「た」から始まる故事・ことわざ・慣用句
「た」から始まる故事・ことわざ・慣用句 — 250 件
たくらだ猫の隣歩き(たくらだねこのとなりあるき)
自分の家の用は何もしないで、他人の家の用ばかり手伝うことのたとえ。 「たくらだ」はじゃこう鹿に似た獣。じゃこう鹿を狩りにきた猟師が、飛び出してきたたくらだを誤って狩ったことから、自分に無関係なことで死んだり傷ついたりする者のこと。転じて、愚か者・まぬけのことをいう。 まぬけな猫が自分の家のねずみは捕らずに、近所のねずみばかり捕って遊び歩くということから。
竹と人の心の直ぐなのは少ない(たけとひとのこころのすぐなのはすくない)
竹は意外に真っ直ぐなものは少なく、人も心が曲がらず正直な者は少ないということ。
竹に油を塗る(たけにあぶらをぬる)
口が達者なこと、よくしゃべることのたとえ。また、若々しくて美しいことのたとえ。 つるつるしている竹に油を塗るとさらによく滑ることから。 単に「竹に油」ともいう。
竹に雀(たけにすずめ)
取り合わせのよい一対のもののたとえ。竹にとまった雀が図柄として取り合わせのよい画であるところから。
竹の子生活(たけのこせいかつ)
たけのこの皮を一枚ずつはいでいくように、身の回りの物を少しずつ売りながら暮らす生活。
竹の子の親勝り(たけのこのおやまさり)
(たけのこはすぐに親竹と同じ、または親竹以上の高さになることから)子どもの成長が早く、すぐに親を凌ぐようになることのたとえ。または、子どもが親よりもすぐれていることのたとえ。 「竹の子」は「筍」とも書く。
竹屋の火事(たけやのかじ)
怒って、言いたい放題にぽんぽんものを言うこと。竹屋が火事になるとと、竹がはじけてぽんぽん音を出すところから。
竹を割ったよう(たけをわったよう)
さっぱりしていて、わだかまりのない気性のたとえ。竹が一直線に割れることから。
多芸は無芸(たげいはむげい)
多芸の人は、かえって一つの芸を深く極めることがなく、結局芸が無いのと同じだということ。
蛸の糞で頭へあがる(たこのくそであたまへあがる)
自分は思いあがって得意になっているが、他人からはいやしめられていることのたとえ。 かつては、本来の蛸の胴部が頭であると考えられていたことから、糞が頭にあることをいった語。
蛸の共食い(たこのともぐい)
同類のものが害し合うことのたとえ。
蛸は身を食う(たこはみをくう)
資本や財産を食い減らすたとえ。蛸は空腹になると自分の足を食うといわれるところから。
他山の石(たざんのいし)
他人の誤った言行を、自分の修養のために役立てること。 よその山から取れたつまらない石でも、自分の宝石を磨くのに使えるとの意から。
足して二で割る(たしてにでわる)
両者の特徴や程度の間をとること。
他事ながら(たじながら)
「あなたには直接関係のないことですが」の意。 手紙で自分の出来事や様子などを述べるときに用いる語。
助け舟を出す(たすけぶねをだす)
人が困っているときに力を貸して助ける。
多勢に無勢(たぜいにぶぜい)
多人数に少人数で立ち向かっても、とても勝ち目はないということ。
闘う雀、人を恐れず(たたかうすずめ、ひとをおそれず)
何かに無我夢中になっている者は、思いがけない力を発揮するというたとえ。 雀のような弱い鳥でも戦っている時は、人間が近づいても逃げようとしないとの意から。 「闘雀人を恐れず」ともいう。
叩かれた夜は寝やすい(たたかれたよるはねやすい)
人に害を加えるより、いっそ害を加えられたほうが気が楽だということ。 人を叩いた側は夜に後悔して眠れないが、人から叩かれた側はそのような後悔がないので眠れるとの意から。
叩けば埃が出る(たたけばほこりがでる)
どんなものであっても細かく調べれば、欠点や弱点が出てくるものだということ。
叩けよ、さらば開かれん(たたけよ、さらばひらかれん)
積極的に努力すれば、必ず成功への道は開けてくるということ。 ただ待っているだけでは神の国の門は開かれないが、ひたすら神に祈り、救いを求めれば門は開かれるだろうという意味。新約聖書に由来する言葉。
多多益益弁ず(たたますますべんず)
仕事が多ければ多いほど上手く処理するということ。また、数が多ければ多いほど都合がよいということ。 「弁ず」は、処理するという意。 中国漢の高祖が、臣下の韓信に統率できる兵の数を尋ねたところ「兵は多ければ多いほど上手く使える」と答えたという故事から。
畳の上で死ぬ(たたみのうえでしぬ)
事故死や変死などではなく、自分の家で穏やかに死ぬ。
畳の上の怪我(たたみのうえのけが)
安全なはずの畳の上でさえ怪我をすることがあるように、どこで災難に遭うか予測できないというたとえ。
畳の上の水練(たたみのうえのすいれん)
理屈や方法を知っているだけで、実際には役に立たないことのたとえ。 「水練」は、水泳の練習。 畳の上で水泳の練習をしても、泳げるようにならないことから。 「畳水練」「畑水練」ともいう。
踏鞴を踏む(たたらをふむ)
勢いよく向かっていた的が外れたため、踏みとどまることができずに数歩進んでしまうこと。 「踏鞴(たたら)」は、大きなふいご(足で踏んで風を送る道具)のことで、勢いが余り踏みとどまろうとする姿が踏鞴を踏む姿と似ていることから。
ただでは置かない(ただではおかない)
このままでは済ませない、必ず仕返しをするの意。 捨てぜりふ、脅し文句に用いる語。
ただでは済まない(ただではすまない)
このままでは済まない。このままでは終わらない。
ただの鼠ではない(ただのねずみではない)
ただものではない。油断のならない人物である。
只より高い物はない(ただよりたかいものはない)
ただで物をもらうと、代わりに物事を頼まれたり、返礼にお金がかかったりして、かえって高いものにつくということ。
只より安い物はない(ただよりやすいものはない)
ただで物を貰うことより安く上がることはないということ。
太刀打ちができない(たちうちができない)
相手のほうが力が上で、勝負にならない。相手にならない。 「太刀打ちできない(たちうちできない)」ともいう。
立ち往生する(たちおうじょうする)
途中で行き詰まり、進むことも引き返すこともできなくなること。 「立ち往生」は、弁慶(べんけい)が立ったまま死んだとされる「弁慶の立ち往生」に由来する語。
立場が無い(たちばがない)
信用を失ったり評価が下がったりして、面目を失う。
立ち仏が居仏を使う(たちぼとけがいぼとけをつかう)
立っている者が、座っている者に用事を頼むたとえ。自分で出来ることを無精して人にさせるたとえ。「居仏」は、座像の仏のこと。
立ち回りを演じる(たちまわりをえんじる)
つかみ合ったり殴り合ったりして喧嘩をする。 「立ち回り」は芝居などでの乱闘の場面。
立ち物は転び物(たちものはころびもの)
不思議ではないこと、当然であることのたとえ。立っている物が転ぶのは当たり前であることから。
立ち寄らば大樹の陰(たちよらばたいじゅのかげ)
人を頼るなら、社会的に勢力がある人がよいというたとえ。 身を寄せるなら、大きな木の下が安全であることから。 「立ち寄らば大木の陰」「立ち寄らば大樹の陰」「寄らば大木の下」ともいう。
タッチの差(たっちのさ)
時間的なほんのわずかな差。 競泳で、ゴールとなる内壁にどちらが先に触れたかという程度のわずかな差に由来する語。
立ってる者は親でも使え(たってるものはおやでもつかえ)
急ぎの時は、たとえ親でも、近くに立っている人を使えということ。座っている人間が、立っている人間にものを頼む時の言い訳にいう言葉。
尊い寺は門から知れる(たっといてらはもんからしれる)
尊いものは見た目ですぐにわかるということ。 尊い寺は、門構えからして立派でありがたみを感じさせるとの意から。
田作る道は農に問え(たつくるみちはのうにとえ)
農業のことは農民に聞くのが一番いいように、何事もその専門家に聞くのが一番いい方法だということ。
達人は大観す(たつじんはたいかんす)
広く道理に通じた人は、物事の全体を見きわめて、正しい判断を下すということ。「達人」は物事の道理に深く通じた人、「大観」は広く全体を見通すこと。
立つ瀬が無い(たつせがない)
立場が無くなる。面目を失う。
立つ鳥、跡を濁さず(たつとり、あとをにごさず)
立ち去る者は、後始末をきちんとしなければならないということ。また、引き際が潔いことのたとえ。水鳥は飛び立ったあとの水を濁さずに飛び去ることから。 「飛ぶ鳥、跡を濁さず」「鳥は立てども跡を濁さず」ともいう。
立つより返事(たつよりへんじ)
人に呼ばれた時には、立つより先にまず返事をせよということ。
田作りも魚のうち(たづくりもうおのうち)
弱小で無力な者でも仲間には違いがないというたとえ。「田作り」はごまめの別名で鰯の幼魚。ごまめのように小さな魚でも、魚の仲間に違いはないということから。
手綱を締める(たづなをしめる)
馬が勝手に走り出さないように手綱をしぼること。 転じて、勝手なことをしたり怠けたりしないように注意して見張ることのたとえ。 「手綱」は、馬を操るための綱。
立て板に水(たていたにみず)
立てかけた板に水を流すように、すらすらとよどみなく話すことのたとえ。
盾に取る(たてにとる)
ある物事を、自分の身を守る口実にすること。言い訳の材料にすること。
盾の半面(たてのはんめん)
物事の一面。また、物事の一面だけを見て判断を下すような偏った態度のたとえ。
縦の物を横にもしない(たてのものをよこにもしない)
面倒くさがって、簡単にできることもしないことのたとえ。 横着な人のたとえ。 「縦の物を横にもしない」ともいう。
盾の両面を見よ(たてのりょうめんをみよ)
物事は、表と裏の両面を観察してから正しく判断せよということ。
立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花(たてばしゃくやく、すわればぼたん、あるくすがたはゆりのはな)
美人の容姿や立ち居振る舞いを形容することば。
立てば芍薬、座れば牡丹(たてばしゃくやくすわればぼたん)
美人の容姿や立ち居振る舞いを形容することば。 続けて「歩く姿はゆりの花」とも言う。
盾を突く(たてをつく)
逆らう。反抗する。敵対する。 防御物である盾を地面に突き立てて抵抗することから。
蓼食う虫も好き好き(たでくうむしもすきずき)
人の好みはさまざまであるというたとえ。 辛い蓼の葉を好んで食べる虫もいるように、人の好みはいろいろあるとの意から。
蓼の虫は蓼で死ぬ(たでのむしはたででしぬ)
習い覚えた仕事を一生続け、他の仕事に移らないことのたとえ。辛い蓼の葉を好んで食べる虫は、辛くない他の草に移ろうとはせず、一生蓼を食べ続けるということから。
譬えに嘘なし坊主に毛なし(たとえにうそなしぼうずにけなし)
昔から言い伝えられてきたたとえやことわざは、どれも真理であり嘘はないということ。
たとえ火の中水の中(たとえひのなかみずのなか)
どんなに大変な目に遭ってもかまわないということ。
多とする(たとする)
高く評価する。価値が高いものと認める。
炭団に目鼻(たどんにめはな)
色黒で不器量な顔のたとえ。
棚上げにする(たなあげにする)
問題の解決や処理を先延ばしにすること。
棚卸しをする(たなおろしをする)
人の欠点などを一つ一つ数え上げて批判すること。 「棚卸し」は、決算などのため、商品や原材料などの数量を確かめて評価すること。
棚から落ちた達磨(たなからおちただるま)
威張っていた人が、落ち目になって格好のつかないぶざまな姿になることのたとえ。
棚から牡丹餅(たなからぼたもち)
思いがけない幸運が転がり込むこと、何の苦労もせずに幸運を得ることのたとえ。 略して「[[棚ぼた*https://kokugo.jitenon.jp/word/p31557]]」ともいう。
棚から牡丹餅は落ちてこない(たなからぼたもちはおちてこない)
思いがけない幸運は、まず舞い込むことはないということ。
掌の内(たなごころのうち)
まるで手の中にあるかのように、物事が自分の思い通りになること。 「掌」は、てのひらのこと。
掌を合わす(たなごころをあわす)
手を合わせて拝むこと。 「掌」は、てのひらのこと。
掌を返す(たなごころをかえす)
てのひらを返すように物事が簡単に出来ることのたとえ。 または、言葉や態度などをがらりと変えることのたとえ。
掌を指す(たなごころをさす)
てのひらにあるものを指して説明するように、物事がきわめて明白であることのたとえ。
棚に上げる(たなにあげる)
自分に不都合なことにわざと触れないでおくことのたとえ。
他人の疝気を頭痛に病む(たにんのせんきをずつうにやむ)
自分には関係のない物事で、いらぬ心配をすることのたとえ。 「疝気」は漢方で腰・下腹部の病気のこと。 他人の疝気を心配して自分が頭痛になることから。 「人の疝気を頭痛に病む」「隣の疝気を頭痛に病む」ともいう。
他人の空似(たにんのそらに)
血のつながりがない他人同士が、偶然よく似ていること。
他人の宝を数える(たにんのたからをかぞえる)
自分には何の得にもならないことのたとえ。 「他人の宝を数える」「隣の宝を数える」「隣の家の宝を数える」ともいう。
他人の念仏で極楽参り(たにんのねんぶつでごくらくまいり)
他人の力を当てにして、自分の利益を図ったり、義理を果たすことのたとえ。他人の唱えた念仏で自分が極楽へ行こうとする意から。
他人の正目(たにんのまさめ)
利害関係のない他人の見方は、公平で正しいというたとえ。「正目」は縦にまっすぐに筋の通った木目のこと。
他人の飯には骨がある(たにんのめしにはほねがある)
他人の家に世話になって生活することは、どこか窮屈で何かと気を遣うことが多いということ。また、他人の親切には底意があり、頼りきっているとひどい目に遭うこともあるということ。 他人の家で食べる飯は、まるで骨でもあるかのようにのどを通りにくいとの意から。 「他人の飯には棘がある」「他人の飯は強い」ともいう。
他人の飯は白い(たにんのめしはしろい)
他人のものは、自分のものより良く見えるというたとえ。
他人の飯を食う(たにんのめしをくう)
親元を離れ、他人の間に揉まれて実社会の経験を積むこと。