「じ」で終わる故事・ことわざ・慣用句
「じ」で終わる故事・ことわざ・慣用句 — 54 件
- 逢い戻りは鴨の味(あいもどりはかものあじ)- 一度別れた男女の仲が元に戻ると、その仲は前にもましてむつまじくなるということ。 
- 秋葉山から火事(あきばさんからかじ)- 人を戒める指導的立場の者が、自ら過ちを犯してしまうたとえ。「秋葉山」は火災除けの神を祭る静岡県の秋葉神社のこと。 
- 畦から行くも田から行くも同じ(あぜからいくもたからいくもおなじ)- 手段や方法が違っても、同じ結果になることのたとえ。 畦道から行っても田から行っても、結局行き着く所は同じということから。 「田から行くも畦から行くも同じ事」「田を行くも畦を行くも同じ」「田歩くも畔歩くも同じ」などともいう。異形の多い語。 
- 一事が万事(いちじがばんじ)- 一つの事を見るだけで他のすべての事を推察できるということ。 
- 一日一字を学べば三百六十字(いちにちいちじをまなべばさんびゃくろくじゅうじ)- 毎日少しずつでも怠らずに勉強を続ければ、積もり積もって大きな成果が得られるというたとえ。 
- 一目山随徳寺(いちもくさんずいとくじ)- 後先かまわずに一目散に逃げ出すこと。 「ずいと出て行く」をしゃれで寺の名に見立てたもの。 また、「一目散」を山号になぞらえて「一目山随徳寺」ともいう。 
- 一国一城の主(いっこくいちじょうのあるじ)- 他からの援助や指図を受けず、独立している人のたとえ。 一つの国、一つの城を領有している人の意から。 
- いとこ同士は鴨の味(いとこどうしはかものあじ)- いとこ同士の夫婦は、味がよいとされる鴨肉のように仲がよいということ。 
- 色よい返事(いろよいへんじ)- 望みに叶った期待通りの返事。 
- お家の一大事(おいえのいちだいじ)- 他人の家に起こった出来事を冗談めかしたり、皮肉ったりして大げさにいう時に使う言葉。 主君の家に起こった重大な事件との意から。 
- 男は松、女は藤(おとこはまつ、おんなはふじ)- 男は大地にしっかりと根を張る松のようなもので、女はその松にからむ藤のように男を頼りにするものだということのたとえ。 
- 御の字(おんのじ)- 十分満足である。非常に結構である。 「御」の字を付けたいほど有り難いもの、との意から。 江戸時代に遊里で使われはじめた言葉。 
- 会稽の恥(かいけいのはじ)- 戦いに敗れて受けた恥のこと。また、他人から受けた耐え難い屈辱のこと。 中国の春秋時代、越王の勾践が呉王の夫差と会稽山で戦って敗北した。その後、勾践は長年の苦労に耐え、夫差に復讐をとげてその恥を雪いだという故事から。 
- 彼も一時、此れも一時(かれもいちじ、これもいちじ)- 時とともに、世の中のことは移り変わっていくものである。だから、あの時はあの時、今は今で、あの時と今とを単純に比べることはできないということ。また、栄枯盛衰も一時限りであるということ。「彼」は、あの時の意。 
- 川向こうの火事(かわむこうのかじ)- 自分にはまったく影響がなく、苦痛を感じないたとえ。向こう岸の火事はこちらまで燃え移ってくる危険がないことから。 
- 聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥(きくはいっときのはじ、きかぬはいっしょうのはじ)- 知らないことを聞くのはほんの一時の恥で済むが、聞かずに知らないまま過ごすのは一生恥ずかしいということ。 
- 麒麟児(きりんじ)- 才能・技芸の天分に恵まれ、将来性のある若者。「麒麟」は中国の想像上の動物で聖人が出現する前兆として現れるといわれた。体は鹿、ひづめは馬、尾は牛に似て、頭に一本の角があり、一説に麒は雄、麟は雌という。その麒麟の児の意から。 
- 形影相同じ(けいえいあいおなじ)- 心の善悪が行動に出ること。 形が曲がれば影も曲がり、形がまっすぐであれば影もまっすぐであるように、心が正しければ行いも正しいということ。 
- 恋の闇路(こいのやみじ)- 恋をしたことによって、まるで闇の中に迷いこんだかのように思慮分別がつかなくなることのたとえ。 「恋の闇路」「恋路の闇」ともいう。 
- 志は髪の筋(こころざしはかみのすじ)- どんなものでも真心をこめて贈れば、相手は誠意を汲みとってくれるものであるということ。 
- 後生が大事(ごしょうがだいじ)- 来世の安楽を願って信心することが大切だということ。 
- 三歳の翁、百歳の童子(さんさいのおきな、ひゃくさいのどうじ)- 子どもでも知恵も分別もある者もいれば、老人でも無知で愚かな者もいるということ。 人の賢さは年齢に左右されないということ。 「八歳の翁百歳の童」「十歳の翁百歳の童」「百歳の童、七歳の翁」などともいう。 
- 宗旨の争い釈迦の恥(しゅうしのあらそいしゃかのはじ)- 仏教の教えはすべて釈迦が発しているのだから、宗派間の争いは開祖である釈迦の恥になるということ。宗派間の争いの愚かさをあざけっていう言葉。 
- 小事は大事(しょうじはだいじ)- 些細なことから大事が起こる。小事だからといって物事をあなどってはいけないということ。 
- 地震、雷、火事、親父(じしん、かみなり、かじ、おやじ)- 世の中で恐ろしいとされているものを、こわいもの順に並べた言葉。 
- 据え膳食わぬは男の恥(すえぜんくわぬはおとこのはじ)- 女のほうから誘っているのに、それに応じないのは男の恥だということ。「据え膳」は、目の前に用意された食膳のこと。俗に女性からの誘いのこと。 
- 袖から火事(そでからかじ)- 小事が大事を引き起こすことのたとえ。明暦三年(1657)に江戸で発生した大火事は、施餓鬼(せがき)のために焼いた振り袖が、空に舞い上がって引き起こされたため「振り袖火事」と言われたことから。 
- 対岸の火事(たいがんのかじ)- 自分にはまったく影響がなく、苦痛を感じないたとえ。向こう岸の火事はこちらまで燃え移ってくる危険がないことから。 
- 竹屋の火事(たけやのかじ)- 怒って、言いたい放題にぽんぽんものを言うこと。竹屋が火事になるとと、竹がはじけてぽんぽん音を出すところから。 
- 立つより返事(たつよりへんじ)- 人に呼ばれた時には、立つより先にまず返事をせよということ。 
- 玉となって砕くとも瓦となって全からじ(たまとなってくだくともかわらとなってまったからじ)- 名誉を守るために死ぬことはあっても、いたずらに生きながらえるだけのむなしい生涯を送りたくはないということ。 貴重な玉として砕かれてしまってもよいが、無価値な瓦として安全に生涯を全うしたいとは思わないとの意から。 
- 大事の前の小事(だいじのまえのしょうじ)- 大きな事を行う時には、小さな事にも油断してはいけないということ。また、大きな目的を遂げるためには、小さな犠牲はやむを得ないということ。 
- 常が大事(つねがだいじ)- 人はふだんの行いが大事だということ。 
- 問うは一旦の恥、問わぬは末代の恥(とうはいったんのはじ、とわぬはまつだいのはじ)- 知らないことを聞くのはほんの一時だけ恥ずかしい思いをするが、聞かずに知らないまま過ごすのは一生恥ずかしい思いをするということ。 
- 屠所の羊(としょのひつじ)- 屠殺場に引かれていく羊のように、刻々と死期が近づいてくることのたとえ。また、打ちひしがれて気力をなくしていることのたとえ。 
- 隣の貧乏鴨の味(となりのびんぼうかものあじ)- 人はとかく他人の不幸を願うものだということ。 隣の家が貧乏だと、まるで美味しい鴨でも食べているようないい気分になるとの意から。 「隣の貧乏雁の味」ともいう。 
- 豚児(とんじ)- 自分の息子を謙遜していう言葉。 
- 縄目の恥(なわめのはじ)- 罪人として縄で縛られる恥のこと。 
- 匂い松茸、味しめじ(においまつたけ、あじしめじ)- きのこの中で匂いがいいのは松茸、味がいいのはしめじ、とそれぞれの特長をいうことば。 
- 二足の草鞋(にそくのわらじ)- 両立しないような二つの職業を一人で同時に兼ねることのたとえ。 単に「二足の草鞋」ともいう。 
- 日常茶飯事(にちじょうさはんじ)- ごくありふれたこと。日々の茶や飯のように、当たり前に繰り返される平凡な出来事。 「茶飯」は日常の食事のことから、毎日行うありふれた行為・出来事のたとえとして用いられる。 「日常茶飯」ともいう。 
- 二番煎じ(にばんせんじ)- 同じことの繰り返しで、新鮮味や効果が感じられないことのたとえ。 一度煎じた茶や薬を再び煎じたもののことから。 
- 恥の恥(はじのはじ)- 恥をかいた上にさらに恥をかくこと。 「恥の上書き」「恥の掻き上げ」「恥の恥」ともいう。 
- 始めが大事(はじめがだいじ)- 何事も最初が肝心であるということ。最初にとった方法や態度があとあとにまで影響するので、よく考えて事を始めなければならないということ。 
- 人は落ち目が大事(ひとはおちめがだいじ)- 人が落ちぶれた時こそ、見捨てずに援助や励ましを与えべきだということ。また、落ち目になった時こそ大事な時であるから、言動に注意すべきだということ。 
- 人は陰が大事(ひとはかげがだいじ)- 人間は人目に付く所の行動だけでなく、他人の見ていない所での行動が大事だということ。 
- 人を謗るは鴨の味(ひとをそしるはかものあじ)- 人の悪口を言ったり噂話をしたりする楽しさを、おいしい食べ物の代表とされる鴨の肉にたとえた言葉。 「鴨(かも)」は「雁(がん)」とも、また「人の噂を言うは鴨の味」ともいう。 
- 冬来りなば春遠からじ(ふゆきたりなばはるとおからじ)- つらく厳しい時期を耐え抜けば、その先には幸せが待っているというたとえ。 寒い冬が来たということは、遠くないうちに暖かい春もやってくるということから。 イギリスの詩人シェリーの「西風に寄せる歌」の一節から。 
- 武士は食わねど高楊枝(ぶしはくわねどたかようじ)- 武士は貧しくて食事ができなくても、食べたふりをして楊枝を使い、他人に空腹を見せないようにするということ。転じて、貧しくても誇りを持って生きるべきだということ。 
- 下手の思案は休むに同じ(へたのしあんはやすむにおなじ)- よい考えも出ないのにあれこれ考えるのは、時間の無駄だということ。 もとは将棋や碁で、下手な人の長考をあざけって言った言葉。 「下手の思案は休むに同じ」ともいう。 
- 坊主捨て置け医者大事(ぼうずすておけいしゃだいじ)- 急病の時は、急いで医者を呼ぶのが大事だということ。 
- 迷える羊(まよえるひつじ)- どうすればいいのかわからず迷っている人。「新約聖書・マタイの福音書」にある言葉から。 
- 焼け野の雉(やけののきじ)- 子を思う親の情愛が深いことのたとえ。 「雉」はきじのこと。 雉は野を焼かれたら危険を顧みずに巣にいる子どもを助けに戻り、鶴は霜の降りる寒い夜には自分の羽を広げて子を暖めるとの意から。 単に「焼け野の雉」「夜の鶴」、また「夜鶴子を思う」「子を思う夜の鶴」ともいう。 「焼け野の雉」は、身を隠すところのない雉のことから、危険にさらされることのたとえとしてもいわれる。 
- 酔い醒めの水は甘露の味(よいざめのみずはかんろのあじ)- 酒に酔って眠ったあとに目覚めて飲む水は、甘露のようにおいしいということ。「甘露」とは中国の伝説で、めでたいしるしに天から降ったといわれる甘い水のこと。 
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