「魚」に関連する故事・ことわざ・慣用句 — 85 件
「魚」に関連する故事・ことわざ・慣用句を一覧で紹介します。各語を選択すると意味・読み方などの詳細を確認できます。全85件を五十音順に掲載しています。
ことわざ一覧(五十音順)
脂が乗る(あぶらがのる)
魚などに脂肪がついておいしくなること。また、仕事などがおもしろくなり、調子が出ること。
網、呑舟の魚を漏らす(あみ、どんしゅうのうおをもらす)
法の規制が及ばず、大悪人を取り逃がしてしまうことのたとえ。 網の目が粗いために、舟を呑み込むほどの大魚を逃がしてしまうことから。
網にかかった魚(あみにかかったうお)
逃げようとしても逃げ出せないことのたとえ。
網にかかるは雑魚ばかり(あみにかかるはざこばかり)
悪事をはたらいても捕まるのは小物ばかりで、大物は巧みに逃げてなかなか捕まらないということ。
鮟鱇の待ち食い(あんこうのまちぐい)
働かずにじっと機会を待って、利益を得ようとすることのたとえ。鮟鱇は大口を開けて、小魚が口に入ってくるのを待ち受けていることから。
生け簀の鯉(いけすのこい)
自由を束縛されていることのたとえ。また、死が待ち受けている運命のたとえ。
鰯網で鯨捕る(いわしあみでくじらとる)
思いがけない幸運や収穫を得たりすることのたとえ。また、あるはずのないことのたとえ。
鰯で精進落ち(いわしでしょうじんおち)
せっかくの努力がつまらないことで報われなくなることのたとえ。また、長い間の努力が十分に報われないことのたとえ。 「精進落ち」は菜食で身を慎む精進期間が終わって、魚肉類を食べること。 精進期間中に鰯のようなつまらない魚をうっかり食べてそれまでの努力を無駄にするとの意から。また、精進期間が終わったのに鰯のようなつまらない魚で祝いをするとの意から。
鰯の頭も信心から(いわしのあたまもしんじんから)
どんなつまらないものでも、信じる心があれば尊く思われるということ。節分の夜、鰯の頭をひいらぎの枝に刺して門口に置くと鬼気を追い払うといわれてきたことから。
魚心あれば水心(うおごころあればみずごころ)
相手が好意を示せば、こちらもまた好意を持つ。 先方の出方次第で、こちらの態度が決まるということ。 もとは「魚、心あれば、水、心あり」で魚と心、水と心が一語化したものといわれる。 魚が水に好意を示せば、水もその魚に好意を持つであろうという意味から。 「水心あれば魚心」「網心あれば魚心」ともいう。
魚と水(うおとみず)
魚は水を離れれば生きてゆけない。それと同じで、一方を欠いては立ちゆかない結びつき。君臣にも友どうしにもいい、そばを空けられぬ間柄をさす。
魚の木に登るが如し(うおのきにのぼるがごとし)
魚が木に登ろうとするように、不可能なことをしようとするたとえ。
魚の釜中に遊ぶが如し(うおのふちゅうにあそぶがごとし)
危険が迫っていることも知らずにのんきにしていることのたとえ。また、死が迫っていることのたとえ。 やがて煮られることも知らずに魚が釜の中をのんびり泳いでいることから。 「釜中の魚」ともいう。
魚の水に離れたよう(うおのみずにはなれたよう)
水から出た魚のように、頼りを失ってどうすることもできないことのたとえ。
魚の水を得たよう(うおのみずをえたよう)
自分の力を発揮できる場所を得て、生き生きと活躍するようすのたとえ。
魚の目に水見えず(うおのめにみずみえず)
自分の身近なものの価値には気がつきにくいことのたとえ。
魚は鯛(うおはたい)
魚のなかでは鯛が最上であるということ。比喩的に同種類の中の最上をもいう。
魚を得て筌を忘る(うおをえてうえをわする)
望みのものが手に入れば、そこまで支えていた手立ては頭から消える。 助けを借りて事を成した相手についても、同じことが起こる。 「筌」は川に仕掛けて魚を捕らえる編み具で、「せん」「うけ」とも読む。
鵜川の小鮎(うかわのこあゆ)
身をかわす道が塞がれていること。 鵜を放つ川で育った小鮎は、いずれ嘴に呑まれるほかない。
鰻の寝床(うなぎのねどこ)
間口が狭く、奥行きの長い建物や場所のたとえ。
鰻登り(うなぎのぼり)
物価や人気、地位などが、とどまるところを知らずに上がり続けることのたとえ。 鰻は体をくねらせながらも水中をまっすぐ上っていくもので、その勢いに見立てた言い方。
海魚腹から川魚背から(うみうおはらからかわうおせから)
海の魚は腹から、川の魚は背から裂くのがよいということ。
江戸っ子は五月の鯉の吹き流し(えどっこはさつきのこいのふきながし)
江戸っ子は口は悪いが気性はさっぱりとしていて、物事にこだわらないということ。また、口先ばかり威勢がよくて意気地がないということ。「吹き流し」は、鯉のぼりのことで、吹き抜けで腹の中が空洞になっていることから。「口先ばかりで腸なし」と続けてもいう。
蝦踊れども川を出でず(えびおどれどもかわをいでず)
跳ねる力がいくらあっても、その身に定まった分を越えたところへは行けない。おのおの持ち場の内で生きるほかない。 蝦は水底で勢いよく身をはねるが、はねた先はやはり同じ川である。
海老で鯛を釣る(えびでたいをつる)
わずかな元手や労力で大きな利益を得るたとえ。 略して「海老鯛(えびたい)」ともいう。 また、「蝦蛄(しゃこ)で鯛を釣る」「雑魚(ざこ)で鯛を釣る」「飯粒(めしつぶ)で鯛を釣る」「麦飯(むぎめし・むぎいい)で鯉を釣る」「鼻糞で鯛を釣る」などともいう。
親を睨むと鮃になる(おやをにらむとひらめになる)
親に反抗したりおろそかに扱ったりしてはいけないという戒めの言葉。 親を睨んだりすると、ばちが当たって鮃(ひらめ)のように目がかたよってしまうとの意から。 「親を睨むと鰈(かれい)になる」ともいう。
及ばぬ鯉の滝登り(およばぬこいのたきのぼり)
どんなに頑張ってもとうてい不可能なことのたとえ。また、いくら望んでも見込みのない恋のたとえ。「及ばぬ恋」と「鯉の滝登り」をかけていった言葉。
蕪は鶉となり、山芋は鰻となる(かぶらはうずらとなり、やまいもはうなぎとなる)
起こるはずのないことが時には起こることのたとえ。また、身分の低い人が急に出世したり金持ちになることのたとえ。 いくら形が似ていても、蕪(かぶら)が鶉(うずら)になったり山芋が鰻になったりすることなどありえないが、それが起こるとの意から。 「山の芋鰻になる」ともいう。
木に縁りて魚を求む(きによりてうおをもとむ)
方法を誤ると目的を達成できないことのたとえ。 木に登って魚を探すとの意から。
金魚の糞(きんぎょのふん)
一人の人物の後ろを大勢の人がぞろぞろついて回るさま。また力のある人の周りを弱い人が付き従って離れないさま。 金魚の糞が切れずに長くつながっている様子から。 「金魚のうんこ」ともいう。
魚腹に葬らる(ぎょふくにほうむらる)
海や川で水死するたとえ。 海や川で溺れ死んで魚の餌となり、その腹に葬られるとの意から。
腐っても鯛(くさってもたい)
もとが良いものは、傷んで見栄えを落としてからも、そこらの品と一緒にはならない。鯛は腐りかけてもなお鯛で、安魚とは値の付き方からして違う。
鯉の滝登り(こいのたきのぼり)
立身出世のたとえ。中国の黄河上流にある竜門という急流を登りきった鯉は竜になるという故事から。
鯉の一跳ね(こいのひとはね)
諦めがいいこと。潔いこと。捕らえられた鯉は一度跳ねるだけで、あとはじたばたしないという意味から。
炬燵で河豚汁(こたつでふぐじる)
大事をとりながら危険なことをするという矛盾した行為のたとえ。炬燵でゆっくり休養しながら、危険な河豚汁を食べることから。
ごまめでも尾頭つき(ごまめでもおかしらつき)
体は小さくとも、あるべきものは何一つ欠けていないこと。「ごまめ」は乾かした小魚で、頭も尾も付いたままの姿からいう。
鱓の歯軋り(ごまめのはぎしり)
歯向かうだけの力がない者が、腹立ちまぎれに歯を鳴らしても、何ひとつ動かせないこと。「鱓」は乾かした小魚で、それが歯を鳴らしたところで、という言い方。
魚は殿様に焼かせよ餅は乞食に焼かせよ(さかなはとのさまにやかせよもちはこじきにやかせよ)
魚は手出しを控えて待つ者に、餅はせわしなく世話を焼く者に向く。同じ焼くという仕事でも求められる性分は正反対で、人を割り当てるならその性分のほうから決めよということ。
五月の鯉で口ばかり(さつきのこいでくちばかり)
口では手厳しいことを並べても、それだけで底意はないこと。鯉のぼりの大きな口に引き比べた言い方。
五月の鯉の吹き流し(さつきのこいのふきながし)
胸の内に含むところがなく、思ったままを口にする人柄をいう。五月の空を泳ぐ鯉のぼりが、大きな口から風を通り抜けさせることになぞらえた言い方。
鯖の生き腐れ(さばのいきぐされ)
鯖はいたみやすく、新鮮なように見えても腐りはじめていることがあるということ。
鯖を読む(さばをよむ)
実際より数を多く言ったり少なく言ったりしてごまかすこと。「読む」は、数えるという意。市場で鯖を数える時、早口で読んでその数をごまかしたことからといわれる。
猿の水練、魚の木登り(さるのすいれん、うおのきのぼり)
見当違いのことをするたとえ。
雑魚の魚交じり(ざこのととまじり)
小物が大物の仲間入りをしていること、また身分・能力にふさわしくない地位に就くことのたとえ。 雑魚が大きな魚の中に入り混じっていることから。
水魚の交わり(すいぎょのまじわり)
隔てを置かず深く通じ合った仲。蜀の劉備が、新参の諸葛孔明を厚く用いるのを古参の将が快く思わなかったとき、孔明を欠いた自分は水を失った魚だと答えたことに基づく。
俎上に載せる(そじょうにのせる)
ある物事や人物を取り上げて、論じたり批評したりすること。 「俎上」は、まな板の上。 料理するために魚をまな板の上に載せるとの意から。
俎上の魚(そじょうのうお)
もう手を出す余地がなく、相手の出方しだいで先が決まる。 煮るなり焼くなり好きにしろと腹を括る側にも用いる。
俎上の魚江海に移る(そじょうのうおこうかいにうつる)
危機的な状況から脱して安全な場所に移ること。 まな板の上の魚が川や海に逃げるという意味から。 「俎」はまな板のこと。 「江海」は川や海のこと。
大魚は小池に棲まず(たいぎょはしょうちにすまず)
力のある者は、自分の丈に合わない小さな場所には長居をしない。 大きな魚が小さな池を棲みかにしないのと同じで、器に見合う場を求めて出ていく。
大魚を逸する(たいぎょをいっする)
あと一歩で掌に収まるはずだった大物を、するりと取り逃がす。 指先が触れていただけに、逃した痛手は大きい。
鯛なくば狗母魚(たいなくばえそ)
望みどおりのものが手に入らないなら、見劣りするものでその場をしのぐよりほかにないということ。 「狗母魚」はエソのことで、身をすり潰して練り物に仕立てる白身魚。姿のまま膳にのぼる鯛とは、もとより扱いが違う。
鯛の尾より鰯の頭(たいのおよりいわしのかしら)
立派な集まりの末席に連なるより、小さな集まりでもかしらとして立つほうがよいということ。 鯛は高値でも尾は切れ端、鰯は安くとも頭は先頭という、二つの魚の取り合わせでいったもの。
鯛も一人は旨からず(たいもひとりはうまからず)
どんなにおいしいものでも、一人で食べるのではおいしくない。大勢で食べる食事のほうがおいしいということ。 「一人」は「独り」とも書く。
大漁の明日(たいりょうのあした)
よいめぐり合わせは、そう続けざまには巡ってこない。 今日網が重かったからといって、明日も同じ群れが寄ってくると決まってはいない。よい日の翌朝ほど、当てが外れると思っておいたほうがよい。
高い舟借りて安い小魚釣る(たかいふねかりてやすいこざかなつる)
道楽の道に入れ込んだ者は、かかりと見返りの釣り合いなど気にもかけない。 舟賃をかけて漕ぎ出しながら、持ち帰るのは値の付かない小魚ばかりで、どう数えても元は取れない。それでも当人にはいっこうに惜しくない。
田作りも魚の内(たづくりもうおのうち)
見くびられがちな者でも、数に入れれば立派な戦力になる。端の一人として当てにして差し支えない。 「田作り」は小魚を干して作る正月の祝い肴。ごまめともいう。
鱈汁と雪道は後が良い(たらじるとゆきみちはあとがよい)
鱈汁は煮込むほどだしが出ておいしくなるので、あとから食べるほうがいいし、雪道は人が歩いたあとを行くと歩きやすいということ。
池魚の殃(ちぎょのわざわい)
思いがけないことに巻き込まれて災難にあうことのたとえ。昔、中国で城門が火事になり池の水を使って消火したため、水がなくなり池の魚が死んでしまったという故事から。
沈魚落雁、閉月羞花(ちんぎょらくがん、へいげつしゅうか)
この上ない美女のこと。 あまりの美しさに、魚は沈み、雁は落ち、月は雲間に隠れ、花は恥じてしぼむとの意から。
釣った魚に餌はやらぬ(つったさかなにえさはやらぬ)
親しい間柄になったあとは、相手の機嫌をとる必要はないということ。多く男女の仲についていう。
轍鮒の急(てっぷのきゅう)
危機が差し迫っていることのたとえ。 「轍」は車輪の跡、わだちのこと。 「鮒」は魚の鮒(ふな)のこと。 車輪の跡にできた枯れかけの水たまりにいる鮒という意味から。
登竜門(とうりゅうもん)
立身出世の関門のたとえ。中国の黄河上流にある竜門という急流をさかのぼることができた鯉は竜になるという故事から。
呑舟の魚(どんしゅうのうお)
大物、大人物のたとえ。 善人と悪人どちらにも用いる。 舟を丸のみするほどの大魚との意から。
流れ川に大魚なし(ながれがわにたいぎょなし)
大人物や才能ある者がその力を発揮するには、適した環境が必要であるということ。 大きな魚は深い淵(ふち)に棲むもので、流れの速い浅い川にはいないことから。
逃がした魚は大きい(にがしたさかなはおおきい)
手に入れそこなったものは惜しさが加わって、特にすぐれたもののように感じられるというたとえ。「魚」は「うお」とも読む。 「逃した魚は大きい」「逃げた魚は大きい」「釣り落とした魚は大きい」ともいう。
猫が肥えれば鰹節が痩せる(ねこがこえればかつおぶしがやせる)
一方がよくなれば他方が悪くなり、一方に利があれば他方に損があるというたとえ。鰹節を食べて猫は太るが、食べられた鰹節は痩せるとの意から。
猫に鰹節(ねこにかつおぶし)
油断できない状況、危険な状況のたとえ。 猫のそばに好物の鰹節を置くことから。
猫の魚辞退(ねこのうおじたい)
内心は欲しくてたまらないのに、うわべだけ遠慮することのたとえ。 また、その場だけのことで長続きしないことのたとえ。 猫が大好きな魚を辞退するとの意から。 「猫の精進」「猫の魚を食わぬ振り」ともいう。
猫も跨いで通る(ねこもまたいでとおる)
猫も跨いで通り過ぎるほど、おいしくない魚のこと。また、上手に食べ終わって、何も残っていない魚の骨のこと。
猫を追うより皿を引け(ねこをおうよりさらをひけ)
その場のがれより、根本を正すことが大事だというたとえ。皿をねらっている猫を追い払うより、皿を片付けるほうがいいということから。 「猫を追うより魚をのけよ」「猫を追うより鰹節を隠せ」ともいう。
干潟の鰯(ひがたのいわし)
自滅するのを待つしかないことのたとえ。 干潟に取り残された鰯は死ぬしかないとの意から。
左鮃右鰈(ひだりひらめみぎかれい)
鮃と鰈の見分け方をいったもの。目がからだの左側にあるのが鮃で、右側にあるのが鰈だということ。
瓢箪で鯰を押さえる(ひょうたんでなまずをおさえる)
押さえたつもりの先から、するりと抜けていく。 話の的をいつまでも絞らせない相手のほか、決め手を欠いたやり取りの形容にも回す。
河豚食う馬鹿、食わぬ馬鹿(ふぐくうばか、くわぬばか)
河豚(ふぐ)には毒があるのでむやみに食べるのも愚かだが、毒を恐れておいしい河豚を食べないのも愚かであるということ。 「河豚食う無分別河豚食わぬ無分別」ともいう。
河豚にも中れば鯛にも中る(ふぐにもあたればたいにもあたる)
運の悪い時には、安全であるはずのものでも害になることがあるというたとえ。毒のある河豚は中毒の危険があるが、毒のない鯛でも害になることもあるということ。
河豚は食いたし命は惜しし(ふぐはくいたしいのちはおしし)
おいしい河豚は食べたいが、毒にあたって命を落とすのが怖くて手が出せない。いい思いはしたいが、あとのたたりが怖くてためらうことのたとえ。
鮒の仲間には鮒が王(ふなのなかまにはふながおう)
つまらない者の中では、やはりつまらない者が首領となることのたとえ。また、つまらない者たちの中にもそれにふさわしい首領がいるというたとえ。
水清ければ魚棲まず(みずきよければうおすまず)
水が澄みきっていると、餌も身を隠す場もなく魚は寄りつかない。人も、非の打ちどころのない生き方を通していると、周りが気詰まりを覚えてそばに集まらなくなる。
水清ければ大魚なし(みずきよければたいぎょなし)
上に立つ者が隅々まで目を光らせると、器の大きい者ほど窮屈がり、やがて席を立つ。 西域を去る班超が、後任に「細かく詮索するな」と説いた際の一句。
水を得た魚のよう(みずをえたさかなのよう)
その人の力を発揮できる場所を得て、生き生きと活躍するようすのたとえ。
水を離れた魚(みずをはなれたうお)
水から出た魚のように、頼りを失って自由がきかないことのたとえ。
目高も魚のうち(めだかもととのうち)
とるに足りないようなものでも仲間には違いがないというたとえ。目高のように小さな魚でも、魚の仲間に違いはないということから。
目には青葉、山時鳥、初鰹(めにはあおば、やまほととぎす、はつがつお)
夏の入り口を、目に映るもの・耳に届くもの・舌に乗るものの三つで言い切った一句。 どれもこの時季を過ぎれば手に入らない。 江戸前期の俳人山口素堂の発句による。
柳の下にいつも泥鰌はいない(やなぎのしたにいつもどじょうはいない)
まぐれ当たりは、同じ場所で二度は起きない。うまくいった手口をそのまま繰り返しても、次は空振りに終わる。
山の芋鰻とならず(やまのいもうなぎとならず)
世の中では突拍子もない変化は起こらないというたとえ。
