えんりょはぶさた)
遠慮もほどほどにしないと、かえって失礼になるということ。 先方に遠慮して訪問や連絡を控えすぎると、長期間付き合いが途絶えることとなり、かえって礼を欠くことになるとの意から。 「遠慮が無沙汰」ともいう。
遠慮ひだるし伊達寒し(えんりょひだるしだてさむし)
遠慮も見栄もほどほどにせよということ。 「ひだるし」はひもじいの意。 食事を遠慮して食べないとひもじい思いをし、格好を気にして薄着でいると寒い思いをするとの意から。
勝った自慢は負けての後悔(かったじまんはまけてのこうかい)
勝負に勝った時に自慢しすぎると、負けた時に引っ込みがつかず、恥ずかしい思いをして後悔するということ。
気が遠くなる(きがとおくなる)
①目の前が白くなって、その場の物音も人の姿も遠のいていく。②数の大きさや年月の長さが自分の測れる幅を越えていて、聞いただけで頭が追いつかなくなる。
薬は身の毒(くすりはみのどく)
病気を治すための薬も、適量以上飲めばかえって体に悪いということ。
薬も過ぎれば毒となる(くすりもすぎればどくとなる)
どんなによいものでも、度が過ぎれば害になるというたとえ。 病気を治すための薬も、適量以上に飲めば害になることから。
暮れぬ先の提灯(くれぬさきのちょうちん)
無用な事に手回しがよすぎて間が抜けていることのたとえ。
賢者は中道を取る(けんじゃはちゅうどうをとる)
両の端を避けて、その真ん中を通る。思慮の行き届いた者ほど、そうした選び方をする。英語のことわざを訳したもの。
甲張り強くして家押し倒す(こうばりつよくしていえおしたおす)
必要以上の助けは、かえって悪い結果を招いてしまうということ。 「甲張り」は家などが倒れないようにあてがう材木のこと。 家が倒れないようにあてがう材木が強すぎて、逆に家を押し倒してしまうとの意から。 「甲張り」は「勾張り」とも書く。
心安いは不和の基(こころやすいはふわのもと)
あまりに親しくなり過ぎると遠慮がなくなり、かえって仲違いしやすいということ。
凝っては思案に余る(こってはしあんにあまる)
物事に熱中しすぎると、よい考えも浮かばなくなり、冷静な判断が出来なくなるということ。
小舟の宵拵え(こぶねのよいごしらえ)
まだその時でもないのに、おおげさな支度にかかること。 すぐにも漕ぎ出せる小舟なのに、前の晩から船出の用意を始める意から。
駒の朝走り(こまのあさばしり)
はじめに元気を出し過ぎて、最後まで続かないことのたとえ。 「駒」は、馬のこと。 馬は出発した朝は元気よく走るが、やがて疲れてしまい元気がなくなることから。 「駒の朝勇み」「小馬の朝駆け(朝勇み)」ともいう。
才子、才に倒れる(さいし、さいにたおれる)
優れた才能を持っている人は、その才能を過信しすぎて、かえって失敗することがあるということ。
酒が酒を飲む(さけがさけをのむ)
酒の酔いが回ると、その勢いでさらに大酒を飲むということ。
酒は三献に限る(さけはさんこんにかぎる)
酒は適量を飲むのがいいということ。「三献」は酒宴の礼法で、大・中・小の杯で酒を三杯勧めることを一献といい、それを三回繰り返した三献がほどよい量ということから。
酒は飲むとも飲まるるな(さけはのむとものまるるな)
酒は適度に飲むのはよいが、飲みすぎて理性を失うような飲み方をしてはいけないということ。
酒は飲むべし飲むべからず(さけはのむべしのむべからず)
酒は適量を飲むのはよいが、それは実際には難しいから、まずは飲まないほうがいいという戒めの言葉。
親しき仲に垣をせよ(したしきなかにかきをせよ)
親しい間柄でも遠慮がなくなると不仲のもとになるので、節度を守れという戒めの言葉。 「思う仲には垣をせよ」「良い仲には垣をせよ」「睦まじき仲に垣をせよ」「近しき仲にも垣を結え」などともいう。
しつこい坊主に檀那がない(しつこいぼうずにだんながない)
しつこいものは人に嫌われるというたとえ。「檀那」は、檀家のこと。財物の寄進をしつこく言う僧侶は嫌われるということから。
信心過ぎて極楽を通り越す(しんじんすぎてごくらくをとおりこす)
信仰の心もあまりに強くなりすぎると、まともな道を踏み外し、かえって我が身を損なうということ。何事もほどのよさが大切だという戒め。 極楽を願うあまり、その極楽さえ行き過ぎてしまうという言い方。
自慢高慢酒の燗(じまんこうまんさけのかん)
自慢や高慢、酒の燗もいい加減にしておくのがいいということ。
十分はこぼれる(じゅうぶんはこぼれる)
容器一杯に水をいれると、ちょっとした揺れでこぼれてしまうように、物事も欲を出しすぎると失敗することがあるので、ほどほどが良いということ。
冗談にも程がある(じょうだんにもほどがある)
冗談にも程度があり、度が過ぎてはいけないということ。
過ぎたるは猶及ばざるが如し(すぎたるはなおおよばざるがごとし)
行きすぎたものは、届かなかったものと出来ばえが並ぶ。どちらへ振れても狙った形にはならず、中ほどで踏みとどまるのがよい。
雪上に霜を加う(せつじょうにしもをくわう)
十分すぎるほどあるうえに、さらに同じようなものを加えること。 「雪に霜を加える」「雪の上に霜」ともいう。
大概にする(たいがいにする)
ほどほどにする。ある程度でやめておく。「大概にしろ」の形で使われることが多い。
薪を抱きて火を救う(たきぎをいだきてひをすくう)
害を除こうとして、かえって害を大きくしてしまうことのたとえ。火を消そうとして薪を抱えて火元に近づき、逆に火の勢いを強めてしまうということから。
大吉は凶に還る(だいきちはきょうにかえる)
運が向くのはありがたいが、極みまで行けばあとは下るしかなく、かえって凶に転じる。 何ごとも真ん中あたりで足りているのがよい、という見方で、易の考え方から出た言葉。
寵愛昂じて尼になす(ちょうあいこうじてあまになす)
かわいがるのも度が過ぎると、かえって本人のためにならないというたとえ。 親が娘をかわいがるあまり、いつまでも嫁にやらずついには尼にしてしまうことから。 「尼になす」は「尼にする」ともいう。
頂礼昂じて尼になる(ちょうらいこうじてあまになる)
拝む心が高じるうちに、とうとう髪を下ろすまでになる。 のめり込みが度を越すと、引き返せない身の振り方に至る。
角を矯めて牛を殺す(つのをためてうしをころす)
わずかな欠点を直そうとして、かえって全体をだめにしてしまうたとえ。 「矯める」は、矯正すること。 曲がっている牛の角をまっすぐに直そうとして、牛を死なせてしまうことから。 「角を直して牛を殺す」ともいう。
度が過ぎる(どがすぎる)
程度が許容される限度を越えていること。
度を過ごす(どをすごす)
適切とされる程度を越えること。やりすぎること。
長追いは無益(ながおいはむえき)
勝ちに乗じて深追いすると、思わぬ反撃を受け不利な立場に陥ることもあるので、ほどほどにするのが賢明ということ。 「長追いは無用」ともいう。
蚤の頭を斧で割る(のみのかしらをよきでわる)
わずかなことに、必要以上に大げさで不釣り合いな手段を用いることのたとえ。 小事に対して道具や方法が過度で適当でないこと。 「頭」は「あたま」とも読む。
羽目を外す(はめをはずす)
調子に乗って度を越すこと。「羽目」は馬の口に銜えさせる馬銜(はみ)が転じたものといわれ、この馬銜を外された馬が走り回る意から。
腹八分に医者いらず(はらはちぶにいしゃいらず)
食事をするときは、常に満腹の八割ほどに抑えておくほうが健康でいられるということ。 「腹八分目に医者いらず」「腹八合に医者いらず」「腹八合に病なし」などともいう。
腹も身の内(はらもみのうち)
腹とて他人のものではない。飲み食いの度が過ぎれば、つけを払うのは我が身である。
葉を欠いて根を断つ(はをかいてねをたつ)
整えるつもりで先を刈ったところ、鋏が生きる元まで及ぶ。 刈り込みが過ぎると、育つ力そのものを奪う。
馬鹿も休み休み言え(ばかもやすみやすみいえ)
ばかげたことを言うのもほどほどにして、いい加減にやめよということ。
贔屓の引き倒し(ひいきのひきたおし)
贔屓をしすぎるあまりに、かえってその人に迷惑をかけてしまうこと。
人酒を飲む、酒酒を飲む、酒人を飲む(ひとさけをのむ、さけさけをのむ、さけひとをのむ)
酒の飲み始めは人に自制する心があるが、そのうちに惰性で酒を飲むようになり、やがては酒に飲まれて乱れてしまうということ。酒はほどほどに飲めという戒めの言葉。
火を以て火を救う(ひをもってひをすくう)
鎮めるために持ち出した手立てが、鎮めたい当のものと同じ性質だった。収めるつもりの一手が勢いを煽り、始末はいっそう悪くなる。
舟に懲りて輿を忌む(ふねにこりてこしをいむ)
一度ひどい目に遭うと、少しでも似た形のものまで避けて通るようになるということ。 船に酔った者が、同じく揺れるからといって輿にまで乗りたがらなくなる意から。 輿は、二本の長柄を肩に担いで人を運ぶ、車の付かない乗り物。
分別過ぐれば愚に返る(ふんべつすぐればぐにかえる)
あまり深く考え過ぎると、かえって失敗するということ。「分別」は思慮の意。
ブレーキを掛ける(ぶれーきをかける)
勢いづいて進みすぎそうな動きに、途中で待ったをかけること。車輪の回転を止める装置の名から。
方位家の家潰し(ほういかのいえつぶし)
方角の吉凶を気にしすぎると身動きがとれなくなり、ついには家をつぶす結果になるということ。
仏ほっとけ神構うな(ほとけほっとけかみかまうな)
神仏には近づきすぎないでおけ、という心得。「仏」を「ほっとけ」、「神」を「かまうな」と重ねて口調をそろえた文句。
程がある(ほどがある)
適切とされる程度を超えていることに対して非難したり、呆れたりする時に用いる言葉。
目に余る(めにあまる)
程度があまりにもひどく、見過ごせない状態にあること。 また、数が多く、一目で見渡すことができないこと。
焼き餅と欠き餅は焼く方が良い(やきもちとかきもちはやくほうがよい)
女性は冷淡よりむしろ、適度にやきもちを焼くくらいのほうがかわいいということ。「欠き餅」とは、正月の餅を手で割って小さくしたもの。嫉妬する意味のやきもちと餅をかけた言葉。
焼き餅は狐色(やきもちはきつねいろ)
女性の適度なやきもちはかわいいが、焼きすぎると嫌われる。餅を狐色に焼くように、ほどよい程度に焼くのがよいということ。
焼き餅焼くとて手を焼くな(やきもちやくとててをやくな)
やきもちも焼きすぎれば身を焦がし、あとから繕いのきかないところまで行ってしまう。 妬く心はほどよいところで抑えよ、というたしなめ。 「焼き餅を焼く」の焼くと、持て余す意の「手を焼く」の焼くを重ねた言葉遊び。
山より大きな猪は出ぬ(やまよりおおきないのししはでぬ)
猪がどれほど大きく育とうと、そのすみかである山を超える丈にはなれない。 うつわを超える中身は出てこないのだから、話を大きくするのもそのあたりまでにしておけということ。
湯に入りて湯に入らざれ(ゆにいりてゆにいらざれ)
何事もほどほどがよいというたとえ。 入浴も度を越すと、健康を損なうこともあるので適度がよいという意味から。
湯の辞儀は水になる(ゆのじぎはみずになる)
遠慮もほどほどにしないと、かえって失礼になるということ。 「辞儀」は遠慮のこと。 湯を勧められた時、遠慮してぐずぐずしていると、湯が冷めて水になることから。
欲が深い(よくがふかい)
欲求や願望が度を越えていること。
留守見舞いは間遠にせよ(るすみまいはまどおにせよ)
家の主が出ているあいだに足しげく通えば、あらぬ噂の種になる。見舞うにしても間をあけて、めったに顔を出さぬくらいがよい。
礼も過ぎれば無礼になる(れいもすぎればぶれいになる)
作法を重ねすぎると、受ける側はかしこまらされて居心地を悪くする。敬うつもりの振る舞いが、逆に相手を遠ざけてしまう。
老婆心(ろうばしん)
必要をこえて世話を焼いたり、あれこれ気に病んだりすること。多くは、人に忠告するときの前置きに使われ、出過ぎた口であることをことわる言い方になる。 もとは禅の言葉で、年老いた女性が孫を思うように、師が弟子へ念入りに教え説くことをいった。それが転じて、行き届きすぎた親切のほうを指すようになった。「老婆心切」ともいう。
我が田への水も八分目(わがたへのみずもはちぶんめ)
自分の利益を優先しすぎず、欲を抑えて周囲との調和を図るべきであるということ。 田に水を引く際、自分の田だけに満水まで引くのではなく、他者の田にも配慮し、適度なところで止めるべきであるという考えから。 独占や過度な利己主義を戒める言葉。
輪を掛ける(わをかける)
程度を甚だしくすること。大袈裟にすること。 語源には大きく二つの説があり、一つ目は弓道の弦(つる)と弓による説。 弦で作った輪を弓にかけて弦を張って矢を遠くまで飛ばすことから、勢いが強くなることを表すとするもの。 二つ目は、樽(たる)や桶(おけ)をとめる箍(たが)による説。 箍をはめると樽や桶がひとまわり大きくなることから、程度が大きくなることを表すとするもの。 「之繞(しんにゅう)を掛ける」ともいう。
