「は」を含む故事・ことわざ・慣用句
「は」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 1813 件
- 半畳を入れる(はんじょうをいれる)- 他人の言動を茶化したり野次ったりすることのたとえ。 「半畳」は、芝居小屋などで見物人が敷いた小さなござのこと。 芝居に不満な時、その半畳を舞台に投げ込んだことから。 「半畳を打つ」ともいう。 
- 判で押したよう(はんでおしたよう)- いつも同じことを繰り返していて変化がない様子。 「判子で押したよう」ともいう。 
- 半面の識(はんめんのしき)- 顔をちょっと見ただけで、その人をずっと覚えていること。また、ちょっとした知り合いのこと。 「半面」は顔の半分。 中国の後漢時代、応奉(おうほう)が顔の半分をちらっと見ただけの人のことを数十年後まで覚えていたという故事から。 
- 範を仰ぐ(はんをあおぐ)- 見本として学ぶこと。 
- 範を垂れる(はんをたれる)- 手本として実際に行い示すこと。 
- 馬鹿と煙は高いところへ上る(ばかとけむりはたかいところへのぼる)- 愚か者はおだてにのりやすいというたとえ。 
- 馬鹿と子供には勝てぬ(ばかとこどもにはかてぬ)- 理屈が通じない愚か者と子どもには、とうていかなわないということ。 
- 馬鹿と鋏は使いよう(ばかとはさみはつかいよう)- 人を使うときは、使い方次第で役に立たせることができるということ。 鋏(はさみ)も使い方次第で切れたり切れなかったりするように、愚かな人間も上手に使えば役に立つということ。 
- 馬鹿に付ける薬はない(ばかにつけるくすりはない)- 愚かな者の頭を賢くする薬はない。愚か者は救いようがないということ。 
- 馬鹿は死ななきゃ治らない(ばかはしななきゃなおらない)- 愚か者の性質は治そうとしても治らない、手の施しようがないということ。 
- 博打と相場は死ぬまで止まぬ(ばくちとそうばはしぬまでやまぬ)- 博打と相場に入れ込む者は一生やめることができないということ。 
- 化けの皮が剝がれる(ばけのかわがはがれる)- 包み隠していた本性が現れることのたとえ。「化けの皮」は、素性などを隠すための外見の意。 
- 祖母育ちは三百安い(ばばそだちはさんびゃくやすい)- 祖母に育てられた子どもは、甘やかされ大切にされるので、わがままで出来の悪い子になるということ。 
- 万卒は得易く、一将は得難し(ばんそつはえやすく、いっしょうはえがたし)- 平凡な人物はたくさんいるが、優秀な人物に巡り会うのは難しいということ。 平凡な兵士を集めることは難しくないが、一人の名将を得ることは難しいとの意から。 
- 日陰の豆も時が来ればはぜる(ひかげのまめもときがくればはぜる)- 人より成長が遅れていても年ごろになれば一人前になるから心配は要らないというたとえ。日陰で育った豆でも時期が来れば自然とさやからはじけ出るとの意から。 
- 日方と手間取りは日のうち(ひかたとてまどりはひのうち)- 日雇いの仕事が夕方には終わるように、南風も夕方にはやむということ。「日方」は日のある方から吹く風。南西風、南東風のこと。「手間取り」は日雇い仕事のこと。 
- 東は東、西は西(ひがしはひがし、にしはにし)- 東洋と西洋の文化は本質的に異なるということ。イギリスの詩人キプリングの言葉から。 
- 秘事は睫(ひじはまつげ)- 目のすぐそばにある睫が見えないように、秘事・秘伝は案外身近にあるが、容易に気がつかないものだということ。 
- 額に八の字を寄せる(ひたいにはちのじをよせる)- 機嫌が悪かったり、悩んだりしている様子。 眉を八の字の形にすることから。 「八の字を寄せる」ともいう。 
- 左は勝手、右は得手(ひだりはかって、みぎはえて)- 何でも巧みにやれることのたとえ。「勝手」は自由に使いこなせること、「得手」は得意とすること。左手も右手も自由自在に使えるということから。 
- 必要は発明の母(ひつようははつめいのはは)- 発明は必要に迫られるからこそ生まれるということ。 
- 人屑と縄屑は余らぬ(ひとくずとなわくずはあまらぬ)- 縄の切れ端でも何かの役に立つように、つまらない人間のようでも、その能力に応じて使い道があるということ。 
- 一筋縄では行かない(ひとすじなわではいかない)- 普通のやり方では思うようにいかない、うまく対処できないこと。 「一筋縄」は一本の縄のことで、普通のやり方のたとえ。 一本の縄だけでは対処できず、二本、三本と使うような状態との意から。 
- 一筋の矢は折るべし十筋の矢は折り難し(ひとすじのやはおるべしとすじのやはおりがたし)- 一人の力は弱くても、大勢が力を合わせれば強大な力を発揮できるということ。 一本の矢は簡単に折ることができるが、十本では折るのは難しいとの意から。 
- 一つ事は同じ事(ひとつことはおなじこと)- 言い方を変えてみても、結局言っていることは同じ事だということ。わかりきっている、という気持ちを表す言葉としても使う。 
- 人と入れ物は有り合わせ(ひとといれものはありあわせ)- 人と器物は多いほうが便利だが、たとえ少なくてもうまく使えばなんとかなるということ。 「人と入れ物は有り次第」ともいう。 
- 人と屏風は直ぐには立たぬ(ひととびょうぶはすぐにはたたぬ)- 屏風は折り曲げないと立たないように、人も真っ正直なだけでは世の中を渡っていくことはできないということ。 
- 人通りに草生えず(ひとどおりにくさはえず)- よく使っている道具はさびつかないというたとえ。 人の通りが多い道には雑草が生えないとの意から。 「繁盛の地に草生えず」ともいう。 
- 人に勝たんと欲する者は必ず先ず自ら勝つ(ひとにかたんとほっするものはかならずまずみずからかつ)- 人に勝とうと思うなら、まず自分自身の色々な欲望に打ち勝つ必要があるということ。 
- 人には飽かぬが病に飽く(ひとにはあかぬがやまいにあく)- 長わずらいの病人が、看病する人や周囲の人から嫌がられることをいう言葉。病人に飽きたわけではないが、病気に飽き飽きしてしまったということ。 
- 人に施しては慎みて念うこと勿れ(ひとにほどこしてはつつしみておもうことなかれ)- 他人に与えた恩恵のことは、恩着せがましくならないように、早くその事を忘れるように心がけよということ。 
- 人の意見は四十まで(ひとのいけんはしじゅうまで)- 40歳を過ぎた人間に意見をしても効果がないということ。また、それくらいの年齢になると、本人の考えを尊重すべきであるということ。 
- 人の痛いのは三年でも辛抱する(ひとのいたいのはさんねんでもしんぼうする)- 他人の苦痛は自分とは無関係だから平気であるということ。 
- 人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し(ひとのいっしょうはおもにをおうてとおきみちをゆくがごとし)- 人生は長く苦しいものだから、辛抱強く努力を重ねて着実に進んでいかなければならないという教え。徳川家康の遺訓から。 
- 人の初事は咎めぬもの(ひとのういごとはとがめぬもの)- 初恋に悩む人間の言葉は、たとえ誤りがあっても、咎めたりしないものだということ。「初言」は初めて言う言葉。転じて、初めて恋人に語りかける言葉。 
- 人の噓は我が嘘(ひとのうそはわがうそ)- 人の受け売りで話をすると、もしその話が嘘だった時は、自分が嘘をついたことになる。人の話を簡単に受け売りするなということ。 
- 人の噂は倍になる(ひとのうわさはばいになる)- 噂話は、事実よりずっと大げさに伝わるということ。 
- 人の踊る時は踊れ(ひとのおどるときはおどれ)- みんなが何かする時は自分も一緒にやるほうがよいということ。 
- 人の口に戸は立てられぬ(ひとのくちにとはたてられぬ)- 世間の噂話は止めることができないということ。 「立てる」は閉めることで、「閉てる」とも書く。 「開いた口に戸は立てられぬ」「世間の口に戸は立てられぬ」ともいう。 
- 人の苦楽は壁一重(ひとのくらくはかべひとえ)- 壁一つ隔てただけで隣の様子がわからないように、他人の苦しみや楽しみは他人事で自分とはなんの係わりもないということ。 
- 人の心は面の如し(ひとのこころはおもてのごとし)- 人の顔がひとりひとり違うように、人の心もそれぞれ異なるということ。 「人心の同じからざるは其の面の如し」ともいう。 
- 人の心は九分十分(ひとのこころはくぶじゅうぶ)- 人間の考えることはどれも似たようなもので、大きな差はないということ。 「人の心は九合十合」「世の中の人の心は九合十合」ともいう。 
- 人の事は我の事(ひとのことはわれのこと)- 人ごとと思っている他人の不幸も、いつか自分の身におこらないとも限らないということ。 
- 人の七難は見ゆれど我が十難は見えず(ひとのしちなんはみゆれどわがじゅうなんはみえず)- 人の欠点は少しのことでも気がつくが、自分の欠点はなかなか気がつかないということ。 「難」は欠点のこと。 「人の七難より我が八難」「人の七難は見ゆれど我が十難は見えず」ともいう。 
- 人の空言は我が空言(ひとのそらごとはわがそらごと)- 他人の話を受け売りすると、もしその話が嘘だった時は、自分が嘘をついたのと同じことになる。人の話を簡単に受け売りするなという戒めの言葉。「空言」は何の根拠もない噂のこと。 
- 人の情けは世にある時(ひとのなさけはよにあるとき)- 世間の人が好意を示してくれるのは、こちらの羽振りがよく栄えている間だけで、落ち目になると誰も見向きもしないということ。 
- 人の蠅を追うより己の蠅を追え(ひとのはえをおうよりおのれのはえをおえ)- 他人のことをあれこれ言う前に、まずは自分の問題を始末せよということ。 他人にたかる蠅を追い払うより、まずは自分にたかる蠅を追い払えとの意から。 単に「己の頭の蠅を追え」とも、「我が頭の蠅を追え」ともいう。 
- 人の花は赤い(ひとのはなはあかい)- 他人の物はなんでもよく見えるというたとえ。 人の家に咲いている花は、自分の家の花より赤く見えるとの意から。 
- 人は一代、名は末代(ひとはいちだい、なはまつだい)- 人のからだは死ねば滅びてしまうが、その人の名は後世にまで残るので、死後に名前を残すような立派なことをせよということ。 
- 人は落ち目が大事(ひとはおちめがだいじ)- 人が落ちぶれた時こそ、見捨てずに援助や励ましを与えべきだということ。また、落ち目になった時こそ大事な時であるから、言動に注意すべきだということ。 
- 人は陰が大事(ひとはかげがだいじ)- 人間は人目に付く所の行動だけでなく、他人の見ていない所での行動が大事だということ。 
- 一旗揚げる(ひとはたあげる)- 新たに事業などを起こすたとえ。 
- 人は足るを知らざるを苦しむ(ひとはたるをしらざるをくるしむ)- 人間の欲望には際限がなく、そのために苦しむということ。 
- 一肌脱ぐ(ひとはだぬぐ)- 相手を助けるために本気で力を貸すことのたとえ。 仕事をするときの姿、衣服の袖から腕を抜いて上半身の肌をあらわにする「肌脱ぎ」になることから力を尽くすことを意味する。 
- 人はパンのみにて生くるにあらず(ひとはぱんのみにていくるにあらず)- 人間は物質的満足だけを目的として生きるものではないということ。 
- 人は見かけによらぬもの(ひとはみかけによらぬもの)- 人の性質や能力は外見だけでは判断しにくく、外見と中身は往々にして異なることが多いので、外見だけで軽々しく判断してはいけないということ。 
- 人は見目よりただ心(ひとはみめよりただこころ)- 人は外見の美しさよりも、心の美しいことのほうが大切だということ。 「見目」は見た様子、顔立ちのこと。 単に「見目より心」ともいう。 
- 人は病の器(ひとはやまいのうつわ)- 人はいろいろな病気にかかりやすく、まるで病の入れ物みたいであるということ。 
- 人は悪かれ我善かれ(ひとはわるかれわれよかれ)- 他人がどんなひどい目に遭っても、自分さえよければいいということ。人間は利己的なものだということ。また、そういう人間をあざけっても使う。 
- 人目を憚る(ひとめをはばかる)- 人に知られると困る事情があるために人に見られることを避けること。 
- 一人口は食えぬが二人口は食える(ひとりぐちはくえぬがふたりぐちはくえる)- 結婚して二人で暮らせば節約できることが多くなり、無駄が多くなりがちな一人暮らしよりも経済的であるということ。 「二人口は過ごせるが一人口は過ごせぬ」ともいう。 
- 一人娘と春の日はくれそうでくれぬ(ひとりむすめとはるのひはくれそうでくれぬ)- 一人娘は親が惜しがり、なかなか嫁に出さないというたとえ。春の日は暮れそうで暮れないことから「暮れる」と嫁に「くれる」をかけたもの。 
- 人を思うは身を思う、人を憎むは身を憎む(ひとをおもうはみをおもう、ひとをにくむはみをにくむ)- 人に情けをかけることは自分のためになることであり、人を苦しめることはやがて自分の苦しみになるということ。 
- 人を謗るは鴨の味(ひとをそしるはかものあじ)- 人の悪口を言ったり噂話をしたりする楽しさを、おいしい食べ物の代表とされる鴨の肉にたとえた言葉。 「鴨(かも)」は「雁(がん)」とも、また「人の噂を言うは鴨の味」ともいう。 
- 人を叩いた夜は寝られぬ(ひとをたたいたよはねられぬ)- 人に害を加えられた者より、害を加えた者のほうが苦しいというたとえ。人を叩いた夜は、気がとがめて寝ていられないということ。 
- 人を恃むは自ら恃むに如かず(ひとをたのむはみずからたのむにしかず)- 他人は当てにならないから、人に頼るよりも自分自身を頼りにするのが確かだということ。「恃む」は、頼るという意。 
- 人を以て言を廃せず(ひとをもってげんをはいせず)- どんな人の意見でも、聞くべきところがあればその意見を無視することはないということ。 
- 火のない所に煙は立たぬ(ひのないところにけむりはたたぬ)- 火の気がない所に煙が立たないように、根拠がまったくないところに噂は立たない。噂が立つのは、なんらかの根拠があるはずだということ。 
- 火は火で治まる(ひはひでおさまる)- 野火が燃え広がるのを防ぐためには、周囲を火で焼き払うのが効果的であるように、悪を防ぐためには悪を用いるとうまくいくというたとえ。 
- 火は火で消えぬ(ひはひできえぬ)- 火を消そうとして火を使っても消せないように、力に力で対抗してもうまくいかないということ。 
- 火は火元から騒ぎ出す(ひはひもとからさわぎだす)- 最初に騒ぎ出した者が、事件の張本人であることが多いということ。火事の時、まず火元の家人が騒ぎ立てることから。 
- 暇ほど毒なものはない(ひまほどどくなものはない)- 暇があって時間を持て余すと、つまらない事を考えたり、しでかしたりする。暇になるとろくなことはないということ。 
- 火元は七代祟る(ひもとはしちだいたたる)- 火事の火元は、周囲に迷惑をかけて長い間うらまれるということ。 
- 百芸は一芸の精しきに如かず(ひゃくげいはいちげいのくわしきにしかず)- 何でも出来る人より、一つの事に精通している人のほうが役に立つということ。 
- 百戦百勝は善の善なる者に非ず(ひゃくせんひゃくしょうはぜんのぜんなるものにあらず)- 百回戦って百勝しても、何らかの損害がでるので得策とはいえない。戦わずに勝つことが出来れば、それが一番いい方法だということ。 
- 百聞は一見に如かず(ひゃくぶんはいっけんにしかず)- 人から繰り返し聞くよりも、一度でも自分の目で見たほうがよくわかるということ。 人の話を百回を聞いたところで、実際に一回見ることには及ばないとの意から。 
- 百里来た道は百里帰る(ひゃくりきたみちはひゃくりかえる)- 自分のしたことには、必ずそれなりの報いがあるということ。 百里歩いてきた道は、百里歩かなければもとの場所には戻れないとの意から。 
- 百里を行く者は九十里を半ばとす(ひゃくりをいくものはくじゅうりをなかばとす)- 何事も終わり近くになると困難が多くなるので、最後まで気を抜いてはいけないということ。 百里の道を行く者は、九十里来たところが半分だと思えとの意から。 
- 冷や酒と親の意見は後で利く(ひやざけとおやのいけんはあとできく)- 親の意見は聞き流してしまいがちだが、後になると納得できて、なるほどと思うようになるということ。冷酒は飲んですぐより、あとから酔いが回ってくる意から。 
- 貧の楽は寝楽(ひんのらくはねらく)- 貧しい人の楽しみは寝ることであるということ。 または、貧しい人は盗まれるものがないので安心して寝られるということ。 
 
         
    