「花」で終わる故事・ことわざ・慣用句
「花」で終わる故事・ことわざ・慣用句 — 21 件
一輪咲いても花は花(いちりんさいてもはなははな)
たとえ小さく目立たない存在でも、その存在自身には何ら変わりはないということ。
炒り豆に花(いりまめにはな)
衰えていたものが、再び栄えることのたとえ。また、ありえないことが実現することのたとえ。 炒った豆に芽が出て花が咲くということから。 「炒り豆に花」ともいう。
言わぬが花(いわぬがはな)
はっきりと口に出していうより、黙っていたほうが趣があるということ。
優曇華の花(うどんげのはな)
きわめて珍しいことのたとえ。「優曇華」は三千年に一度咲くという、インドの想像上の植物。「盲亀の浮木、優曇華の花」と続けてもいう。
老い木に花(おいきにはな)
老木に再び花が咲くように、一度衰えたものが再び盛んになることのたとえ。 「枯れ木に花咲く」ともいう。 また単に「老い木に花」や「枯れ木に花」ともいう。
鬼も十八、番茶も出花(おにもじゅうはち、ばんちゃもでばな)
器量が悪くても、年ごろになれば誰でも娘らしい魅力が出てくるということ。 鬼の娘でも十八という年ごろになれば娘らしくなるし、安い番茶も入れたては香りがよくおいしいとの意から。 単に「鬼も十八」また「番茶も出花」ともいう。
解語の花(かいごのはな)
美人のたとえ。「解語」は言葉を解することで、言葉がわかる花の意。唐の玄宗皇帝が楊貴妃のこと指して言ったという故事から。
火事と喧嘩は江戸の花(かじとけんかはえどのはな)
江戸は人家が密集していたため大火事が多く、火消しの働きぶりが華やかであった。また、江戸っ子は気が短いため喧嘩も威勢がよく派手であった。この二つが江戸の名物だったということ。
器量は当座の花(きりょうはとうざのはな)
器量がいいなどというのは、人生の中のほんの一時のものに過ぎないということ。
添わぬうちが花(そわぬうちがはな)
結婚して一緒に生活するようになると、お互いの欠点が目立つようになるので、結婚前が一番楽しい時期だということ。
高嶺の花(たかねのはな)
高い嶺に咲くきれいな花のように、遠くから見るだけで手に入れることの出来ないもののたとえ。
薪に花(たきぎにはな)
姿は上品ではなくても、内にはやさしさや風雅の心を秘めていることのたとえ。 薪を採る山人が、積んだ薪に野山の花を添えるの意。
立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花(たてばしゃくやく、すわればぼたん、あるくすがたはゆりのはな)
美人の容姿や立ち居振る舞いを形容することば。
他人は時の花(たにんはときのはな)
季節の花が咲いてすぐ散るように、他人の好意も長続きしないものだから、あまり頼りにしてはいけないという教え。「時の花」は季節に咲く花。
沈魚落雁、閉月羞花(ちんぎょらくがん、へいげつしゅうか)
この上ない美女のこと。 あまりの美しさに、魚は沈み、雁は落ち、月は雲間に隠れ、花は恥じてしぼむとの意から。
待つうちが花(まつうちがはな)
物事はあれこれ想像して待っている間が楽しいものであるということ。 「待つ間が花」ともいう。
三つ子に花(みつごにはな)
そぐわない人に大事なものを預けて安心できないことのたとえ。また、ものの値打ちがわからない者に優れた物を与えても何の役にも立たないことのたとえ。 幼い子に花を持たせてもすぐにめちゃくちゃにしてしまうとの意から。
見ぬが花(みぬがはな)
物事は実際に見るまでの間に心の中であれこれと想像しているときが楽しいということ。 「見ぬが心憎し」ともいう。
物言う花(ものいうはな)
美人のたとえ。言葉を話す美しい花の意。
幽霊の正体見たり枯れ尾花(ゆうれいのしょうたいみたりかれおばな)
怖いと思っていると、何でもないものまで恐ろしく見えてしまうことのたとえ。 また、正体がわかると怖かったものも何でもなくなるということ。 「尾花」はススキの穂。 幽霊だと思って恐れていたものが、よく見ると枯れたススキの穂だったとの意から。 「化け物の正体見たり枯れ尾花」ともいう。
両手に花(りょうてにはな)
すばらしいものを二つ同時に手に入れることのたとえ。また、一人の男性が二人の女性を連れていることのたとえ。
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