「あ」を含む故事・ことわざ・慣用句
「あ」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 1258 件
目を吊り上げる(めをつりあげる)
たかく目尻を上げること。怒った顔つきのたとえ。
メートルを上げる(めーとるをあげる)
酒に酔った勢いで、威勢のいいことを得意げに言うこと。 「メートル」は、計測器のこと。計測器の針が上がるとの意から。
元の木阿弥(もとのもくあみ)
一度よくなったものが、再び元の悪い状態に戻ること。戦国時代、亡くなった領主の声と似ていた木阿弥という盲人が領主の替え玉を務めたが、役目が終わり元の庶民に戻されたという故事から。
求めよ、さらば与えられん(もとめよ、さらばあたえられん)
与えられるのを待つのではなく、自ら進んで努力すれば必ずよい結果を得ることが出来るということ。
物言えば唇寒し秋の風(ものいえばくちびるさむしあきのかぜ)
余計なことを言うと、思いがけない災難を招くということ。松尾芭蕉の句。
物には始めあり終わりあり(ものにははじめありおわりあり)
何事にも必ず始めと終わりがあるから、先にすべき事とあとでする事を正しく見分けなければならないということ。
諸手を挙げて(もろてをあげて)
無条件に、または心から喜んだり賛成したりするさま。
野鶴、群鶏に在り(やかく、ぐんけいにあり)
鶏(にわとり)の群れの中に一羽だけ鶴(つる)がいるように、平凡な人々の中に一人だけ際立って優れた人物がいる様子のたとえ。 「夜鶴の鶏群に在るが如し」ともいう。
焼け跡の釘拾い(やけあとのくぎひろい)
大金を使ったあとで、わずかな節約をしたりけちったりすることのたとえ。焼け跡で釘を拾っても何の役にも立たない意から。
焼けたあとは立つが死んだあとは立たぬ(やけたあとはたつがしんだあとはたたぬ)
火事で焼けても家は立て直せるが、主人が死んだ後の家は存続が困難な場合が多いということ。また、焼けた家は再建できるが、人は死んだらおしまいということ。
山が当たる(やまがあたる)
成功を期待した予想が的中すること。勘が当たること。 鉱山でうまく鉱脈を掘り当てるとの意から。
山を当てる(やまをあてる)
万一の成功をねらってやったことがうまくいくこと。 鉱山でうまく鉱脈を掘り当てるとの意から。
闇討ちに遭う(やみうちにあう)
予期せぬ卑怯な不意打ちにあうこと。 「闇討ち」は、闇の中で不意打ちをする意。 「闇討ちに遭う」ともいう。
闇夜に目あり(やみよにめあり)
悪事は、隠したつもりでも必ず人に知られてしまうというたとえ。
遣らずの雨(やらずのあめ)
帰ろうとする来訪者を引き止めるかのように降り出す雨のこと。
槍玉に上げる(やりだまにあげる)
多くの中から、攻撃・非難の目標に選んで責めること。「槍玉」は、長い槍を小さな手玉のように自由自在にあやつること。
湯上りにはおじ坊主が惚れる(ゆあがりにはおじぼうずがほれる)
女性の湯上り姿は艶やかで誰でも心ひかれるということ。 「おじ坊主」は、「伯父(叔父)や坊主も」という解釈と「おじの坊主」という解釈がある。 「湯上りは親でも惚れる」「洗い髪にはおじ坊主が惚れる」などともいう。
憂患に生き安楽に死す(ゆうかんにいきあんらくにしす)
人は心配事がある時は心をいため、命を守る努力をするが、憂いがなくなると心がゆるみ、思わぬ死を招くこともあるということ。
雪の明日は裸虫の洗濯(ゆきのあしたははだかむしのせんたく)
雪の降った翌日は晴天になることが多いということ。 「裸虫」は貧しくて着る物がろくにない人のこと。 雪が降った翌日は天気が良く、貧乏人も着ていた物を脱いで洗濯するほど暖かいとの意から。
雪を欺く(ゆきをあざむく)
雪と見間違うほど、きわめて白いさま。 特に、女性の肌が白いことを言う。
ユートピア(ゆーとぴあ)
どこにもない理想の国ということ。イギリスの作家トマス・モアの小説の題名から。
夜上がり天気雨近し(よあがりてんきあめちかし)
夜のうちに雨が上がり晴れた天気は、長く続かないということ。
夜明け前が一番暗い(よあけまえがいちばんくらい)
どん底の後には必ずいいことがあるというたとえ。日が昇る直前に一番暗い時間があるということから。
酔い醒めの水は甘露の味(よいざめのみずはかんろのあじ)
酒に酔って眠ったあとに目覚めて飲む水は、甘露のようにおいしいということ。「甘露」とは中国の伝説で、めでたいしるしに天から降ったといわれる甘い水のこと。
宵っ張りの朝寝坊(よいっぱりのあさねぼう)
夜遅くまで起きていて、朝は遅くまで寝ていること。また、そういう習慣のひと。
よい花は後から(よいはなはあとから)
優れたものは後から現れるということ。 はじめに咲く花より、後から咲く花のほうが美しいという意味から。
用ある時の地蔵顔、用なき時の閻魔顔(ようあるときのじぞうがお、ようなきときのえんまがお)
人にものを頼む時はお地蔵様のようにやさしいにこにこ顔をするが、用事がない時は閻魔様のように不機嫌な顔つきになるということ。
用心に網を張る(ようじんにあみをはる)
用心のうえに用心をすること。「用心に縄を張る」とも言う。
夜討ち朝駆け(ようちあさがけ)
記者などが、早朝や深夜に取材先を突然訪問すること。
善かれ悪しかれ(よかれあしかれ)
よいにしても、悪いにしても。いずれにしても。
よく学べよく遊べ(よくまなべよくあそべ)
立派な人間になるためには、勉強するときはしっかり勉強し、遊ぶときは思いきり遊ぶべきだということ。
横板に雨垂れ(よこいたにあまだれ)
詰まりながら話すことのたとえ。 「立て板に水」をもじった言葉。
装いを新たにする(よそおいをあらたにする)
今までの印象を変えるため、外観などを新しくすること。
世の中は年中三月常月夜、嬶十七俺二十、負わず借らずに子三人(よのなかはねんじゅうさんがつじょうつきよ、かかあじゅうしちおれはたち、おわずからずにこさんにん)
世の中は、いつも三月頃の温暖な気候で、夜は明るい月夜、妻は十七歳自分は二十歳、責任も借金もなく、子どもは三人持つ暮らしが望ましいということ。江戸時代の庶民のささやかな願望をいった言葉。
世は相持ち(よはあいもち)
世の中はお互いに助け合っていくことで成り立つということ。 「世の中は相持ち」ともいう。
夜も日も明けない(よもひもあけない)
その物がないと少しの間も過ごせないほど、何かに執着しているさま。
楽あれば苦あり、苦あれば楽あり(らくあればくあり、くあればらくあり)
人生はいつも楽しいことばかりではなく苦しいこともある、逆に苦しいことばかりではなく楽しいこともあるということ。 「楽あれば苦あり」「苦あれば楽あり、楽あれば苦あり」とも言う。 江戸いろはがるたの一つ。
埒が明かない(らちがあかない)
物事が片付かないこと。決着が付かないこと。 「埒」は馬場を囲う柵のこと。転じて、物事の区切りのたとえ。
落花情あれども流水意なし(らっかじょうあれどもりゅうすいいなし)
一方には恋しく思う気持ちがあるのに、相手に思いが通じないことのたとえ。 散る花は流れる水を慕うが、川はそしらぬ顔で流れていくことから。
律儀は阿呆の唐名(りちぎはあほうのからな)
実直すぎるのは、愚かなことと同じだということ。「唐名」は別名の意。
竜虎相搏つ(りゅうこあいうつ)
強豪同士が勝負を競うこと。
竜は一寸にして昇天の気あり(りゅうはいっすんにしてしょうてんのきあり)
すぐれた人物は幼少期からすぐれたところがあることのたとえ。 竜は一寸の大きさの頃から天に昇ろうとする気迫に満ちているということから。
両両相俟って(りょうりょうあいまって)
互いが互いの欠点などを補い合って、良い効果を生む様子。
林間に酒を煖めて紅葉を焼く(りんかんにさけをあたためてこうようをたく)
林の中で紅葉を燃やして酒を暖めて飲み、秋の風情を楽しむこと。
綸言汗の如し(りんげんあせのごとし)
一度出た汗が二度と体内に戻らないように、君主が一度口にした言葉は取り消したり改めたりできないということ。「綸言」は君主のことば。
累卵の危うき(るいらんのあやうき)
卵を積み重ねたように、非常に不安定で危険なようす。
類を以て集まる(るいをもってあつまる)
似通った者同士は自然に寄り集まるということのたとえ。
老化は足から(ろうかはあしから)
老化現象は、足の痛みやもつれなど、足に関する症状から現れるということ。
魯魚の誤り(ろぎょのあやまり)
似た文字のあやまり。「魯」と「魚」は字形が似ていて誤りやすいことから。
若気の過ち(わかげのあやまち)
若さから思慮に欠けた行動をしたために起こった失敗。
我が口に甘ければ人の口にも甘し(わがくちにあまければひとのくちにもあまし)
自分の好むことは他人もまた好むものである。 自分がよいと思うことは人にも施すべきであるということ。
我が心石に非ず、転ずべからず(わがこころいしにあらず、てんずべからず)
心が確固として不動であることのたとえ。 自分の心は石ではないから、転がして動かすことはできないということ。
我が子の悪事は見えぬ(わがこのあくじはみえぬ)
親は自分の子をひいきしがちで、欠点や過ちに気づかないものだということ。
我が亡き後に洪水よ来たれ(わがなきあとにこうずいよきたれ)
自分が死んだ後なら、洪水でもなんでも来てよい。今さえよければ、あとはどうなってもかまわないということ。
脇が甘い(わきがあまい)
隙だらけで守りが弱い様子。 相撲で、脇を締める力が弱く、回しを簡単に取られるということから。
割に合う(わりにあう)
労力に見合った利益があること。
我思う、故に我あり(われおもう、ゆえにわれあり)
すべての物事は疑うことができるが、その疑いを持つ自分の存在だけは疑うことが出来ないということ。フランスの哲学者デカルトの「私は考える。だから私は存在する」という意の言葉から。
我に自由を与えよしからずんば死を与えよ(われにじゆうをあたえよしからずんばしをあたえよ)
アメリカ独立運動でパトリック・ヘンリーが、自由のために、死ぬ気で戦うという強い決意を表して、演説の結びに言った言葉。
