「ひ」を含む故事・ことわざ・慣用句
「ひ」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 712 件
食わぬ飯が髭に付く(くわぬめしがひげにつく)
身に覚えのない疑いをかけられることのたとえ。 食べもしない飯粒が知らない間に髭に付いて疑われることから。
君子は独りを慎む(くんしはひとりをつつしむ)
徳のある人は人が見ていない所でも行いを慎むということ。
君子は豹変す(くんしはひょうへんす)
人の態度や意見ががらりと変わることのたとえ。 豹の毛が生え変わって斑紋が鮮やかになるように、君子は過ちに気付いたらすぐにそれを改めて新しくするということ。 本来は良い方向へ変わる意味で用いたが、現在では悪い方向へ変わる意味で用いることが多い。
愚者の百行より知者の居眠り(ぐしゃのひゃっこうよりちしゃのいねむり)
愚か者の数々の行いは、優れた人の居眠りにも及ばないということ。転じて、つまらないものが数多くあるより、よいものが少しあるほうがいいというたとえ。
血路を開く(けつろをひらく)
困難な状況から抜け出す方法を見つけること。 敵の包囲を破って逃れるとの意から。
賢者ひだるし、伊達寒し(けんじゃひだるし、だてさむし)
人並みのことをしない者はつらい目に遭うということ。 「ひだるし」は、ひもじいの意。 賢者は富を求めず質素な生活をするのでひもじい思いをし、伊達者は見栄を張って薄着でいるので寒い思いをするとの意から。
月旦評(げったんひょう)
人物の批評や品定めをすること。 「月旦」は、月の初めの日。 後漢の許劭が、いとこの許靖と毎月一日に郷里の人物の批評をしたという故事から。 単に「月旦」ともいう。
下馬評(げばひょう)
その人と直接関わりのない人たちが好き勝手に行う批評や噂。
「下馬」は、下馬先(城門や社寺にある馬を待たせておく所)のこと、下馬先で主人を待つ供の者があれこれ批評をしあったことから。鯉の一跳ね(こいのひとはね)
諦めがいいこと。潔いこと。捕らえられた鯉は一度跳ねるだけで、あとはじたばたしないという意味から。
公然の秘密(こうぜんのひみつ)
表向きは秘密とされているが、実際には広く世間に知れ渡っていること。 「公然」は誰もが知っているということ。
孝は百行の本(こうはひゃっこうのもと)
孝行は、すべての善行の基本となるものであるということ。「百行」は、すべての善いおこないの意。
声を潜める(こえをひそめる)
他人に聞こえないように、小さな声で話すこと。
ここばかりに日は照らぬ(ここばかりにひはてらぬ)
太陽が照っているのはここだけではない。つまり、どこに行っても生活できる所はあるという意で、うまくいかなくなって出て行く時の捨て台詞。
心は二つ身は一つ(こころはふたつみはひとつ)
あれもこれもと心は二つのことを望むが、自分のからだは一つしかなく、思い通りにならないということ。
心を引かれる(こころをひかれる)
あることに関心をもち、思いを寄せること。
腰が低い(こしがひくい)
他人に対する態度が控えめで丁寧であることのたとえ。
小姑一人は鬼千匹にむかう(こじゅうとひとりはおにせんびきにむかう)
嫁にとって、小姑一人は鬼千匹にも匹敵するほどやっかいで、扱いにくい存在であるということ。「むかう」は、匹敵するという意。
木っ端を拾うて材木を流す(こっぱをひろうてざいもくをながす)
小事にかまけて大事に失敗するたとえ。木のきれはしを集めて材木を流してしまうということから。
小爪を拾う(こづめをひろう)
ことば尻を捕えて非難したり口答えをしたりすること。
事が延びれば尾鰭が付く(ことがのびればおひれがつく)
物事は長引くと余計な問題が起こって面倒になるので、なるべく早く処理せよということ。
子供川端、火の用心(こどもかわばた、ひのようじん)
子どもが川に落ちないように注意することと、火の用心をすることが大事だということ。
子供は風の子、大人は火の子(こどもはかぜのこ、おとなはひのこ)
子どもは寒い風が吹く中でも元気に外で遊びまわり、大人は寒がって火のそばを離れないということ。
五十歩百歩(ごじっぽひゃっぽ)
多少の違いはあっても、本質的には違いがないということ。戦場で五十歩逃げた兵士が、百歩逃げた兵士を臆病だと笑ったが、逃げたことには変わりはないという故事から。
後手を引く(ごてをひく)
相手に先を越され、受け身の立場になったり対応が遅れたりすること。
歳月、人を待たず(さいげつ、ひとをまたず)
時は人の都合などおかまいなしに刻々と過ぎ去っていくので、時間を無駄にせず大事に過ごすべきであるということ。 「光陰人を待たず」「時は人を待たず」ともいう。
最後は人の嗜み(さいごはひとのたしなみ)
人は死ぬときにこそ、日頃の心がけがもっともよく現れるということ。
財布の底と心の底は人に見せるな(さいふのそことこころのそこはひとにみせるな)
うまく世間を渡るためには、自分の財産や心のうちを他人に知られてはいけないということ。
財布の紐が堅い(さいふのひもがかたい)
必要なものかどうかをしっかりと確認して、金銭を無駄に使わないこと。
財布の紐は首に掛けるより心に掛けよ(さいふのひもはくびにかけるよりこころにかけよ)
財布の紐を首に掛けて金を盗まれないようにするより無駄遣いしないように心がけるほうが大事だということ。、
財布の紐を握る(さいふのひもをにぎる)
金銭の出し入れに関する権限を持つこと。 「財布の紐を握る」ともいう。
先んずれば人を制す(さきんずればひとをせいす)
人より先に事を行えば、有利な立場に立ち相手を制することができるということ。
酒は百毒の長(さけはひゃくどくのちょう)
酒には良い点はなにもなくて、毒そのものであるということ。
酒は百薬の長(さけはひゃくやくのちょう)
酒はほどよく飲めばどんな薬より効果があるということ。
寒さ小便、ひだるさ欠伸(さむさしょうべん、ひだるさあくび)
寒い時にはやたらと小便がしたくなり、空腹の時にはしきりに欠伸が出るということ。 「ひだるい」は、空腹であること。 「ひだるさ欠伸、寒さ小便」ともいう。
猿の人真似(さるのひとまね)
猿のようによく考えもしないで、人の真似をすることをあざけっていう言葉。
去る者は日日に疎し(さるものはひびにうとし)
死んだ人は、月日が経つとだんだんと忘れられていく。また、親しくしていた人も、遠く離れてしまうとしだいに疎遠になるということ。
三軍も帥を奪うべきなり、匹夫も志を奪うべからず(さんぐんもすいをうばうべきなり、ひっぷもこころざしをうばうべからず)
大軍に守られている総大将でも討ち取ることは出来るが、たとえどんなに身分の低い男でも、意思が堅ければ、その志を変えさせることは出来ないということ。人の志は尊重すべきだということ。「三軍」は大軍、「帥」は大将、「匹夫」は身分のいやしい男の意。
三歳の翁、百歳の童子(さんさいのおきな、ひゃくさいのどうじ)
子どもでも知恵も分別もある者もいれば、老人でも無知で愚かな者もいるということ。 人の賢さは年齢に左右されないということ。 「八歳の翁百歳の童」「十歳の翁百歳の童」「百歳の童、七歳の翁」などともいう。
三人旅の一人乞食(さんにんたびのひとりこじき)
三人で旅をする時には、その中の一人が仲間はずれになりがちだということ。また、三人で事をすると、貧乏くじをひいて損をすることが多いということ。
思案の案の字が百貫する(しあんのあんのじがひゃっかんする)
何事もよく考えてから行うことが大切であるというたとえ。 「百貫」は銭一貫の百倍。非常に価値があるもののたとえ。
芝居は無筆の早学問(しばいはむひつのはやがくもん)
芝居は歴史上の事柄や物事の道理を学ぶことができるので、無学な人でも手っ取り早く知識を得ることができるということ。 「芝居は無筆の早学問」ともいう。
四百四病の外(しひゃくしびょうのほか)
恋わずらいのこと。「四百四病」は人間のかかるあらゆる病気のことで、それ以外の病という意味から。
四百四病より貧の苦しみ(しひゃくしびょうよりひんのくるしみ)
人間のかかるあらゆる病気より貧乏のほうがつらいということ。
三味線を弾く(しゃみせんをひく)
相手の話に適当に合わせること。または、適当な嘘で話を誤魔化すこと。歌い手に合わせて三味線を演奏するという意味から。
視野が広い(しやがひろい)
様々なものの見方や考え方などができ、全体を捉えた判断ができること。
愁眉を開く(しゅうびをひらく)
心配事や悩み事がなくなって、安心することのたとえ。 「愁眉」は憂いを含んだ眉のこと。 心配してしかめていた眉を開くとの意から。
朱筆を入れる(しゅひつをいれる)
文章を書き加えたり訂正したりすること。添削すること。 「朱」は赤い色の墨のこと。 「朱筆を入れる」ともいう。
春秋の筆法(しゅんじゅうのひっぽう)
物事を厳格に批判する態度。また、間接の原因を直接の原因のように言う表現方法。「春秋」は、中国の歴史書で孔子が加筆し、その書き方が厳正だったことから。
舜も人なり吾もまた人なり(しゅんもひとなりわれもまたひとなり)
人は誰でも努力や心がけ次第で立派な人間になれるということ。 「舜」は、中国太古の伝説上の聖天子のこと。五帝の一人。 「吾」は、自分のこと。 舜も自分も同じ人間なのだから、舜に出来たことは自分にも出来るとの意から。
生者必滅、会者定離(しょうじゃひつめつ、えしゃじょうり)
命ある者はいつか必ず死に、出会った者はいずれ別れるのがこの世の定めであるということ。
蜀犬、日に吠ゆ(しょっけん、ひにほゆ)
無知なために、当たり前のことに疑いを抱いて騒ぎ立てるたとえ。また、見識が狭い人が他人のすぐれた言動を疑って非難するたとえ。 「蜀犬」は、中国の蜀地方の犬のこと。 蜀地方は、山地で雨の降ることが多く、天気の良い日が少ないため、太陽が出ると犬が怪しんで吠えるということから。
知らずば人に問え(しらずばひとにとえ)
知らない事は、知ったふりをしないで、人に聞いて教えてもらうのがよいということ。
知らずば人真似(しらずばひとまね)
分からないことをする時は、人の真似をするのが無難であるという教え。
白豆腐の拍子木(しらどうふのひょうしぎ)
見かけは立派でも、実際は役に立たないもののたとえ。豆腐で作った拍子木が使えるはずがないことから。
知る人ぞ知る(しるひとぞしる)
みんなが知っているわけではないが、一部の人にはその存在がよく知られているということ。
心頭滅却すれば火もまた涼し(しんとうめっきゃくすればひもまたすずし)
どんな困難でも、精神の持ち方次第で乗り越えられるということ。 「心頭」は、心の中。 心の中から雑念を消し去り、無念無想の境地に至れば、火さえも涼しく感じられるとの意から。 武田信玄に仕えた禅僧快川が、甲斐の恵林寺で織田信長の軍勢に攻められたとき、火中に正座して言ったとされる言葉。
児戯に等しい(じぎにひとしい)
少しの価値もないこと。
地獄から火を貰いに来たよう(じごくからひをもらいにきたよう)
やせ衰えてみすぼらしい姿のたとえ。
地獄にも知る人(じごくにもしるひと)
地獄のようなひどい所でも知り合いはできるものだということ。また、遠くの知らない土地に行っても知人に巡りあえるものだということ。 「冥土にも知る人」ともいう。
地獄は壁一重(じごくはかべひとえ)
人間は一歩誤ると、罪を犯してしまいがちだということ。 地獄は壁を一枚隔てたすぐ隣にあるとの意から。
十把一絡げ(じっぱひとからげ)
いろいろな種類のものを、区別無くひとまとめにして取り扱うこと。また、一つ一つ取り上げるほどの価値がないものとして粗末に取り扱うこと。
蛇は寸にして人を呑む(じゃはすんにしてひとをのむ)
優れた人物は、幼い頃から常人とは違ったところがあるというたとえ。大蛇はわずか一寸ほどの頃から、人間をのみ込もうとする気迫を持っているということから。
情に引かされる(じょうにひかされる)
相手に同情してしまい、厳しい決断を下せないこと。
辞を低くする(じをひくくする)
敬意をもって丁寧な言葉で話すこと。
沈香も焚かず、屁もひらず(じんこうもたかず、へもひらず)
優れてもなければ悪くもない、良いこともしないが悪いこともしない、平々凡々であることのたとえ。 沈香を焚いてよい香りを放つわけでもなく、屁をして悪臭を放つわけでもないとの意から。
水中に火を求む(すいちゅうにひをもとむ)
いくら求めても得ることができないこと。
雀の千声鶴の一声(すずめのせんこえつるのひとこえ)
つまらない者がいろいろ言うよりも、すぐれた者の一声のほうが勝っているというたとえ。「鶴の一声」だけでも使われる。
雀百まで踊り忘れず(すずめひゃくまでおどりわすれず)
小さい頃に身についた習慣は、年をとっても改まりにくいというたとえ。 雀は死ぬまで、踊るように飛び跳ねるて歩くとの意から。
捨て物は拾い物(すてものはひろいもの)
捨てられた物は、拾った者の得だということ。
捨てる神あれば拾う神あり(すてるかみあればひろうかみあり)
人から見捨てられることもあれば、親切に助けてくれる人もいる。たとえ不運なことがあっても、くよくよするなということ。 「捨てる神あれば助ける神あり」ともいう。
寸鉄人を刺す(すんてつひとをさす)
短く鋭い言葉で、相手の急所を突くたとえ。 「寸鉄」は、小さな刃物。転じて、短くて深い意味のある言葉。 「寸鉄人を殺す」ともいう。
赤貧洗うが如し(せきひんあらうがごとし)
非常に貧しくて、まるで洗い流したように何もない様子。「赤」は、何もないという意。
世間が広い(せけんがひろい)
付き合いのある範囲が広いことや、世間に対する知識が深いこと。
世間は広いようで狭い(せけんはひろいようでせまい)
世間は広いようで、案外狭いものであるということ。 思いがけない所で知人にばったり会った時などにいう言葉。 「世の中は広いようで狭い」ともいう。
節季の風邪は買っても引け(せっきのかぜはかってもひけ)
節季のような忙しい時でも、病気ならば公然と休めるから、病気もときには重宝だということ。
千貫のかたに編笠一蓋(せんがんのかたにあみがさひとがい)
大きな元手のわりに利益が少なく、損益が釣り合わないことのたとえ。 「千貫」は銭の単位。一貫の千倍。転じて非常に高価なこと。 千貫の借金の担保が、編み笠一つということから。 「一蓋」は「ひとがい」とも読む。
千に一つ(せんにひとつ)
非常に珍しいこと。 多くある中のたったひとつとの意から。
千里一跳ね(せんりひとはね)
大きな鳥があっという間に千里も飛んでしまうように、物事を一気に行って大成功することのたとえ。
線を引く(せんをひく)
はっきりとした境を決めて区別すること。
是が非でも(ぜがひでも)
善悪に関わらず。何が何でも。 ある物事の実現を強く望む言葉。 「理が非でも」ともいう。