「愛」を含む故事・ことわざ・慣用句
「愛」を含む故事・ことわざ・慣用句の一覧です。五十音順に表示しています。
愛多ければ憎しみ至る(あいおおければにくしみいたる)
特別に可愛がられることが多ければ、それを妬み憎む者が必ずいるということ。
愛敬を振りまく(あいきょうをふりまく)
周囲の人々を喜ばせるように、明るくにこやかな態度で振る舞う。 「愛想を振りまく」は誤用。 「愛嬌」は「愛敬」とも書く。
愛嬌を振りまく(あいきょうをふりまく)
周囲の人々を喜ばせるように、明るくにこやかな態度で振る舞う。 「愛想を振りまく」は誤用。 「愛嬌」は「愛敬」とも書く。
愛想が尽きる(あいそうがつきる)
相手の言動や態度にあきれ果て、嫌になってしまう。また、信頼できなくなる。 「愛想」は「あいそう」とも読む。
愛想が尽きる(あいそがつきる)
相手の言動や態度にあきれ果て、嫌になってしまう。また、信頼できなくなる。 「愛想」は「あいそう」とも読む。
愛想づかしも金から起きる(あいそづかしもかねからおきる)
女が男につれなくなり愛想をつかすようになるのは、金銭上の問題からだということ。
愛想も小想も尽き果てる(あいそもこそもつきはてる)
愛情や好意がすっかりなくなり、いやになってしまうこと。
愛想を尽かす(あいそをつかす)
相手の態度や言動にあきれて、見限る。
愛の鞭(あいのむち)
相手のことを思い、厳しく接したり罰を与えたりすること。
愛は惜しみなく与う(あいはおしみなくあたう)
誰かを愛する時は、自分の持つすべてを与えても惜しくないということ。
愛は惜しみなく奪う(あいはおしみなくうばう)
誰かを愛する時は、その相手の持つすべてを自分のものにしようと求めるということ。
愛は小出しにせよ(あいはこだしにせよ)
人を愛する時は、少しずつ長く続けるのがよいということ。
愛は憎悪の始め(あいはぞうおのはじめ)
愛と憎しみは紙一重で、一歩間違えば愛情は憎悪に変わってしまう。愛情にも節度が必要だということ。
お愛想を言う(おあいそうをいう)
相手の機嫌をとるために、お世辞を言うこと。 「お愛想」は「おあいそう」ともいう。
お愛想を言う(おあいそをいう)
相手の機嫌をとるために、お世辞を言うこと。 「お愛想」は「おあいそう」ともいう。
屋烏の愛(おくうのあい)
人を愛すると、その人に関する全てのものが愛しくなるということのたとえ。嫌いな烏でも、愛する人の家の屋根に止まっていれば愛らしく思えるとの意から。
男は度胸、女は愛嬌(おとこはどきょう、おんなはあいきょう)
男にとって大切なものは、物事に動じない強い度胸で、女にとって大切なものは、にこやかでかわいらしい魅力だということ。「度胸」と「愛嬌」の「きょう」の語呂を合わせていった言葉。
可愛さ余って憎さが百倍(かわいさあまってにくさがひゃくばい)
かわいいと思う気持ちが強ければ強いほど、いったん憎いと思いはじめると憎み方が特別に激しくなるということ。
可愛さ余って憎さ百倍(かわいさあまってにくさひゃくばい)
かわいいと思う気持ちが強ければ強いほど、いったん憎いと思いはじめると憎み方が特別に激しくなるということ。
舐犢の愛(しとくのあい)
親が子どもを可愛がりすぎることのたとえ。 「舐犢」は親牛が子牛を舐めることで、舐めるように可愛がることから。
外愛嬌の内そんぶり(そとあいきょうのうちそんぶり)
外では愛嬌を振りまいているが、家では無愛想な人のこと。「そんぶり」は、無愛想の意。
寵愛昂じて尼にする(ちょうあいこうじてあまにする)
かわいがるのも度が過ぎると、かえって本人のためにならないというたとえ。 親が娘をかわいがるあまり、いつまでも嫁にやらずついには尼にしてしまうことから。 「尼になす」は「尼にする」ともいう。
寵愛昂じて尼になす(ちょうあいこうじてあまになす)
かわいがるのも度が過ぎると、かえって本人のためにならないというたとえ。 親が娘をかわいがるあまり、いつまでも嫁にやらずついには尼にしてしまうことから。 「尼になす」は「尼にする」ともいう。
汝の敵を愛せよ(なんじのてきをあいせよ)
自分に悪意を持ち、迫害してくる相手にこそ、慈愛の心を持って接するのが真の愛だということ。
汝の隣人を愛せよ(なんじのりんじんをあいせよ)
自分自身のことだけ考えずに、まわりの人々にも愛情を持って接しなさいということ。
馬鹿な子ほど可愛い(ばかなこほどかわいい)
親にとっては、賢い子より愚かな子のほうがふびんでかわいいということ。
氷炭相愛す(ひょうたんあいあいす)
性質が反対のもの同士が助け合うことのたとえ。 冷たい氷と熱い炭が愛し合うとの意から。
孫は子より可愛い(まごはこよりかわいい)
孫は子ども以上にかわいいということ。祖父母が孫をかわいがることの甚だしさをいう。
身ほど可愛いものはない(みほどかわいいものはない)
人は自分の身が何よりも大事であるということ。