「ら」を含む故事・ことわざ・慣用句
「ら」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 1236 件
竜の髭を撫で虎の尾を踏む(りゅうのひげをなでとらのおをふむ)
恐ろしい竜の髭を撫でたり、虎のしっぽを踏んだりするような、大変危険なことをするたとえ。
良禽は木を択んで棲む(りょうきんはきをえらんですむ)
賢い鳥は木を選んで巣を作るということ。賢い臣下は主君を選んで仕えるというたとえ。
良工は材を択ばず(りょうこうはざいをえらばず)
すぐれた技術を持つ人は、材料の良し悪しなど問題にしないということ。
両雄並び立たず(りょうゆうならびたたず)
同程度の力を持つ二人の英雄は、必ずどちらかが倒れるまで争うので、共存することは出来ないというたとえ。
累卵の危うき(るいらんのあやうき)
卵を積み重ねたように、非常に不安定で危険なようす。
瑠璃も玻璃も照らせば光る(るりもはりもてらせばひかる)
すぐれた才能や素質を持つ者は、どこにいても際立つことたとえ。また、そのような者は活用次第で能力を存分に発揮するということ。 「瑠璃」は青色の宝玉、「玻璃」は水晶のことで、たとえ他の物に混じっていても光を当てればどちらも美しく輝くことから。
礼に始まり、乱に終わる(れいにはじまり、らんにおわる)
酒宴は始まりこそ礼儀正しくとも、宴の終わるころには礼儀も何もなく乱れるものだということ。
連木で腹を切る(れんぎではらをきる)
不可能なことのたとえ。 「連木」はすりこぎ(すり鉢で物をするときに用いる先の丸い棒)のこと。 すりこぎを刀のかわりにしても、腹を切ることはできないことから。
老化は足から(ろうかはあしから)
老化現象は、足の痛みやもつれなど、足に関する症状から現れるということ。
老醜を晒す(ろうしゅうをさらす)
年老いて醜くなった姿や頑なな考え方などを人に示して恥をかくこと。 自身を謙遜していう言葉。
蠟燭は身を減らして人を照らす(ろうそくはみをへらしてひとをてらす)
自分の身を犠牲にして、他人のためにつくすことのたとえ。
六十の手習い(ろくじゅうのてならい)
年をとってから学問や稽古事を始めること。 「八十の手習い」ともいう。
呂律が回らない(ろれつがまわらない)
酒に酔った人や子どもなどが、舌が滑らかに動かず、言葉がはっきりしないようす。「呂律」は和音階を表す呂律(りょりつ)が転じて、言葉の調子の意。
論語読みの論語知らず(ろんごよみのろんごしらず)
知識は持っているが、実行が伴わない人をあざけっていう言葉。 書物を読んでも知識として理解するだけで、それを生かして実行できていなかったり真の意義を理解できていなかったりすること。
ローマは一日にしてならず(ろーまはいちにちにしてならず)
大事業は、長い年月の努力なしでは成し遂げられないというたとえ。
我が家、楽の釜盥(わがいえ、らくのかまだらい)
盥(たらい)を買えずに釜で代用しているような貧乏な暮らしをしていても、我が家ほど楽しい所はないということ。
我が心石に非ず、転ずべからず(わがこころいしにあらず、てんずべからず)
心が確固として不動であることのたとえ。 自分の心は石ではないから、転がして動かすことはできないということ。
我が事と下り坂に走らぬ者なし(わがこととくだりざかにはしらぬものなし)
自分に関することとなれば、下り坂で自然と早足になるように、自ら進んで走りまわるということ。
我が寺の仏尊し(わがてらのほとけとうとし)
自分の信じるものや大切にしているものが、番尊いと信じこむことのたとえ。 「我が寺の仏尊し」「我が家の仏尊し」ともいう。
我が身の臭さ我知らず(わがみのくささわれしらず)
自分の欠点はなかなか気がつかないというたとえ。
脇目も振らず(わきめもふらず)
他に心を奪われず、その事だけに一生懸命に取り組んでいるさま。
禍は口から(わざわいはくちから)
うっかり言ってしまった言葉が災いを招くこともあるため、口は慎まなければならないという戒め。 「口は禍の門」「禍は口から」ともいう。
忘れたと知らぬには手がつかぬ(わすれたとしらぬにはてがつかぬ)
忘れたとか知らないという者には、何を言っても無駄であるということ。
鰐の空涙(わにのそらなみだ)
偽りの涙のたとえ。鰐は偽善の象徴とされ、悲しそうに見せかけて涙を流しながら生き物を食べるという伝説から。
笑いが止まらない(わらいがとまらない)
予想外の利益によって、嬉しくてたまらない様子。
笑い事ではない(わらいごとではない)
関わりのない人から見ると大した問題ではないが、関係者にとっては非常に深刻である様子。
笑いは人の薬(わらいはひとのくすり)
適度な笑いは心や身体に良いということ。
笑う顔に矢立たず(わらうかおにやたたず)
笑顔で接してくる者には、憎しみも自然に消えるというたとえ。
笑う門には福来る(わらうかどにはふくきたる)
いつも明るくにこにこしている人の所には、自然に幸福が訪れてくるということ。
草鞋を脱ぐ(わらじをぬぐ)
長い旅を終えること。または、旅の途中で宿に泊まること。 博打打などが、旅の途中である土地に一時身を落ち着けるとの意から。
草鞋を履く(わらじをはく)
1.旅に出発すること。 2.罪を犯した者が、追及を逃れるために土地を離れて旅に出ること。 3.商人や仲介者が、取引において価格を偽ること。物の値段をごまかして利益を得る行為。 「穿く」は「履く」とも書く。 また、「長い草鞋を履く」ともいう。
笑って損した者なし(わらってそんしたものなし)
いつも明るくにこにこしている人は、他人に好かれ幸福を招くということ。
藁苞に黄金(わらづとにこがね)
容器が粗末でも中に価値があるものが入っていること。 または、外見からでは真価をはかることはできないということのたとえ。 藁包みの中に金が入っているとの意から。
藁で束ねても男は男(わらでたばねてもおとこはおとこ)
藁で髪を束ねるような貧しい暮らしをしていても、男にはそれなりの値打ちがあるということ。
藁にも縋る(わらにもすがる)
せっぱつまって、まったく頼りにならないものでも頼りにすること。 「縋る」は「攀る」とも書く。
我に自由を与えよしからずんば死を与えよ(われにじゆうをあたえよしからずんばしをあたえよ)
アメリカ独立運動でパトリック・ヘンリーが、自由のために、死ぬ気で戦うという強い決意を表して、演説の結びに言った言葉。
