「え」を含む故事・ことわざ・慣用句
「え」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 722 件
肌に粟を生ず(はだえにあわをしょうず)
恐ろしい目に遭って、ぞっとする様子。強い恐怖を覚えると皮膚に粟粒のようなものが出来ることから。
鼻毛を数える(はなげをかぞえる)
女性が自身に惚れている男性の弱みに付け込んで弄ぶこと。
鼻声を出す(はなごえをだす)
女性が男性に甘えた声を出すこと。
花は折りたし梢は高し(はなはおりたしこずえはたかし)
欲しいけれど手に入れる方法がないこと、また思うようにいかないことのたとえ。 「梢」は、木の幹や枝の先の部分。 花のついた枝を折りたいが、梢が高くて届かないことから。
花を添える(はなをそえる)
美しいものを加えること。華やかさを増すこと。
早覚えの早忘れ(はやおぼえのはやわすれ)
飲み込みの早い人は忘れるのも早いので当てにならないということ。 「早覚えの早忘れ」「早飲み込みの早忘れ」ともいう。
腹に据えかねる(はらにすえかねる)
激しい怒りで我慢できなくなること。
腹の立つ事は明日言え(はらのたつことはあすいえ)
腹立たしくても怒りに任せて物を言うのではなく、じっくりと考えてから言うほうが失言しないということ。
腹の立つように家蔵建たぬ(はらのたつようにいえくらたたぬ)
世の中には腹が立つことが多いので、腹を立てるのは簡単だが、家や蔵を建てるくらいの金を稼ぐのは簡単にはいかないということ。
腸が見え透く(はらわたがみえすく)
隠している企みなどがよくわかること。
腹を抱える(はらをかかえる)
おかしくて我慢できずに声を出して笑うこと。大笑いすること。
腹を拵える(はらをこしらえる)
仕事などに取り組む前に、食事をして腹を満たしておくこと。 「腹拵えをする」ともいう。
腹を据える(はらをすえる)
覚悟を決めること。
春の雪とおばの杖は怖くない(はるのゆきとおばのつえはこわくない)
春の雪はたとえ大雪でもすぐに溶ける。また、おばが杖で叩いても力が弱い。恐れるに足りないことを並べていった語。
春は蛙が目を借りる(はるはかえるがめをかりる)
春はとにかく眠たい時期だということ。 春に眠くなるのは、蛙が目を借りにくるからだという言い伝えから。 「蛙の目借り時」ともいう。
反旗を翻す(はんきをひるがえす)
謀反を起こすこと。「反旗」は、謀反を起こして立てる旗で、それが風になびくということから。
馬鹿の一つ覚え(ばかのひとつおぼえ)
愚か者が、たった一つ覚えていることを得意げに振りかざすことをあざけっていう言葉。
馬鹿も休み休み言え(ばかもやすみやすみいえ)
くだらないことを言うのもいい加減にしろということ。
馬齢を加える(ばれいをくわえる)
特に大きな成果や変化なく年齢が増えていくことを謙遜していう言葉。 ここでの「馬齢」は、自分の年齢をへりくだっていう語。 「馬齢を加える」ともいう。
万死一生を顧みず(ばんしいっしょうをかえりみず)
万に一つも生き延びる希望を持たないこと。
万卒は得易く、一将は得難し(ばんそつはえやすく、いっしょうはえがたし)
平凡な人物はたくさんいるが、優秀な人物に巡り会うのは難しいということ。 平凡な兵士を集めることは難しくないが、一人の名将を得ることは難しいとの意から。
火打ち石据え石にならず(ひうちいしすえいしにならず)
小さいものでは大きいものの代わりにはならないというたとえ。火打ち石は火をおこすときは役立つが、家の土台石にはならないということ。
火が消えたよう(ひがきえたよう)
急激に活気を失って、寂しい様子になること。
蟇の息さえ天に昇る(ひきのいきさえてんにのぼる)
誰でも一心に事を行えば望みを遂げられるということ。 「蟇」は、ヒキガエルの別名。 一心に努力すればヒキガエルのような弱い生き物の吐息も、天まで届かせることができるとの意から。
膝を交える(ひざをまじえる)
同じ席で親しく話すこと。親しく語り合うこと。
左は勝手、右は得手(ひだりはかって、みぎはえて)
何でも巧みにやれることのたとえ。「勝手」は自由に使いこなせること、「得手」は得意とすること。左手も右手も自由自在に使えるということから。
左前(ひだりまえ)
商売などが不振で経済的に苦しくなること。また、左の衽(おくみ)を内側にして和服を着ること。
必要の前に法律なし(ひつようのまえにほうりつなし)
必要に迫られた緊急事態の時は、法律など気にしていられないということ。
人肥えたるが故に貴からず(ひとこえたるがゆえにたっとからず)
人間の価値は、外見ではなく内面で決まるということ。見かけより実質が重要であるということのたとえ。
人事言えば影が差す(ひとごといえばかげがさす)
噂をしていると、不思議と噂の当人がその場に現れるということ。 略して「噂をすれば影」とも、「人事言えば影が差す」いう。
一つ間違えば(ひとつまちがえば)
一つでも悪いことがあれば最悪の事態になる可能性があることを表す言葉。
一時違えば三里の遅れ(ひとときちがえばさんりのおくれ)
少しの間でもぐずぐずしていると、たちまち大きな差が開くということ。 「一時」は約二時間、「三里」は約十二キロメートル。 一時遅れると、旅程に三里の遅れが出るとの意から。 「ひととき」は「いっとき」ともいう。 また「一時三里」ともいう。
人通りに草生えず(ひとどおりにくさはえず)
よく使っている道具はさびつかないというたとえ。 人の通りが多い道には雑草が生えないとの意から。 「繁盛の地に草生えず」ともいう。
人の苦楽は壁一重(ひとのくらくはかべひとえ)
壁一つ隔てただけで隣の様子がわからないように、他人の苦しみや楽しみは他人事で自分とはなんの係わりもないということ。
人の七難は見ゆれど我が十難は見えず(ひとのしちなんはみゆれどわがじゅうなんはみえず)
人の欠点は少しのことでも気がつくが、自分の欠点はなかなか気がつかないということ。 「難」は欠点のこと。 「人の七難より我が八難」「人の七難は見ゆれど我が十難は見えず」ともいう。
人の宝を数える(ひとのたからをかぞえる)
自分には何の得にもならないことのたとえ。 「他人の宝を数える」「隣の宝を数える」「隣の家の宝を数える」ともいう。
人の女房と枯れ木の枝ぶり(ひとのにょうぼうとかれきのえだぶり)
どうでもいいことのたとえ。また、良し悪しをとやかく言うべきでないことのたとえ。人の妻のことや枯れ木の枝ぶりは、あれこれ言ってもしようがないことから。
人の蠅を追うより己の蠅を追え(ひとのはえをおうよりおのれのはえをおえ)
他人のことをあれこれ言う前に、まずは自分の問題を始末せよということ。 他人にたかる蠅を追い払うより、まずは自分にたかる蠅を追い払えとの意から。 単に「己の頭の蠅を追え」とも、「我が頭の蠅を追え」ともいう。
一人口は食えぬが二人口は食える(ひとりぐちはくえぬがふたりぐちはくえる)
結婚して二人で暮らせば節約できることが多くなり、無駄が多くなりがちな一人暮らしよりも経済的であるということ。 「二人口は過ごせるが一人口は過ごせぬ」ともいう。
人を見たら泥棒と思え(ひとをみたらどろぼうとおもえ)
他人は信用できないので、泥棒と疑ってかかるくらい用心したほうがよいということ。
火の消えたよう(ひのきえたよう)
周囲を明るく照らしていた火が消えたように、急に活気がなくなってものさびしい様子。
火は火で消えぬ(ひはひできえぬ)
火を消そうとして火を使っても消せないように、力に力で対抗してもうまくいかないということ。
百丈の木に登って一丈の枝より落つる(ひゃくじょうのきにのぼっていちじょうのえだよりおつる)
気が緩んだ時に、危険が潜んでいるから気をつけよという戒めの言葉。高い木に登った時は用心しているので落ちることはないが、低い所まで降りると油断して落ちるということから。
百里来た道は百里帰る(ひゃくりきたみちはひゃくりかえる)
自分のしたことには、必ずそれなりの報いがあるということ。 百里歩いてきた道は、百里歩かなければもとの場所には戻れないとの意から。
瓢箪で鯰を押さえる(ひょうたんでなまずをおさえる)
とらえどころがなく、いっこうに要領を得ないこと。 つるつるした瓢箪で、ぬるぬるした鯰を押さえようとする意から。 略して「瓢箪鯰」ともいう。
平たく言えば(ひらたくいえば)
分かりやすく言うと。 簡単な言葉に置き換える時に使う言葉。
火を見たら火事と思え(ひをみたらかじとおもえ)
何事も用心を重ね、警戒を怠りなくせよという教え。 少しの火でも火事だと思って用心せよということ。
美人というも皮一重(びじんというもかわひとえ)
美人かどうかは体を包む皮一枚のことで、人間の本質には関係がない。人を外見だけで判断してはいけないということ。
風雪に耐える(ふうせつにたえる)
困難なことや辛いことなどに耐えて、それを乗り越えること。
斧鉞を加える(ふえつをくわえる)
文章に手を加えて直すこと。添削すること。 「斧鉞」は斧(おの)と鉞(まさかり)のこと。 斧や鉞で削るとの意から。
笛吹けども踊らず(ふえふけどもおどらず)
誘ったり勧めたりしても、相手がそれに応じて動かないことのたとえ。
吹く風枝を鳴らさず(ふくかぜえだをならさず)
世の中がよく治まり平和なようすのたとえ。 吹く風が静かで枝は音も立てないとの意から。
覆水、盆に返らず(ふくすい、ぼんにかえらず)
離縁した夫婦の仲はもとどおりにならないことのたとえ。また、一度してしまったことは取り返しがつかないというたとえ。 中国の太公望が出世して斉に封ぜられた時、離縁した妻が復縁を求めてやってきた。太公望は盆の水をひっくり返し「こぼれた水を元に戻せたら希望通りにしよう」と言って復縁を断ったという故事から。
筆を加える(ふでをくわえる)
文章の足りない部分を書き足したり、不要な部分を取り除いたりすること。添削すること。
古川に水絶えず(ふるかわにみずたえず)
栄えた旧家は、衰退してしまってもたやすく潰れることはないというたとえ。また、基礎のしっかりしたものは簡単には壊れないというたとえ。 水が枯れてしまったように見える古い川でも、川底では細々と流れが続いているとの意から。
噴火山の上で踊る(ふんかざんのうえでおどる)
極めて危険な状態におかれていることに気がつかず、好き勝手なことをしていることのたとえ。 ナポレオン没落後のフランスで、貴族たちが毎夜のように舞踏会を開き、民衆の不満がつのり政情が悪かった時に、サルバンディ伯が言ったと伝えられる「我々は噴火山の上で踊っているのだ」という言葉から。
分別過ぐれば愚に返る(ふんべつすぐればぐにかえる)
あまり深く考え過ぎると、かえって失敗するということ。「分別」は思慮の意。
分別の上の分別(ふんべつのうえのふんべつ)
思慮の上に思慮を重ねるのがよいということ。「分別」は思慮の意。
ブルータス、お前もか(ぶるーたす、おまえもか)
最も信頼していた相手に裏切られた時の嘆きの言葉。古代ローマの英雄カエサルが暗殺される時、相手の中にかわいがり心を許していたブルータスがいるのを見て発したとされる言葉。
下手が却って上手(へたがかえってじょうず)
下手な人は念入りに仕事をするので、かえって上手な人より立派な仕上がりになることがあるということ。
下手の考え休むに似たり(へたのかんがえやすむににたり)
よい考えも出ないのにあれこれ考えるのは、時間の無駄だということ。 もとは将棋や碁で、下手な人の長考をあざけって言った言葉。 「下手の思案は休むに同じ」ともいう。
蛇に睨まれた蛙(へびににらまれたかえる)
恐ろしいものや苦手なものの前で、身がすくんで動けなくなる状態のたとえ。 蛇にねらわれた蛙が恐ろしさのあまり動けなくなることから。 「蛇に見込まれた蛙」ともいう。
ぺんぺん草が生える(ぺんぺんぐさがはえる)
建物や土地などが手入れされずに荒れ果てている様子。 「ぺんぺん草」はアブラナ科の植物のナズナの別称。 雑草であるナズナが生えたままになっている様子からいう言葉。
方位家の家潰し(ほういかのいえつぶし)
方角の吉凶を気にしすぎると身動きがとれなくなり、ついには家をつぶす結果になるということ。
砲火を交える(ほうかをまじえる)
戦闘を始めること。
吠え面をかく(ほえづらをかく)
泣き顔をすること。泣きっ面をすること。
吠える犬はめったに噛みつかない(ほえるいぬはめったにかみつかない)
虚勢を張って強そうなことを言う者にかぎって実力がないというたとえ。
矛を交える(ほこをまじえる)
戦うこと。
星を戴いて出で、星を戴いて帰る(ほしをいただいていで、ほしをいただいてかえる)
朝早くから夜遅くまで仕事に励むことのたとえ。まだ星の見える早朝に家を出て、夜空に星がきらめく頃に帰るということから。
惚れて通えば千里も一里(ほれてかよえばせんりもいちり)
惚れた相手に会いに行く時は、どんな遠い道のりも近く思えて苦にはならないということ。この後に「逢わずに戻ればまた千里」と続く俗謡から。
本卦還り(ほんけがえり)
数え年六十一歳のこと。六十年で再び生まれた年の干支に還ることから。 「本卦還り」ともいう。
本卦還りの三つ子(ほんけがえりのみつご)
年をとって、まるで幼児のように無邪気なってしまうこと。「本卦還り」は、還暦のこと。
ホーマーにさえ眠いところがある(ほーまーにさえねむいところがある)
どんなにすぐれた人でも、時には失敗することがあるというたとえ。 ホメロスのような大詩人でさえ、時には眠くなるような凡作を作ることがあるとの意から。 「ホーマー」はホメロスの英語名。
ボタンを掛け違える(ぼたんをかけちがえる)
食い違いや矛盾などがあったことに後になってから気づくこと。 衣服のボタンを掛けるときに一つ間違えるとその後が全てずれるということから。
煩悩の犬は追えども去らず(ぼんのうのいぬはおえどもさらず)
いくら追い払っても離れない犬のように、煩悩というものは、人の心から離れないということ。
前急ぎは後急ぎ(まえいそぎはあといそぎ)
先へと急ぎすぎると失敗が多いということ。
前十両に後ろ三両(まえじゅうりょうにうしろさんりょう)
前から見ると美しいが、後姿はそれほどでもないということ。
前を踏み後ろにつまずく(まえをふみうしろにつまずく)
前に進むことも後ろに下がることもできないというたとえ。
蒔かぬ種は生えぬ(まかぬたねははえぬ)
原因がないところに結果はないということ。努力もせずに良い結果を期待してもかなえられないというたとえ。種を蒔かなければ何も実るはずがないという意から。
曲がる枝には曲がれる影あり(まがるえだにはまがれるかげあり)
原因が悪ければ悪い結果が生じるというたとえ。曲がった枝には、その曲がった枝の影ができるという意味から。