「ちょ」を含む故事・ことわざ・慣用句
「ちょ」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 87 件
一日の長(いちじつのちょう)
経験・知識が他の人より少しだけ優れていること。その人より一日分年長であるとの意から。
一家を機杼す(いっかをきちょす)
機(はた)を織っていろいろな模様を織り出すように、独自の言論や文章を作り出して一派を立てること。 「機杼」は、機織りの時、横糸を通す道具。
一朝の怒りにその身を忘る(いっちょうのいかりにそのみをわする)
一時的な怒りのために我を忘れて行動すること。 また、そのような行動は身を滅ぼすことになるという戒め。 「一朝の怒りに一生を過つ」ともいう。
一張羅(いっちょうら)
所有している衣服の中で最も質の良いもの。
有頂天(うちょうてん)
激しく喜んで大得意になること。 仏教で、三界の中で最も上位の世界の意から。
生まれながらの長老なし(うまれながらのちょうろうなし)
生まれながらにすぐれた人間などいるはずもなく、みんな長い間の修養や経験をつんで立派な人間になるということ。
越鳥南枝に巣くい、胡馬北風に嘶く(えっちょうなんしにすくい、こばほくふうにいななく)
故郷の忘れがたいことのたとえ。 中国南方の越の国から北国へ渡った鳥は樹木の南側の枝に巣をかけ、北方の胡の国から来た馬は北風が吹きよせると故郷を想って嘶(いなな)くとの意から。 『文選』の古詩「胡馬は北風に依り、越鳥は南枝に巣くう」による。 単に「越鳥南枝に巣くう」や「胡馬北風に嘶く」ともいう。
江戸は八百八町、大坂は八百八橋(えどははっぴゃくやちょう、おおさかははっぴゃくやばし)
江戸は町の数が多く、大阪には橋が多くて、どちらも町並みが広くにぎわっているということ。「八百八」は実数ではなく、数の多さを表す。
置き酌失礼、持たぬが不調法(おきじゃくしつれい、もたぬがぶちょうほう)
お酌のとき、置いた杯に酒を注ぐのも失礼だが、杯を持とうとしない受け手も不調法である。酒の席での微妙なおもむきを言ったことば。
お猪口になる(おちょこになる)
傘が風にあおられて、開きがさかさまになること。
傘と提灯は戻らぬつもりで貸せ(かさとちょうちんはもどらぬつもりでかせ)
傘と提灯は、必要な時以外は忘れがちな物だから、貸す時は返してもらえないつもりで貸せということ。
風邪は百病の長(かぜはひゃくびょうのちょう)
風邪はあらゆる病気のもとなので、たかが風邪と油断せず用心が必要であるということ。 「風邪は百病のもと」「風邪は百病の長」ともいう。
鼎の軽重を問う(かなえのけいちょうをとう)
権威ある人の実力や能力を疑うたとえ。「鼎」は古代中国で使われた金属性の器のことで、祭器として用いられたことから、王位の象徴となった。楚の荘王が周を軽んじ、周王室の九鼎の大小や軽重を問うたという故事から。
窮鳥懐に入れば猟師も殺さず(きゅうちょうふところにいればりょうしもころさず)
窮地に陥った者が救いを求めてくれば、どんな事情があっても助けるのが人情であるというたとえ。 追いつめられた鳥が自分のふところに飛び込んでくれば、さすがの猟師も殺したりは出来ないということから。
槿花一朝の夢(きんかいっちょうのゆめ)
栄華が長続きしないことのたとえ。 「槿花」は、むくげの花。 朝に咲いて夕方にはしぼんでしまうむくげの花のように、はかない栄華との意から。 「槿花一朝の夢」ともいう。
金の卵を産む鵞鳥を殺すな(きんのたまごをうむがちょうをころすな)
欲張って一度に大きな利益を得ようとして、将来の利益を逃すようなことをするなということ。毎日一個の金の卵を産む鵞鳥の持ち主が、一度に大儲けしようと鵞鳥の腹を切り裂き、結局鵞鳥を死なせてしまったというイソップ寓話から。
口は重宝(くちはちょうほう)
口は便利なもので、口先だけならなんとでも言えるということ。
口も八丁、手も八丁(くちもはっちょう、てもはっちょう)
しゃべることも腕前も達者なこと。 「八丁」は巧み、達者であること。 単に「手も八丁」とも、また「口八丁手八丁」「手八丁口八丁」ともいう。
暮れぬ先の提灯(くれぬさきのちょうちん)
無用な事に手回しがよすぎて間が抜けていることのたとえ。
愚の骨頂(ぐのこっちょう)
この上なく愚かなばからしいこと。
胡蝶の夢(こちょうのゆめ)
夢と現実の世界との区別がつかなくなるたとえ。また、人生が夢のようにはかないことのたとえ。 「胡蝶」は蝶の美称。 昔、荘子が蝶になった夢を見たが、目が覚めるともとのままの自分で、自分が夢の中で蝶になったのか、それとも夢の中の蝶が自分になったのか、わからなくなったという故事から。
酒に別腸あり(さけにべつちょうあり)
人には酒の入る特別の腸があり、酒量は身体のには関係がないということ。
酒は百毒の長(さけはひゃくどくのちょう)
酒には良い点はなにもなくて、毒そのものであるということ。
酒は百薬の長(さけはひゃくやくのちょう)
酒はほどよく飲めばどんな薬より効果があるということ。
三千の寵愛一身にあり(さんぜんのちょうあいいっしんにあり)
皇帝の後宮に仕える多くの女性の中で、ひとりだけが特別に寵愛されていることのたとえ。
沙弥から長老(しゃみからちょうろう)
一足飛びに出世することのたとえ。「沙弥」は仏門に入ったばかりの修行未熟な若い僧、「長老」は徳の高い僧。
沙弥から長老にはなれぬ(しゃみからちょうろうにはなれぬ)
物事には順序があり、一足飛びには上に進めないというたとえ。「沙弥」は仏門に入ったばかりの修行未熟な若い僧、「長老」は徳の高い僧。
死んでの長者より生きての貧乏(しんでのちょうじゃよりいきてのびんぼう)
死後に金持ちになるより、貧乏でも生きているほうがよいということ。
地獄の一丁目(じごくのいっちょうめ)
きわめて恐ろしい所のたとえ。また、悪の道や破滅に向かう始まりのたとえ。「一丁目」は入り口の意。
助長(じょちょう)
発展したり成長したりするために力を添えること。
人生、朝露の如し(じんせい、ちょうろのごとし)
人生は朝日が射せばたちまち消えてしまう露のようにはかないものだということ。
沈丁花は枯れても香し(じんちょうげはかれてもかんばし)
もともと良いものは、たとえ盛りが過ぎても値打ちがあるというたとえ。沈丁花は枯れてもなおよい香りがすることから。
短を捨てて長を取る(たんをすててちょうをとる)
欠点や短所を除いて、長所のみを参考として取り入れること。
断腸(だんちょう)
はらわたがちぎれるほど、悲しく苦しいこと。
断腸の思い(だんちょうのおもい)
非常に悲しくつらい思いのたとえ。 「断腸」は腸がちぎれるほどの悲しみ。 昔、中国の武将桓温(かんおん)の部下が猿の子を捕らえて船に乗せた。母猿は悲しみながら岸を百里あまり追いかけ、ついには船に飛び移ったがそのまま息絶えた。その腹を割いてみると、腸がずたずたに断ち切れていたという故事から。
寵愛昂じて尼になす(ちょうあいこうじてあまになす)
かわいがるのも度が過ぎると、かえって本人のためにならないというたとえ。 親が娘をかわいがるあまり、いつまでも嫁にやらずついには尼にしてしまうことから。 「尼になす」は「尼にする」ともいう。
長広舌を振るう(ちょうこうぜつをふるう)
滞ることなく、長々としゃべり続けること。 「長広舌」は「広長舌」が転じた言葉。
調子が合う(ちょうしがあう)
互いの性質や考え方などが合致していること。
調子がいい(ちょうしがいい)
相手の機嫌を取ることがうまいこと。 または、体の状態や物事の進み方などの具合がよいこと。
調子が付く(ちょうしがつく)
物事の勢いが増していくこと。
調子に乗る(ちょうしにのる)
物事が滞ることなく進むこと。 または、得意になって軽はずみな言動をすること。
長袖よく舞い、多銭よく賈う(ちょうしゅうよくまい、たせんよくかう)
素質と条件に恵まれた者が有利で、思い通りに事が運べるというたとえ。 長袖の着物を着た人は舞うと美しく見え、多くの金銭を持つ者は商売がしやすいとの意から。 「賈う(かう)」は、「商う(あきなう)」ともいう。
長所は短所(ちょうしょはたんしょ)
自分の長所を過信すると思わぬ失敗をすることがある。長所も時には短所になるということ。
調子を合わせる(ちょうしをあわせる)
相手に反発せずに話を合わせること。 または、音の高低や強弱などをある基準に合わせること。
調子を取る(ちょうしをとる)
釣り合いが取れた状態を保つこと。 または、音の高低や強弱などをある基準に合わせること。
長者富に飽かず(ちょうじゃとみにあかず)
金持ちがさらに金を欲しがるように、人間の欲望には限りがないことのたとえ。
長者に二代なし(ちょうじゃににだいなし)
ぜいたくに慣れた金持ちの子は、財産を守ったり増やしたりすることが出来ず、たいてい二代目でその家はつぶれてしまうということ。
長者の万灯より貧者の一灯(ちょうじゃのまんとうよりひんじゃのいっとう)
見栄を張った多くの贈り物より、たとえわずかでも真心のこもった贈り物のほうが尊いということ。 金持ちが一万もの灯明をともすよりも、たとえ一灯でも貧しい人の心のこもった灯明のほうが値打ちがあるとの意から。 阿闍世王が釈迦を招いた時、帰り道にたくさんの灯火をともした。それを見て感激した貧しい老婆が、やりくりして一本の灯火をともした。すると、王の灯明が消えたあとも老婆の灯火は朝まで光り続けたという故事から。 「貧者の一灯」ともいう。
帳尻が合う(ちょうじりがあう)
決算で収入と支出が正しく合うこと。または、物事の辻褄が合うこと。
帳尻を合わせる(ちょうじりをあわせる)
決算で収入と支出が正しく合うようにすること。または、物事の辻褄を合わせること。
長蛇の列(ちょうだのれつ)
非常に長く続いている人の列。 長く続く人の列を蛇にたとえた表現。
長蛇を逸す(ちょうだをいっす)
絶好の機会や非常に惜しい物などを取り逃がすこと。
長蛇を逸する(ちょうだをいっする)
もう少しの所で、大きな獲物や好機を逃すこと。
提灯で餅を搗く(ちょうちんでもちをつく)
思い通りにいかないことのたとえ。 または、年老いた男性の性事情を馬鹿にしていう言葉。
提灯に釣り鐘(ちょうちんにつりがね)
釣り合わないこと、比較にならないことのたとえ。提灯と釣り鐘は形は似ているが重さがまるで違うことから。
提灯持ち(ちょうちんもち)
人の手先になって、その人のことを褒めて回ること。また、それをする人。
提灯持ち川へはまる(ちょうちんもちかわへはまる)
人を導くべき人が、先に失敗してしまうことのたとえ。提灯を持って先導する人が、自分の足元が暗いため川に落ちてしまうということから。
提灯持ちは先に立て(ちょうちんもちはさきにたて)
指導的立場にある人は、先頭に立って模範を示すべきであるということ。 提灯を持って先導する人が先頭に立たずに後ろを歩いていても役に立たないとの意から。
提灯を持つ(ちょうちんをもつ)
ある人の手先になって、頼まれてもいないのに、その人を褒めたり宣伝したりすること。
町内で知らぬは亭主ばかりなり(ちょうないでしらぬはていしゅばかりなり)
女房の浮気を町内の者はみんな知っていて、亭主だけが知らないという間抜けぶりをあざけった言葉。
長範が当て飲み(ちょうはんがあてのみ)
人の金を当てにして失敗してしまうことのたとえ。大泥棒の熊坂長範が、金を奪う前にその金を当てにして酒盛りをし、牛若丸に退治されてしまったという話から。
掉尾を飾る(ちょうびをかざる)
最後を立派にしめくくること。 「掉尾」は、「とうび」とも読み、捕らえられた魚が死ぬ直前に尾を振ること。転じて、最後の意。
長命すれば恥多し(ちょうめいすればはじおおし)
長く生きていれば、それだけ恥をかく事も多くなるということ。 「恥」は「辱」とも書く。 また、「長生きは恥多し」「長生きすれば恥多し」「長命すれば恥多し」などともいう。
帳面づらを合わせる(ちょうめんづらをあわせる)
数字をいじって収入と収支が合うようにすること。
頂門の一針(ちょうもんのいっしん)
人の急所を突くような厳しい戒め。痛いところを突く教訓。 「頂門」は頭の上のことで、そこに針を突き刺すとの意から。
長夜の飲(ちょうやのいん)
夜通し酒を飲むこと。 古代中国殷の紂王(ちゅうおう)が、夜通し酒を飲み、夜が明けても戸も開けず明かりを灯したまま酒盛りを続けたという故事から。 「長夜の宴」ともいう。
蝶よ花よ(ちょうよはなよ)
親が自分の娘をかわいがり大事にするたとえ。「蝶よ花よと育てられる」の形で使われることが多い。
ちょっかいを出す(ちょっかいをだす)
横から余計なことをしたり、言ったりすること。 または、遊び半分の気持ちで異性に手を出すこと。 「ちょっかい」は猫が前足でじゃれる時の動きをいう言葉。
ちょっと来いに油断すな(ちょっとこいにゆだんすな)
「ちょっと来い」と呼ばれると、ちょっとの用事では済まず、ろくな用事でないことが多い。だから、心してかかれということ。
ちょっと嘗めたが身の詰まり(ちょっとなめたがみのつまり)
ほんのちょっとだけ、と軽い気持ちで手を出したために、どうにもならない窮地に追い込まれること。
ちょっとやそっと(ちょっとやそっと)
思ったより苦労したり、簡単には対応では済まされない状態を言い表す言葉。 後ろに打ち消しの言葉を伴って用いられる。
緒に就く(ちょにつく)
物事を実際に始めること。または、その物事が順調に進行するようになること。 「諸」は「しょ」とも読む。
ちょんになる(ちょんになる)
物事がいきなり終わりになること。 芝居で幕切れに拍子木をちょんと打ち鳴らすということから。
月夜に提灯(つきよにちょうちん)
不必要なことのたとえ。月夜に提灯は必要ないことから。「月夜に提灯夏火鉢」と続けてもいう。
月夜に提灯も外聞(つきよにちょうちんもがいぶん)
実際は不必要なことでも、世間体のためにしなければならないたとえ。月夜に提灯をともすような無駄なことも、世間体のために必要なこともあるということから。
盗人の提灯持ち(ぬすびとのちょうちんもち)
悪人の手先となって、手助けをすること。「提灯持ち」は、夜道に提灯を持って先に行く人。転じて、人の手先になって、その人をほめ従う者。
退けば長者が二人(のけばちょうじゃがふたり)
相性のわるい者同士が一緒にいるより、お互いに独立したほうがうまくいくということ。
始めちょろちょろ、中ぱっぱ、赤子泣くとも蓋取るな(はじめちょろちょろ、なかぱっぱ、あかごなくともふたとるな)
御飯の上手な炊き方をいったもの。炊き始めは弱火で、中ごろは強火にし、途中で蓋を取ってはいけないということ。
人の短を道うこと無かれ、己の長を説くこと無かれ(ひとのたんをいうことなかれ、おのれのちょうをとくことなかれ)
人の短所をとがめず、自分の長所をひけらかさないようにという戒め。
百川、海に朝す(ひゃくせん、うみにちょうす)
利益のあるところには自然に多くの人が集まることのたとえ。「百川」はあらゆる川、「朝す」は集まるという意。