「と」から始まる故事・ことわざ・慣用句一覧
絞込み検索
ことわざ一覧
- 怒蛙に式す(どあにしょくす)- 小さな勇気をも評価して礼をもって称えること。また、ほめることで人のやる気を引き出すこと。 春秋時代、越王が出征の途中、腹をふくらませて立ち向かう蛙を見て、「小さな勇気がある」と称え、車上から敬礼した。この話が国中に広まり、勇者たちが次々に名乗りを上げて集まったという故事から。 
- 問い声よければいらえ声よい(といごえよければいらえごえよい)- こちらの出方しだいで、相手の態度も変わるというたとえ。聞き方が良ければ相手の答え方も良いということ。 
- 戸板に豆(といたにまめ)- 戸板の上を豆が転がるようすから、すらすらと早口でしゃべることのたとえ。物事がどんどん進んでいくことのたとえ。 または、戸板にのせた豆は転がって扱いづらいことから、思うようにならないことのたとえ。 
- 問屋の只今(といやのただいま)- 返事はいいが約束がなかなか実行されないことのたとえ。「問屋」は問屋(とんや)のことで、注文しても返事だけですぐには商品が届かない意から。 
- どういう風の吹き回しか(どういうかぜのふきまわしか)- 普段あまり見られない出来事が起こったさま。 
- 頭角を現す(とうかくをあらわす)- 才能や腕前が群を抜いてすぐれ、際立って目立つこと。「頭角」とは頭の先のことで、大勢の中で頭の先を他者より高く現しているという意味。 
- 頭角を見す(とうかくをあらわす)- 才能や腕前が群を抜いてすぐれ、際立って目立つこと。「頭角」とは頭の先のことで、大勢の中で頭の先を他者より高く現しているという意味。 
- 灯火親しむべし(とうかしたしむべし)- 気候のさわやかな秋の長い夜は、明かりの下で読書するのに適しているということ。 
- 薹が立つ(とうがたつ)- 人の盛りの時期が過ぎること。蕗など野菜の花軸が伸びて堅くなること。 
- 東家に食して西家に眠らん(とうかにしょくしてせいかにねむらん)- 欲が深いことのたとえ。昔、中国斉の国の美女が両隣の男性から求婚され、東側の家は金持ちだが醜男、西側の家は貧乏だが美男だった。母親がどちらに嫁ぐのか尋ねたところ、昼間は東側の家で過ごし、夜は西側の家で過ごしたいと答えたという故事から。 
- 堂が歪んで経が読めぬ(どうがゆがんできょうがよめぬ)- 自分の怠慢や落ち度を棚に上げ、失敗を責任転嫁することのたとえ。また、理屈ばかりこねて実行が伴わないことのたとえ。仏堂が歪んで座りにくいから上手に経が読めないと、僧が言い訳する意から。 
- 等閑に付す(とうかんにふす)- 物事をいい加減に扱ったり、放っておいたりすること。 
- 等閑に付する(とうかんにふする)- 物事をいい加減に扱ったり、放っておいたりすること。 
- 同気相求む(どうきあいもとむ)- 気の合う者同士は、自然と寄り集まるということ。 「同気」は同じ気質のこと。 
- 同気相求める(どうきあいもとめる)- 気の合う者同士は、自然と寄り集まるということ。 「同気」は同じ気質のこと。 
- 峠を越す(とうげをこす)- 物事の最も盛んな時期や危険な時期を過ぎること。 「山を越す」ともいう。 
- 桃源(とうげん)- 俗世間を離れた平和な別天地のこと。 中国晋の時代、武陵の漁師が川を水源までさかのぼり、桃の花が咲き乱れる林に迷い込むと、秦の時代の戦乱を避けた人々が平和に暮らす理想郷があったという説話から。 「武陵桃源」「桃源」ともいう。 
- 桃源郷(とうげんきょう)- 俗世間を離れた平和な別天地のこと。 中国晋の時代、武陵の漁師が川を水源までさかのぼり、桃の花が咲き乱れる林に迷い込むと、秦の時代の戦乱を避けた人々が平和に暮らす理想郷があったという説話から。 「武陵桃源」「桃源」ともいう。 
- 東西南北の人(とうざいなんぼくのひと)- あちらこちらをさまよい歩き、住所が定まらないひと。 
- 東西を失う(とうざいをうしなう)- 方角がわからなくなること。どうしたらよいかわからず途方に暮れること。 
- 東西を弁ぜず(とうざいをべんぜず)- 物事の道理がわからない様子。 東と西の区別がつけられないということから。 「東西を弁えず」ともいう。 
- 東西を弁えず(とうざいをわきまえず)- 物事の道理がわからない様子。 東と西の区別がつけられないということから。 「東西を弁えず」ともいう。 
- 唐紙、唐紙、仮名で書け(とうし、からかみ、かなでかけ)- 「唐紙」を「とうし」と読めば書画用の紙、「からかみ」と読めば襖(ふすま)のこと。このように読み方で意味の変わることばは仮名で書いたほうがよいということ。 
- どうした風の吹き回し(どうしたかぜのふきまわし)- 思いがけない人の来訪など意外なことが起こるようす。 
- 同日の談ではない(どうじつのだんではない)- 差がありすぎて、比べものにならない。同じ基準で語ることはできない。 
- 同日の談にあらず(どうじつのだんにあらず)- 差がありすぎて、比べものにならない。同じ基準で語ることはできない。 
- 同日の論ではない(どうじつのろんではない)- 差がありすぎて、比べものにならない。同じ基準で語ることはできない。 
- 同日の論にあらず(どうじつのろんにあらず)- 差がありすぎて、比べものにならない。同じ基準で語ることはできない。 
- 冬至十日経てば阿呆でも知る(とうじとおかたてばあほうでもしる)- 冬至を十日も過ぎればめっきりと日が長くなるので、どんなに鈍い人でも気づくということ。 
- 冬至冬中冬始め(とうじふゆなかふゆはじめ)- 冬至は暦の上では冬の真ん中だが、実際は冬至から本格的に寒くなり、これから冬が始まるように感じられるということ。 
- 闘雀人を恐れず(とうじゃくひとをおそれず)- 何かに無我夢中になっている者は、思いがけない力を発揮するというたとえ。 雀のような弱い鳥でも戦っている時は、人間が近づいても逃げようとしないとの意から。 「闘雀人を恐れず」ともいう。 
- 銅臭(どうしゅう)- 金銭にとりつかれた人。金銭で立身出世した人をそしることば。 
- 同舟相救う(どうしゅうあいすくう)- 仲が悪い者同士や見知らぬ者同士でも、いざという時は助け合うことのたとえ。 同じ舟に乗り合わせた人々は、舟が沈みそうな時は力を合わせて助け合うとの意から。 
- 灯心で竹の根を掘る(とうしんでたけのねをほる)- 一生懸命努力しても効果のないことのたとえ。 「灯心」は、灯油に浸して火をともす柔らかいひも状の芯のこと。 柔らかい灯心では、堅い竹の根を掘れるはずがないことから。 
- 唐人の寝言(とうじんのねごと)- 何を言っているのかわからない言葉のたとえ。また、くどくどと筋の通らないことのたとえ。 「唐人」は中国人、外国人のこと。 ただでさえ言葉の違う外国人の寝言はまったくわけがわからないとの意から。 
- 灯台下暗し(とうだいもとくらし)- 身近なことはかえってわかりにくいたとえ。「灯台」は、燭台のこと。まわりを明るくてらすが燭台のすぐ下は陰になって暗いことから。 
- 尊い寺は門から(とうといてらはもんから)- 尊いものは見た目ですぐにわかるということ。 尊い寺は、門構えからして立派でありがたみを感じさせるとの意から。 
- 尊い寺は門から見ゆる(とうといてらはもんからみゆる)- 尊いものは見た目ですぐにわかるということ。 尊い寺は、門構えからして立派でありがたみを感じさせるとの意から。 
- 東道(とうどう)- 主人となって客をもてなしたり、案内をしたりする人。 または、道案内をする人のたとえ。 中国の春秋時代、鄭の国が晋と秦の軍に包囲された時、鄭の国の燭之武は秦の王に「鄭の国を滅ぼすよりも、東方へ行く際の案内役にしたほうが得になる」と説いたという故事から。 
- 東道の主(とうどうのしゅ)- 主人となって客をもてなしたり、案内をしたりする人。 または、道案内をする人のたとえ。 中国の春秋時代、鄭の国が晋と秦の軍に包囲された時、鄭の国の燭之武は秦の王に「鄭の国を滅ぼすよりも、東方へ行く際の案内役にしたほうが得になる」と説いたという故事から。 
- 堂に入る(どうにいる)- 学問や技芸がすっかり身についているようす。 
- 問うに落ちずに語るに落ちる(とうにおちずにかたるにおちる)- 人から聞かれた時には警戒して言わないようなことも、自分から話をしている時にはうっかり言ってしまうということ。 「落ちる」は、白状すること。 単に「語るに落ちる」ともいう。 
- 堂に升りて室に入らず(どうにのぼりてしつにいらず)- 学問や芸がかなりの水準に達しているが、まだ奥義をきわめるまでには達していないということ。 「堂」は表座敷、「室」は奥の間のこと。 表座敷に上がった程度で、まだ奥の間には入っていないとの意から。 
- 問うは一旦の恥、問わぬは末代の恥(とうはいったんのはじ、とわぬはまつだいのはじ)- 知らないことを聞くのはほんの一時だけ恥ずかしい思いをするが、聞かずに知らないまま過ごすのは一生恥ずかしい思いをするということ。 
- 塔は下から組め(とうはしたからくめ)- 高い塔は下から組むように何事も基礎が大事だということ。 
- 同病相憐れむ(どうびょうあいあわれむ)- 同じような境遇や立場にある者は、互いの気持ちがよくわかるので同情し合うということ。 同じ病気の者同士は、互いにその苦痛がわかるので同情し合うとの意から。 
- 掉尾を飾る(とうびをかざる)- 最後を立派にしめくくること。 「掉尾」は、「とうび」とも読み、捕らえられた魚が死ぬ直前に尾を振ること。転じて、最後の意。 
- 豆腐で歯を痛める(とうふではをいためる)- ありえないことのたとえ。 
- 豆腐に鎹(とうふにかすがい)- 少しも手ごたえや効果がないことのたとえ。「鎹」は、材木をつなぎ止めるためのコの字型の釘のことで、豆腐に鎹を打っても何の効き目もないことから。 
- 灯明で尻を焙る(とうみょうでしりをあぶる)- やり方を誤ったために、まったく効果があがらないことのたとえ。「灯明」は、神仏に供えるともしびのこと。灯明のような弱い火で尻をあぶっても暖まることは出来ない意から。 
- 灯滅せんとして光を増す(とうめっせんとしてひかりをます)- 病人が死ぬ間際に一時的に回復したり、物事が滅びる前に一時勢いを盛り返すことのたとえ。灯火が消える直前に明るく輝くことから。 
- 陶冶(とうや)- 陶器を作ることと、鋳物を作ること。 または、人の才能や性質を育て上げること。 
- 道理に向かう刃なし(どうりにむかうやいばなし)- どんな無法者でも道理に勝てないということ。 
- 道理百遍、義理一遍(どうりひゃっぺん、ぎりいっぺん)- ものの道理を百回聞かせるよりも、たった一度、義理を尽くした行いを見せるほうが、人の心を動かすことができるということ。 
- 桃李もの言わざれども下自ずから蹊を成す(とうりものいわざれどもしたおのずからけいをなす)- 徳のある人のもとへは、自然に人々が集まることのたとえ。 桃や李(すもも)は何も言わないがその花や実に惹かれて人が集まり、木の下には自然に小道ができるとの意から。 「蹊」は小道のこと。 「成蹊」ともいう。 
- 登竜門(とうりゅうもん)- 立身出世の関門のたとえ。中国の黄河上流にある竜門という急流をさかのぼることができた鯉は竜になるという故事から。 
- 道理を破る法はあれども法を破る道理なし(どうりをやぶるほうはあれどもほうをやぶるどうりなし)- いかに正しい道理であっても法には勝てないということ。 
- 同類相求む(どうるいあいもとむ)- 同じたぐいの者同士は、自然に求め合って寄り集まるということ。 
- 蟷螂が斧を以て隆車に向かう(とうろうがおのをもってりゅうしゃにむかう)- 弱者が自分の力を考えずに強敵に向かうこと。無謀な行いのたとえ。 「蟷螂」はかまきり、「斧」はここではカマキリの前足こと。 「隆車」は大きな車のこと。 かまきりが前足を上げて、大きな車に立ち向かうとの意から。 単に「蟷螂の斧」ともいう。 
- 蟷螂の斧(とうろうのおの)- 弱者が自分の力を考えずに強敵に向かうこと。無謀な行いのたとえ。 「蟷螂」はかまきり、「斧」はここではカマキリの前足こと。 「隆車」は大きな車のこと。 かまきりが前足を上げて、大きな車に立ち向かうとの意から。 単に「蟷螂の斧」ともいう。 
- 当を得る(とうをえる)- そのものが道理に適っていて適切であること。 
- 遠い親戚より近くの他人(とおいしんせきよりちかくのたにん)- いざという時には、遠方に住んでいる親戚より近所に住んでいる他人の方が頼りになるということ。 
- 十日の菊(とおかのきく)- 時期に遅れて役に立たないもののたとえ。 9月9日の重陽の節句に用いる菊は9月10日では遅く、5月5日の端午の節句に用いる菖蒲は5月6日では間に合わないとの意から。 「六日の菖蒲、十日の菊」ともいう。 また、単に「十日の菊」「六日の菖蒲」ともいう。 
- 十日の菊、六日の菖蒲(とおかのきく、むいかのあやめ)- 時期に遅れて役に立たないもののたとえ。 9月9日の重陽の節句に用いる菊は9月10日では遅く、5月5日の端午の節句に用いる菖蒲は5月6日では間に合わないとの意から。 「六日の菖蒲、十日の菊」ともいう。 また、単に「十日の菊」「六日の菖蒲」ともいう。 
- 遠き慮りなき者は必ず近き憂えあり(とおきおもんぱかりなきものはかならずちかきうれえあり)- 遠い将来を見越した考えを持っていないと、必ず急な憂い事が起こるということ。 「遠慮」は、先々のことを思慮すること。 「近憂」は、間近の憂い事のこと。 「遠き慮りなき者は必ず近き憂えあり」ともいう。 
- 遠きに行くは必ず近きよりす(とおきにゆくはかならずちかきよりす)- 物事を行う場合は、順序を踏んで着実に進めなければならないということ。 遠くに行く時も近い場所から歩き始めることから。 
- 遠きは花の香(とおきははなのか)- 遠くのものは花の香りのように何でもよく感じられ、近くのものはつまらなく思えるということ。 
- 遠きを知りて近きを知らず(とおきをしりてちかきをしらず)- 他人のことはよくわかるのに、自分のことはわからないということ。 
- 遠くて近いは男女の仲(とおくてちかいはだんじょのなか)- 男女の仲は遠く離れているようで意外に近く、結ばれやすいものであるということ。 
- 遠くて近きは男女の仲(とおくてちかきはだんじょのなか)- 男女の仲は遠く離れているようで意外に近く、結ばれやすいものであるということ。 
- 遠くなれば薄くなる(とおくなればうすくなる)- 親しかった者でも、遠ざかればだんだん情が薄れていくということ。 
- 遠くの火事、背中の灸(とおくのかじ、せなかのきゅう)- 遠くの大事件より自分に関係する小事のほうが気にかかるというたとえ。 
- 遠くの親類より近くの他人(とおくのしんるいよりちかくのたにん)- いざという時には、遠方に住んでいる親戚より近所に住んでいる他人の方が頼りになるということ。 
- 遠ざかるほど思いが募る(とおざかるほどおもいがつのる)- 人を思う気持ちは、遠く離れたりして会えないほど、強くなるということ。 
- 十で神童、十五で才子、二十過ぎれば只の人(とおでしんどう、じゅうごでさいし、はたちすぎればただのひと)- 子どものころは並外れた秀才と思われていた人も、成長すれば平凡な人間になることが多いということ。 
- 十のことは十に言え(とおのことはとおにいえ)- 物事を理解してもらうためには、過不足なく、順序立てて正確に話さなければいけないということ。 
- 遠火で手を焙る(とおびでてをあぶる)- たいした効果がないことのたとえ。遠く離れた火で手を焙ってもあまり暖かくない意から。 
- 遠道は近道(とおみちはちかみち)- 危険な近道を行くより、一見遠回りのようでも安全で確実な道を行くほうが早く着く。物事も焦らずじっくり行うほうが早く目的を遂げられるというたとえ。 
- 遠目、山越し、笠の内(とおめ、やまごし、かさのうち)- 遠くから見るとき、山越しに見るとき、また、笠に隠れた顔の一部をちらりと見る時は、はっきりと見えないので、実際以上に美しく感じられるということ。 
- 通りがいい(とおりがいい)- 一般の人に認められやすい。体裁がよい。または、わかりやすい。 
- とかく浮世は色と酒(とかくうきよはいろとさけ)- なんといってもこの世の楽しみは、色恋と酒であるということ。 
- とかく近所に事なかれ(とかくきんじょにことなかれ)- 藪の中に蛇がいないことを望むように、村(自分の周囲)に何事も起こらずに穏やかであってほしいと望むこと。 「とかく村には事なかれ」「とかく近所に事なかれ」ともいう。 
- とかく村には事なかれ(とかくむらにはことなかれ)- 藪の中に蛇がいないことを望むように、村(自分の周囲)に何事も起こらずに穏やかであってほしいと望むこと。 「とかく村には事なかれ」「とかく近所に事なかれ」ともいう。 
- とかげの尻尾切り(とかげのしっぽきり)- 組織の不祥事を下の立場の人に責任を押し付けて、組織や上の立場の人などに責任が及ばないようにすること。 
- 蜥蜴の尻尾切り(とかげのしっぽきり)- 組織の不祥事を下の立場の人に責任を押し付けて、組織や上の立場の人などに責任が及ばないようにすること。 
- 度が過ぎる(どがすぎる)- 程度が許容される限度を越えていること。 
- 研がずに鍛冶を恨むな(とがずにかじをうらむな)- 何の努力もしないで、生まれた環境を恨んではいけない。真面目に自分を磨く努力をせよというたとえ。切れなくなった刃物を研ぎもせずに、それを作った鍛冶を恨んではいけないということから。 
- 時に遇う(ときにあう)- 好機に巡り合って幸運を掴むこと。 
- 時に遇えば鼠も虎になる(ときにあえばねずみもとらになる)- 時流に乗れば、つまらない者でも出世して権力をふるうようになるというたとえ。 
- 時に臨む(ときにのぞむ)- ある物事が行われたり、起こったりする時になること。 
- 時の氏神(ときのうじがみ)- ちょうどよい時期に来て喧嘩の仲裁などをしてくれるありがたい人のこと。 
- 時の花を挿頭にせよ(ときのはなをかざしにせよ)- 時流に乗って世渡りすることがよいということ。 「挿頭」は髪や冠に挿す飾り花のこと。 その時季に咲く花を飾るように、その時代の風潮や傾向に合わせて暮らすべきであるということ。 
- 時の用には鼻を削げ(ときのようにははなをそげ)- 急を要する場合には、どんな手段でも取った方がよいというたとえ。 緊急の場合には、自分の鼻を削ぎ落とすような非常手段を取るのもやむを得ないとの意から。 「苦しい時は鼻をも削ぐ」ともいう。 
- 時は得難くして失い易し(ときはえがたくしてうしないやすし)- 好機はめったにめぐってこないし、油断するとすぐに去ってしまうということ。また、時は二度とめぐってこないので、わずかな時間も大切に過ごすべきであるということ。 
- 時は金なり(ときはかねなり)- 時間は金銭と同じように貴重なものだから無駄にしてはいけないということ。 
- 時は人を待たず(ときはひとをまたず)- 時は人の都合などおかまいなしに刻々と過ぎ去っていくので、時間を無駄にせず大事に過ごすべきであるということ。 「光陰人を待たず」「時は人を待たず」ともいう。 
- 度肝を抜く(どぎもをぬく)- 激しく驚かせること。 
- 度胸が据わる(どきょうがすわる)- 何が起こっても動じない心が備わること。 
- 度胸を据える(どきょうをすえる)- 何事にも動じないと心に決める。覚悟を決める。 
- 時を争う(ときをあらそう)- わずかな時間も無駄にできないほど、事態が差し迫っている。急を要する。 
- 時を失う(ときをうしなう)- 好機を逃すこと。よい機会を失うこと。 
- 時を移さず(ときをうつさず)- ある物事の後に時間を空けずに行う様子。すぐに。 
- 時を得た一針は九針の手間を省く(ときをえたいっしんはきゅうしんのてまをはぶく)- すぐに対処しておけば、あとで大掛かりな手間をかけずにすむということ。 その時に一針縫っておけば、あとで九針縫う手間を省くことができるとの意から。 「適時の一針は九針の手間を省く」ともいう。 
- 時を得る(ときをえる)- よい機会にめぐりあって栄えること。 
- 時を稼ぐ(ときをかせぐ)- 準備を整えたり有利な状況になったりするまで長引かせること。 「時間を稼ぐ」ともいう。 
- 鬨を作る(ときをつくる)- 多くの人々が一斉に大きな声を出すこと。鬨の声を上げること。 「鬨」は士気を鼓舞したり、戦闘の開始を知らせたりするために発する大声。 
- 時を待つ(ときをまつ)- 好機が訪れるのを待つこと。時機を待つこと。 
- 毒食わば皿まで(どくくわばさらまで)- 一度悪事に手を染めた以上、後戻りはできないので、徹底的に悪に徹しようとすることのたとえ。 どうせ毒を食べてしまったのならば、その皿までなめてしまおうとの意から。 
- 徳孤ならず必ず隣あり(とくこならずかならずとなりあり)- 徳を備えた人は孤立することがなく、理解者や協力者が必ず現れるということ。 
- 読書百遍、意、自ずから通ず(どくしょひゃっぺん、い、おのずからつうず)- どんなに難しい本でも、繰り返し何度も読めば、自然に意味がわかってくるということ。 「読書百遍、意、自ずから通ず」ともいう。 
- 読書百遍、義、自ずから見る(どくしょひゃっぺん、ぎ、おのずからあらわる)- どんなに難しい本でも、繰り返し何度も読めば、自然に意味がわかってくるということ。 「読書百遍、意、自ずから通ず」ともいう。 
- 得心が行く(とくしんがいく)- 相手の言動に納得すること。 
- 徳俵に足がかかる(とくだわらにあしがかかる)- 追い詰められているさま。後がないさま。 「徳俵」は、相撲の土俵上の円の東西南北の四ケ所に設けられた俵一つ分の出っ張りのこと。 土俵上で内外の境界となる徳俵に足がかかることから、追い詰められた状態を表す。 
- 毒にも薬にもならない(どくにもくすりにもならない)- 害にもならないが役にも立たない、あってもなくてもいいもの、居ても居なくてもいい人のたとえ。 
- 徳は孤ならず必ず隣あり(とくはこならずかならずとなりあり)- 徳のある人は決して孤立することがなく、理解し協力する者が必ず現れるということ。 
- 禿筆を呵す(とくひつをかす)- 下手な文章を書くこと。自身の文章を謙遜していう言葉。 「禿筆」は穂先の切れた筆のこと。 「呵す」は息を吹きかけること。 
- 毒薬変じて甘露となる(どくやくへんじてかんろとなる)- 有害なものが一転して有益なものになることのたとえ。また、同じ物が使い方によって、毒にも薬にもなることのたとえ。 「毒薬変じて甘露となる」ともいう。 
- 毒薬変じて薬となる(どくやくへんじてくすりとなる)- 有害なものが一転して有益なものになることのたとえ。また、同じ物が使い方によって、毒にも薬にもなることのたとえ。 「毒薬変じて甘露となる」ともいう。 
- とぐろを巻く(とぐろをまく)- 数人の人たちが、特に用をするでもなく、ある場所に集まってたむろしている様子。 蛇が体を渦巻き状にしてその場から動かないとの意から。 
- 塒を巻く(とぐろをまく)- 数人の人たちが、特に用をするでもなく、ある場所に集まってたむろしている様子。 蛇が体を渦巻き状にしてその場から動かないとの意から。 
- 毒を仰ぐ(どくをあおぐ)- 自らの意思で毒を一気に飲むこと。 
- 毒を食らわば皿まで(どくをくらわばさらまで)- 一度悪事に手を染めた以上、後戻りはできないので、徹底的に悪に徹しようとすることのたとえ。 どうせ毒を食べてしまったのならば、その皿までなめてしまおうとの意から。 
- 得を取るより名を取れ(とくをとるよりなをとれ)- 利益を得ることより、名誉を大切にせよということ。 
- 徳を以て怨みに報ゆ(とくをもってうらみにむくゆ)- 恨みのある者に対して、仕返しするのではなく、逆に恩徳を施すということ。 
- 毒を以て毒を制す(どくをもってどくをせいす)- 悪を排除するのに、他の悪を使うことのたとえ。 
- どこで暮らすも一生(どこでくらすもいっしょう)- どんな所で暮らしても人の一生に変わりがないから、どうせなら楽しく暮らせる所に住みたいということ。 
- 床に就く(とこにつく)- 寝ること。寝床に入ること。 または、病気になって寝込むこと。 
- 床に臥す(とこにふす)- 病気になって寝込むこと。 
- 何処の馬の骨(どこのうまのほね)- 素性のわからない者を見下げていう言葉。 
- どこの烏も黒い(どこのからすもくろい)- どこに行っても、そう目新しいものはないということ。また、どこの国でも人間の本性同じだということ。 「どこの烏も黒い」「どこの鶏も裸足」ともいう。 
- どこの烏も黒さは変わらぬ(どこのからすもくろさはかわらぬ)- どこに行っても、そう目新しいものはないということ。また、どこの国でも人間の本性同じだということ。 「どこの烏も黒い」「どこの鶏も裸足」ともいう。 
- どこの鶏も裸足(どこのとりもはだし)- どこに行っても、そう目新しいものはないということ。また、どこの国でも人間の本性同じだということ。 「どこの烏も黒い」「どこの鶏も裸足」ともいう。 
- 床の間の置き物(とこのまのおきもの)- 高い地位があって立派に見えるが実権を持たない人のたとえ。 
- どこ吹く風(どこふくかぜ)- 自分には関係ないものとして、知らん顔する様子。まったく気にかけない様子。 
- どこもかしこも(どこもかしこも)- どの場所と限定することなく、全体にわたっている様子を表す言葉。どこもここも。どこでも。 
- 所構わず(ところかまわず)- 他人の迷惑など考えず、どんな場所でも好き勝手に行動する様子。 「所嫌わず」ともいう。 
- 所変われば品変わる(ところかわればしなかわる)- 土地が変わると風俗や習慣が違うということ。また、同じ物でも土地によって呼び方や用途が違うものだということ。 
- 所嫌わず(ところきらわず)- 他人の迷惑など考えず、どんな場所でも好き勝手に行動する様子。 「所嫌わず」ともいう。 
- 所で吠えぬ犬はない(ところでほえぬいぬはない)- 自分の住まいで吠えない犬はいないように、弱い者でも自分の縄張りでは威張るということ。 
- 所の神様ありがたからず(ところのかみさまありがたからず)- 自分の身近にあり、よく知っているものは、そのありがたみが薄いというたとえ。 
- 所の法には矢は立たぬ(ところのほうにはやはたたぬ)- その土地の定めは、たとえ不合理と思っても、そこにいるかぎりは従うしかないということ。 
- 所を得る(ところをえる)- その人の能力と釣り合いのとれた地位や職に就くこと。 
- 床を上げる(とこをあげる)- 敷いていた布団を片付けること。 または、寝込んでいた人の病気が治ること。 「床を払う」ともいう。 
- 何処を押せばそんな音が出る(どこをおせばそんなねがでる)- 何を根拠にしてそのようなことをいうのか、という意味。 相手の常識外れの言い分を非難していう言葉。 
- 床を取る(とこをとる)- いつでも寝ることができるように布団を敷くこと。寝所をつくること。 
- 床を払う(とこをはらう)- 敷いていた布団を片付けること。 または、寝込んでいた人の病気が治ること。 「床を払う」ともいう。 
- 鶏冠に来る(とさかにくる)- 怒りで冷静さを失うこと。 
- どさくさに紛れる(どさくさにまぎれる)- 混乱や混雑などの状況を利用して勝手なことをすること。 
- 年が改まる(としがあらたまる)- 新しい年になること。または、年号が変わること。 
- 年が行く(としがいく)- ある程度の年齢になること。年を取ること。 
- 年甲斐もない(としがいもない)- 年齢に相応しくなく、愚かであること。 
- 年が薬(としがくすり)- 年を取るにつれて分別が身に付いてくるということ。 「年こそ薬なれ」ともいう。 
- 年こそ薬なれ(としこそくすりなれ)- 年を取るにつれて分別が身に付いてくるということ。 「年こそ薬なれ」ともいう。 
- 歳寒くして松柏の凋むに後るるを知る(としさむくしてしょうはくのしぼむにおくるるをしる)
- 年問わんより世を問え(としとわんよりよをとえ)- 年をとっているか若いかを問題にするよりも、その人の人生経験の内容を問題にせよということ。 
- 年には勝てない(としにはかてない)- 気力があっても、年をとれば体力や健康が思うようにならないということ。 
- 年は争えない(としはあらそえない)- 年老いると、気持ちは若いつもりでも体力の衰えは隠せないということ。 
- 年端も行かぬ(としはもいかぬ)- 若いこと。幼い年頃であること。 
- 年は寄れども心は寄らぬ(としはよれどもこころはよらぬ)- 年はとっても、気力はまだ衰えていないということ。 
- 斗酒なお辞せず(としゅなおじせず)- 多くの酒を飲むこと。 一斗の量の酒を勧められて平気で飲み干すということから。 「斗」は容積の単位の一つで、一斗は約十八リットル。 
- 屠所の羊(としょのひつじ)- 屠殺場に引かれていく羊のように、刻々と死期が近づいてくることのたとえ。また、打ちひしがれて気力をなくしていることのたとえ。 
- 年寄りて達者なものは口ばかり(としよりてたっしゃなものはくちばかり)- 年寄りは体力や気力は衰えても、口だけは元気だということ。 
- 年寄りと釘頭は引っ込むが良し(としよりとくぎがしらはひっこむがよし)- 打った釘の頭が飛び出ていないほうがいいように、年よりもでしゃばらないほうがいいということ。 
- 年寄りの言うことと牛の鞦は外れない(としよりのいうこととうしのしりがいははずれない)- 経験豊富な年寄りの意見に間違いはないということ。 「鞦」は、馬や牛の尻にかけて鞍を固定する紐のこと。 
- 年寄りの達者、春の雪(としよりのたっしゃ、はるのゆき)- 年寄りはいくら元気だといっても、春の雪が消えやすいのと同じで、当てにならないということ。 
- 年寄りの冷や水(としよりのひやみず)- 年寄りが年齢や体力を考えずに、無理な行いをすること。年寄りが無理をして、体によくない冷たい水を飲んだり浴びたりすることから。 
- 年寄りの昔話(としよりのむかしばなし)- 年寄りが、昔の自慢話ばかりするのを嘲笑していうことば。 
- 年寄りの物忘れ、若者の無分別(としよりのものわすれ、わかもののむふんべつ)- 年寄りは物忘れをしがちで、若者は思慮が足りないふるまいをしがちだということ。それぞれの著しい欠点をあげた言葉。 
- 年寄りは家の宝(としよりはいえのたから)- 経験の豊かな年寄りは何でもよく知っていて、家の宝のような存在だということ。 
- 年寄りは二度目の子供(としよりはにどめのこども)- 老いるとわがままになったり、甘えたりするようになって子どものようになるということ。 「Old men are twice children.」を訳した言葉。 
- 年寄れば愚に帰る(としよればぐにかえる)- 年を取れば、子どものように愚かになってしまうということ。 
- 年を追う(としをおう)- ある傾向が時間と共に強まり続けたり、弱まり続けたりすること。 
- 年を食う(としをくう)- 年を取ること。年老いること。 
- どじを踏む(どじをふむ)- 間の抜けた失敗をすること。 
- どすが利く(どすがきく)- 声や話し方に、相手を脅すような凄みがあること。 
- どすを吞む(どすをのむ)- 短い刃物などを懐に隠し持つこと。 「どす」は短刀のこと。 
- 塗炭の苦しみ(とたんのくるしみ)- ひどい苦痛のたとえ。「塗炭」は、泥にまみれ火に焼かれること。 
- 取っ替え引っ替え(とっかえひっかえ)- 次から次へと取り替えて試してみること。 
- 毒気に当てられる(どっきにあてられる)- 相手の非常識な言動などに呆然とさせられること。 「毒気」は「どっき」とも読む。 
- 毒気を抜かれる(どっきをぬかれる)- ひどく驚かされて呆然となること。度肝を抜かれること。 「毒気」は「どっき」とも読む。 
- 毒気に当てられる(どっけにあてられる)- 相手の非常識な言動などに呆然とさせられること。 「毒気」は「どっき」とも読む。 
- 毒気を抜かれる(どっけをぬかれる)- ひどく驚かされて呆然となること。度肝を抜かれること。 「毒気」は「どっき」とも読む。 
- どっちに転んでも(どっちにころんでも)- 予想される二つの結果のどちらでも大きな違いがない様子。 
- どっちへ転んでも(どっちへころんでも)- 予想される二つの結果のどちらでも大きな違いがない様子。 
- どっちもどっち(どっちもどっち)- 二つのもののどちらにもよい所と悪い所があって大きな差がないこと。 
- 取って付けたよう(とってつけたよう)- 言動などがわざとらしく不自然な様子。 
- 突拍子もない(とっぴょうしもない)- 言動などがその場に相応しくないこと。調子外れであること。 
- トップを切る(とっぷをきる)- 競争などで一番前を走ること。 または、順位が一位になること。 また、真っ先にある物事を始めること。 
- 途轍もない(とてつもない)- 常識や道理などからかけ離れていること。 「途轍」は道と轍(わだち)のことから、物事の筋道のこと。 
- とてもじゃないが(とてもじゃないが)- どうすることもできない、どうしても実現しない、という意味を表す言葉。 「とても」を強調した言い方。 
- 迚もじゃないが(とてもじゃないが)- どうすることもできない、どうしても実現しない、という意味を表す言葉。 「とても」を強調した言い方。 
- 徒党を組む(ととうをくむ)- 悪事を働くために仲間が集まること。 
- とどのつまり(とどのつまり)- 挙げ句の果て。結局。多くは思わしくない結果で終わる場合に使う。「ぼら」は、成長するとともに呼び名が変わり、最後に「とど」と呼ばれることから。 
- 止めを刺す(とどめをさす)- 二度と立ち上がれなくなるほどの決定的な打撃を与えること。息の根をとめる。 または、後から問題にならないように急所を押さえておくこと。 また、同じ種類のものの中でもっともすぐれていること。それに限る。 
- 隣の家の宝を数える(となりのいえのたからをかぞえる)- 自分には何の得にもならないことのたとえ。 「他人の宝を数える」「隣の宝を数える」「隣の家の宝を数える」ともいう。 
- 隣の芝生は青い(となりのしばふはあおい)- 他人の物はなんでもよく見えるというたとえ。 自分の家の芝生に比べて、隣の庭の芝生のほうが青々としているように見えるという意味から。 
- 隣の糂汰味噌(となりのじんだみそ)- 他人の物はなんでもよく見えるというたとえ。「糂汰味噌」はぬかみそのこと。 
- 隣の疝気を頭痛に病む(となりのせんきをずつうにやむ)- 自分には関係のない物事で、いらぬ心配をすることのたとえ。 「疝気」は漢方で腰・下腹部の病気のこと。 他人の疝気を心配して自分が頭痛になることから。 「人の疝気を頭痛に病む」「隣の疝気を頭痛に病む」ともいう。 
- 隣の宝を数える(となりのたからをかぞえる)- 自分には何の得にもならないことのたとえ。 「他人の宝を数える」「隣の宝を数える」「隣の家の宝を数える」ともいう。 
- 隣の花は赤い(となりのはなはあかい)- 他人の物はなんでもよく見えてうらやましく思えるというたとえ。 隣の家に咲いている花は、自分の家の花より赤く見えるという意味から。 
- 隣の貧乏鴨の味(となりのびんぼうかものあじ)- 人はとかく他人の不幸を願うものだということ。 隣の家が貧乏だと、まるで美味しい鴨でも食べているようないい気分になるとの意から。 「隣の貧乏雁の味」ともいう。 
- 隣の貧乏雁の味(となりのびんぼうがんのあじ)- 人はとかく他人の不幸を願うものだということ。 隣の家が貧乏だと、まるで美味しい鴨でも食べているようないい気分になるとの意から。 「隣の貧乏雁の味」ともいう。 
- 隣の餅も食ってみよ(となりのもちもくってみよ)- 世の中の事は、実際に経験しないとわからないというたとえ。 おいしそうに見える隣家の餅も、食べてみなければ味はわからないとの意から。 
- 隣は火事でも先ず一服(となりはかじでもまずいっぷく)- どんなに慌ただしい時でも休息は必要だというたとえ。忙しい時に休息しようとする場合に使う言葉。 
- 図南の翼(となんのつばさ)- 大事業や海外進出などの大きな計画を立てること。 「図」は、企てること。 想像上の巨鳥、鵬(おおとり)が遠い南の地に向かって飛び立とうと翼を広げるとの意から。 「図南の鵬翼」ともいう。 
- 図南の鵬翼(となんのほうよく)- 大事業や海外進出などの大きな計画を立てること。 「図」は、企てること。 想像上の巨鳥、鵬(おおとり)が遠い南の地に向かって飛び立とうと翼を広げるとの意から。 「図南の鵬翼」ともいう。 
- 兎にも角にも(とにもかくにも)- いずれにしても。ともかく。 細かい部分を気にせずに、重要な部分に関心を向けることを表す言葉。 
- 堵に安んず(とにやすんず)- 心を落ち着けて暮らすこと。安心して暮らすこと。 「安堵」の語源とされる言葉。 
- どの面下げて(どのつらさげて)- 恥知らずで厚かましい態度を罵っていう言葉。 
- 怒髪、冠を衝く(どはつ、かんむりをつく)- すごい剣幕で怒る様子。また、そのような形相のたとえ。 烈しい怒りのために逆立った髪の毛が冠を突き上げるとの意から。 「かんむり」は「かん」とも読む。 「冠を衝く」は「天を衝く」ともいう。 
- 怒髪、冠を衝く(どはつ、かんをつく)- すごい剣幕で怒る様子。また、そのような形相のたとえ。 烈しい怒りのために逆立った髪の毛が冠を突き上げるとの意から。 「かんむり」は「かん」とも読む。 「冠を衝く」は「天を衝く」ともいう。 
- 怒髪、天を衝く(どはつ、てんをつく)- すごい剣幕で怒る様子。また、そのような形相のたとえ。 烈しい怒りのために逆立った髪の毛が冠を突き上げるとの意から。 「かんむり」は「かん」とも読む。 「冠を衝く」は「天を衝く」ともいう。 
- 駑馬に鞭打つ(どばにむちうつ)- 能力のない者に、能力以上のことをさせるたとえ。多くは自分が努力することをへりくだっていう言葉。 
- 鳶が孔雀を生む(とびがくじゃくをうむ)- 平凡な親から優れた子どもが生まれることのたとえ。 「とび」は「とんび」とも読む。 「鳶が孔雀を生む」ともいう。 
- 鳶が鷹を生む(とびがたかをうむ)- 平凡な親から優れた子どもが生まれることのたとえ。 「とび」は「とんび」とも読む。 「鳶が孔雀を生む」ともいう。 
- 鳶に油揚げを攫われる(とびにあぶらあげをさらわれる)- 大事な物を不意に横から奪い取られることのたとえ。 空を飛んでいる鳶がさっと舞い降りて、すばやく油揚げを奪っていくということから。 「とび」は「とんび」とも読む。 
- 鳶の子は鷹にならず(とびのこはたかにならず)- 平凡な人間の子は、やはり平凡な人間になるというたとえ。 
- 鳶も居ずまいから鷹に見える(とびもいずまいからたかにみえる)- どんな人間でも、立ち振る舞いをきちんとすれば、立派に見えるというたとえ。 見栄えのよくない鳶でも、振る舞い次第では鷹のように見えるとの意から。 
- 土俵を割る(どひょうをわる)- 相撲で、相手に攻められて土俵の外に出る。 
- 飛ぶ鳥、跡を濁さず(とぶとり、あとをにごさず)- 立ち去る者は、後始末をきちんとしなければならないということ。また、引き際が潔いことのたとえ。水鳥は飛び立ったあとの水を濁さずに飛び去ることから。 「飛ぶ鳥、跡を濁さず」「鳥は立てども跡を濁さず」ともいう。 
- 飛ぶ鳥の献立(とぶとりのこんだて)- 手に入れる前に、その使い道を早々と計画することのたとえ。空を飛ぶ鳥を見て、捕らえもしないうちから料理の献立を考えるということから。 
- 飛ぶ鳥懐に入る時は狩人も助く(とぶとりふところにいるときはかりゅうどもたすく)- 窮地に陥った者が救いを求めてくれば、どんな事情があっても助けるのが人情であるというたとえ。 追いつめられた鳥が自分のふところに飛び込んでくれば、さすがの猟師も殺したりは出来ないということから。 
- 飛ぶ鳥を落とす(とぶとりをおとす)- 権力や勢力が盛んで、多くの人々が従う様子。 
- 飛ぶ鳥を落とす勢い(とぶとりをおとすいきおい)- 権力や勢力が盛んな様子。 空を飛んでいる鳥さえ落としてしまうほどの勢いとの意から。 
- 跳ぶ前に見よ(とぶまえにみよ)- 行動を起こす前に、よく考えてしっかり準備せよということ。 
- 途方に暮れる(とほうにくれる)- どうすればよいか分からず困り果てること。 
- 途方もない(とほうもない)- 道理から外れていること。または、程度が常識からひどく離れていること。 
- 富は一生の宝、知は万代の宝(とみはいっしょうのたから、ちはばんだいのたから)- 財産は一代限りの宝であるが、すぐれた知恵は後世の人にも役立つ宝であるということ。 
- とめてとまらぬ恋の道(とめてとまらぬこいのみち)- 人の忠告や理性などで止められないのが恋というものだ、ということ。 
- 止め処が無い(とめどがない)- 次から次へと続いて、いつまでも終わらない様子。 
- 止め処無い(とめどない)- 次から次へと続いて、いつまでも終わらない様子。 
- 朋あり遠方より来る(ともありえんぽうよりきたる)- 遠くにいる友だちが、はるばる会いに来てくれた喜びをいう言葉。「朋」は、友の意。 
- 友と酒は古いほどいい(ともとさけはふるいほどいい)- 友人は長い間付き合って気心の知れた人間がいいし、酒も長くねかせた古い酒がおいしいということ。 
- 倶に天を戴かず(ともにてんをいただかず)- 相手を殺すか自分が殺されるかの関係で、共存ができないこと。また、復讐せずにはいられないほど激しく憎むこと。 相手と同じ天の下では生きていけないとの意から。 「[[不倶戴天(ふぐたいてん)*https://yoji.jitenon.jp/yojic/1340.html]]」ともいう。 
- 土用布子に寒帷子(どようぬのこにかんかたびら)- 物事が逆さまであること。また、季節はずれで役に立たないことのたとえ。 「帷子」は裏地をつけない夏物の衣類、「布子」は木綿の綿入れのこと。 冬の寒い時に単衣の帷子を着て、夏の暑い時に綿入れを着るということから。 「土用布子(綿入れ)に寒帷子」「夏布子の寒帷子」ともいう。 
- 土用の筍(どようのたけのこ)- 役に立たず、無駄なことのたとえ。土用に出た筍は竹にはならないことから。 
- 土用綿入れに寒帷子(どようわたいれにかんかたびら)- 物事が逆さまであること。また、季節はずれで役に立たないことのたとえ。 「帷子」は裏地をつけない夏物の衣類、「布子」は木綿の綿入れのこと。 冬の寒い時に単衣の帷子を着て、夏の暑い時に綿入れを着るということから。 「土用布子(綿入れ)に寒帷子」「夏布子の寒帷子」ともいう。 
- 取らずの大関(とらずのおおぜき)- 実際の実力を見せたこともないのに、偉そうに振る舞う人のたとえ。 実際に相撲をとって見せたことのない大関との意から。 
- 虎に翼(とらにつばさ)- 勢力のあるものに、さらに力強いものが加わることのたとえ。 強い虎に翼をつけることから。 
- 虎になる(とらになる)- 酒に酔って恐怖を感じなくなること。 または、酒に酔って暴れること。 
- 捕らぬ狸の皮算用(とらぬたぬきのかわざんよう)- 当てにならないことを当てにして計画を立てることのたとえ。まだ捕まえていない狸の皮の価格を計算することから。 
- 虎の威を藉る狐(とらのいをかるきつね)- 他人の権力に頼って、弱いものが空威張りすることのたとえ。 虎に捕らえられた狐が「天の神が私を百獣の長にした。だから私を食べると天の命令にそむくことになる。うそだと思うならついてきなさい。獣たちはみな逃げ出すはずだ」といった。 虎が狐のあとについていくと、獣たちがみな逃げて行った。 虎は自分を恐れて獣たちが逃げたことに気づかず、狐を恐れて逃げ出したと信じたという故事から。 
- 虎の威を借る狐(とらのいをかるきつね)- 他人の権力に頼って、弱いものが空威張りすることのたとえ。 虎に捕らえられた狐が「天の神が私を百獣の長にした。だから私を食べると天の命令にそむくことになる。うそだと思うならついてきなさい。獣たちはみな逃げ出すはずだ」といった。 虎が狐のあとについていくと、獣たちがみな逃げて行った。 虎は自分を恐れて獣たちが逃げたことに気づかず、狐を恐れて逃げ出したと信じたという故事から。 
- 虎の尾を踏む(とらのおをふむ)- 非常に危険なことをすることのたとえ。 
- 虎の子(とらのこ)- 非常に大切にして手放さないもの。虎が子を大事にするということから。 
- 虎の子渡し(とらのこわたし)- 家計のやりくりに苦しむことのたとえ。虎が子を三頭生むと、その中に彪(ひょう)が一頭いて他の二頭を食おうとするため、川を渡る時に子を彪と二頭だけにしないよう、子の運び方に苦慮するという中国の故事から。 
- 虎は死して皮を留め、人は死して名を留む(とらはししてかわをとどめ、ひとはししてなをとどむ)- 虎は死後立派な皮を残して珍重され、人は死後その功績により名声が語り継がれるということ。 「虎」は「豹」、「留め・留む」は「残し・残す」ともいう。 
- 虎は死して皮を留め、人は死して名を残す(とらはししてかわをとどめ、ひとはししてなをのこす)- 虎は死後立派な皮を残して珍重され、人は死後その功績により名声が語り継がれるということ。 「虎」は「豹」、「留め・留む」は「残し・残す」ともいう。 
- 虎は千里行って千里帰る(とらはせんりいってせんりかえる)- 勢いが盛んで力強い行動力のたとえ。また、また、子を思う親の愛情深い行動力のたとえ。虎は一日に千里の道を進み、その後、再び同じ距離を戻ってくると言われることから。 
- 虎は千里往って千里還る(とらはせんりいってせんりかえる)- 勢いが盛んで力強い行動力のたとえ。また、また、子を思う親の愛情深い行動力のたとえ。虎は一日に千里の道を進み、その後、再び同じ距離を戻ってくると言われることから。 
- 虎は千里の藪に栖む(とらはせんりのやぶにすむ)- 優れたものは、広々として奥深い所にいるということ。虎は千里もあるような広い藪にすんでいるということから。 
- 虎を描いて狗に類す(とらをえがいていぬにるいす)- 凡人が優れた人の真似をして、軽薄になることのたとえ。また、立派過ぎるものを求めて失敗することのたとえ。 虎を書こうとして犬の絵になってしまうということから。 
- 虎を描いて猫に類す(とらをえがいてねこにるいす)- 凡人が優れた人の真似をして、軽薄になることのたとえ。また、立派過ぎるものを求めて失敗することのたとえ。 「虎を描いて狗に類す」に同じ。 
- 虎を画きて狗に類す(とらをえがきていぬにるいす)- 凡人が優れた人の真似をして、軽薄になることのたとえ。また、立派過ぎるものを求めて失敗することのたとえ。 虎を書こうとして犬の絵になってしまうということから。 
- 虎を野に放つ(とらをのにはなつ)- 災いのもとになりそうな危険なものを放っておくことのたとえ。 広い野原に虎を野放しにするとの意から。 「虎を野に放つ」ともいう。 
- 鳥疲れて枝を選ばず(とりつかれてえだをえらばず)- 生活のためには職業を選んではいられないということ。疲れた鳥は枝を選ばずに、どこにでもとまるということから。 
- 取り付く島がない(とりつくしまがない)- 相手の態度が冷たく、相談や頼み事などをするためのきっかけがつかめないこと。 または、頼りとする所が一つもないこと。 
- とりつく島もない(とりつくしまもない)- 頼りとしてすがる所がまったくないということ。また、相手が冷たく、そっけない態度なので話にもならないこと。海に出て、立ち寄れるような島が見つからないということから。 
- 取り付く島もない(とりつくしまもない)- 相手の態度が冷たく、相談や頼み事などをするためのきっかけがつかめないこと。 または、頼りとする所が一つもないこと。 
- 取り留めがない(とりとめがない)- 話に一貫性がないこと。まとまりがないこと。 
- 取り止めがない(とりとめがない)- 話に一貫性がないこと。まとまりがないこと。 
- 鳥なき里の蝙蝠(とりなきさとのこうもり)- 強い者や優れた者がいないところで、つまらない者が威張っていることのたとえ。 鳥がいない所では、蝙蝠が幅をきかせて鳥のように飛び回るということから。 
- 鳥の将に死なんとする、その鳴くや哀し(とりのまさにしなんとする、そのなくやかなし)- 鳥の死に際の鳴き声は人の心を打つほど悲痛に響くということ。このあとに「人の将に死なんとするその言や善し」と続き、人が死に際にいう言葉には真実が込められているという意で使われる。 
- 鳥肌が立つ(とりはだがたつ)- 恐怖や寒さなどによって、腕などの毛穴が収縮して、羽を毟(むし)った鳥のようになること。 また、近年では感動を表す言葉として用いられることもある。 
- 鳥は立てども跡を濁さず(とりはたてどもあとをにごさず)- 立ち去る者は、後始末をきちんとしなければならないということ。また、引き際が潔いことのたとえ。水鳥は飛び立ったあとの水を濁さずに飛び去ることから。 「飛ぶ鳥、跡を濁さず」「鳥は立てども跡を濁さず」ともいう。 
- 取りも直さず(とりもなおさず)- 前に述べた事柄が次に述べる事柄にそのまま当てはまること。すなわち。 
- 屠竜の技(とりょうのぎ)- 身につけても実際に役に立たない技のたとえ。「屠竜」は、竜を殺すこと。長い間訓練して竜を殺す技を習得したものの、竜は伝説上の動物で、その技は何の役にも立たなかったという説話から。 
- 取るに足らない(とるにたらない)- わざわざ取り上げる価値はない。些細な。 
- 取るに足りない(とるにたりない)- わざわざ取り上げる価値はない。些細な。 
- 取る物も取り敢えず(とるものもとりあえず)- この上なく慌てて行動する様子。 必要な物を取る余裕もないという意味から。 
- 取るより庇え(とるよりかばえ)- より多くの利益を求めずに、今あるものを失わないように守れということ。 
- 取ろう取ろうで取られる(とろうとろうでとられる)- 勝負事などで、勝ちたいという思いばかりが先に立ち、結局は負けてしまうたとえ。 
- 泥のように眠る(どろのようにねむる)- 酒に酔ったり、疲れたりして熟睡することのたとえ。 
- 泥棒に追い銭(どろぼうにおいせん)- 損をしたうえに、さらに損をすることのたとえ。 泥棒に入られたれたうえに、さらに金銭までやることから。 「泥棒に追い銭」ともいう。 
- 泥棒にも三分の道理(どろぼうにもさんぶのどうり)- どんなことでも、こじつければ理屈はつけられるということ。 盗みは悪いことだが、それを正当化する三分ほどの理屈があるとの意から。 「泥棒にも三分の道理」「盗人にも一理屈」ともいう。 
- 泥棒の逆恨み(どろぼうのさかうらみ)- 自分の悪いところは棚に上げて、相手を非難することのたとえ。 泥棒が自分の悪事は棚に上げて、捕まえた人や被害者を恨むとの意から。 
- 泥棒を捕らえて縄を綯う(どろぼうをとらえてなわをなう)- 物事が起こったり直前に迫ったりしてから、慌てて準備することのたとえ。 盗人を捕まえてから、泥棒を縛るための縄の準備を始めるとの意から。 「盗人」は「泥棒」、「捕らえて」は「見て」ともいう。 また、「泥棒を捕らえて縄を綯う」を略して「[[泥縄*https://kokugo.jitenon.jp/word/p37603]]」ともいう。 
- 泥棒を見て縄を綯う(どろぼうをみてなわをなう)- 物事が起こったり直前に迫ったりしてから、慌てて準備することのたとえ。 盗人を捕まえてから、泥棒を縛るための縄の準備を始めるとの意から。 「盗人」は「泥棒」、「捕らえて」は「見て」ともいう。 また、「泥棒を捕らえて縄を綯う」を略して「[[泥縄*https://kokugo.jitenon.jp/word/p37603]]」ともいう。 
- 泥を打てば面へはねる(どろをうてばつらへはねる)- 悪い行いの報いは必ず自分に返ってくるということ。 
- 泥を被る(どろをかぶる)- 損になることが分かった上でその役目を引き受けること。 または、他人の責任を一人で背負うこと。 
- 泥を塗る(どろをぬる)- 恥をかかせたり名誉を傷つけたりすること。 単に「泥を塗る」ともいう。 
- 泥を吐く(どろをはく)- 隠していた悪事などを、追及されて白状すること。 
- どろんを決める(どろんをきめる)- その場からいきなりいなくなること。 「どろん」は芝居などで幽霊が出入りする時の効果音。 
- 度を失う(どをうしなう)- ひどく慌てて冷静さを失うこと。 
- 度を過ごす(どをすごす)- 適切とされる程度を越えること。やりすぎること。 
- 団栗の背比べ(どんぐりのせいくらべ)- どれも平凡で、特に目立つような優れたものがないことのたとえ。団栗を比べてみても、みんな同じような大きさでほとんど違いがないことから。 
- 豚児(とんじ)- 自分の息子を謙遜していう言葉。 
- 呑舟の魚(どんしゅうのうお)- 大物、大人物のたとえ。 善人と悪人どちらにも用いる。 舟を丸のみするほどの大魚との意から。 
- 飛んで火に入る夏の虫(とんでひにいるなつのむし)- 自分から進んで危険や災難の中に飛び込んでいくことのたとえ。 灯火の明るさに引き寄せられて飛んできた夏の虫が、火に飛び込んで焼け死んでしまうとの意から。 
- 鳶に油揚げを攫われる(とんびにあぶらあげをさらわれる)- 大事な物を不意に横から奪い取られることのたとえ。 空を飛んでいる鳶がさっと舞い降りて、すばやく油揚げを奪っていくということから。 「とび」は「とんび」とも読む。 
- 丼勘定(どんぶりかんじょう)- 収支を帳簿に細かくつけずに、大雑把に金を使うこと。 「丼」は、昔、職人などが身につけた、腹掛けという作業衣の腹部にある物入れのこと。 そのどんぶりに無造作に金を出し入れしていたことから。 
- 貪欲は必ず身を食う(どんよくはかならずみをくう)- 強すぎる欲望は身を滅ぼすという戒め。 
 
         
    