「愚かさ」に関連する故事・ことわざ・慣用句 — 95 件
「愚かさ」に関連する故事・ことわざ・慣用句を一覧で紹介します。各語を選択すると意味・読み方などの詳細を確認できます。全95件を五十音順に掲載しています。
ことわざ一覧(五十音順)
浅瀬に仇波(あさせにあだなみ)
思慮の浅い人間ほど、おしゃべりで些細なことで騒ぎ立てるということ。「仇波」は「徒波」とも書き、浅瀬が徒(いたずら)にさざ波を立てる意から。
頭隠して尻隠さず(あたまかくしてしりかくさず)
悪事や欠点の一部を隠して、全部を隠したつもりでいる者をあざけっていう言葉。雉(きじ)が草むらに頭を突っ込み隠れたつもりでも、尾が見えていることから。
戦を見て矢を矧ぐ(いくさをみてやをはぐ)
物事が起こってから、慌てて準備にとりかかる愚かさをいう言葉。 戦いが始まってから矢を作ることから。 「軍を見て矢を矧ぐ」「敵を見て矢を矧ぐ」ともいう。
一斑を見て全豹を卜す(いっぱんをみてぜんぴょうをぼくす)
物事の一部分だけを見て、全体を推し量る愚かさをいう言葉。 「一斑」は、豹(ひょう)の毛皮にあるまだら模様のうちの一つのこと。転じて物事の一部分。 「卜す」は、占うこと。判断すること。 毛皮にある一部のまだら模様を見て、豹であること、またどのような豹であるかを断定すること。
犬に論語(いぬにろんご)
道理の通じない相手には何を説いても無駄ということのたとえ。犬に論語を説いて聞かせても、まったくわからないことから。
芋の煮えたも御存じない(いものにえたもごぞんじない)
鍋の前に立ったこともないまま育った者を笑う。日々の暮らしがどう回っているかを、まるで知らずにきた人をさす。
烏鵲の智(うじゃくのち)
遠い先のことばかり心配して、すぐそばに危険が迫っていることに気がつかない愚かさのたとえ。 「烏鵲」はカササギのこと。 カササギは、強風の吹くことが多い年には、高い枝ではなく低い枝に巣を作るが、そのために人からひなや卵をとられる危険があることには気づかないとの意から。
歌物語の歌忘れ(うたものがたりのうたわすれ)
いちばん大事なことがぬけていることのたとえ。 「歌物語」は和歌にまつわる話。 歌物語を話しながら、歌の文句を忘れてしまうとの意から。
縁なき衆生は度し難し(えんなきしゅじょうはどしがたし)
人の忠告を聞き入れようとしない者は、救いようがないということ。 「縁」は、ここでは仏縁の意。 「衆生」は、仏が慈悲を垂れる人間。 「度す」は、悟りを開かせること。 仏縁のない者は、たとえ仏でも救いようがないとの意から。
大男総身に知恵が回りかね(おおおとこそうみにちえがまわりかね)
からだばかり大きくて愚かな男をあざけっていう言葉。
大男の殿(おおおとこのしんがり)
からだばかり大きいくせに、いつも人に後れを取る男をあざけっていう言葉。
大河を手で堰く(おおかわをてでせく)
無謀で不可能なことをするたとえ。大きな川を手で堰き止めようとするということから。
お先棒を担ぐ(おさきぼうをかつぐ)
人の手先になって軽々しく行動すること。 「お先棒」は二人で棒を使って荷物を担ぐ時、棒の前方を担ぐ人のこと。
親馬鹿子馬鹿(おやばかこばか)
目が曇った親は子の至らなさを見落とし、子のほうもそれを当て込んで甘えたままでいる。 互いに引き下げ合ったまま、双方とも気づかない。
愚か者に福あり(おろかものにふくあり)
愚か者は欲も野心もないので、人に恨まれたり憎まれたりすることもなく、平穏無事で幸福な人生を送ることができるということ。
蛙の願立て(かえるのがんだて)
いい加減な計画や考えで物事を進めて失敗することのたとえ。 人間のように歩きたいと願った蛙が、祈りによって二本足で立てるようになったものの、目が後ろ側を向いたままだったため、身動きが取れずに死んでしまったという寓話から。 「蛙の立願」ともいう。
蛙の行列(かえるのぎょうれつ)
先のことを考えず、ただむやみに突き進むこと。または、そのような向こう見ずな人々の集まり。 蛙が後ろ足で立つと、目が後ろ側を向いてしまって前が見えなくなることから。
柿を盗んで核を隠さず(かきをぬすんでさねをかくさず)
本体だけを片づけて安心し、取りこぼした一つから足がつく。 始末をつけた気でいる当人が、いちばん分かりやすい証しを残している。
下愚の性移るべからず(かぐのせいうつるべからず)
見込みのない相手には、外からどれだけ手を入れても質が改まらない。 動かないとされた二つの極のうち、下の側だけを取り出した形で、育てる手にも及ばない範囲があると説く。
陰に託して影を求む(かげにたくしてかげをもとむ)
方法を間違うことのたとえ。 物陰に入って自分の影を探すとの意から。
河童に水練(かっぱにすいれん)
ある分野に精通している人に対して、その分野のことを教えようとする愚かさのたとえ。 「水練」は、泳ぎの練習のこと。 泳ぎが得意である河童に泳ぎを教えることは見当違いであるとの意から。
金があれば馬鹿も旦那(かねがあればばかもだんな)
金さえ持っていれば、馬鹿でも旦那と持ち上げられるということ。人柄や経歴に関係なく、金の力が威光のもとだということ。
紙子着て川へはまる(かみこきてかわへはまる)
軽率な行いによって、自ら破滅を招くことのたとえ。 「紙子」は、渋柿を塗った紙で仕立てた衣服。 紙の服を着て川の中へ入るという無謀なことをいう。
空世辞は馬鹿を嬉しがらせる(からせじはばかをうれしがらせる)
愚か者は、口先だけのお世辞に喜ぶということ。
雉の隠れ(きじのかくれ)
隠れおおせたと思っているのは当人ばかりで、はた目にはすっかり知れていること。草むらへ首だけ差し入れた雉が、尻尾を外へ置き去りにしている姿を笑っていう。
木に縁りて魚を求む(きによりてうおをもとむ)
方法を誤ると目的を達成できないことのたとえ。 木に登って魚を探すとの意から。
愚者の百行より知者の居眠り(ぐしゃのひゃっこうよりちしゃのいねむり)
愚か者の数々の行いは、優れた人の居眠りにも及ばないということ。転じて、つまらないものが数多くあるより、よいものが少しあるほうがいいというたとえ。
愚者も千慮に一得有り(ぐしゃもせんりょにいっとくあり)
知恵の足りない者の口からも、思案を重ねるうちに一つは使える案が出てくる。「智者も千慮に一失有り」と対にして用いる。 捕らえられた李左車が、韓信に策を問われ、愚か者の考えにも一つくらいは当たりがあるものだと前置きして献策した。
愚の骨頂(ぐのこっちょう)
この上なく愚かなばからしいこと。
経験は愚か者の師(けいけんはおろかもののし)
愚か者に教えるには、実際に経験させてみるのがいいということ。経験の大切さをいった言葉。
血気の勇(けっきのゆう)
昂ぶった気持ちに押されて突き進むだけの、腰の据わらない強気。傍目には肝が太いように映るが、退く場面を見きわめる力を欠いている。「血気」は、若さから来る勢いをいう。
結構は阿呆の唐名(けっこうはあほうのからな)
角を立てまいとして何にでも頷いてしまう者は、結局は間抜けと見られ、つけこまれる。「唐名」は、言い換えた呼び名のこと。
下種の後思案(げすのあとじあん)
気の利いた案が出てくるのは、決まって決着がついたあと。 手遅れの入れ知恵ほど始末に負えないものはない、と切って捨てる。
下種の一寸、のろまの三寸、馬鹿の開けっ放し(げすのいっすん、のろまのさんずん、ばかのあけっぱなし)
戸を閉める時に、下種は一寸閉め残し、のろまな者は三寸閉め残し、愚か者は開けっ放しにしてしまう。戸の閉め方で、その人の品性・性格がわかるということ。
下種は槌で使え(げすはつちでつかえ)
愚かな者は、道理を説明してもなかなか理解しないため、叩いたり叱りつけたりして使わなければならないという教え。
小男の総身の知恵も知れたもの(こおとこのそうみのちえもしれたもの)
小男の全身が知恵だとしても、その量はたかが知れているということ。「大男総身に知恵が回りかね」に対して言い返す言葉。
黒白を弁ぜず(こくびゃくをべんぜず)
物事の善悪・是非・正邪がわからないこと。「黒白」は、善悪・是非・正邪の意。
虚仮の後思案(こけのあとじあん)
肝心な場面では何ひとつ浮かばないくせに、片がついてから「ああすればよかった」と口を開く。
虚仮の一心(こけのいっしん)
才に恵まれない者でも、一つのことへ心を注ぎ通せば、人の目をみはらせる働きができる。 「虚仮」は、中身が伴わないさまをいう仏語から出た語。
子供の喧嘩に親が出る(こどものけんかにおやがでる)
子ども同士の喧嘩に親が口出しして、自分の子どもの味方をする愚かさを非難する言葉。また、大人気ないふるまいや余計な干渉をするたとえ。
竿竹で星を打つ(さおだけでほしをうつ)
不可能なことをしようとする愚かさのたとえ。また、思うところに手が届かないもどかしさのたとえ。 竿竹で天にある星を打ち落とすとの意から。
猿の人真似(さるのひとまね)
猿のようによく考えもしないで、人の真似をすることをあざけっていう言葉。
三歳の翁、百歳の童子(さんさいのおきな、ひゃくさいのどうじ)
子どもでも知恵も分別もある者もいれば、老人でも無知で愚かな者もいるということ。 人の賢さは年齢に左右されないということ。 「八歳の翁百歳の童」「十歳の翁百歳の童」「百歳の童、七歳の翁」などともいう。
失笑を買う(しっしょうをかう)
愚かな言動をして他人から笑われること。 「失笑」は笑いを堪え切れずに吹き出してしまうこと。
釈迦に説法、孔子に悟道(しゃかにせっぽう、こうしにごどう)
その道を知り尽くしている人に物事を教える愚かさのたとえ。または、必要のないことを長々しく繰り返し言うこと。 仏教の開祖である釈迦に仏の教えを説いたり、儒教の開祖である孔子に人の道を説いたりするという意味から。 単に「釈迦に説法」ともいう。
尺も短き所あり、寸も長き所あり(しゃくもみじかきところあり、すんもながきところあり)
場合によっては賢い者も劣ることがあり、愚かな者が勝る場合もあるというたとえ。尺でも短くて足りないこともあり、寸でも長すぎることがあるということから。
菽麦を弁ぜず(しゅくばくをべんぜず)
愚かで物の区別もつかないことのたとえ。 「菽」は豆、「弁ずる」は区別すること。 豆と麦の区別もできないとの意から。
蜀犬、日に吠ゆ(しょっけん、ひにほゆ)
無知なために、当たり前のことに疑いを抱いて騒ぎ立てるたとえ。また、見識が狭い人が他人のすぐれた言動を疑って非難するたとえ。 「蜀犬」は、中国の蜀地方の犬のこと。 蜀地方は、山地で雨の降ることが多く、天気の良い日が少ないため、太陽が出ると犬が怪しんで吠えるということから。
尻馬に乗る(しりうまにのる)
よく確かめもしないまま、人の言い出したことにそのまま付いていく。 自分で考えたわけではなく、場の勢いに引かれて一緒に騒ぎ立てる。
尻馬に乗れば落ちる(しりうまにのればおちる)
人の言い分にそのまま乗って動いた者は、しくじりまで一緒に背負わされる。 勢いを借りた分だけ、転んだときに支えるものが無い。
真の闇より無闇が怖い(しんのやみよりむやみがこわい)
真っ暗な闇はもちろん怖いが、それよりも無闇やたらに何をしでかすかわからない人間の方がもっと怖いということ。
自慢高慢、馬鹿のうち(じまんこうまん、ばかのうち)
自慢や高慢な態度は愚かしいということ。
千慮の一得(せんりょのいっとく)
愚かな者でも、たまには一つぐらいよい考えを出すこともあるということ。
総領の甚六(そうりょうのじんろく)
長男は甘やかされて大事に育てられるので、おっとりとした世間知らずの者が多いということ。「甚六」は愚か者のこと。
卵を以て石に投ず(たまごをもっていしにとうず)
損ばかりでなんにもならないことのたとえ。また、道理の通らない愚かな行為のたとえ。石に卵を投げつけても卵が割れるだけで石はなんともないことから。
痴人夢を説く(ちじんゆめをとく)
話のつじつまの合わないこと、または要領を得ないことのたとえ。 愚かな者が、自分の見た夢の説明をするとの意から。
血の巡りが悪い(ちのめぐりがわるい)
頭の働きが鈍く、理解や判断が遅い。
土仏の水遊び(つちぼとけのみずあそび)
無謀なことをして自ら身を滅ぼすことのたとえ。 土で作られた仏が水遊びをすると溶けてしまうことから。 「土人形の水遊び」「雪仏の水遊び(日向遊び)」ともいう。
手でする事を足でする(てですることをあしでする)
正しい方法を用いずに、誤ったやり方をするたとえ。
盗に食を齎す(とうにしょくをもたらす)
敵を助ける結果にしかならない愚かな振る舞い。押し入る側にこちらから食糧を届けてやる意から。
時知らぬ山伏は夜も頭巾(ときしらぬやまぶしはよるもずきん)
山伏は行に身を入れるあまり、床に就くときまで頭巾を取らない。ところ柄も折も汲み取れず、一つの型を通してしまう人をいう。
年甲斐もない(としがいもない)
年齢に相応しくなく、愚かであること。
飛んで火に入る夏の虫(とんでひにいるなつのむし)
自分から進んで危険や災難の中に飛び込んでいくことのたとえ。 灯火の明るさに引き寄せられて飛んできた夏の虫が、火に飛び込んで焼け死んでしまうとの意から。
盗人に鍵を預ける(ぬすびとにかぎをあずける)
悪人とは知らずに信頼して、うかつにも悪事の手助けをしてしまうたとえ。また、気づかずに災いを大きくする手伝いをするたとえ。盗難を防ぐための鍵をよりにもよって盗人に預けてしまう意から。
はやり目なら病み目でもよい(はやりめならやみめでもよい)
やたらに流行を追いかける者の愚かさをいう言葉。 流行していることなら、たとえそれが目の病気でも真似をしたいとの意から。
馬鹿があればこそ利口が引き立つ(ばかがあればこそりこうがひきたつ)
愚かな人間がいて利口な人間が目立つように、世の中は種々雑多な人間で成り立っている。世の中はさまざまな人間が、持ちつ持たれつの関係で生きているということ。
馬鹿と暗闇おっかない(ばかとくらやみおっかない)
暗闇も怖いが、馬鹿も何をしでかすか予想できないので恐ろしいということ。
馬鹿と煙は高いところへ上る(ばかとけむりはたかいところへのぼる)
愚か者はおだてにのりやすいというたとえ。
馬鹿と子供には勝てぬ(ばかとこどもにはかてぬ)
理屈が通じない愚か者と子どもには、とうていかなわないということ。
馬鹿と鋏は使いよう(ばかとはさみはつかいよう)
人を使うときは、使い方次第で役に立たせることができるということ。 鋏(はさみ)も使い方次第で切れたり切れなかったりするように、愚かな人間も上手に使えば役に立つということ。
馬鹿に付ける薬はない(ばかにつけるくすりはない)
愚かな者の頭を賢くする薬はない。愚か者は救いようがないということ。
馬鹿の一念(ばかのいちねん)
愚か者も一心に事をおこなえば、すばらしい大事業を成し遂げられるということ。
馬鹿の大足(ばかのおおあし)
大きな足は馬鹿のしるしであるという俗説から、足の大きな人をからかっていうことば。
馬鹿の大食い(ばかのおおぐい)
愚か者にかぎって大食をするということ。また、食事の作法をわきまえないことを非難していう言葉。 「阿保の大食い」ともいう。
馬鹿の三杯汁(ばかのさんばいじる)
汁を何杯もお代わりして恥じない、行儀知らずをそしっていう言葉。また、思慮の足りない者ほど人一倍食べたがるということ。 汁の替えは二杯までがたしなみで、三杯目に手を出すのは分別のない者のすることだ、という意から。 「阿呆の三杯汁」ともいう。
馬鹿の一つ覚え(ばかのひとつおぼえ)
愚か者が、たった一つ覚えていることを得意げに振りかざすことをあざけっていう言葉。
馬鹿の真似する利口者、利口の真似する馬鹿者(ばかのまねするりこうもの、りこうのまねするばかもの)
真に賢い者は知恵を誇示することはないが、愚かな者ほど利口ぶって自分を賢く見せようとするものであるということ。
馬鹿は死ななきゃ治らない(ばかはしななきゃなおらない)
愚か者の性質は治そうとしても治らない、手の施しようがないということ。
馬鹿程怖いものはない(ばかほどこわいものはない)
この世で最も恐ろしいのは、わきまえを持たない者である。筋道を踏まえずに動くので、次にどう出るかが誰にも読めず、そばにいる者まで巻き添えにする。
馬鹿も休み休み言え(ばかもやすみやすみいえ)
ばかげたことを言うのもほどほどにして、いい加減にやめよということ。
馬鹿を見たくば親を見よ(ばかをみたくばおやをみよ)
馬鹿とは何か知りたければ、親を見よということ。 親馬鹿こそ馬鹿の見本のようなものであるとの意から。
馬鹿を笑うも貧乏を笑うな(ばかをわらうもびんぼうをわらうな)
愚か者は自分が悪いのだが、貧乏は本人のせいばかりではないので、笑ってはいけないという戒めの言葉。
蛮勇を振るう(ばんゆうをふるう)
物事の是非や理非を考えずに、無茶な行いをすること。
匹夫の勇(ひっぷのゆう)
物事を深く考えていない、一時の感情に任せた軽率な勇気のこと。 「匹夫」は身分の低い人や教養のない人。転じて軽率な人のこと。 「小人の勇」ともいう。
不肖(ふしょう)
親や師に似ないで愚かなこと。また、自分をへりくだっていう言葉。
舟に刻みて剣を求む(ふねにきざみてけんをもとむ)
古いしきたりや習わしにとらわれて、状況の変化に応じることができない愚かさのたとえ。 中国の楚の人が舟で長江を渡る途中に乗っている舟から剣を落としたため、慌てて舟べりに印をつけて、舟が岸に着いた後に印をつけた場所の川底を捜したという故事から。 「舟に刻(こく)して剣を求む」「剣を落として舟を刻む」「刻舟」ともいう。
暴虎馮河の勇(ぼうこひょうがのゆう)
血気にはやり無鉄砲なことをすることのたとえ。「暴虎」は素手で虎を打つこと、「馮河」は大きな河を徒歩で渡ることで、そのような無謀な勇気の意から。
朴念仁(ぼくねんじん)
無口で愛想のない人。また、道理のわからない人のこと。
間が抜ける(まがぬける)
ものごとの大事な点が欠けており、馬鹿げたように見えること。
盲蛇に怖じず(めくらへびにおじず)
知識や知恵のない者は、平気で後先のことを考えずに行動してしまうことのたとえ。 盲人は、蛇がいても見えていないので全く怖がらないとの意から。
目を掩うて雀を捕らう(めをおおうてすずめをとらう)
浅はかな小細工で人を出し抜こうとしても、すぐに見破られるということ。 雀に気づかれまいとして、自分のほうが目をふさいで近づいたという故事から。
山に蛤を求む(やまにはまぐりをもとむ)
向かう先を取り違えていては、どれほど手を尽くしても実りはない。 海でなければとれない蛤を、山の中で探し回るとの意から。
山の芋を蒲焼にする(やまのいもをかばやきにする)
あまりにも早計な行為のたとえ。 蕪は鶉となり、山芋は鰻となる(起こるはずのないことが時には起こることのたとえ)という言葉でたとえに用いられている山芋がまだ鰻にもなっていないのに蒲焼にしようとすることから。
律儀は阿呆の唐名(りちぎはあほうのからな)
実直すぎるのは、愚かなことと同じだということ。「唐名」は別名の意。
若気の至り(わかげのいたり)
若さから、思慮に欠けた勢い任せの行動をしてしまうこと。または、その結果。 主に、若い頃を反省していう言葉。
