「ぶ」を含む故事・ことわざ・慣用句
「ぶ」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 286 件
空振りに終わる(からぶりにおわる)
企てたことが失敗におわること。 「空振り」は、野球やテニスなどでバットやラケットにボールがあたらないこと。
川に水運ぶ(かわにみずはこぶ)
むだなことのたとえ。
癇癪持ちの事破り(かんしゃくもちのことやぶり)
気短な人間は少しのことでも怒り出して、決まりかけた話や計画を台無しにしてしまうことがあるということ。
堪忍袋の緒が切れる(かんにんぶくろのおがきれる)
もうこれ以上我慢できなくなり、怒りを爆発させることのたとえ。 「堪忍袋」は、辛抱できる心の広さを袋にたとえた言葉。 「堪忍袋の緒を切らす」「堪忍袋の口を開ける」ともいう。
気の利いた化け物は引っ込む時分(きのきいたばけものはひっこむじぶん)
長居する客や、なかなか引退せずに長く地位を占めている人を皮肉って言う言葉。 気の利いた化け物は引き時を心得ているとの意から。 単に「化け物も引っ込む時分」ともいう。
木仏、金仏、石仏(きぶつ、かなぶつ、いしぼとけ)
融通の利かないひと。特に男女の情愛に疎いひとのこと。
肝を潰す(きもをつぶす)
非常に驚く。びっくりする。
清水の舞台から飛び降りる(きよみずのぶたいからとびおりる)
思い切った大きな決断し、覚悟を決めて物事を行うことのたとえ。 「清水の舞台」は、京都の清水寺にある、山の斜面にせり出すように造られた観音堂の舞台のこと。 その舞台から飛び降りるほどの覚悟で物事を実行することから。
食い物と念仏は一口ずつ(くいものとねんぶつはひとくちずつ)
食べ物は一口ずつでもみんなで分け合って食べたほうがよいということ。また、念仏は一人が一口ずつ唱えてもご利益があるということ。 「食い物」は「食べ物」ともいう。
楠の木分限、梅の木分限(くすのきぶげん、うめのきぶげん)
生長は遅いが、着実に根を張り大木となる楠の木のように堅実な金持ちと、生長が早い梅の木のようなにわか成金のたとえ。「分限」は、「ぶんげん」とも読み、金持ちのこと。
国破れて山河在り(くにやぶれてさんがあり)
戦乱で国が滅びても、自然の山や川はもとのままの姿で存在しているということ。
首が危ない(くびがあぶない)
解雇されそうな状態のこと。
首が飛ぶ(くびがとぶ)
解雇されること。
怪我と弁当は自分持ち(けがとべんとうはじぶんもち)
自分で負った怪我は自分の責任だ、という職人の間で言われている言葉。
言は簡を尊ぶ(げんはかんをたっとぶ)
話は無駄がなく、要領よく簡潔に話すのが大切だということ。
孝行のしたい時分に親はなし(こうこうのしたいじぶんにおやはなし)
親が元気な時は、有難みや苦労がわからず、それに気がつく年になった時には、親はもうこの世にいないということ。親が元気なうちに孝行せよという戒め。
好物に祟りなし(こうぶつにたたりなし)
好きな食べ物は、少しくらい食べ過ぎてもからだに害はないということ。 「好きな物に祟りなし」ともいう。
声が潰れる(こえがつぶれる)
大きな声を出すなどして、声がかすれたり出なくなったりすること。
心に浮かぶ(こころにうかぶ)
ふと思いだしたり、思いついたりすること。
小言八百愚痴千粒(こごとはっぴゃくぐちせんつぶ)
ささいな小言や愚痴など、言っても仕方がないことを延々と言う人のことを評した言葉。
事が運ぶ(ことがはこぶ)
ものごとが予定通りに進展すること。
事を運ぶ(ことをはこぶ)
ものごとを進行すること。
小船の宵拵え(こぶねのよいごしらえ)
準備が早すぎること、おおげさすぎることのたとえ。 小船を出そうとして、前の晩から船出の準備をすることから。
コロンブスの卵(ころんぶすのたまご)
簡単なことでも、それを最初に思いついて行うことはむずかしいということ。アメリカ大陸発見にけちをつけられたコロンブスが、テーブルに卵を立てることを試みさせ、誰もできなかった後に卵の尻を軽くつぶして立てて見せたという逸話から。
子を棄つる藪はあれど身を棄つる藪はなし(こをすつるやぶはあれどみをすつるやぶはなし)
困窮すると最愛のわが子でも棄てることができるが、自分の身だけは棄てることができないということ。
極楽の入り口で念仏を売る(ごくらくのいりぐちでねんぶつをうる)
知り尽くしている人にものを教えるたとえ。
御多分に漏れず(ごたぶんにもれず)
他のものと同じであること。例外ではなく。
災難の先触れはない(さいなんのさきぶれはない)
人はいつ災難に遭うかわからないから、日頃の用心が大切であるということ。
山椒は小粒でもぴりりと辛い(さんしょはこつぶでもぴりりとからい)
体は小さくても、激しい気性と優れた才能を持ち、侮り難い存在のたとえ。山椒の実は小粒ながら、激しい辛味を持つことから。「山椒」は、本来「さんしょう」という。
山中の賊を破るは易く心中の賊を破るは難し(さんちゅうのぞくをやぶるはやすくしんちゅうのぞくをやぶるはかたし)
山中にいる賊を討伐するのは簡単だが、心の中の邪念に打ち勝つのは難しいというたとえ。
座を見て皿をねぶれ(ざをみてさらをねぶれ)
その場の様子をみきわめてから、自分の出方を決めるのが利口だということ。 「ねぶる」は舐める意。 場所柄をよく考えて、ごちそうの皿を舐めるかどうか判断せよとの意から。
沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり(しずむせあればうかぶせあり)
人生にはいい時も悪い時もある。悪いことばかりが続くわけでないから、くよくよするなということ。
知ったかぶり(しったかぶり)
実際には知らないのに、あたかも知っているかのように装うこと。
知ったか振りの恥搔き(しったかぶりのはじかき)
本当は知らないのに、いかにも知っているようなそぶりをすると大恥を掻くということ。
渋皮が剝ける(しぶかわがむける)
外見に野暮ったさがなくなって洗練されること。または、物事に慣れて巧みになること。
渋柿の長持ち(しぶがきのながもち)
何の取り柄もない人や悪人が長生きすることのたとえ。そのまま食べられない渋柿は人に採られることなく長く木に残っているということから。
娑婆で見た弥三郎(しゃばでみたやさぶろう)
知っている人間に、知らないふりをすることのたとえ。 ある僧侶が佐渡で土中入定(生きたまま土の中に入り仏になること)すると見せかけて、こっそりと抜け出して越後に渡ったところ、知り合いの彌次郎という男に声をかけられてしまった。初めのうちは知らん顔をしていたが、しらを切り通せなくなり「げにもげにもよく思い合はすれば娑婆で見た弥次郎か」と言ったという笑い話に基づくとされる。 「弥次郎」は、「弥三郎」「弥十郎」などともいう。
出家の念仏嫌い(しゅっけのねんぶつぎらい)
もっとも大切なことが嫌いだったり、出来なかったりすることのたとえ。 僧となって仏道を修行する者が念仏を唱えるのが嫌いとの意から。
勝負は時の運(しょうぶはときのうん)
勝負はその時々の運によるもので、必ずしも実力通りに決まるものではないということ。 「勝負は時のはずみ」「勝つも負けるも時の運」「勝つも負けるも運次第」「負けるも勝つも時の運」「負けるも勝つも運次第」などともいう。
知らずば半分値(しらずばはんぶんね)
価値のわからないものは、予想する値の半分ぐらいの値をつければだいたい当たっているということ。
神経が高ぶる(しんけいがたかぶる)
ある物事から刺激を受けて興奮状態になること。
身上を潰す(しんしょうをつぶす)
持っている財産の全てを使い果たすこと。
神仏は見通し(しんぶつはみとおし)
神様は人々のどんなに小さい行為でも見抜いているので誤魔化すことはできないということ。 「神様はお見通し」「天道様はお見通し」「天は見通し」「神仏は見通し」「仏は見通し」などともいう。
地震の時は竹薮に逃げろ(じしんのときはたけやぶににげろ)
地震の時は竹やぶが避難場所としてすぐれているということ。竹は根を広く張っているいるため地割れが少なく、竹は倒れにくく、もし倒れても軽いため怪我が少ないことなど、経験からいわれている言葉。
自分の盆の窪は見えず(じぶんのぼんのくぼはみえず)
自分の欠点はわからないことのたとえ。「盆の窪」は首の後部中央のくぼんだ所。
十七八は藪力(じゅうしちはちはやぶぢから)
男は十七、八歳の頃には、薮竹を引き抜くほどのばか力が出るということ。
十分はこぼれる(じゅうぶんはこぼれる)
容器一杯に水をいれると、ちょっとした揺れでこぼれてしまうように、物事も欲を出しすぎると失敗することがあるので、ほどほどが良いということ。
水道の水で産湯を使う(すいどうのみずでうぶゆをつかう)
江戸っ子が江戸生まれであることを自慢していうことば。江戸には金と労力をかけて作った神田上水と玉川上水があり、この水道水の産湯を使ったということから。
酸っぱい葡萄(すっぱいぶどう)
負け惜しみのたとえ。腹を空かせた狐が、木に実った葡萄を取ろうとするが、どうしても取れず「どうせあの葡萄は酸っぱい」と言ったというイソップ物語から。
相撲に勝って勝負に負ける(すもうにかってしょうぶにまける)
内容や経過は良いにもかかわらず、結果的に失敗してしまうことのたとえ。 相撲の内容では優勢だったのに、ちょっとしたはずみで負けてしまうとの意から。
寸分違わず(すんぶんたがわず)
わずかな違いもなく、完全に同じであること。 「寸分」は長さの一寸と一分のことで、程度や分量などがわずかであることを表す言葉。
寸を曲げて尺を伸ぶ(すんをまげてしゃくをのぶ)
小さいことを犠牲にして、大きな利益を得るたとえ。 一寸の小さなものをさらに短く曲げ縮め、一尺の大きなものをさらに長く伸ばすとの意から。
世界半分自惚れしっかり(せかいはんぶんうぬぼれしっかり)
世の中のことは半分しかわかっていないのに、自惚れだけはしっかりあるということ。
赤縄を結ぶ(せきじょうをむすぶ)
夫婦の関係になることを約束すること。夫婦の縁を結ぶこと。
世上物騒我が身息災(せじょうぶっそうわがみそくさい)
世間にどんな事が起こっても、自分の身が安全ならかまわない。世の中に無関心で利己主義な人のことをいう。
銭あれば木物も面を返す(ぜにあればきぶつもつらをかえす)
どんなに冷淡な者でも、金の力にはなびくというたとえ。 金銭があれば、感情がない木仏さえも振り向くとの意から。
膳部揃うて箸を取れ(ぜんぶそろうてはしをとれ)
食事をする時は、料理がすべて揃ってから箸を取るものだということ。あわただしく食事に取りかかることを戒める言葉。また、物事は用意がすっかり整ってから始めよということ。「膳部」は、膳にのせて出す料理のことで、「全部」とかけたもの。
外愛嬌の内そんぶり(そとあいきょうのうちそんぶり)
外では愛嬌を振りまいているが、家では無愛想な人のこと。「そんぶり」は、無愛想の意。
高みの見物(たかみのけんぶつ)
高い所から下の騒ぎを見物するように、第三者の立場から、事の成り行きを興味本位に傍観すること。「高み」は、高い所の意。
竹に油を塗る(たけにあぶらをぬる)
口が達者なこと、よくしゃべることのたとえ。また、若々しくて美しいことのたとえ。 つるつるしている竹に油を塗るとさらによく滑ることから。 単に「竹に油」ともいう。
助け舟を出す(たすけぶねをだす)
人が困っているときに力を貸して助ける。
多勢に無勢(たぜいにぶぜい)
多人数に少人数で立ち向かっても、とても勝ち目はないということ。
他人の念仏で極楽参り(たにんのねんぶつでごくらくまいり)
他人の力を当てにして、自分の利益を図ったり、義理を果たすことのたとえ。他人の唱えた念仏で自分が極楽へ行こうとする意から。
他聞を憚る(たぶんをはばかる)
他人に聞かれると不都合があること。
抱けばおんぶ(だけばおんぶ)
人の親切心に甘えて、つけあがること。親切に抱いてやると、次はおんぶをせがむの意。
誰でも自分の荷が一番重いと思う(だれでもじぶんのにがいちばんおもいとおもう)
自分のしていることが一番大変だと思いがちで、他人のしていることは楽に見えるが、実際にやってみると簡単ではないということ。
近火で手を焙る(ちかびでてをあぶる)
目の前の小さな利益を追うたとえ。とりあえず身近にある火で手を焙って暖める意から。
力瘤を入れる(ちからこぶをいれる)
熱心に取り組む。尽力する。 「力瘤」とは、ひじを曲げた時にできる、二の腕の筋肉の盛り上がり。 力瘤が出るほど力を尽くす意から。
契りを結ぶ(ちぎりをむすぶ)
かたい約束をする。夫婦関係や義兄弟の関係を結ぶ。
宙を飛ぶ(ちゅうをとぶ)
空を飛ぶかのように、非常に速く走ること。
沈黙を破る(ちんもくをやぶる)
今まで黙っていた人が喋り始めること。 また、一時的に活動を停止していたものが、再び活動し始めること。
月夜に背中あぶる(つきよにせなかあぶる)
回りくどくて、まるで効果のないことのたとえ。また、誤った方法のたとえ。月の光で背中を温めようとしても、とうてい出来ないことから。
月夜に提灯も外聞(つきよにちょうちんもがいぶん)
実際は不必要なことでも、世間体のためにしなければならないたとえ。月夜に提灯をともすような無駄なことも、世間体のために必要なこともあるということから。
月夜にも背中炙りて温まれ(つきよにもせなかあぶりてあたたまれ)
効果がないと思われることも、しないよりはましだというたとえ。また、わずかでも利用できるものは使った方がいいというたとえ。
粒が揃う(つぶがそろう)
集まっている人や物がどれもすぐれている様子。
潰しが効く(つぶしがきく)
それまでの仕事を辞めても、別の仕事で働くことができる能力があること。 金属製品を溶かすと再利用できるとの意から。
手を結ぶ(てをむすぶ)
協力して物事に取り組むこと。
天地は万物の逆旅(てんちはばんぶつのげきりょ)
この世のすべてのものは、うつろいやすくはかないということのたとえ。 「逆旅」は宿屋のことで、天地はあらゆる生物が生まれてから死ぬまでのわずかな間に泊まる宿屋に過ぎないとの意から。
天は二物を与えず(てんはにぶつをあたえず)
長所があれば必ず短所もあり、長所ばかりを備えた人はいないということ。 天は一人の人間にいくつもの長所を授けることはないとの意から。
出たとこ勝負(でたとこしょうぶ)
事前に準備などせずに、その場の成り行き次第で決着をつけること。さいころ賭博では、出た目で勝負を決めることから。