「ん」で終わる故事・ことわざ・慣用句
「ん」で終わる故事・ことわざ・慣用句 — 224 件
猫に小判(ねこにこばん)
どんなに貴重なものでも、その価値のわからないものには、なんの値打ちもないことのたとえ。
猫の精進(ねこのしょうじん)
内心は欲しくてたまらないのに、うわべだけ遠慮することのたとえ。 また、その場だけのことで長続きしないことのたとえ。 猫が大好きな魚を辞退するとの意から。 「猫の精進」「猫の魚を食わぬ振り」ともいう。
念者の不念(ねんじゃのぶねん)
念を入れて慎重に物事を行う人でも、時には不注意なこともしてしまうということ。 「念者」は、念を入れて物事ををする人のこと。「ねんしゃ」ともいう。
のけば他人(のけばたにん)
夫婦はもともと他人同士だから、どんなに仲がよくても離婚するとまったくの赤の他人になるということ。
背水の陣(はいすいのじん)
失敗すれば後が無いという立場、また決死の覚悟で事に当たることのたとえ。 中国、漢の名将が趙の軍隊と戦った時、わざと川を背に陣を敷き、味方に決死の覚悟で戦わせて敵を破ったという故事から。
伯仲の間(はくちゅうのかん)
ほとんど差がなく優劣がつけにくいこと。昔、中国では子どもの上から順に伯・仲・叔・季の字を当て、伯(長兄)と仲(次兄)では年齢にあまり差がないことから。
白馬非馬論(はくばひばろん)
詭弁やこじつけのこと。 中国、周時代に公孫竜が、「馬」は形に名付けられた概念で「白」は色に名付けられたであるから「馬」と「白馬」は別の概念を表すという論を説いたことから。 「白馬は馬に非ず」「白馬非馬論」ともいう。
始め半分(はじめはんぶん)
何事も最初が肝心で、始めがうまくいけば事の半分は終わったようなものだから、慎重に始めよということ。
裸一貫(はだかいっかん)
自分の体のほかには、資本となるものを持っていないこと。 「貫」は昔の貨幣の単位。銭一千文。 裸の身だけが唯一の資本との意から。 「腕一本」「褌一貫」ともいう。
裸百貫(はだかひゃっかん)
男は無一文の身ひとつでも百貫の値打ちがあるということ。「貫」は昔の貨幣の単位で、一貫は一文銭千枚のこと。「百貫」は、価値があることのたとえ。
鼻糞丸めて万金丹(はなくそまるめてまんきんたん)
薬の原料は案外つまらないものが多いということ。また、効き目がないことをあざけっていう言葉。 子どもが鼻糞を丸めたりしている時に、はやしたてる言葉としても使われる。 「万金丹」は、気つけや解毒などに使われる丸薬。
話半分(はなしはんぶん)
話は誇張して言い伝えられることが多いので、半分くらい割り引いて聞くのがちょうどよいということ。
「話半分嘘半分」「話半分絵空事」「話半分腹八合」ともいう。腹は立て損、喧嘩は仕損(はらはたてぞん、けんかはしぞん)
腹を立てても、喧嘩をしても自分が損をするだけだから、腹は立てるな、喧嘩はするなということ。
馬鹿の一念(ばかのいちねん)
愚か者も一心に事をおこなえば、すばらしい大事業を成し遂げられるということ。
麦秀の嘆(ばくしゅうのたん)
故国の滅亡を嘆くこと。「麦秀」は麦の穂が伸びること。殷王朝滅亡後、殷一族の箕子が、母国の旧都の跡に生い茂った麦の穂を見て、亡国を嘆き詩を作ったという故事から。
万緑叢中紅一点(ばんりょくそうちゅうこういってん)
多数の男性の中に、女性が一人華やかに混じっていることのたとえ。また、多くのものの中で、ただ一つ際立っているもののたとえ。 「万緑」は見渡す限り一面の緑、「叢中」はくさむらの中のこと。 見渡す限りの緑の草木の中に、紅い花が一輪あでやかに咲いている意から。 略して「[[紅一点*https://kokugo.jitenon.jp/word/p15923]]」ともいう。
ひだるさ欠伸、寒さ小便(ひだるさあくび、さむさしょうべん)
寒い時にはやたらと小便がしたくなり、空腹の時にはしきりに欠伸が出るということ。 「ひだるい」は、空腹であること。 「ひだるさ欠伸、寒さ小便」ともいう。
人一寸(ひといっすん)
身長差は、少しの違いでもかなり違っているように見えるということ。
人の七難より我が十難(ひとのしちなんよりわがじゅうなん)
人の欠点は少しのことでも気がつくが、自分の欠点はなかなか気がつかないということ。 「難」は欠点のこと。 「人の七難より我が八難」「人の七難は見ゆれど我が十難は見えず」ともいう。
人の十難より我が一難(ひとのじゅうなんよりわがいちなん)
人の身に起こった多くの災難より、自分の身に起きた小さな災難のほうが大ごとだということ。
髀肉の嘆(ひにくのたん)
功名を立てたり実力を発揮する機会がないのを嘆くこと。 「髀肉」は、股(もも)の肉のこと。中国蜀の劉備(りゅうび)が、平和な日々が長く続き、馬に乗って戦場に行くことがなかったため、内ももの肉が付きすぎたことを嘆いたという故事から。
百も承知、二百も合点(ひゃくもしょうち、にひゃくもがてん)
言われるまでもなく、十分に理解しているということ。 「合点」は、承知のこと。 単に「百も承知」ともいうが、「二百も合点」と続けて意味を強めた言葉。
豹変(ひょうへん)
態度や意見ががらりと変わること。 豹の毛が生え変わって斑紋が鮮やかになるように、君子は過ちに気付いたらすぐにそれを改めて新しくするという意味の「君子は豹変す(くんしはひょうへんす)」に由来する。 本来は良い方向へ変わる意味で用いたが、現在では悪い方向へ変わる意味で用いることが多い。
尾生の信(びせいのしん)
固く約束を守ることのたとえ。また、生真面目で融通がきかないことのたとえ。 中国の春秋時代、魯の尾生という男が、橋の下で女と会う約束をして待っているうちに大雨で増水したが、そのまま待ち続けて水死したという故事から。
鐚一文(びたいちもん)
ごくわずかな金のこと。「鐚」は、「鐚銭」の略で質の悪い銭の意。
美味も喉三寸(びみものどさんずん)
どんなにおいしいものでも、おいしいと感じるのは喉までの三寸ほどを通るの間のことで、腹に入ってしまえばまずいものと変わらないということ。また、どんなにうれしい事もほんのひとときにすぎないというたとえ。
貧乏柿の核沢山(びんぼうがきのさねだくさん)
貧乏人に子どもが多いことのたとえ。「貧乏柿」は小さい渋柿、「核」は種のことで、渋柿は実が小さいのに種が多い意から。
貧乏人の子沢山(びんぼうにんのこだくさん)
貧乏な人にかぎって子どもが多いということ。
風樹の歎(ふうじゅのたん)
親に孝行したいと思ったときにはすでに親は無く、どうすることもできないという嘆きのことば。 「風樹」とは、風に吹かれて揺れ動く木のこと。 『韓詩外伝』「樹静かならんと欲すれども風止まず。子養わんと欲すれども親待たず。(木は静かに静止していたいのに、風がやまなければどうすることもできない。子どもが孝行したいと思っても親は待ってくれない。)」に基づく。
不足奉公は双方の損(ふそくぼうこうはそうほうのそん)
仕事に不満を持ちながら働くのは奉公人にとって損であるし、主人側にとっても奉公人の仕事がはかどらないのは損だということ。 「不足奉公は両方の損」ともいう。
普天の下、率土の浜(ふてんのもと、そっとのひん)
全世界のこと。 「普天の下」は天の下、「率土の浜」は地の果てのこと。 「[[普天率土(ふてんそつど)*https://yoji.jitenon.jp/yojih/3845.html]]」ともいう。
冬編笠に夏頭巾(ふゆあみがさになつずきん)
物事が逆さまであることのたとえ。 冬に夏用の編み笠をかぶり、夏に冬用の頭巾をかぶるとの意から。
仏千人、神千人(ほとけせんにん、かみせんにん)
世の中には悪い人間もいるが、仏や神のようなよい人間もたくさんいるということ。
誉め手千人、悪口万人(ほめてせんにん、わるくちまんにん)
ほめる人が千人いれば、悪口を言う人は一万人いるということ。 世の中は褒める人よりもけなす人のほうが多いということ。 「誉め手」は「褒め手」とも書く。
坊主の不信心(ぼうずのふしんじん)
他人には立派なことを言いながら、その人自身は実行が伴わないことのたとえ。 人に信仰を説く坊主が信仰心がないとの意から。
亡羊の嘆(ぼうようのたん)
学問の道があまりにも幅広いため、真理をとらえることの難しさを嘆くこと。また、どうしてよいかわからず、途方に暮れて嘆くことのたとえ。 逃げた羊を追いかけたが、道がいくつも分かれていたため途方に暮れたという故事から。
朴念仁(ぼくねんじん)
無口で愛想のない人。また、道理のわからない人のこと。
ぽつぽつ三年、波八年(ぽつぽつさんねん、なみはちねん)
何事も一人前になるには、それなりの年月が必要だということ。 日本画の修行では、ぽつぽつと点で苔を描けるようになるのに三年、波を描けるようになるのに八年かかるとの意から。
松の木柱も三年(まつのきばしらもさんねん)
その場だけを切り抜けるなら、どんなものでも役に立つというたとえ。腐りやすい松の柱でも三年くらいは持つということから。
みいちゃんはあちゃん(みいちゃんはあちゃん)
周りの意見や流行などに左右されやすいこと。また、そのような人。ミーハー。
三行半(みくだりはん)
夫が妻に書いた離縁状。転じて離縁することをいう。昔、離縁状は三行半に書く慣習があったことから。
未亡人(みぼうじん)
夫と死に別れたあと、再婚していない女性。後家。寡婦。
耳学問(みみがくもん)
人の話を聞いて得た知識。
矛盾(むじゅん)
つじつまの合わないこと。中国楚の商人が、自分の売る矛はどんな盾でも突き通すと言い、また盾もどんな矛でも突き通せないと言ったところ、客からその矛でその盾を突くとどうなるのか問われて答えられなかったという故事による。
娘一人に婿八人(むすめひとりにむこはちにん)
一つの物事に対しての希望者が多くいること。 一人の娘に対して婿を希望する人が八人もいるとの意から。 「娘一人に婿三人」「娘一人に婿十人」ともいう。
孟母の三遷(もうぼのさんせん)
子どもの教育には良い環境を選ぶことが大切だという教え。 孟子は幼い頃墓地の近くに住んでいたが、孟子が葬式の真似をして遊ぶので母は市場の近くに居を移した。すると孟子は売買の真似をはじめたので、今度は学校のそばに転居した。すると礼儀作法を真似るようになったので教育に最適な場所として安住したという故事から。 「三遷の教え」「孟母の三遷」「孟母の三居」「孟母三遷」などともいう。
目睫の間(もくしょうのかん)
距離や時間がきわめて接近していることのたとえ。 目と睫(まつげ)の間のようにとても近いとの意から。
求めよ、さらば与えられん(もとめよ、さらばあたえられん)
与えられるのを待つのではなく、自ら進んで努力すれば必ずよい結果を得ることが出来るということ。
物は相談(ものはそうだん)
困った時は一人で悩まず誰かに相談すれば、案外名案が浮かびうまくいくものであるということ。また、相談や頼み事をするときに使う前置きのことば。
桃栗三年柿八年(ももくりさんねんかきはちねん)
芽が出てから実が成るまでに、桃と栗は三年、柿は八年かかるということ。また、何事も相応の年数がかかることのたとえ。このあとに「枇杷(びわ)は九年でなりかねる」「柚は九年になりかかる」「梅は酸いとて十三年」などと続けてもいう。
門外漢(もんがいかん)
その事について専門家でない人や直接関係ない人。 「門」はその道、「漢」は男のことで、門外の男との意から。
薬石の言(やくせきのげん)
薬や治療のように効き目のある言葉、忠告をいう。「薬石」は薬と石鍼(中国の昔の治療器具)のこと。薬石を用いて治療すること。転じて治療全般を指す。
野狐禅(やこぜん)
まだ悟っていないのに悟ったつもりになってうぬぼれている禅の修行者を、野ギツネにたとえた言葉。 転じて、生半可な知識で物事を理解したような顔でうぬぼれている人のこと。 「生禅」ともいう。
藪医者の玄関(やぶいしゃのげんかん)
外見ばかり立派にして実質の伴わないことのたとえ。腕に自信のない医者ほど玄関を立派にするということから。
山師の玄関(やましのげんかん)
内容や実質がないのに見かけだけが立派なことのたとえ。「山師」は投機的な事業で大儲けをたくらむ人。その山師が人を信用させるために玄関を特に立派にすることから。
闇夜の提灯(やみよのちょうちん)
とても困っているときに、頼りにできるものにめぐりあうことのたとえ。 「闇夜の灯火」ともいう。
雄弁は銀、沈黙は金(ゆうべんはぎん、ちんもくはきん)
一生懸命に力をつくして述べることにも価値があるが、黙っているほうがさらに有益な場合があるということ。 雄弁は銀の価値、沈黙は金の価値であるという意。 「沈黙は金、雄弁は銀」ともいう。
欲と相談(よくとそうだん)
欲得ずくで行動すること。
世の中は年中三月常月夜、嬶十七俺二十、負わず借らずに子三人(よのなかはねんじゅうさんがつじょうつきよ、かかあじゅうしちおれはたち、おわずからずにこさんにん)
世の中は、いつも三月頃の温暖な気候で、夜は明るい月夜、妻は十七歳自分は二十歳、責任も借金もなく、子どもは三人持つ暮らしが望ましいということ。江戸時代の庶民のささやかな願望をいった言葉。
律義者の子沢山(りちぎもののこだくさん)
律義者は、品行方正で家庭円満なので、夫婦仲もよく子どもが多く生まれるということ。
理の当然(りのとうぜん)
理屈から考えて、当たり前のこと。
両天秤をかける(りょうてんびん)
二つの対立する事柄や立場に同時に関わり、どちらにも良い顔をしたり、有利な方に付こうとしたりして、不利にならないようにすること。
壟断(ろうだん)
利益や権利を独占すること。「壟」は丘の意。昔、中国で、ある人が切り立った高い丘の上から市場を見下ろして、商売に都合のよい場所を見極め、利益を独占したという故事から。
老婆心(ろうばしん)
高齢の女性の度が過ぎた気遣いのこと。転じて、必要以上に世話をやくことのたとえ。また、自分の忠告を謙遜してもいう。