「せ」から始まる故事・ことわざ・慣用句
「せ」から始まる故事・ことわざ・慣用句 — 125 件
線が細い(せんがほそい)
体格などが細く、弱々しい様子。 または、性格が繊細で頼りない様子。
千貫のかたに編笠一蓋(せんがんのかたにあみがさいっかい)
大きな元手のわりに利益が少なく、損益が釣り合わないことのたとえ。 「千貫」は銭の単位。一貫の千倍。転じて非常に高価なこと。 千貫の借金の担保が、編み笠一つということから。 「一蓋」は「ひとがい」とも読む。
疝気さ目薬(せんきさめぐすり)
はなはだしい見当違いのたとえ。努力しても無駄なことのたとえ。 膝に目薬をさしても効果がないことから。 「尻に目薬」「目薬を尻へさす」「疝気さ目薬」ともいう。
千鈞の重み(せんきんのおもみ)
非常に重いこと。または、非常に価値があること。 「鈞」は重さを表す単位。
千金の裘は一狐の腋に非ず(せんきんのきゅうはいっこのえきにあらず)
国を治めるには、多くの有能な人材が必要だというたとえ。 「裘」は獣の毛皮で作った衣服。皮衣。「腋」は脇の下。 千金もする皮衣は、一匹の狐のわきの毛だけでは作れないとの意から。
千金の子は市に死せず(せんきんのこはいちにしせず)
金持ちの子は、罪を犯しても金の力によって死罪を免れ、町中で処刑されるようなことにならない。また、金持ち子は、金の力で危険を防ぐことができるので、町中で悪者に殺されるようなことはないということ。金さえあれば身を守ることができるということを皮肉った言葉。「千金」は金持ち、「市」は町の意。
千金を買う市あれど一文字を買う店なし(せんきんをかういちあれどいちもんじをかうみせなし)
文字を覚えるためには、自分で学ぶしかないというたとえ。 市場にはいろんな物が売っていて、高価な物も買うことができるが、文字だけは売っていないとの意から。
千軒あれば共過ぎ(せんげんあればともすぎ)
家が千軒もあれば、そこに住む人たちがそれぞれ商売をしたり互いに物の売り買いをしたりして、ともに生計を立てていくことができるということ。 「共過ぎ」は、人々が互いに助け合って生活していくこと。 「千軒あれば共暮らし」ともいう。
千石取れば万石羨む(せんごくとればまんごくうらやむ)
人間の欲望は次から次へと大きくなり、きりがないということ。千石取りになれば、次は万石取りを羨むということから。
千石万石も米五合(せんごくまんごくもこめごごう)
人には必要な物が必要な分だけあれば十分だということ。 千石、万石といった高い俸禄を得ている人でも、一日に食べる米の量は五合にすぎないとの意から。 「千石万石も飯一杯」ともいう。
千緒万端、遺漏あることなし(せんしょばんたん、いろうあることなし)
あらゆる点で、まったく手落ちがない様子。「千緒万端」は多くの事柄、「遺漏」は手落ち。
千畳敷に寝ても畳一枚(せんじょうじきにねてもたたみいちまい)
人一人が必要な物は限られているので、むやみに欲を出すべきではないということ。 千畳もの広さがある部屋に寝ても、人が一人寝るのに必要な畳はせいぜい一枚であるとの意から。
千丈の堤も螻蟻の穴を以て潰いゆ(せんじょうのつつみもろうぎのあなをもってついゆ)
わずかな油断・不注意から大事が起こることのたとえ。 千丈の堤防でも螻(けら)や蟻のあける穴から崩れることもあるとの意から。
先陣を争う(せんじんをあらそう)
一番最初に成し遂げようとして、互いに競うこと。 最初に敵陣に攻め込もうとして争うということから。
先生と言われるほどの馬鹿でなし(せんせいといわれるほどのばかでなし)
先生という呼称は敬意を伴わない場合もある。先生と呼ばれて気分をよくするほど馬鹿ではないということ。また、先生と呼ばれていい気になっている者をあざけっていう言葉。
先祖に討ち死にさせて高枕(せんぞにうちじにさせてたかまくら)
先祖が戦いで手柄を立てて討ち死にし、財産を残してくれたおかげで、子孫が安楽に暮らしているということ。家代々の資産で安逸な生活をおくっている者をあざけっていう言葉。「高枕」は、安心しきっていることのたとえ。
栴檀は双葉より芳し(せんだんはふたばよりかんばし)
大成する人は幼少期から優れているというたとえ。 「栴檀」は、香木の名。白檀の異称。 白檀は発芽の頃から芳香を放つことから。
先手は万手(せんてはまんて)
機先を制することが、どんな手段より効果的だということ。
先手を打つ(せんてをうつ)
これから先に起こるであろうことを予測して対策をしておくこと。 または、相手より先に攻撃を加えること。 また、囲碁や将棋で先に打つこと。
先頭を切る(せんとうをきる)
誰よりも先に始めること。
船頭多くして、船、山へ登る(せんどうおおくして、ふね、やまへのぼる)
指図する人間が多すぎて統一が取れず、物事が順調に運ばなかったり、とんでもない方向へ進んでしまったりすることのたとえ。 「船頭」は船長のこと。 まるで船頭かのように指示を出す人間が多すぎると、船が山に登ってしまうような見当違いの方向に物事が進んでしまうとの意から。
船頭のそら急ぎ(せんどうのそらいそぎ)
本当は急いでいないのに、急いでいるふりをすることのたとえ。船頭が「船が出るぞ」と言って客を船に乗り込ませながら、なかなか船を出さないことから。
千日の萱を一日に焼く(せんにちのかやをいちにちにやく)
長年苦労して築き上げたものを一瞬にして失うことのたとえ。 「萱」は、屋根をふくのに用いる植物の総称。 千日もかけて刈り集めた萱をたった一日で燃やしてしまうとの意から。
千日の旱魃に一日の洪水(せんにちのかんばつにいちにちのこうずい)
千日も続く日照りと、たった一日ですべてを流してしまう洪水とは、同じくらいの被害をもたらすということ。水害の恐ろしさをいった言葉。
千に一つ(せんにひとつ)
非常に珍しいこと。 多くある中のたったひとつとの意から。
先入、主となる(せんにゅう、しゅとなる)
前から持っている固定的な観念が、新しい考えの妨げになってしまうこと。 前もって抱いている考えが主となり、後からの考えが従となるとの意から。 この語から「先入観」や「先入主」という語ができた。
仙人の千年、蜉蝣の一時(せんにんのせんねん、かげろうのいっとき)
長い短いの違いはあっても、どちらも一生であることに変わりないことのたとえ。また、同じ一生でも長短の差が大きいことのたとえ。
千人の諾諾は一士の諤諤に如かず(せんにんのだくだくはいっしのがくがくにしかず)
他人の言葉になんでも賛同して従う千人は、権勢に媚びずに正しいと思うことを主張する一人には及ばないということ。「諾諾」は、他人の言葉にさからわないで従うさま。「諤諤」は、正しいと思うことを恐れはばかることなく述べるさま。
千の蔵より子は宝(せんのくらよりこはたから)
たくさんの財産よりも子どもの方が大切だということ。
先鞭を着ける(せんべんをつける)
他の人より先に着手すること。一番に馬に鞭を入れるということから。
千万人と雖も吾往かん(せんまんにんといえどもわれゆかん)
自分の信じた道は、たとえ千万人の敵がいても、恐れることなく立ち向かっていくということ。
千三つ(せんみつ)
土地や建物の売買や貸金の仲介などを行う人。 千の内、三つくらいしか成立しないとの意から。 または、嘘ばかりつく人。嘘つき。 千の内、三つくらいしか正しいことを言わないとの意から。
千里眼(せんりがん)
遠くの出来事や将来のこと、人の心の中を見通す能力のこと。また、その能力を持つ人のこと。 中国後魏の楊逸は、情報網をめぐらして遠方の情報をつかんでいたので、人々が「千里の遠くまで見通す眼を持っている」と驚いたという故事から。
千里の馬は常にあれども伯楽は常にはあらず(せんりのうまはつねにあれどもはくらくはつねにはあらず)
有能な人材はいつの世にもいるが、その能力を見出して育てる優れた指導者は少ないということのたとえ。 「千里の馬」は、一日に千里も走れるほどの優れた馬。転じて、優れた才能の人物。 「伯楽」は牛馬の良し悪しを見分ける名人のこと。転じて、人物を見抜いて、その才能を引き出し育てる優れた指導者のこと。 いつの時代にも、一日に千里を走るほどの優れた馬はいるが、その名馬の能力を引き出す伯楽は、いつもいるわけではないということから。
千里の馬も蹴躓く(せんりのうまもけつまずく)
優れた才能の人物も時には失敗することもあるというたとえ。「千里の馬」は、一日に千里も走れるほどの優れた馬。転じて、優れた才能の人物。
千里の馬も伯楽に会わず(せんりのうまもはくらくにあわず)
有能な人も、その真価を見抜いて能力を引き出してくれる人とはなかなか出会えないということ。「千里の馬」は、一日に千里も走れるほどの名馬。転じて、優れた才能の人物。「伯楽」は牛馬の良し悪しを見分ける名人のこと。転じて、人物を見抜いて、その才能を引き出し育てる優れた指導者のこと。
千里の堤も蟻の穴から(せんりのつつみもありのあなから)
わずかな油断や不注意が元で大事を引き起こすというたとえ。 千里の堤防も蟻の穴が原因で崩れることもあるとの意から。
千里の野に虎を放つ(せんりののにとらをはなつ)
災いのもとになりそうな危険なものを放っておくことのたとえ。 広い野原に虎を野放しにするとの意から。 「虎を野に放つ」ともいう。
千里の道も一歩から(せんりのみちもいっぽから)
大きな目標・目的を達成するためには、身近なことからこつこつと努力を積み重ねていくことが大切であるということ。 千里の道のりも踏み出した一歩から始まるとの意から。 「千里の行も足下より始まる」ともいう。
千里一跳ね(せんりひとはね)
大きな鳥があっという間に千里も飛んでしまうように、物事を一気に行って大成功することのたとえ。
千慮の一失(せんりょのいっしつ)
どんなに賢い人でも、多くの考えの中には一つくらい失敗もあるということ。また、十分に注意していても思わぬ失敗が起こるということ。 「千慮」は、いろいろと考えを巡らすこと。
千慮の一得(せんりょのいっとく)
愚かな者でも、たまには一つぐらいよい考えを出すこともあるということ。
洗礼を受ける(せんれいをうける)
今までにない経験をすること。 または、試練を与えられること。 元は、キリスト教の信者になる儀式をいう言葉。
先を越す(せんをこす)
優位に立つために、他人よりも先に物事を行うこと。 「先」は「せん」ともいう。
線を引く(せんをひく)
はっきりとした境を決めて区別すること。
