「技術」に関連する故事・ことわざ・慣用句 — 98 件
「技術」に関連する故事・ことわざ・慣用句を一覧で紹介します。各語を選択すると意味・読み方などの詳細を確認できます。全98件を五十音順に掲載しています。
ことわざ一覧(五十音順)
顎振り三年(あごふりさんねん)
技量を身に付けるまでには長い年月がかかるということ。尺八は、顎を振って微妙な音を出すこつを会得するまでに三年かかることから。
鞍上人なく、鞍下馬なし(あんじょうひとなく、あんかうまなし)
乗り手が巧みに馬を乗り回し、乗り手と馬が一体となって見えるさま。乗り手と馬の呼吸が合い、鞍の上の人と鞍の下の馬が渾然一体となっている意から。
板に付く(いたにつく)
経験を積んで、動作や態度などが職業や地位にふさわしくなること。 「板」は芝居の舞台のこと。 役者の芸が舞台にぴったり合うとの意から。
一芸は道に通ずる(いちげいはみちにつうずる)
一芸を極めた人は、他のどんな分野においても人にぬきんでることができるということ。
一家を機杼す(いっかをきちょす)
機(はた)を織っていろいろな模様を織り出すように、独自の言論や文章を作り出して一派を立てること。 「機杼」は、機織りの時、横糸を通す道具。
一家を成す(いっかをなす)
家庭を持つ。また、学問や芸術の分野で新しい流派を立ち上げる。 「一家を立てる」ともいう。
衣鉢を継ぐ(いはつをつぐ)
学問・芸術などで、弟子が師から奥義を受け継ぐこと。 「衣鉢」は仏教語で僧侶が身にまとう袈裟と鉢のこと。転じて、その道の奥義の意。
衣鉢を伝う(いはつをつたう)
学問・芸術などで、師が弟子に奥義を教え伝えること。 「衣鉢」は仏教語で僧侶が身にまとう袈裟と鉢のこと。転じて、その道の奥義の意。
腕が上がる(うでがあがる)
能力や技術が進歩すること。 また、あまり酒が飲めない人が、前よりも多く飲めるようになること。
腕を鳴らす(うでをならす)
優れた技量を発揮して名声を得ること。
腕を振るう(うでをふるう)
身につけた腕前や能力を十分に発揮すること。
腕を磨く(うでをみがく)
能力や技術が向上するように習練に励むこと。
海の事は漁師に問え(うみのことはりょうしにとえ)
その道のことは、その道の専門家に相談するのが最善の方法だということ。
運用の妙は一心に存す(うんようのみょうはいっしんにそんす)
何事もその機能をうまく活用するためには、それを用いる人の心ひとつにかかるということ。
お家芸(おいえげい)
最も得意とする技術や方法。 代々その家に伝わる独特の芸の意から。
大向こうを唸らせる(おおむこうをうならせる)
役者が大向こうにいる観客の賞賛を受けること。また、一般大衆の人気を得ること。「大向こう」は、舞台の正面後方にある観客席のことで、転じて芝居好きの観客のこと。その芝居通を唸らせるような演技をするということから。
お株を奪う(おかぶをうばう)
人が得意とすることをまねて、その人以上にうまくやること。「お株」は得意とするわざの意。
お手の物(おてのもの)
たやすく出来るもの。得意とするもの。 自分の手中にした物との意から。
櫂は三年、櫓は三月(かいはさんねん、ろはみつき)
櫂の扱い方は、櫓の扱い方に比べてずっと難しいということ。
芥子は気短に搔かせろ(からしはきみじかにかかせろ)
からしは手早くかかないと辛みがぬけるので、気の短い者に勢いよくかかせろということ。
体で覚える(からだでおぼえる)
実際に体験して、技術などを全身の感覚で身に付けること。
狐七化け、狸は八化け(きつねななばけ、たぬきはやばけ)
狐は七つのものに化けることができるが、狸は八つのものに化けられる。狐よりも狸のほうが化けるのが上手だということ。 「狐の七化け狸の八化け」ともいう。
木もと竹うら(きもとたけうら)
木は根元のほうから、竹は先のほうから割るとうまく割れるということ。物事にはやりやすい方法や順序があるというたとえ。「うら」は、「末」で先の方の意。
器用貧乏人宝(きようびんぼうひとだから)
何でもこなせるので、あちこちから当てにされて手が空かない。 当人は一つの看板を立てられないまま、実入りの薄いところに留まる。
口も八丁、手も八丁(くちもはっちょう、てもはっちょう)
しゃべることも腕前も達者なこと。 「八丁」は巧み、達者であること。 単に「手も八丁」とも、また「口八丁手八丁」「手八丁口八丁」ともいう。
首振り三年、ころ八年(くびふりさんねん、ころはちねん)
尺八は、首を振りながら吹けるようになるのに三年かかり、ころころというよい音を出すのには八年かかるということ。何事を成すにも、それ相応の修練が要るというたとえにもいう。
玄人はだし(くろうとはだし)
素人にもかかわらず、専門家顔負けにすぐれていること。玄人が履物もはかずはだしで逃げ出すほどの腕前のことから。
芸が細かい(げいがこまかい)
細かいところにまで工夫を凝らしているようす。
芸は道によって賢し(げいはみちによってかしこし)
同じ事柄でも、それを手がけて生きている者の見立ては桁が違う。 口を出す前に、まずその筋の人に当たれということ。
芸は身につく(げいはみにつく)
いったん習い覚えた芸は、一生その人の能力として使うことができるということ。
芸は身の仇(げいはみのあだ)
習い覚えた芸事に夢中になり、身を滅ぼすことがあるというたとえ。
芸は身を助ける(げいはみをたすける)
遊び半分で覚えた腕が、食い詰めたときの糧になる。 道楽で済んでいたはずのものが、当人を養う側へ回ることもある。 「芸は身を助く」ともいう。
巧遅は拙速に如かず(こうちはせっそくにしかず)
念を入れて仕上げても、時を逃してしまえば値打ちは薄い。出来ばえが落ちても、間に合ううちに済ませるほうを選べという教え。もとは兵法の語。
弘法にも筆の誤り(こうぼうにもふでのあやまり)
いかにすぐれた人物でも、時には失敗することがあるというたとえ。弘法大師のような書の名人でも、時には書き損じることもあるということから。
弘法筆を択ばず(こうぼうふでをえらばず)
名人・達人と呼ばれる人は、どんな道具を使っても良い成果をあげるというたとえ。書の名人の弘法大師は、筆のよしあしを選ばず常にりっぱな字を書いたことから。
士族の商法(しぞくのしょうほう)
急に不慣れなことを始めて失敗することのたとえ。明治初期、士族が生計を立てるため慣れない商売に手を出して失敗したことから。
渋皮が剝ける(しぶかわがむける)
外見に野暮ったさがなくなって洗練されること。または、物事に慣れて巧みになること。
趣向を凝らす(しゅこうをこらす)
よりよくなるように工夫すること。
手腕を振るう(しゅわんをふるう)
物事の解決や処理のためにすぐれた能力や技術を発揮すること。
商売は道によって賢し(しょうばいはみちによってかしこし)
商人は、商売に関しては何でもよく知っているということ。専門家は、専門とする分野についてよく知っているというたとえ。
神に入る(しんにいる)
技術などが人間のものとは思えないほどの境地に達すること。
真に迫る(しんにせまる)
表現されたものが現実にあるかのように見えること。または、本物と同じように見えること。
自家薬籠中の物(じかやくろうちゅうのもの)
いつでも自分の思うままにできる人や物のたとえ。 また、すっかり身につけた知識や技術のたとえ。 「自家」は自分のこと。「薬籠」は薬箱のこと。 自分の薬箱の薬のように、いつでも自分の思いのままに使えるもののことから。
蛇の道は蛇(じゃのみちはへび)
同類のことは同類が一番よくわかるというたとえ。 蛇の通る道は、他の蛇がよく知っているとの意から。
上手の手から水が漏る(じょうずのてからみずがもる)
どんな名人でも時には失敗するというたとえ。
上手は下手の手本、下手は上手の手本(じょうずはへたのてほん、へたはじょうずのてほん)
下手な人が上手な人のやり方を手本にするのは当たり前だが、上手な人も下手な人のやり方が参考になることもあるというたとえ。
西瓜は土で作れ南瓜は手で作れ(すいかはつちでつくれかぼちゃはてでつくれ)
西瓜を作るときは肥料と土壌が大事で、南瓜を作るときは念入りに手入れすることが大事ということ。作物の上手な作り方をいった言葉。
好きこそ物の上手なれ(すきこそもののじょうずなれ)
好きであることは、上手になるための大切な条件であるということ。
墨は餓鬼に磨らせ筆は鬼にとらせよ(すみはがきにすらせふではおににとらせよ)
墨を磨るときは飢えて力のない餓鬼のように力を入れず、筆を使って書くときには鬼のように力を込めるのがよいということ。
擂り粉木で重箱洗う(すりこぎでじゅうばこあらう)
四隅までは道具が届かず、洗い残しが出る。 どうしても粗くなる、詰めきれない仕事。
是非は道によって賢し(ぜひはみちによってかしこし)
物事のよしあしを判断するのは、その道の専門家に任せるのが確かだということ。
善書は紙筆を択ばず(ぜんしょはしひつをえらばず)
筆跡の確かな人は、道具の出来を言い立てない。 手さえ定まっていれば、紙や筆が何であろうと字は整うということ。 善書は、字を書くことに長けた人。
造詣が深い(ぞうけいがふかい)
学問や芸術などの深い知識や技能を持ち、すぐれた理解力があること。
大巧は拙なるが若し(たいこうはせつなるがごとし)
本当に巧みな者は技をひけらかす作為を持たないため、うわべだけを見た者の目には、かえって不器用と映る。 「大直は屈するが若し」「大弁は訥なるが若し」と、極まったものはその逆のものに見える、という言い回しがいくつも並ぶ中の一句。
多芸は無芸(たげいはむげい)
多芸の人は、かえって一つの芸を深く極めることがなく、結局芸が無いのと同じだということ。
田作る道は農に問え(たつくるみちはのうにとえ)
農業のことは農民に聞くのが一番いいように、何事もその専門家に聞くのが一番いい方法だということ。
付け焼き刃(つけやきば)
なまくらな刀の刃先にだけ鋼を焼き付けたものを「付け焼き刃」といい、切れそうに見えて、使えばたちまち刃こぼれする。 その場をつくろうために慌てて仕込んだだけの知識や腕前をいう。
付け焼き刃はなまり易い(つけやきばはなまりやすい)
一時しのぎで身に付けたものは、すぐにぼろが出てしまうということ。 「付け焼き刃」は、切れ味の悪い刀に鋼(はがね)の焼き刃を付けること。転じて、その場しのぎの急いで覚えた知識や技術。 付け焼き刃は、切れ味の良さそうな見た目をしているが、実際にはもろくてすぐに駄目になることから。 「付け焼き刃は剥げ易い」ともいう。
潰しが効く(つぶしがきく)
それまでの仕事を辞めても、別の仕事で働くことができる能力があること。 金属製品を溶かすと再利用できるとの意から。
壺を心得る(つぼをこころえる)
物事のどこが肝心かをよく分かっていること。 やり方の急所をつかんでいて、手際よくこなせる意で使う。
手書きあれども文書きなし(てかきあれどもふみかきなし)
文字を上手に書く人は多いが、文章の上手い人は少ないということ。
手が上がる(てがあがる)
技能が進歩すること。上達すること。 または、酒を飲む量が増えること。
手が込む(てがこむ)
隅から隅まで細かく工夫がされていて手間が掛かっていること。 また、物事が複雑に入り組んでいること。
手功より目功(てこうよりめこう)
手先の熟練より、物を見る目を養うことが大事だということ。
手千両(てせんりょう)
手先が器用なことや手に技術を持っていることは、千両にも匹敵する値打ちがあるということ。
手は一生の宝(てはいっしょうのたから)
文字を巧みに書くことは、一生の宝だということ。
手は見せぬ(てはみせぬ)
相手が身構える間もない速さで刀を振るうこと。 太刀筋が目に映らないうちに勝負がついている様子をいう。
手を上げる(てをあげる)
殴ろうとして手を振り上げること。 または、負けを認めること。降参すること。 また、技術や能力を上げること。上達すること。
弟子は師匠の半減(でしはししょうのはんげん)
いかに優れた弟子であっても、学力や技術は師匠の半分ぐらいのもので、師匠を超えることは難しいということ。
屠竜の技(とりょうのぎ)
身につけても実際に役に立たない技のたとえ。「屠竜」は、竜を殺すこと。長い間訓練して竜を殺す技を習得したものの、竜は伝説上の動物で、その技は何の役にも立たなかったという説話から。
堂に入る(どうにいる)
学問や技芸がすっかり身についているようす。
堂に升りて室に入らず(どうにのぼりてしつにいらず)
学問や芸がかなりの水準に達しているが、まだ奥義をきわめるまでには達していないということ。 「堂」は表座敷、「室」は奥の間のこと。 表座敷に上がった程度で、まだ奥の間には入っていないとの意から。
生兵法は大怪我の基(なまびょうほうはおおけがのもと)
中途半端な知識や技術で物事を行うことはきわめて危険であるというたとえ。 「生兵法」は、未熟な兵法や武術のこと。また、十分身についていない知識や技術のこと。 中途半端に身につけた兵法や武術は、頼りになるどころか、かえって大けがの原因になるとの意から。 「生兵法は大疵(おおきず)の基」ともいう。 「基」は「元」とも書く。
習うより慣れよ(ならうよりなれよ)
物事は人に教えられるよりも実際に経験を積んだほうが身につくということ。
何でも来いに名人なし(なんでもこいにめいじんなし)
何でも器用にこなす人は、何をさせてもそれなりにやってのけるが、どれも名人といえるほどの腕前ではないということ。
年季が入る(ねんきがはいる)
長い年月にわたって経験を積み、技術や腕前がすぐれて確かなものになっていること。また、そのように熟練しているさま。 「年季を入れる」とすれば、経験を積むことをいう。 「年季」は、もと奉公人などを雇うときに定めた年限のことで、一年を一季として数えたことから転じて、長年の経験を意味するようになった。
能書筆を択ばず(のうしょふでをえらばず)
書にすぐれた人は筆のよしあしに関係なく、どんな筆を使ってもすぐれた字を書くということ。
鑿と言えば槌(のみといえばつち)
万事に気が利くこと。また、気を利かすべきだという教え。 鑿をくれと言われれば、それを使う時に必要な槌も一緒に渡すとの意から。
裸足で逃げる(はだしでにげる)
本職の者が勝ち目なしと見て、身なりを構う余裕もなく退散する。それほど抜きん出た腕前であることを、退く側のあわてぶりのほうから言い表す。
八細工七貧乏(はちざいくしちびんぼう)
なんでもできるような器用な人は一つの事に専念できずにどれも中途半端になってしまい、そのためにかえって貧乏するということ。 「七細工八貧乏」ともいう。
早いのが一の芸(はやいのがいちのげい)
物事を手早く処理するのも芸のうちということ。また、仕事は手早いことが大切で、技巧は二の次ということ。
左は勝手、右は得手(ひだりはかって、みぎはえて)
何でも巧みにやれることのたとえ。「勝手」は自由に使いこなせること、「得手」は得意とすること。左手も右手も自由自在に使えるということから。
百芸は一芸の精しきに如かず(ひゃくげいはいちげいのくわしきにしかず)
何でも出来る人より、一つの事に精通している人のほうが役に立つということ。
舟は船頭に任せよ(ふねはせんどうにまかせよ)
何事もその道の専門家に任せたほうがうまくいくというたとえ。 船に乗った時は、口出しせずに船頭に任せるのが一番よいとの意から。
下手があるので上手が知れる(へたがあるのでじょうずがしれる)
物の出来不出来は、並べる相手があってようやく目に見えてくる。拙い者がいればこそ巧者の腕も判るのだから、引け目を感じずともよいという励ましに使う。
下手が却って上手(へたがかえってじょうず)
下手な人は念入りに仕事をするので、かえって上手な人より立派な仕上がりになることがあるということ。
下手の長糸、上手の小糸(へたのちょういと、じょうずのこいと)
下手な人ほど無駄なことをして、上手な人ほど要領よくやるというたとえ。 裁縫の下手な人はむやみに長い糸を針につけるが、上手な人は必要な長さだけの糸をつけて縫いやすくすることから。 単に「上手の小糸」とも、また「下手の長糸遣い」ともいう。
ぽつぽつ三年、波八年(ぽつぽつさんねん、なみはちねん)
何事も一人前になるには、それなりの年月が必要だということ。 日本画の修行では、ぽつぽつと点で苔を描けるようになるのに三年、波を描けるようになるのに八年かかるとの意から。
味噌の味噌臭きは食われず(みそのみそくさきはくわれず)
いかにも味噌らしい匂いの立つ味噌は口に合わず、上等なものほど味噌くささが表に出ない。 その道の者らしさをことさら見せつける人は、まだ深くは究めておらず、まわりからも煙たがられるということ。
昔取った杵柄(むかしとったきねづか)
若い頃に習得した技量や腕前のこと。また、年月を経てもそれが衰えず十分に発揮できること。
名人は人を謗らず(めいじんはひとをそしらず)
名人は人の欠点を悪く言うようなことはしないということ。
餅は餅屋(もちはもちや)
日々それを担ってきた者の手際には、よその者はどうしても届かない。生半可に自分で片づけようとせず、はじめからそちらへ回すのが結局は近道になる。
物言わずの早細工(ものいわずのはやざいく)
口数の少ない者ほど、いざ手を動かせば仕上がりが速い。舌ではなく指先で腕前を見せる人をいう。
役者に年なし(やくしゃにとしなし)
役者はどんな年齢の役でも巧みに演じ、また気が若く年齢を感じさせないということ。 「芸人に年なし」ともいう。
山師山で果てる(やましやまではてる)
得意な技を持つ人は、その技のために身の破滅を招きやすいということのたとえ。山に慣れた山師は、つい油断して山で命を落とすことが多いということから。
良工は材を択ばず(りょうこうはざいをえらばず)
すぐれた技術を持つ人は、材料の良し悪しなど問題にしないということ。
良工は人に示すに朴を以てせず(りょうこうはひとにしめすにぼくをもってせず)
腕のたしかな職人は、途中の粗いままの物を人目にさらさない。仕上がったものだけを差し出すという心構えをいう。 「朴」は、まだ手を入れていない木のこと。
猟は鳥が教える(りょうはとりがおしえる)
何事も実際に行っているうちに覚えて、身に付けていくものであるということのたとえ。 鳥を撃つこつは、実際に猟をするうちに覚えるもので、いわば獲物の鳥が教えてくれるようなものだということ。
