「じ」から始まる故事・ことわざ・慣用句
「じ」から始まる故事・ことわざ・慣用句 — 133 件
- 自家薬籠中の物(じかやくろうちゅうのもの)- いつでも自分の思うままににできる人や物のたとえ。 また、すっかり身につけた知識や技術のたとえ。 「自家」は自分のこと。「薬籠」は薬箱のこと。 自分の薬箱の薬のように、いつでも自分の思いのままに使えるもののことから。 
- 時間の問題(じかんのもんだい)- 結果がほぼ分かっていて、そのままの状態で近いうちにその結果になるだろうという状態。 
- 時間を稼ぐ(じかんをかせぐ)- 準備を整えたり有利な状況になったりするまで長引かせること。 「時間を稼ぐ」ともいう。 
- 時間を割く(じかんをさく)- 忙しい中で時間をやりくりして、あることをするために時間を作ること。 
- 地が出る(じがでる)- 隠していた本性が表に出ること。 
- 地金が出る(じがねがでる)- 隠していた本性が表に出ること。 
- 時機に投ずる(じきにとうずる)- 機会を利用してうまく物事を行うこと。または、時代の流れに乗って行動すること。 
- 自彊息まず(じきょうやまず)- 自らすすんで努力し、励んで怠らないことのたとえ。「彊」はつとめること、「息まず」は休まない意。 
- 児戯に等しい(じぎにひとしい)- 少しの価値もないこと。 
- 忸怩たる思い(じくじたるおもい)- 自らの行動や過ちに対して、深く恥じ入る気持ちを表す言葉。 自身の至らなさや失敗を強く意識し、申し訳なさや恥ずかしさに駆られる心情。 
- 時好に投ずる(じこうにとうずる)- 時代の風潮に合って、世間にもてはやされること。 
- 地獄から火を貰いに来たよう(じごくからひをもらいにきたよう)- やせ衰えてみすぼらしい姿のたとえ。 
- 地獄極楽は心にあり(じごくごくらくはこころにあり)- 地獄や極楽は、人の心の中に存在する。つまり、心の持ちようで、地獄にも極楽にもなるということ。 
- 地獄極楽はこの世にあり(じごくごくらくはこのよにあり)- 善悪の報いはあの世に行くまでもなく、この世ではっきりと現れるということ。 
- 地獄で仏に会ったよう(じごくでほとけにあったよう)- 大変困っているときに、思いがけず手を差し伸べてくれる人が現れることのたとえ。 「地獄で仏に会う」「地獄で仏」ともいう。 
- 地獄にも知る人(じごくにもしるひと)- 地獄のようなひどい所でも知り合いはできるものだということ。また、遠くの知らない土地に行っても知人に巡りあえるものだということ。 「冥土にも知る人」ともいう。 
- 地獄の一丁目(じごくのいっちょうめ)- きわめて恐ろしい所のたとえ。また、悪の道や破滅に向かう始まりのたとえ。「一丁目」は入り口の意。 
- 地獄の上の一足飛び(じごくのうえのいっそくとび)- きわめて危険な行為のたとえ。 
- 地獄の釜の蓋も開く(じごくのかまのふたもあく)- 正月の16日と盆の16日は、みな仕事をやめて休もうということ。この両日は、地獄の鬼も仕事を休み、罪人を煮る釜の蓋も開けて使わないということから。 
- 地獄の沙汰も金次第(じごくのさたもかねしだい)- この世の事は、すべて金の力でどうにでもなるということのたとえ。 地獄の裁判も金を出せば有利になるとの意から。 
- 地獄は壁一重(じごくはかべひとえ)- 人間は一歩誤ると、罪を犯してしまいがちだということ。 地獄は壁を一枚隔てたすぐ隣にあるとの意から。 
- 地獄へも連れ(じごくへもつれ)- どんな所に行く時も同伴者がいたほうがいいということ。 たとえ地獄に行くにしても、同伴者がいたほうがいいとの意から。 
- 地獄も住み処(じごくもすみか)- 住み慣れてしまえば、たとえ地獄のようなひどい所でも、住み心地がよくなるというたとえ。 
- 磁石に針(じしゃくにはり)- くっつきやすいもののたとえ。多くは男女の仲が接近しやすいことをいう。 
- 地震、雷、火事、親父(じしん、かみなり、かじ、おやじ)- 世の中で恐ろしいとされているものを、こわいもの順に並べた言葉。 
- 地震の時は竹薮に逃げろ(じしんのときはたけやぶににげろ)- 地震の時は竹やぶが避難場所としてすぐれているということ。竹は根を広く張っているいるため地割れが少なく、竹は倒れにくく、もし倒れても軽いため怪我が少ないことなど、経験からいわれている言葉。 
- 事実は小説よりも奇なり(じじつはしょうせつよりもきなり)- この世の実際の出来事は、作り事の小説よりも変化に富んでおもしろいということ。イギリスの詩人バイロンの言葉。 
- 祖父は辛労、子は楽、孫は乞食(じじはしんろう、こはらく、まごはこじき)- 金持ちも長続きはしないことのたとえ。 祖父が苦労して財産を築き、子が楽をして、孫は乞食になるほどに落ちぶれるということから。 
- 耳順(じじゅん)- 六十歳のこと。『論語』の「六十にして耳順う」から、他人の言葉も素直に聞けるようになると年齢という意。 
- 爾汝の交わり(じじょのまじわり)- きわめて親密な交わりのたとえ。「爾汝」は、お前・貴様の意。相手をお前・貴様と遠慮なく呼び合うような親しい交際の意から。 
- 児孫のために美田を買わず(じそんのためにびでんをかわず)- 子孫に財産を残せば、それに頼って努力をしないのであえて財産を残さないということ。西郷隆盛の詩の一節。 
- 地蔵の顔も三度(じぞうのかおもさんど)- どんなに温和な人でも、繰り返しひどい仕打ちをされると腹を立てるというたとえ。 慈悲深い仏でも、顔を三度もなでられると腹を立てるとの意から。 「地蔵の顔も三度」ともいう。 
- 地蔵は言わぬが我言うな(じぞうはいわぬがわれいうな)- 秘密を打ち明けたあと、相手に口止めしながら、自分が人にしゃべってしまう人間に対していう戒めの言葉。悪事を働いた者が、道端の地蔵に「どうか黙っていて下さい」とお願いしたところ「俺は言わぬがわれ言うな」と地蔵が答えたという昔話から。 
- 自他共に許す(じたともにゆるす)- 全ての人がそうであると認めること。 
- 事大(じだい)- 力の弱いものが強いものに逆らうことなく付き従うこと。 
- 時代掛かる(じだいがかる)- 当時よりも昔の時代の感じを与える。古びている。 
- 耳朶に触れる(じだにふれる)- 偶然聞くこと。たまたま耳に入ること。聞き及ぶ。 
- 地団太を踏む(じだんだをふむ)- 何度も足を踏み鳴らして悔しがるようす。「地団駄」は、地蹈鞴(じだたら)が変化した語で足で地を何回も踏みつけること。「地団太」とも書く。 
- 十歳の翁、百歳の童(じっさいのおきな、ひゃくさいのわらわ)- 子どもでも知恵も分別もある者もいれば、老人でも無知で愚かな者もいるということ。 人の賢さは年齢に左右されないということ。 「八歳の翁百歳の童」「十歳の翁百歳の童」「百歳の童、七歳の翁」などともいう。 
- 十指に余る(じっしにあまる)- 数が多いこと。十本の指で数え切れないということから。 
- 十把一絡げ(じっぱひとからげ)- いろいろな種類のものを、区別無くひとまとめにして取り扱うこと。また、一つ一つ取り上げるほどの価値がないものとして粗末に取り扱うこと。 
- 十遍探して人を疑え(じっぺんさがしてひとをうたがえ)- 物がなくなった時には、自分でよく探してみるのが先で、軽率に人を疑ってはいけないという戒めの言葉。 七回探しても見つからない時に、はじめて他人を疑うべきとの意から。 「七度探して人を疑え」 
- 実がある(じつがある)- 誠意や思いやりが感じられること。 
- 日月地に墜ちず(じつげつちにおちず)- 人が守るべき道義や正義などが滅びずに残っていること。 「日月」は正義や道義などの象徴とされるもの。 
- 地続きは買うておけ(じつづきはこうておけ)- 自分の土地と地続きの土地が売られていたら買っておけということ。 
- 実を挙げる(じつをあげる)- 明確な成果を示すこと。 
- 実を取る(じつをとる)- 名誉や名声などの体裁にこだわらず、実際の利益や内容を選ぶこと。 単に「実を取る」ともいう。 
- 自転車操業(じてんしゃそうぎょう)- 借金と返済を繰り返しながらどうにか仕事を続けること。また、そのような経営状態。 自転車は止まると倒れるということから。 
- 地で行く(じでいく)- 飾り立てたりせずに、ありのまま振る舞うこと。または、物語や小説の中だけでしか行われないようなことを実際に行うこと。 
- 自腹を切る(じばらをきる)- 自分が支払う必要のない経費などをあえて自分の金銭で支払うこと。 
- 自分の盆の窪は見えず(じぶんのぼんのくぼはみえず)- 自分の欠点はわからないことのたとえ。「盆の窪」は首の後部中央のくぼんだ所。 
- 自慢高慢、馬鹿のうち(じまんこうまん、ばかのうち)- 自慢や高慢な態度は愚かしいということ。 
- 自慢高慢酒の燗(じまんこうまんさけのかん)- 自慢や高慢、酒の燗もいい加減にしておくのがいいということ。 
- 自慢の糞は犬も食わぬ(じまんのくそはいぬもくわぬ)- 誰にも相手にされないこと。 自慢をする者はまわりの人に嫌われ、糞をかぎ回る犬でさえ、そういう人間の糞は避けるという意味から。 
- 自慢は知恵の行き止まり(じまんはちえのいきどまり)- 自慢をするようになると、進歩はもう望めないということ。 
- 自明の理(じめいのり)- 証明や説明の必要がないほどにわかりきっていること。 
- 耳目となる(じもくとなる)- その人の補佐をすること。その人の目や耳と同じ役割を果たすということから。 
- 耳目に触れる(じもくにふれる)- 見たり聞いたりすること。 
- 耳目を集める(じもくをあつめる)- 多くの人が意識を向けること。注意や関心を集めること。 
- 耳目を驚かす(じもくをおどろかす)- 世間の多くの人を驚かせること。 
- 蛇の道は蛇(じゃのみちはへび)- 同類のことは同類が一番よくわかるというたとえ。 蛇の通る道は、他の蛇がよく知っているとの意から。 
- 蛇は寸にして人を呑む(じゃはすんにしてひとをのむ)- 優れた人物は、幼い頃から常人とは違ったところがあるというたとえ。大蛇はわずか一寸ほどの頃から、人間をのみ込もうとする気迫を持っているということから。 
- 邪魔が入る(じゃまがはいる)- 物事の途中で、妨げとなる出来事が起こること。 
- 十三日の金曜日(じゅうさんにちのきんようび)- 西洋で不吉とされて忌み嫌われる日のこと。キリストが弟子のユダに裏切られた日が十三日の金曜日だった、など俗説はいろいろある。 
- 十七八は藪力(じゅうしちはちはやぶぢから)- 男は十七、八歳の頃には、薮竹を引き抜くほどのばか力が出るということ。 
- 従心(じゅうしん)- 七十歳のこと。「七十にして心の欲するところに従えども矩をこえず」から。 
- 銃弾に倒れる(じゅうだんにたおれる)- 銃弾に当たって死ぬこと。 
- 重点を置く(じゅうてんをおく)- あるものを大切だと考え、そこに力を入れること。 
- 十読は一写に如かず(じゅうどくはいちしゃにしかず)- 十回読むよりも一回書き写した方が内容をよく理解できるということ。 「十遍読むより一遍写せ」ともいう。 
- 十年一日の如し(じゅうねんいちじつのごとし)- 長い年月が経っても、少しも変わらず同じ状態である様子。 十年経っても、最初の一日と同じであるとの意から。 
- 重箱の隅は杓子で払え(じゅうばこのすみはしゃくしではらえ)- 些細な事に必要以上に干渉せずに大目に見るべきということのたとえ。重箱の隅を杓子で払うと隅に残るということから。 
- 重箱の隅を楊枝でほじくる(じゅうばこのすみをようじでほじくる)- どうでもいいようなつまらない所まで取り上げて、口うるさく言うことのたとえ。 「楊枝で重箱の隅をほじくる」「楊枝で重箱の隅をつつく」「小楊枝で重箱の隅をほじくる」「重箱の隅を突っつく」などともいう。 
- 十分はこぼれる(じゅうぶんはこぼれる)- 容器一杯に水をいれると、ちょっとした揺れでこぼれてしまうように、物事も欲を出しすぎると失敗することがあるので、ほどほどが良いということ。 
- 十目の見る所、十指の指さす所(じゅうもくのみるところ、じっしのゆびさすところ)- 多くの人が一致して認めること。 十人の目が見て、十人の指が指し示す所との意から。 「十指の指す所」「十目の視る所、十手の指す所」ともいう。 
- 柔よく剛を制す(じゅうよくごうをせいす)- 弱い者が強い者に勝つことのたとえ。しなやかで柔らかいものは、力だけで押してくる剛強なものの矛先をそらして、結局は勝利を得るということ。 
- 述懐奉公身を持たず(じゅっかいぼうこうみをもたず)- 不平、不満を持ちながら働いていても、身が持たないということ。 
- 術中に陥る(じゅっちゅうにおちいる)- 相手が仕掛けた計略に引っかかること。 「術中にはまる」ともいう。 
- 入木道(じゅぼくどう)- 書道のこと。 中国晋の書家王羲之(おうぎし)が書いた文字は筆勢が強く、書かれた板の三分の深さにまで墨が入り込んでいたという故事から。 「にゅうぼくどう」ともいう。 
- 寿命が縮む(じゅみょうがちぢむ)- 激しい恐怖や驚きなどを受けることのたとえ。 
- 順風に帆を上げる(じゅんぷうにほをあげる)- 勢いに乗って物事が順調に進むたとえ。 追い風に帆を揚げれば船は早く進むことから。 「順風に帆を上げる」ともいう。 
 
         
    